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福井県越前市 武生公会堂記念館
Takefu koukaido memorial,Echizen city,Fukui

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Aug.28,2014 中山辰夫


越前市蓬莱8−8

国登録文化財

旧武生市の最寄りはJR武生駅で、北陸本線、敦賀駅と福井駅の間にある。
旧武生市は、福井県中部にあった市。福井市に次いで福井県第2の都市であったが、平成の大合併( 2005年)で、今立町と合併し越前市の新設に伴い廃止となった。
武生という歴史的に由緒ある名が消えて寂しい思いである。地元住民からも反発が残るときく。だが「越前」はさらに古い歴史をもち、往時をしのばせる地名である。
越(こし)といわれたこの地域は、今の福井県あたりから新潟県信濃川の辺りまで及んでいた。高志、古志とも表記された。
「角鹿(敦賀)の坂(木の芽峠」を東に越えて入る地域であるために、越(こし)というと文献にある。
越が、「越前、越中、越後」に分けられたのは7世紀半ばである。越の中で後に「加賀」と呼ばれる地は、はるか後世、室町時代にようやく穀倉の地になった所で、越前に付属した地域であった。
越前にあっては「武生」は古都というべき地で、上代、ここに越前国の国府が置かれ、国分寺もあった。中世までは、府中とよばれていた。
江戸期、武生は小規模な城下町で、藩政時代、慶長6年(1601)の本多富正が府中城に入府し、藩主館として定められてから、維新廃藩に至るまで本多氏が歴代在城し、城下町の秩序をつくった。その流れが今も残る町である。

僅かな時間内の散策である。

JR武生駅から約100m西へ行くと市役所がある。さらに南へ150mほど行くと昭和天皇即位記念として1929(昭和4)年に建てられた武生公会堂記念館がある。
武生公会堂は幕末に府中の藩校「立教館」があった場所に建設された。武生町公会堂を改修し、1995(平成7)年に開館。2005(平成17)年に建物が国の登録有形文化財に登録された。
南側及び東側が接道する敷地に南面して立つ。鉄筋コンクリート造地上2階建地下1階建で、南東部に6層の塔屋を配す。

武生では初期の本格的鉄筋コンクリート造で、塔屋のランドマーク性を強調する垂直線意匠や、楕円等を用いた1階玄関の意匠に特徴がある。

1階では市内遺跡から出土した考古資料を常設展示し、2階では越前市の歴史文化を紹介するために特別展や館蔵品展を開催している。また、公会堂の貴賓室を忠実に復元し、建設当初の雰囲気を今に伝えている。

シャチ
一階に展示してある。王子保窯跡跡群から出土した7世紀後半の「鴟尾 しび」

藩校「立教館」

記念館の正面向かって右側に「建学記念碑」という石碑が建つ。
これは府中の藩校「立教館」を顕彰するために、同校の開設に尽力した府中の商人松井耕雪(1819〜1885)の没後50年を記念して、昭和9年(1934)に建てられたもの。
江戸後期、若越の諸藩においても主に藩士の子弟を対象とした人材育成の教育機関である藩校が開設されたが、府中でもこうした動きを受けて、藩校開設の気運が高まり、安政3年(1819)に建坪48坪の校舎が建設され、立教館と命名された。
この際、代々福井藩家老職を務め、府中を治めていた本多家7代本多富恭に、建設資金として私財300両を献じたのが耕雪であった。耕雪はそれだけでなく、蔵書も寄付し、富恭の諮問に応じて立教館の教育方針や規則、履修教科、教員組織案なども提出したといわれる。
立教館は、1869(明治2)年の版籍奉還頃まで存続したといわれ、同校からは後に東京府知事や帝国大学(現在の東京大学)の初代総長等を歴任した渡邉洪基や、明治初期に農商務次官を務める等官僚として活躍した斎藤修一郎、学習院教授となった松本源太郎等の優れた人材を輩出した。

「越府城址」の碑
市役所玄関向かって左側に府中城址を示す「越府城址」の碑がある。

越前国の国府があったことから府中を越府としており、国府の施設はこの辺りから西方にかけてあったとされる。
府中を「武生」に改称したのは1869(明治2)年である。

府中城
文明年間(1469〜87)、斯波氏が越前国守護代をここにおいた府中奉行所が始まりである。織田信長は越前一向一揆鎮圧後、武将の柴田勝家に越前をまかせ、目付役として後に府中三人衆と呼ばれる武将の不破光治・佐々成政・前田利家を武生の周辺に配置した。利家は府中奉行所を修築して府中城とした。利家の府中在城期間は約6年間、1581(天正9)年までであった。
府中城は、天正11年(1583)4月、賤ヶ岳の合戦で敗走する柴田勝家を追った羽柴秀吉を利家が迎えた城としても知られている。
藩政時代、慶長6年(1601)の本多富正が府中城に入府し、藩主館として定められてから、維新廃藩に至るまで本多氏が歴代在城した。
場所は現在の市役所のあたりとされる。







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