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福岡県 八女市/広川町 岩戸山古墳と八女古墳群

Iwatoyama kofun and Yame Kofungun,Yama city/Hirokawa Town,Fukuoka

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Dec.7,2022  瀧山幸伸

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八女丘陵には4世紀から7世紀にかけて築造された古墳約300基が存在する。これらは古代の北部九州に勢力をもっていた豪族・筑紫君磐井とその一族の墳墓と考えられている。筑紫君磐井は527年に「磐井の乱」を起こした。これはヤマト政権に対する北部九州の豪族の一種の独立戦争だったとする見方もある。

八女丘陵では、4世紀は方形周溝墓や円形周溝墓の時代で、前方後円墳はまだみられない。八女古墳群最古の前方後円墳とみられるのは石人山古墳(5世紀前半)である。これは年代的に筑紫君磐井の祖父の墓と推定されている。当地の古墳には埴輪ではなく「石人石馬」と総称される石造物を立てるのが特色であるが、石人山古墳にも武装石人が立てられている。5世紀後半の前方後円墳としては欠塚古墳があるが、規模はやや小さく、首長墓というよりは郷長クラスの墓とみられる。6世紀前半には八女最大の前方後円墳であり、筑紫君磐井の墓に比定される岩戸山古墳が造られる。墳長170メートルという、八女地方のみならず北部九州でも最大規模の古墳で、畿内でもこれを上回る規模の古墳は大王墓しかない。時期的にこれに続くのが善蔵塚古墳、乗場古墳などである。八女における最後の前方後円墳とみられるのが鶴見山古墳で、これは磐井の息子の葛子の世代の墓とみられる。6世紀後半の早い時期に前方後円墳は姿を消し、以後は円墳の時代となる。磐井一族の最後の古墳とみられる童男山1号墳は径48メートルの大型円墳で、巨石を積み上げた横穴式石室が特色である。

1922年3月8日に乗場古墳が国の史跡に指定。その後岩戸山古墳、石人山古墳、善蔵塚古墳、弘化谷古墳が別件で史跡に指定。1978年3月24日付けで上記5件の史跡を統合し、未指定の古墳3基(丸山塚古墳、丸山古墳、茶臼塚古墳)を追加指定したうえで、全体の指定名称を「八女古墳群」に改めた。

国の史跡「八女古墳群」は、以下の古墳で構成される。

乗場古墳(のりばこふん)
石人山古墳(せきじんざんこふん)
岩戸山古墳(いわとやまこふん)
善蔵塚古墳(ぜんぞうづかこふん)
弘化谷古墳(こうかだにこふん)
丸山塚古墳(まるやまづかこふん)
丸山古墳(まるやまこふん)
茶臼塚古墳(ちゃうすづかこふん)

(wikipedia)

 

岩戸山歴史資料館

                                                                                                                                                                                                                                                                             

岩戸山古墳

                                                               

茶臼塚古墳

              

丸山塚古墳

               

善蔵塚古墳

                              

乗場古墳

                    

丸山古墳

                          

 

 

福岡県広川町 広川古墳公園資料館

 

                                                                                    

福岡県広川町 石人山古墳

                                                        

福岡県広川町 弘化谷古墳

                             

その他の古墳

福岡県八女市 鶴見山古墳

                   

釘崎古墳

                         

立山山古墳群

 



April 8,2014 田中康平

福岡県八女市吉田

国指定史跡(現在は八女古墳群の一つとして)指定年月日:1955.12.23(昭和30.12.23)

西暦528年磐井の乱で討たれた筑紫国造磐井(筑紫君磐井)の墓墳とされる。古墳時代の終わり頃、6世紀前半に建造されたと見られる。被葬者、建造時代が確定している珍しい古墳としても知られる。石室内の調査は未だ行われていない。

出土した石人1体は重要文化財として東京国立博物館に収蔵、石盾/石人/は同じく重要文化財として岩戸山歴史資料館に収蔵されている。

前方後円墳で別区と呼ばれる石人像で囲まれた特殊なエリアが後円部に隣接して発見されているがこれは磐井を滅ぼした継体天皇の古墳にもあったといわれこの古墳の特徴のひとつになっている。

磐井の乱以降、例えば朝鮮半島との航路を握っていた筑紫の安曇氏が追われるように東へ移動し結果的に長野までたどり着いたという事態が発生したともいわれ、この事件を契機に大和朝廷の勢力が九州で強まったのではないかと推測されている。

国指定文化財等データベース解説文;

大字吉田の台陵上に存する前方後円墳で、前方部は西に面し、墳丘は主軸の長さ約145mを有する宏壮なものである。現在、墳丘の南縁の一部に道路が通じ、後円部及び前方部の頂上に社殿が設けられてやや旧状を損し、内部構造も明かでないが、堀跡及び外堤をとどめており、殊にこれらは北側及び西側において顕著である。會て西側及び北側の外堤から円筒埴輪列が検出され、東北側の外堤に接する方形の台地上から石猪頭部・石人や各種の形象埴輪が発見された。また封土内からも多数の石人・石馬・石盾・石壷等が出土した。

この古墳は「筑後風土記」に見える筑紫国造磐井の墓墳の記事に一致する部分もあることにおいて注意

岩戸山古墳

                                      

岩戸山4号古墳

岩戸山古墳に付随する小型の古墳 石室が見学できる

             

岩戸山歴史資料館

                                     

岩戸山古墳周辺風景

                    

 


Dec.2008 瀧山幸伸 source movie

  

   

資料館

                                                

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