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愛媛県愛南町 外泊
Sotodomari,Ainan town,Ehime

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Jan.18,2017 瀧山幸伸

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中泊
     

船越
             

道の駅みしょうMIC
              

宇和島市津島町嵐
  


May 2009 瀧山幸伸 

石垣の里

愛媛県の最南端、豊後水道に突き出た半島に位置する外泊は石垣の里。
漁港はその立地上多かれ少なかれ石垣石段が形成されているが、ここは特に石垣が目立つ。
農村の石垣はほとんど棚田用途で、棚田百選など、全国に多い。段々畑の石垣は愛媛の遊子や宮崎の戸川など、棚田よりさらに哀愁が漂う。外泊の石垣においては、現在の街並景観形成に寄与しているのは主に屋敷の石垣だが、以前は集落の背後の山一面を石垣の畑が覆っていた。
 この集落は、一つ手前の中泊集落の分村である。幕末、中泊の人口が増えたため、次男三男を分家し、新しく外泊の集落を興した。狭い地形を整備し、屋敷畑を切り開き、落ち着いたのは明治12年頃。それが今では高齢者主体の村となり、漁業で生計を立てる者も少なくなり、年金暮らしが多くなってしまった。背後の畑を耕すにしても収入は少なく、サルなどの被害も多い。以前は山の上まであった段々畑は放置され、元の山林に戻っている。家が取り払われた屋敷も多く、ますます石垣ばかりが目立つ街並となっている。この集落が形成されて百年。経済社会の荒波にもまれてきたが、この後百年どのように変貌するのだろうか。元の山に戻り、鉱山町のような廃墟となるのだろうか。
それにしては目の前に拡がる宇和海が美しすぎ、新鮮な魚介が美味すぎる。臨海教育の場所、海を愛する自然派の別荘地、あるいは寄港地として最高の立地だから、景観保護を前提にそのような土地利用運動も一考に値する。

 


May 2009 瀧山幸伸 中泊 HD video

     



Dec.2007 瀧山幸伸 AVCHD video Video FAQ


  

                                                             

     


Oct.2006 中山辰夫

外泊(そとどまり)
愛媛県南宇和郡愛南町

2006(平成18)年に訪れた時の画像と記憶による説明のため現在とのズレはお許し願います。

外泊の集落は『石垣の里』として「 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」、「美しい日本の歴史的風土100選」、「 日本の美しいむら農林水産大臣賞」に選定されている。が、過酷な境遇の中、悲惨な歴史を重ねて成立った集落である。
 

集落に入る前に、その歴史背景に触れる。

1700(元禄13)年頃淡路島を故合って出た吉田家一党が西海半島の権現山(標高490.8m)麓に地を得て、無一文から開拓・開墾を重ねて宅地造成し、石積の集落をつくりあげた、これが「中泊」である。
幕末頃になると、中泊の人口が増加し、集落が大家族構成となったため、次男・三男を分家させ中泊から他所へ移住させる必要性が生じた。
権現山の山麓に新しく集落をつくる計画がなされ、出来た集落が「外泊」で、これら移住者がひとまずの家屋を得て入居したのは、1879(明治12)年頃とされる。
従い、外泊の集落は中泊に隣接してある。現在、目に留まる外泊の石積は、ほぼ江戸末期頃に築造されたもので、約140年経過している。

中泊・外泊集落の人々の生業は漁業一本で海と共に生きてきた。現在も同じである。
集落の前方に拡がる西海は静かで美しい。集落の人達にとってこの海は、わが身と同じ重さであったろう。各々の家屋からは海が見えるよう工夫されていた。
            

外泊の集落

中泊も外泊も吉田姓が殆どで、亡くなったが民宿経営の吉田トヨカさんは外泊の有名おかみで、生き字引だった。
   

外泊の集落は権現山(標高490.8m)の北向き斜面に位置し,北向きに開口した湾に急傾斜で接し,集落の立地する斜面は,水平距離250mに対して約45mの高度差があり、集落が立地する斜面は平均30〜40°との報告がある。
急斜面に並ぶ集落のどの家も高い防風石積で囲われ、冬の厳しい季節風や潮害の対策とされる。
集落内のメインの通りと唯一の雑貨屋
   

生活道路は結構勾配のある坂道。石畳でつくられているが、精々2人程が並んで歩ける幅である。山を切り崩して造成したことによる。
        

石積は防風石積と基礎石積に分かれ、石材は造成地から出た地場のものが使われている。
    

造成工事は、「手がえ」(手伝いに行って、また手伝い仕返す)という相互扶助の方法により行われた。
工法は空積み、積み方はいわゆる野面積み(乱積み)である。特別な石工などの職人が手がけたものではなく、唯一、故吉田七蔵氏が17歳の時に築いたとされる石垣が、「七蔵垣」という名で呼ばれ、作者がはっきりしているだけである。宅造工事は凄まじい過酷なものであったろう。身内の結束の強さが窺える。
        

外泊の土地造成の特徴は、約50戸に対し60〜70坪の敷地が配分され、共同耕作畑地が隣接し、防風対策の石積に囲まれていることである。
集落の規模が約50戸であったのは、当時の生業である漁業との関連が深い。老齢化と過疎化で空地が増えていないか心配である。
    

比較的風の弱い中泊では、住宅の建てかえの都度、石積を取り除いているが、外泊は強風のため取り外せない。
家屋は全て平家で、独特の景観を呈している。窓から港が一望できるようにしているところが多い。
    
家屋の配置は、オキ(海)に面した方に炊事場を、ソラ(南の山)に面した方に床の間や座敷を配置している。
海側の窓部分は石積が取り除かれており、窓から港が一望できるようにしているところが多い。家の中から海や風の様子、その日の釣り行きの是非、漁師の妻が夫の無事な帰りを見届けられるための工夫である。

地蔵さんも石で囲まれている。
  

これから先、外泊がたどる方向は分からないが気になる存在である。集落は居住の地であるため、遠くから眺めるだけの規制も必要かと思われる。
石積=石垣とします。

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