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福岡県福岡市東区 香椎宮

Kashiigu,Higashiku,Fukuoka city,Fukuoka

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福岡市東区香椎4-16-1 香椎宮本殿 重文 近世以前/神社 江戸後期 享和元(1801) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、左右側面各一間車寄附属、切妻造、正面及び左右側面各向拝一間、檜皮葺 棟札8枚 19220413


May 4,2017 蒲池眞佐子

〇勅使道

頓宮から境内地に至る雄大な楠並木道で正に日本一の勅使道です。この道は昔、神の道として

神幸式のみに使用されていました。

貞明皇后御参拝記念事業の一環として、大正十五年福岡県下の各種団体の苗木奉献によって

整備され、今日の盛観を呈しています。

(由緒書きより)

       

〇朽瀬神社

  

〇境内

                 

〇楼門

重層の桧皮葺総欅白木造の門です。戦火により焼失していましたが、明治三十六年追遠会事業

により再建されました。また、左右に備える筋塀は、神社の位をしめし、当宮は最高の5本筋

となっています。(由緒書きより)

               

〇御神木 綾杉

神功皇后が三韓より当地へご帰還の際に剣、鉾、杖の三種の宝を埋め「永遠に本朝を鎮護

すべし」と祈りを籠めて鎧の袖に挿していた杉枝を植えたものが成長したものです。

その葉は綾のように交互に生えているので綾杉といわれています。

神宮皇后がご自身の御心霊をこの杉に留め仲哀天皇のお側に永仕を祈られたので、

国家鎮護の象徴として古来よりその杉葉を朝廷に献上しています。

また、太宰師に新任された人は必ず当宮に参拝し、この杉葉を冠に挿すことが恒例の儀式

として行われ、任期中の無事を祈ったとされます。幾度か神殿とともに焼けたことがあり

ましたが、その度毎に植継ぐことなく今日猶空高く聳えています。

(由緒書きより)

      

〇本殿 香椎造り(画像0048〜0068)

本殿の建築様式は「香椎造」という独特なもので、神亀元年(724)に建立されました。

現在の本殿は享和元年(1801)に第十代福岡藩主黒田斉清公により再建されました。

本殿は入母屋造平入りが基本となっていますが、外陣左右に「獅子の間」と呼ばれる一間

が翼状に張り出し、その張り出した部分を切妻屋根で覆い、平面では凸字型となっています。

また、外陣左右の突出部には「車寄」と呼ばれる途切れた階段があります。

これは、鳳輦の高さにあわせて造られたものです。その他、正面中央は大千鳥破風に

縋破風の向拝などの様々な建築様式が用いられ、複雑な屋根の形や車寄の特徴から「香椎造」

と呼ばれています。(由緒書きより)

                     

〇武内神社

300年の長寿を保ち、5代の天皇に仕えた武内宿禰命を祀る摂社

      

〇巻尾神社

       

〇古宮 起源の地

仲哀天皇が熊襲平定の為に当地へ下向された時の行宮「橿日宮」の地、また仲哀天皇の

御心霊を祀った廟が建てられていた当宮起源の地です。現在、社殿はなく、そのため

古宮と呼ばれています。入口正面に香椎の地名の由来となった「棺掛椎」があり、奥には

橿日宮の跡を示す石碑が建てられています。(由緒書きより)

     

〇不老水 霊泉

当宮から北東約400メートルの飛び地境内にあります。三百年の長寿を保ち五朝にお仕え

した武内宿祢が掘ったと伝えられている霊泉で、毎年正月綾杉の葉、椎茸と共に皇室に

献上しています。この水は疾病を除き寿命を延ばすと言われています。

(由緒書きより)

       

〇鶏石神社

   

〇貞明皇后行啓記念碑

  


Dec.2010 瀧山幸伸source movie

                                       

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