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愛媛県松山市 松山城
Matsuyama castle,Matsuyama city,Ehime

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松山市丸之内 松山城 天守 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 三重三階天守、地下一階付、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 三ノ門南櫓 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 一重櫓、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 二ノ門南櫓 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 一重櫓、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 一ノ門南櫓 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 一重櫓、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 乾櫓 重文 近世以前/城郭 江戸前期 江戸前期 矩折二重二階隅櫓、一部一重、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 野原櫓 重文 近世以前/城郭 江戸前期 江戸前期 二重二階隅櫓、一部一重、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 仕切門 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 脇戸付高麗門、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 三ノ門 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 高麗門、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 二ノ門 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 脇戸付薬医門、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 一ノ門 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 脇戸付高麗門、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 紫竹門 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 脇戸付高麗門、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 隠門 重文 近世以前/城郭 江戸前期 江戸前期 櫓門、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 隠門続櫓 重文 近世以前/城郭 江戸前期 江戸前期 一重櫓、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 戸無門 重文 近世以前/城郭 江戸前期 寛政12(1635) 高麗門、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 仕切門内塀 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 延長24.6m、狭間十六所、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 三ノ門東塀 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 延長14.2m、狭間十所、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 筋鉄門東塀 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 延長11.1m、狭間九所、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 二ノ門東塀 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 延長3.7m、狭間三所、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 一ノ門東塀 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 延長10.1m、狭間十所、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 紫竹門東塀 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 延長16.6m、狭間十一所、本瓦葺 19350513
松山市丸之内 松山城 紫竹門西塀 重文 近世以前/城郭 江戸末期 "文化-安政(1804-1859)" 延長14.5m、狭間十所、本瓦葺 19350513

Aug.29,2016 瀧山幸伸 movie

                                            


Aug.2016 酒井英樹

撮影 July 2015

 賤ヶ岳七本槍の一人、加藤嘉明が築いた平山城である。加藤嘉明は関ヶ原の役以前から伊予4郡6万石を領して松前(まさき)城に居城していた。
 戦後の論功行賞で領地が拡大し21万石を領することになった。
 嘉明は朝鮮渡海における船手の将として海城であった松前城にいたが、対外出兵の可能性がなくなり、城地も手狭なため内陸部の松山に慶長7年(1602)起工したのが松山城である。
 嘉明は会津に転封させられる寛永4年(1627)まで継続して城郭の建設を行った。
 加藤嘉明と交代して松山城主となった蒲生忠知も二の丸の邸宅を建設した。寛永12年(1635)に徳川家康の甥(異父弟の松平(久松)定勝の次男)である松平定行が封じられ嘉明が建設した5重天守を3重に改造を加えた。
 天明4年(1784)に落雷のため天守を焼失した。

<天守>
       


<一ノ門>
   

<一ノ門南櫓>
     

《一ノ門付近》
  
<二ノ門>
  

<二ノ門南櫓>
  

<三ノ門>
      


<三ノ門南櫓>
   


<仕切門>
     


<紫竹門>
   

<野原櫓>
   

<乾櫓>
 
<隠門>
   

<隠門続櫓>
  


<戸無門>
  



Oct.10,2015 川村由幸

所在地:愛媛県松山市丸の内

                                                                                                            


June 7,2015 中山辰夫

松山城
松山市丸之内1

ロープウエイをおりて東雲口登城口を歩き出すとすぐ眼前に松山城特有の「のぼり高石垣」が現れ、圧倒される。全国でも最大規模を誇る。主に花崗岩が、利用され、隅部は殆ど算木積である。
        
見とれるうちにどんどん本丸郭内に近づくが引返し、二の丸庭園へ向かう。

松山城は山城の様相に似ており、山頂部の詰城に相当する本丸と南西麓の居館に相当する二の丸、三の丸によって構成されている。

二の丸史跡庭園

位置図
  

本丸へ行く途中にある黒門口登城道を下りる。この登場道は二之丸と本丸を結ぶ通路であった。石段が多く距離もあって、この往復路は結構疲れる。
                                


July 21,2014 瀧山幸伸 movie

A camera
                                                                                                                                                                                                                                                 


B camera
                                                                                                                                                                                                                                                      



December 23, 2013 野崎順次 video

松山市の中心部、勝山(城山)山頂に本丸を構える平山城である。日本三大平山城にも数えられる。山頂の本壇にある天守(大天守)は、日本の12箇所に現存する天守の一つである。この中では、姫路城と同じく、大天守と小天守・南隅櫓・北隅櫓を渡り櫓(廊下)で結んだ連立式で、日本三大連立式平山城にも数えられる。

幕末に建築された大天守ほか、日本で現存数の少ない望楼型二重櫓である野原櫓(騎馬櫓)や、当時の土木技術としては特筆される深さ44mにおよぶ本丸の井戸などが保存されている。敷地一帯は国の史跡に指定されており、建造物21棟は国の重要文化財に指定されている。

(ウィキペディア「松山城」より)

東側の東雲口よりリフトで上がる。

         

子規歌碑、説明板

   

本丸の石垣

     

国重文 天守を望む

  

国重文 戸無門

       

下界を見る

      

筒井門
国重文 隠門、同続櫓

      

それから、

         

松山城本壇が迫ってくる。

            

国重文 紫竹門、東塀、西塀

     

記念撮影

   

国重文 筋鉄門東塀は天守と石垣の間の黒塀

  

国重文 一ノ門、同南櫓、東塀
国重文 二ノ門、南櫓、東塀

           

それから

    

国重文 三ノ門、東塀、南櫓

       

天守広場に入り、見渡す。

      

国重文 穀倉

       

室内に入り、天守から内門、玄関多聞櫓、北隅櫓、十間廊下、南隅櫓、多門櫓、小天守、筋鉄門と廻り、展示を見ていく。

                             

国重文 天守を登る。

   

天守最上階(三階)と東西南北の眺望

                     

国重文 仕切門、内塀

        

黒門口登城道を下る。

        

二の丸あたりの説明板

           

槻門跡

    

堀之内あたりから城を見上げる。

    

参考資料
ウィキペディア「松山城(伊予国)」







May 2009 撮影:瀧山幸伸 HD video

   

                                                 

                                                    



Dec.2008 撮影:高橋明紀代

松山は今回が三度目の訪問。今回はじめて松山城へ足を運ぶ。
瀬戸内海が望め、市中も見渡せる天守閣にいると、司馬遼太郎の『街道をゆく』を想い出す。
正確でないかもしれないが、「地味が豊かで、幕末に勤王土佐藩から約200名の勤王武士が進駐してくると、伊予の松平藩はあっさり降伏した」という。
大義名分で流血を厭わず戦うことより、経済や交易でにぎわっていた地の智恵をだったかもしれないと想像する。
   


Dec.2007 瀧山幸伸 AVCHD video Video FAQ

  

 

     

太鼓櫓
Taikoyagura
  

戸無門
Tonashimon
   

筒井門
Tsutsuimon
  
   
 

隠し門
Kakushimon
    

巽櫓・太鼓門
Tatsumiyagura, Taikomon
   

  

天主 一の門南櫓、二の門南櫓、小天主、南隅櫓
Tenshu
                

天神櫓
Tenjinyagura
 

一の門
Ichinomon
     

二の門
Ninomon
 

   



  



 
   

筋鉄門
Sujikanemon
  

       

                                            

            

       

乾櫓
Inuiyagura
  

  

紫竹門
Shichikumon
  

      

   


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