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福井県南越前町 今庄
Imajo, Minamiechizen town, Fukui


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January 4,2014 大野木康夫 video

今庄宿は北国街道で栄えた大宿場町でした。
旧街道を歩くと醸造業を営む家が多くみられます。
後年の改造があってもうだつが上がっている家が多くみられるなど、往時の町並みの名残が残っています。

駅前から道しるべへ

北国街道と北陸道の分岐に立てられていた道しるべ

道しるべから旧街道を北へ高札場付近まで

宿場の中心部

旧昭和会館(今庄地区公民館今庄分館)(登録有形文化財)

昭和6(1931)年の建築

旧昭和会館は、昭和6年に田中和吉氏の寄付で建てられた。
田中氏は財団法人啓潤会を創設し、財産のほとんどを社会教育や福祉事業に費やしたといわれる。
昭和会館は財団の拠点施設であり、地元住民の婦人会や研修会などに利用されていたという。
昭和30年から49年までは旧今庄町の役場として、現在は公民館として利用されている。
鉄筋コンクリート造地上2階、地下1階建の建物で、中央にポーチを置き、左右対称の正面とする。
設計・施工は京都の上田工務店であるが、基礎やコンクリートの骨材用の石を河原から運ぶなど、地元住民も作業に携わったという。
外観は改装されてしまっているが、特に3階のホールは当初の状態をよく伝えている。
宿場町として栄えた今庄宿に残る数少ない洋風建築として貴重な建物である。
(「福井の文化財」より)

明治殿(登録有形文化財)

昭和7(1932)年の建築

明治殿は、北陸街道の宿場町として栄えた今庄宿にある。明治になると廃れてしまった宿場町が多い中、今庄には鉄道が通り、近代以降も交通の要衝として活気にあふれた町であった。
現在、明治殿が建つ場所は、江戸時代に福井藩の大庄屋で、本陣でもあった後藤家の屋敷地であった。
明治11年に明治天皇が北陸地方を巡幸された際には行在所(あんざいしょ)となった。
その後、後藤家は他所に移ってしまったが、地元の田中和吉氏によって、敷地内の整備が行われ、昭和7年、明治天皇の行在所を再現した明治殿が建てられた。
木造平屋建、屋根は入母屋造銅板葺で、前方に唐破風の向拝を設ける。
桁行7.6m、梁間6.5m。
内部中央に、明治天皇が利用したという10畳の座敷が再現されている。
(「福井の文化財」より)

旧旅籠若狭屋(登録有形文化財)

江戸末期の建築

旧旅籠若狭屋は北陸街道の宿場町として栄えた今庄宿の旅籠として建てられた。
木造2階建、現在の屋根は切妻造鉄板葺であるが、当初は板葺きだったという。
間口10m、奥行9.5m正面中央に玄関を設け、その両脇は平格子とする。
2階部も全面を太い格子を構え、両脇には袖ウダツを設ける。
2階に客座敷を設ける旅籠であるため、通常の町屋としては2階部の階高が高い。
天保年間(1830〜1844)の記録によると、今庄宿には55軒もの旅籠があったという。
旧旅籠若狭屋は、宿場町として栄えた今庄宿の当時をしのぶことができる数少ない遺構である。
(「福井の文化財」より)

堀口酒造

旧京藤甚五郎家住宅(福井県指定文化財)

江戸後期の建築

旧京藤甚五郎家住宅は、北陸街道の宿場として栄えた旧今庄町の町中にある。
京藤家は江戸時代には酒造業を営むなど、今庄宿有数の旧家であったという。
本住宅の間口は20m余りあり、標準的な町屋と比べると2倍の大きさである。
木造2階建、切妻造で、屋根には越前特有の赤瓦が葺かれている。
両妻面の壁を屋根面よりも高く持ち上げた本格的なウダツを上げ、壁面を土壁で塗り籠めるなど、防火を意識した表構えが特徴である。
当建築の正確な建築年代は不明であるが、江戸時代後期から幕末と考えられる。
伝統的な町屋の形態をよく留めており、県内に現存する数少ない江戸時代の大型町屋である。
(「福井の文化財」より)

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