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愛媛県松山市 石手寺 51番札所
Ishiteji 51ban fudasho, matsuyama city,Ehime

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やきもち
松山市石手2-9-21 石手寺五輪塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 鎌倉後期 石造五輪塔 19521122
松山市石手2-9-21 石手寺護摩堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、銅板葺 棟札2枚 19530331
松山市石手2-9-21 石手寺三重塔 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 鎌倉後期 三間三重塔婆、本瓦葺 棟札1枚 19070527
松山市石手2-9-21 石手寺鐘楼 重文 近世以前/寺院 室町前期 元弘3(1333) 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、檜皮葺 19070527
松山市石手2-9-21 石手寺仁王門 国宝 近世以前/寺院 鎌倉後期 文保2(1318) 三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺 19070527 19521122
松山市石手2-9-21 石手寺本堂 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 鎌倉後期 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺 銘札1枚、棟札2枚、棟札1枚 19070527
松山市石手2-9-21 石手寺訶梨帝母天堂 重文 近世以前/神社 鎌倉後期 鎌倉後期 一間社流見世棚造、檜皮葺 19530331


June 7,2015 中山辰夫

松山市石手2−9−21

宗派:真言宗 本尊:薬師如来 創建:728(神亀5年) 開基:行基 勅願:聖武天皇

石手寺 は真言宗豊山派の寺院。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第五十一番札所。
道後温泉の温泉街から近いため、遍路の他にも、観光客で賑わうことが多く、2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において1つ星に選定された。
境内ほとんどの堂塔が国宝、国の重要文化財に指定されている壮観さで、それに寺宝を常時展示している宝物館を備えており、四国霊場では随一ともいえる文化財の寺院である。
国宝は二王門で、重要文化財には本堂をはじめとして、三重塔、鐘楼、五輪塔、訶梨帝母天堂、護摩堂の建造物と、1251(建長3年)の銘が刻まれた愛媛県最古の銅鐘がある。

由来

遍路の元祖とされる衛門三郎の再来伝説ゆかりの寺でもある。参道前にある、弘法大師に詫びる衛門三郎像。

仁王門に続く道端には露店が並ぶ。石畳である。

境内図

仁王門 国宝 楼門の蟇股は湛慶の作とされ、その繊巧秀美差は当代の傑作とされる。左右の仁王像は運慶の作といわれ、県指定文化財である。

高さ7m、間口は三間、横4m、1318(文保2)年の建立、二層入母屋造り本瓦葺き。約3mの大草履は4年毎に架け替えられる。

本殿(弘法大師お茶堂)

石手のお大師さんと云われ地方信仰の中心として重要な弘法大師の五尊像を安置している。燈明並びに線香の煙は四季を通じて絶えることがない。

三重塔 国重要文化財 高さ24.1m 本瓦葺 和様 組物の一部に大仏様の修法が見られる。

鐘楼 国重要文化財 1333(元弘3)年再建 入母屋造 檜皮葺 軒深い屋根と四方についた袴腰が珍しく、その流線も美しい。
楼上には1251(健長3)年銘の梵鐘がある。梵鐘も国重要文化財である。

謌梨帝母天堂(かりていもてんどう 鬼子母神) 国重要文化財 小さな建物であるが、蟇股に加え、肘木部分や釘隠しなどに特徴がある。
檜皮葺 一間社流見世棚造 蟇股は仁王門のと同じつくり。鎌倉時代と思われる。

護摩堂 国重要文化財 桁行・梁間とも3間、一重、屋根は銅板葺(元は桧皮葺)、和様、面取り方柱の上に舟肘木を置くだけの簡素な造り

本堂 国重要文化財 単層入母屋造 本瓦葺 鎌倉時代中期の和様建築

阿弥陀堂

宝物館

木造獅子頭・天人面・菩薩面等の県指定文化財、古文書が納められている。

宝物館前から2〜300m北へ行く。
五輪塔

更に前へすすむ
奥の院

マントラ洞窟を抜けた左手にある閻魔さまの門をくぐった所が奥の院。金色に輝くパゴタハマントラ塔と呼ばれ、その横には苦行釈迦像が鎮座している。
一木彫りの羅漢像と修行するところとか。

大師堂

四国八十八霊場お砂撫で

石手寺は遍路創始の衛門三郎の寺。霊場参りを重ねて砂を安置。撫でて心身を新たに回復させる。

参考資料≪パンフレット、HPより引用≫





July 12, 2014 野崎順次 movie

愛媛県松山市石手2−9−21
真言宗豊山派
熊野山 石手寺
(Ishiteji Temple, Matsuyama City, Ehime Pref.)

寺伝によれば、神亀5年(728年)に伊予国の太守、越智玉純(おちのたまずみ)が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀った。これは聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)に行基が薬師如来刻んで本尊として安置して開基したという。創建当時の寺名は安養寺、宗派は法相宗であったが、弘仁4年(813年)に空海(弘法大師)が訪れ、真言宗に改めたとされる。寛平4年(892年)河野氏に生まれた子どもが石を握っていという衛門三郎再来の伝説によって石手寺と改められた。
河野氏の庇護を受けて栄えた平安時代から室町時代に至る間が最盛期であり、七堂伽藍六十六坊を数える大寺院であった。しかし、永禄9年(1566年)に長宗我部元親による兵火をうけ建築物の大半を失っているが、本堂や仁王門、三重塔は焼失を免れている。
(ウィキペディア「石手寺」より)

パンフレットと現地説明板

アプローチ

国宝 仁王門 鎌倉後期 文保二年(1318年)
三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺

金剛力士像は鎌倉時代の作で愛媛県の有形文化財に指定

境内側から見た仁王門

仁王門の隣に本殿お茶堂

国重文 三重塔 鎌倉後期
三間三重塔婆、本瓦葺き

国重文 鐘楼 室町前期 元弘三年(1333)
桁行三軒、梁間二間、袴腰付、入母屋造、檜皮葺

水天、弥勒堂

国重文 護摩堂 室町前期
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、銅板葺

一切経堂

国重文 訶梨帝母天堂 鎌倉後期
一間社流見世棚造、檜皮葺

太子堂

絵馬堂

国重文 本堂 鎌倉後期
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺

本堂の西側、マントラ洞窟入口あたり

阿弥陀堂、仕合せの鐘

その他境内(西側)

麻原彰晃風の像があってびっくり

その他境内(西側)続き

その他境内(鐘楼の東側)

東側の山門を出て、五輪塔に向かう。

国重文 五輪塔 鎌倉後期 総高273cm 花崗岩製

参考資料
石手寺パンフレット
国指定文化財等データベース





May 2009 瀧山幸伸 HD video








Dec.2007 AVCHD video Video FAQ



五輪塔


仁王門
Noumon







本堂
Hondou








訶梨帝母天堂




護摩堂
Gomadou




鐘楼
Shourou



三重塔
Sanjutou

 

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