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周遊紀行



「みどりと海の幸が豊かな初夏のみちのく」 June 2009 高橋明紀代

6月上旬、作並温泉、瑞巌寺・円通院、松島、塩竃神社へ出かけた。
出かける前は意識していなかったが、約50年前高校2年のとき、古典の授業で「奥の細道」を1年間学んだ。
そして高校2年の春「奥の細道」の現地を訪ねる3泊4日の旅行もあった。その中の1日に松島や瑞巌寺を訪れている。
この地には、松尾芭蕉の「奥の細道」痕跡があちこちにあった。
旅が終わってみて、じつに50年ぶりの「奥の細道」再訪の旅だったと気づいた。 

作並温泉

 
前日朝、激しい雨の中仙台から東北本線で松山に出かけ、その後仙台に戻り一泊した。
翌日仙山線で夕刻前に作並温泉に向かう。泊まったのは「鷹泉 岩松旅館」。
正岡子規が病臥につく前、尊敬していた俳聖松尾芭蕉の「奥の細道」の足跡を訪ね、作並温泉ではここに宿をとったことを知る。
旅館の岩風呂へ降りていくには、長い木造の階段を下っていく。
その階段の横にある窓から、清流の広瀬川が音をたてて流れている。
白いしぶきと、木々のあざやかなみどりとのコントラストが目に飛び込んでくる。
温泉と共に、6月のみちのくの自然を満喫した。

瑞巌寺円通院

 
翌日、作並温泉を後にして、仙台から石巻行きの電車で、松島へ向かう。
土曜日のせいで、車内も松島も観光客で混雑していた。
昼前に国宝の瑞巌寺につく。観光客が徐々に増えてきた。
東北の雄で戦国武将伊達政宗は、一時信長亡き後、天下を狙ったこともあった。
やがて、正宗は秀吉に臣下の礼をとり、自分の領地の国づくりに精力を注いでいく。
仙台城の造営や瑞巌寺の前身円福寺の再興に着手し、完成後瑞巌寺と称した。
桃山様式の荘厳さと華やかさを持つ本堂伽藍を観ていると、正宗は東北の地に、京都にひけをとらない城や寺院・神社の造営に心血を注いだのであろう。
瑞巌寺に隣接する円通院は、境内の庭がみごとであった。
こちらは、瑞巌寺と違って、訪れる人がまばらであった。
支倉常長がヨーロッパから持ち帰ったと伝わる厨子のモダンな図案は、その当時ここを訪れた人たちをさぞ驚かせたであろう。
禅寺の様式である白砂の庭、あざやかな苔が生えた境内、庭園の静寂と美しさを堪能した。

松島・五大堂

 
松島を目の前にのぞむ五大堂も正宗の創建で、桃山様式で華麗な蛙股の彫刻は重要文化財である。
50年前に来た時、松島の後行った岩手の中尊寺の方が印象が強く、ここは観光名所という、ぼんやりした思い出しか残っていなかった。
しかし、改めて松島に来てみると、印象が大きく塗り替えられた。
芭蕉が歌聖西行に憧れ、当時で言えば晩年、その足跡が残るみちのくへの旅を思い立った。そして、その憬れのひとつが松島であったことが甦ってきた。
だが、よく知られるように、芭蕉は松島で俳句を詠んではいない。
あまりの感激に詠めなかった、と司馬遼太郎は「街道をゆく」で書いている。
そんなことを思い出し、眼前に広がる松島からの海の香りや風を感じながら、しばらく五大堂前でたたずんでいた。

塩竃神社、塩竃の酒蔵

 
帰りは遊覧船で松島から塩竃まで行った。
初夏の晴れた午後、乗客も多くない遊覧船で、のんびり松島めぐりだ。
船内アナウンサーから島の名前を聞きながら、40分くらいの爽快なひとときを過ごした。
塩竃港から徒歩で塩竃神社へ向かう。塩竃神社も正宗の再興である。
塩竃港を見下ろす長い石段を登った岡の上にある。
眼下の漁港は昔からいまに至るまで、豊富な海の幸が水揚げされる港であることを実感する。
神社の風格と港町の風情として塩竃は、西の尾道を連想させる。
しかし、いまの尾道からは、かつての町の活気のおもかげを想像するしかない。
一方、塩竃はいまも東北有数の漁港で、生まぐろの水揚げ量は日本一という。
塩竃の町には酒蔵が何軒もあり、醸造された酒がこの塩竃神社に奉納されてきた。
メインストリートには浦霞、男山などの酒蔵や一ノ蔵の販社(旧勝来酒造、後に一ノ蔵と合併)が並ぶ。
いまも、純米酒の銘酒の故郷である。


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