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愛知県名古屋市緑区 有松
Arimatsu,Midoriku,Nagaoya city,Aichi


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Mar.26, 2016 中山辰夫

有松の東西に通る道が江戸時代の旧東海道で、その長さは約800m、江戸時代の面影を残す町並みは1984(昭和54)年に名古屋市の町並み保存地区に指定された。さらに、江戸時代から尾張藩に保護されて育った「有松絞・鳴海絞」は1975(昭和50)年に国の「伝統的工芸品」に指定されている。
有松については、既に詳しい投稿がされているので、展示されていた「ありまつ福よせ雛」に軸をおいて散策した。

名古屋第二環状線自動車道の架橋下をくぐる
 

一里塚と祇園寺
    
江戸から87里を示す一里塚があったが、1924(大正13)年、払い下げられ民地となり無くなった。しかし、地元の強い熱意により、2012(平成24)年に復元された。
祇園寺は光明皇后が詠んだ歌碑や奈良薬師寺を模した仏足石がある。梅屋鶴寿は御用商人の他に、狂言師でもあり歌川国芳のパトロンだったともいわれる

お店−商家案内 「引用」
   

最初のお店―成田商店 三代目のご主人は、有松商工協同組合の理事長さん
 

有松天満社
祇園社後方の山中にあって、菅原道真公を祀った本殿、神楽殿が境内に建つ。お祭りには「山車」が曳きだされ、その上での「からくり人形」は必見とされる。
    

附近の町並
   

西町山車庫(神功皇后車)と中町山車庫(唐子車) 山車は三輌ある。慶長年間より現在まで400年を経て江戸風情を伝える歴史資料である。
    

小塚家 市指定文化財
1784年の天明の大火後に建造された。主屋1棟・蔵2棟・茶室1棟の構成で、連子格子・なまこ壁・虫籠窓・塗ごめ造り・卯達が見事なまでに整った建物である。
       

岡邸 市指定文化財
江戸末期の建造で重厚な建築物で、一棟の建物としては有松で一番大きなものである。主屋1棟・作業場1棟・蔵2棟の構成で、連子格子・なまこ壁・虫籠窓・塗ごめ造りが残る。2階のひさし下の塗ごめ造りが波状になっているのがこの家の特徴。
    

ゲストハウス MADO
各家庭で不要になった雛人形を救済して新しく再生し、地域や施設の振興に役立てるよう取り組んでいる。
   

附近の町並
    

松柏苑 (中舛竹田荘) 高齢者向け賃貸住宅 古民家再生プロジェクト
      

竹田嘉平衛商店〜竹田邸 市指定文化財
知多郡から移住した竹田庄九郎が、慶長年間(1596〜58)に築城工事に来ていた豊後の人が着用していた絞り染から九々利染めを考案したのが始まりとされる。
         
町屋建築で、旧東海道を代表する建物のひとつ。主屋1棟・蔵3棟・茶室1棟・26畳の書院造りの座敷からなる
二階の壁は黒漆喰の塗ごめ造り、ひさしには明治期のガス燈が乗り、当時の商家の繁栄ぶりを細かく今に残している。
       


附近の町並
    

「やまと」 日本料亭 13代続いた絞り問屋神谷半太郎の旧家を改装した。お隣は石窯パン屋さん
   

中濱 国登録有形文化財 藍染めと絞りの店
       

町並
    

駄菓子屋「だがしや」 懐かしいお菓子が並ぶ 隣は棚橋邸(国登録文化財)
     

最も古風な江戸時代の面影を偲ばせる家並である。
     

服部邸 9代続く井桁屋 愛知県指定文化財
           
服部家は、寛政2年(1790)創業の絞問屋で、井桁屋を屋号とする。屋敷地は、東海道に面して広い間口を有し、中央部に二階建ての主屋を配し、井戸屋形、土蔵、門など合わせて11棟が指定文化財となっている。 有松の有力な絞問屋の屋敷構の典型として価値のある遺構となっている
土蔵も文化財である。連子格子・なまこ壁・虫籠窓・塗ごめ造り・卯達と当時の防火対策を今に残している。
         

有松・鳴海絞会館
ここでは展示と実演が行われている。「絞り」の歴史、その他の関連情報は、他の投稿に詳しいため省く。
現在も昔ながらの伝統と技法で作られているが、その技法は70種余りもあり、奥が深い。有松は分業制で、模様は絵付屋、括り職人はひたすら布を括る。
         

90歳を超えた女性の実演で、勿論伝統工芸士である。針付きの「括り台」と何十年もの闘いを経てこられた。
        

寿限無茶屋 筑後100年以上の古民家の店を利用している。
  

有松山車会館
神功皇后の山車が展示してある。ひな人形が場所を取っている。ひな祭りはまだ始めて浅く、今年はともかく集めて、見せる段階の様です
            

有松の集落は終わりますが、旧東海道はまだまだ先が長い。
   


June 6,2015 瀧山幸伸
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有松絞りまつり
Shibori matsuri
  

                        

知立山車文楽(国重要無形文化財)
  
                                                  

                  

Shibori street
               

貸しショールーム スズサンオフィス
漆アーチストの藤井誠治さんと木工アーチストの木平佳丈さん
                

          
スズサン
       

                       
布袋車
           

ミス絞りと有松福男
                                         

           

                           

竹田嘉兵衛商店
                                     

絞りの達人
 
唐子車
  

                             
一里塚
  
有松の全景
 
大高緑地
   



Jan.2015 野崎順次

撮影日: October 4, 2006

                                              





Jan.12,2014 瀧山幸伸
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有松絞り染めの芸術( 名古屋市緑区有松) 

桶狭間の地理的必然性

愛知県の西半分、尾張の国は、木曽川、長良川、揖斐川の沖積平野の穀倉地帯であった。
東半分の三河は、北の瀬戸豊田方面から南の知多半島へと広大な丘陵地帯が続き、その地勢ゆえに経済力も劣っていた。
戦後世界銀行の融資により愛知用水が引かれるまでは米が作れない土地が多かった。
戦国時代、知多半島の西側の付け根に位置する鳴海・有松付近には海が大きく入り込んでおり、尾張と三河を結ぶ重要な陸路の鎌倉街道はこの付近を通る必要があったうえ、陸路と海路の結節点でもあった。
このような戦略的に重要な地点故に、尾張を支配する織田信長と三河を支配する今川義元との間で、鳴海・有松を舞台に必然的に桶狭間の合戦が起きるのである。
この丘陵地帯は現在に至るまで交通その他の戦略的な立地であることに変わりはない。
江戸時代に入って東海道が通るばかりか、名古屋城の警護を担う要衝の立地でもある。
信長や家康同様、立地の重要さを明確に見抜いていたトヨタの創業者は、本社を不便な豊田市(当時の挙母市)から名古屋や東京に移転させる案に反対した。
「将来必ず交通の要所になるから本拠を動かすな」という予言は、その後新幹線が通り、知多半島に中部国際空港が完成し、第二東名もこの地を通り、的中した。陸海空の交通の必然的立地なのだ。

絞り染めの街並

家康の天下平定とともに東海道の整備が行われ、鳴海はその宿場町として発展する。
東隣の宿は在原業平の八ツ橋の名にし負う知立、西隣の宿は名古屋の地霊そのものの熱田である。
鳴海から東に2キロの距離に位置する有松は宿場町ではないが、ここには名古屋屈指の歴史的な街並が残る。
広重の浮世絵、鳴海宿に描かれるのは鳴海の街並ではなく有松の街並だ。
軒先に吊るされた大きな暖簾が示す「有松絞り」の街並で、浮世絵に描かれた付近はほぼそのままの姿で残っている。
これ以前の街並は天明4年(1784) の大火でほとんど全焼した。
その後茅葺きから瓦葺に変え、塗込海鼠壁の防火策が取り入れられた結果、豪壮な商家が建ち並ぶ街並となったものが今に続く。
その特徴は、間口の大きな敷地の中に、絞り染めの原材料と製品を貯蔵する蔵、接客用の座敷などが建ち並ぶ豪壮なものだ。
街並全体は国の重要伝統的建造物群保存地区には指定されていないが、主屋は平入りで間口が広いため見栄えがする。
東海道が土地の起伏に沿って走っているため、街並に緩やかな起伏と湾曲があり、歩いていてこの上なく心地良いのも特徴だ。
服部孫兵衛家(井桁屋)は愛知県の重要文化財に指定された豪壮な商家であり、有松の絞り問屋の典型である。
井桁屋は、向い側にあった大井桁屋、服部家(現棚橋家)から分家して寛政2年(1790)に創業した絞り問屋で、東海道に南面した長い敷地に、二階建の主屋を中心に土蔵などが並び、11棟が文化財に指定されている。
かつて敷地の背面は一段下がって藍染川が流れ、布のさらし場となり、藍染川の北、名鉄名古屋本線を超えて北の丘陵地まで屋敷地であったという。
主屋は切妻造、二階建、桟瓦葺、一階は格子、二階は黒漆喰の塗籠造で屋根両妻に豪壮な卯建を上げる。
主屋の東に店倉、その東に同じく県の文化財である服部幸平家の土蔵が続く。
裏側には東から旧米蔵、旧味噌蔵、女中部屋、長屋門、裏座敷、旧藍倉などが連続して建っている。
主屋背面には井戸屋形があり、背後には二階建の宝蔵倉が建つ。
切妻造桟瓦葺で、一階に出格子を設け、二階は軒を出桁造とし、一間ごとに格子窓を並べ、漆喰で塗り込めている。

中濱家も国の登録文化財で、正面西隣に土蔵が並ぶ。
木造二階建、切妻造桟瓦葺。一階は正面全体を木格子で統一し、二階は軒を出桁造とし、虫籠窓を並べ、黒漆喰で塗り込める。
有松絞りで栄えた問屋らしい重厚で風格のある外観だ。
街並の西側にある竹田家と岡家と小塚家は、名古屋市の文化財に指定されており、これまた豪壮な建築だ。
有松は祭りも豪壮だ。付近には知立や半田など、かつて栄えた地に山車祭りが残る。
有松の街にも三台の山車蔵があり、中には名古屋市の文化財に指定されている布袋車、唐子車、神功皇后車が保管されている。
これらは毎年10月第一日曜日に開催される有松祭り(天満社祭礼)に曳きだされる。
からくりを備えた精巧な山車もさることながら、それを操る男衆の祭り衣装も絞り染めの豪華なものだ。
布袋車は山車会館に展示され、祭り以外でも土日祝日に見学することができる。

有松絞り染め

この街並を形成した絞り染めは江戸の初期に始まった。
東海道が整備され、鳴海宿と知立宿ができたが、その間は人家もなく警備上好ましくない。
藩は有松に移住を促し、小さな村ができた。
慶長13年(1608) に知多郡阿久比庄から竹田庄九郎が移住する。
農業には適さず、街道の茶屋だけでは生業として成り立たないので、庄九郎は村人の産業を創りたいと願っていた。
たまたま慶長15年から始まった名古屋城の築城工事に来ていた豊後の者が着用していた染絞りを参考に、米が作れない三河で生産が盛んになってきていた木綿を使い、「括り染め」を考案する。
その後この技法で馬の手綱を作り、藩主と将軍綱吉に献上するまでになったという。
一方、豊後の医師三浦玄忠の妻が国元の括り絞りの技法を村人に伝授し、それが当地の「三浦絞り」の始まりとなったといわれる。
これらの発祥の真偽は定かではないが、その後、藩から有松だけに絞りの独占権が与えられ、東海道沿いであるがゆえに物流と情報の地の利を活かし、急速に業容が拡大する。
物流戦略は、街道の往来客に絞り手ぬぐいを売ること。
情報戦略は、『東海道中膝栗毛』にも登場する弥次郎兵衛と喜多八が有名な有松絞りを手に入れようと店に入ったが、あまりの高額に手が出ず、絞りの手ぬぐいだけ買い求めたという笑い話や、広重の浮世絵が代表する。
ちなみに、三浦絞り本家の豊後絞りも三浦絞りと呼ばれ、同時代に大分の豊後高田で発展している。
一方、有松・鳴海の三浦絞りは秋田にも伝搬し、秋田では「なるみ絞り」と呼ばれている。
幕末以降、有松の独占権は解除されたが、有松の技法は特許で保護されることとなり、戦後まで隆盛が続いた。
だが近年は着物離れが進み、需要が停滞し、「有松・鳴海絞り」として経済産業省の伝統的工芸品に指定されてはいるが、状況は深刻だ。

有松・鳴海絞り染め会館で絞りの技法を学ぼう。
生産工程は以下のような流れとなっており、分業化されて複数の業者が関わる。
・製品企画 絞り製造問屋が行う。
・下張り下のし 下絵をつけやすいように糊を塗布、湯のしで幅を揃える。
・下絵 摺り師が型紙の上から下絵を刷り込む。露草の花弁からとった青花液かその代用品が使われる。
・絞り括り 絞り職人が下絵に合わせて布に糸を括りつける。技法ごとに専門の職人によって行われ、使用する道具も技法によって異なる。非常に手間のかかる作業で、かつては農家等の副業として広く行われていた。
・漂白 下絵や括りの作業で付いた汚れを落とす。
・染め分け 多色染めは染めない部分の防染作業を行う。
・染色 括られた部分は染まらないので模様ができる。
・糸ぬき 括りの糸を取り除く。
・湯のし整理 布の皺を取り布目を整える。
・付帯加工
・仕上げ検品

会館で絞り括りを実演するトメさんは、九十を超えて現役だ。
この仕事を七歳から始めているそうだが、今の手間賃は肩に貼る膏薬代にもならないと笑う。
かつてマスコミを賑わせた長寿のきんさんぎんさんも同じ内職に携わっていたそうだが、手先を巧妙に操る仕事なのでいつまでも若々しいのだろう。

井桁屋服部家の前で和服姿で記念撮影している家族に話を伺った。
ご婦人が着用している着物は美しい染め絞りである。
毎年誂えているそうで、とても満足しているとおっしゃる。
男性に伺うと、彼も普段は絞り染めの着物を着用しており、女性物に比べ数が少ないので定期的に予約して作ってもらっているとのことだ。

井桁屋さんは忙しそうだったので、中濱家のミセに入ってお話を伺った。
国の登録文化財に指定されるまでに20年近く要した建物は、豪壮ではあるがうだつが無い。
かつて中濱家は染め専門業者だったので、うだつは上げられなかったそうである。
その後問屋となり、近年は店での販売も手掛ける。
店番は80代のご夫婦で、50代の娘さんが製品企画を担当している。
もちろん正統派の着物や浴衣も展示してあるが、私たち夫婦は女性物のジーンズジャケットの前後に絞りをあしらった品と、80デニールの細い糸で織った手触りの良いTシャツに絞りをあしらった品と、トメさんが括った大型ハンカチなどの小物を買わせていただいた。
どれも皆、生地が良いうえ、精巧なデザインと絞りをあしらっており、染め屋の伝統を持っているだけに色も良く、それなりの値段はする。
だが、大奥様いわく、「同じような品は二つと無いので、どのような集まりの機会にも話題を集め、他の人と比べられることもない。
結果的に満足度が高く、衣装代がかからない」とのことだ。
正直なところ筆者には衣料品の価値がわからないのだが、大奥様の、「何年経っても、何回洗濯しても大丈夫ですよ」という言葉に経済合理性を感じたのは確かだ。
都市伝説だが、上野の国立博物館のミュージアムショップに置いてある絞り染めは本物だけれど某博物館のミュージアムショップの品は中国製の安物だとある人から聞いた。
某博物館の学芸員がお茶目に客の真贋選別力を試しているのだろうか。

街並の将来

このたびの訪問は七年ぶりだった。
前回と比較して閉じている店が増えている。
ファストファッションが主流の今時、芸術の域に達した染め絞りの良さがわかる消費者も少ないのだろうが、このままでは産業として絶滅するかもしれない。
何とか新しい展開を見いだせないものか。
もちろん通常の活性策はなされている。
空き店舗の活用例として、棚橋家を多目的スペースとして活用したり、やまと、寿限無茶屋などの飲食店も成り立ってはいるが、本質である絞り染めを発展させることは容易ではない。
結城紬がユネスコ世界遺産に登録されたように、日本各地の織物文化が世界遺産に登録されることも必要だが、まずは各地の織物の伝統工芸品をネットワーク化して世界に発信するチャネルが必要だ。
経済産業省傘下で伝統工芸品のプロモーションを行っているが、世界規模でのマーケティング戦略を推進する余地はまだある。
それが本来の国際交流であり、海外からいちげんさんの団体観光客を増やしてもむなしいのではなかろうか。
中山道に比べ、東海道には由比、日坂、赤坂、関などの他に古い街並はほとんど残っていないので、ここ有松は名古屋市にあるにもかかわらず貴重な存在である。


創始者竹田庄九郎の碑

   

  

有松・鳴海絞り会館

                                                 

                                       

街並
                                                                                                  

                               

中濱
Nakahama
                  

やまと
          

寿限無
  

山車会館
                
          








Sep.2007 瀧山幸伸 7DVD quality video AVCHD video Video FAQ

  
   

岡家
       

    

  

       

        

服部家
              
          



   

         

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