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福岡県筑紫野市 古賀 「月形洗蔵幽閉の地」碑 

Koga,Chikusino city , Fukuoka

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Jan.2016  末永邦夫 source movie

地元の歴史を見直そうとする活動の一環で、筑紫野市にある明治維新の遺跡の紹介です。

【撮影日】 2015(H27)年11月28日

【撮影地】福岡県筑紫野市古賀

【説明】

筑紫野市古賀に「月形洗蔵(せんぞう)幽閉の地」と刻まれた石碑が建っています。

月形洗蔵は筑前勤王党の志士です。藩主・黒田長溥(ながひろ)に尊皇論の立場から述べた建白書を提出したため、捕縛され、この地【御笠郡古賀村佐伯五三郎宅(現・筑紫野市古賀)】に約1年間幽閉されました。

「禁門の変」で敗れた長州藩が匿っていた五卿(三条実朝他)を福岡藩に移すため、幽閉中の月形洗蔵は罪を許され、1865年に五卿を太宰府天満宮の延寿王院(現在の西高辻家邸宅)に迎える働きをします。

五卿がここに滞在中、西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬など勤王派の志士が訪ねて来て,維新の相談をします。

福岡藩は犬鳴山に福岡城の代替の城(犬鳴山別館)を築こうとした事や、五卿の元に集まる志士や筑前勤王党の行動が幕府にとがめられます。

このため、1865年、福岡藩は筑前勤王党の藩士を捕縛拘束し、家老加藤司書以下7名切腹、月形洗蔵以下14名斬首など処罰します【乙丑(いちゅう)の獄】。

福岡藩の筑前勤王党は壊滅します。

月形洗蔵は薩長同盟の基礎となる建白書を作り、その後、坂本龍馬が実行へ移したと云われています。

また、戯曲の主人公の月形半平太は、月形洗蔵と武市半平太(土佐勤王党)をモデルにしたと云われています。

明治になって、月形洗蔵は贈正四位とされ名誉を回復します。

 

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