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福岡県小郡市 小郡官衙遺跡群 

Ogori Kanga isekigun,Ogori city,Fukuoka

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Apr.9, ,2017 瀧山幸伸 source movie

史跡

小郡官衙遺跡 

小郡市小郡向築地(昭和46.12.23)指定 

 小郡官衙遺跡(おごおりかんがいせき)は、7世紀末につくられた筑後国御原郡の役所の跡です。発見されたのは1967年のことで、溝の中から千本以上の鉄製の鏃が出土しました。この遺跡は建物の主軸の向きから大きく三つの時期に分けられます。

 中心となる7世紀末から8世紀前半の第2期には、溝に囲まれた一辺240mの区画の中に建物がありました。役所の政務を行う「庁舎」、役人の宿舎である「官舎」、税として取り立てた米を蓄える「倉庫」の3種類の機能を持つ建物が、計画的に配置されていました。

 続く8世紀中頃からの第3期になると、建物の配置が大きく変化し、主軸が真北にそろえられます。築地塀と2本の溝で囲まれた南北180m、東西120mの広い区画が見つかっていますが、同時期の建物は区画の外側にあり、何に使われた区画なのかは分かっていません。

(小郡市)

          

上岩田遺跡

上岩田遺跡(かみいわたいせき)は、7世紀後半から8世紀前半の遺跡で、工業団地造成の際に発掘調査が行われ、その歴史的価値の高さから、2000年に国指定史跡となりました。

 東西約18m、南北約15mの大きさに土を固めた基壇があり、その上に建っていた瓦葺(かわらぶ)きの建物は、寺院の金堂と考えられる九州では最古級のものです。さらに門や柵に囲まれた同じ敷地内には、大型の掘立柱建物群(ほったてばしらたてものぐん)が並んでいました。

 調査から、寺院とこの建物群が一体となって役所を構成していたとみられ、信仰を利用して中央政権が地方の統治を進めたことを表す非常に貴重な史跡だと考えられます。

 なお、頑丈な基壇にたくさんの地割(ぢわ)れがあることから、多くの建物は地震のために倒壊したと推測されます。この地震は『日本書紀』にある678年の筑紫国地震(ちくしのくにじしん)とする説が有力です。

(小郡市)

         

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