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福岡県宮若市 犬鳴御別館

Inunakigobekkan, Miyawaka city,Fukuoka

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Apr.5,2016 末永邦夫

source movie 【動画】 「加藤司書の犬鳴御別館を訪ねて」(約5分)

「加藤司書(かとうししょ)の犬鳴御別館(いぬなきごべっかん)を訪ねて」 

この動画は前回の「月形洗蔵」の続編です。

前回投稿した「月形洗蔵幽閉の地」から、「犬鳴御別館」に興味をもちました。

御別館は、犬鳴ダムの奥に城跡が残っているようなので、現地を訪ねてみました。

御別館を構築した加藤司書は現在でも現地の方たちに慕われ、城跡は山奥にもかかわらず桜並木が植林され、美しく整備されていました。

【写真】

犬鳴御別館の地図

福岡から県道21号線を行く 

鳴御別館の前景

今に残る石垣の全景です

犬鳴の由来説明版

犬鳴ダムの水底に眠れる文化財

 ①水車小屋 ④犬鳴分校跡

 ②犬鳴焼窯跡 ⑤木炭窯跡

 ③タタラ谷鉄山跡 

【地名】江戸時代の資料である「筑前名所図絵」によると犬鳴の地名の由来が次のように書かれています。

「犬鳴山で漁師が犬をつれて猟をしていた。犬が激しく鳴き続けるので獲物がとれぬと、この犬を鉄砲で撃ったそうな。ふと上を見上げると、1丈5,6尺(約5m)程の大蛇が姿をあらわした。犬が鳴いて危険を知らせたものを、誤って撃ったことに猟師は後悔した。猟師は鉄砲を捨てお坊さんになり、この山に犬の塔を立てたそうな。それから犬鳴という」

【歴史】犬鳴は江戸時代から周囲の豊富な山林資源を利用しながら発展してきました。江戸時代はじめに木炭、紙漉き、高取焼の系譜をもつ犬鳴焼の製造が行われました。特に木炭は犬鳴の主産業で、藩は炭焼役所を設け役人をおいて管理させました。年間約14,000俵焼き、福岡城下に運ばれ使われました。寛延元年(1748)に朝鮮人参の栽培も藩の管理で始まりました。

犬鳴は江戸時代の終わりに藩の重要な場所になります。当時、藩は外国との戦いに備えて、大砲等の武器をつくることになりました。そのために武器の原料となる鉄をつくることが必要になったのです。

藩の家老職である加藤司書は岩見国から職人を連れてきて、安政元年(1854)に犬鳴の金山で製鉄を始めました。「リジョン墓」はこの職人の墓だと言われています。さらに、司書は犬鳴御別館を築造します。

御別館は、外国との戦争が起こったとき、藩主をかくまうために築かれたのです。元治元年(1864)に建設が始まり、翌慶応元年に建ちました。現在は、大手門や搦手(からめて)門や石垣など、司書の記念碑などが残っています。

犬鳴御別館の説明版

福岡藩犬鳴御別館(黒田五十二万石)

犬鳴御別館は、幕末福岡藩家老の勤王派加藤司書より建てられた。城郭の構造をもつ館です。福岡城が海岸に近いため、もし外国との戦争が起こった時、藩主をかくまうために築かれました。館は、藩の勤王派の弾圧により一時中断するが、御茶屋(藩主の休息所)として完成します。

正面右に大手門、左に搦手門や石垣、城内に庭園跡、司書の記念碑などが残っています。文書によると、城内に長屋や宝蔵、火薬蔵などがあり、東側の西山連山の峠などの五ケ所に番所を築くとあります。別館は福岡藩で最後に造られた城として重要です。

加藤司書の忠魂碑

 

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