JAPAN GEOGRAPHIC

愛媛県西条市 土居構跡

(Ruins of Doikamae Castle, Saijo City, Ehime Pref.)

Category
Rating 凡例
Comment 
  General
 
県史跡、江戸初期の庭園
  Nature
 
 
  Water
 
 
  Flower
 
  Culture
 
 
  Facility

 
  Food
 

February 16, 2019  野崎順次 source movie

愛媛県西条市中野甲1743

県史跡 土居構跡

土居構とは古い城郭の形式である。此処は、約六百余年の昔、新居宇摩二郡を支配した河野通直が築造したと伝えられる。主峰高峠を中心に麓(ふもと)に加茂川の急流を繞(めぐ)らした城塞の拠点として、偉容を誇った高外木城主の平生の居館の跡である。

時代は移って石川氏がこれに拠(よ)ったが、天正十三年(一五八五)の兵乱に建物等一切焼亡して僅(わず)かに石垣芝生の犬走等のみ残存している。

寛永十九年(一六四二)久門政武が中野村庄屋として入居し、子孫継承して今日に至っている。

寛文のはじめ建築した家屋は、其の後改造を累(かさ)ねながら猶(なお)旧態を保っている。書院の庭園は江戸初期民家の代表的のものとして推奨されている。

本邸を囲む巨木老樹を含む植物群は、旧時よりの居住者の生活様式を類推し得る意義深いものがある。

 昭和五十六年三月十八日  西条市教育委員会

(現地説明板より)

                    

久門家住宅庭園 江戸初期

本庭は書院の裏庭であり、約五十二坪の面積であるが、東、北、西、の三方を土塀で囲み、東西にやや細長い長方形の地割とされる枯山水である。

中央北部に築山を設け、東西二つの築山の間に枯滝石組を設けてあるが、この枯滝石組の手法も、よく寛文期の枯山水手法を見せている。その前に巨石の臥石を用いて礼拝石とし、また西の築山の麓にも巨石を組み、あるいはまた、東北角にも敷石の石組がある。

西の築山から西部へ組み降ろした石組も美しく、かつ、なかなか全庭の石組手法が豪健であって、西南の巨石石組に至るまで、よくこの時代の手法を語っている。庭内にはツガ、モッコク、ハクチョウゲ、シャリンバイ、クサタチバナ、クロマツ、その他の庭木も多く、少々繁茂し過ぎている。旧家民家の庭として、元禄期以前の庭は少ないから、民家の庭として貴重な存在である。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」久門氏庭園より)

                                 

帰途

    

 All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中