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福島 文知摺観音(もちずりかんのん)
Fukushima Mochizuri kannon

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Feb.2009 撮影/文 小笠原生雄

「みちのくの しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」
と百人一首に収められている和歌は、都の貴公子、河原左大臣(かわらのさだいじん)源 融(みなもとのとおる)が土地の娘虎女(とらじょ)へ送った恋歌で、その文知摺石(もじずりいし)が福島の郊外にあります。
 当地は古くから養蚕が盛んで、絹織物の産地でした。自然の石を利用して摺り染めた絹織物がしのぶもちずりとして都でもてはやされ、そのみだれ染めの紋様から乱れこころの枕詞が生まれました。俳聖芭蕉は元禄2年に、正岡子規は明治26年に、日本画家小川芋銭が明治44年と大正4年にここを訪れ、それぞれに句を残しています。
また、東宮殿下(後の大正天皇)が明治41年に、貞明皇后が昭和24年に、松宮殿下が昭和27年に、秩父宮妃殿下が昭和43年に行啓されています。
春の桜、秋の紅葉の頃はもとより、季節を問わず、彩(綾)なす恋としのぶ恋に乱れる想いに惹かれてか訪れる人が絶えない福島の史跡です。


文知摺観音の看板
 
入り口から見た境内


入り口にかかる普門橋の欄干

公園の案内図

福島市教育委員会の文知摺観音説明板

俳聖松尾芭蕉の銅像
碑文には「(この石は)昔はこの山の上にはべりしを、往き来の人の麦草を荒らしてこの石を試みはべるを憎みてこの谷に突き落とせば、石の面(おもて)下ざまに伏したりといふ。さもあるべきことにや」と書かれています。芭蕉が訪れた当時、文知摺石は半分以上が土に埋もれていたようです。

信夫群郡長が明治18年土中に埋もれていた文知摺石を発掘し現在の状態にしたことを顕彰した碑です。

甲剛碑 甲剛とは北斗七星を意味するということです。書は北畠親房によるものと伝えられています。

芭蕉句碑 芭蕉は元禄2年(1689年)に訪れて、「早苗とる 手もとや昔 しのぶずり」の句を詠んでいます。
句碑は京都の俳人丈左房が寛政6年(1794年)に建立しました。


文知摺石伝説の解説板

文知摺石(鏡石)
かってこの地は、綾形石の自然の石紋と綾形、そしてしのぶ草の葉形などをすり込んだ風雅な模様のしのぶもちずり絹の産地でした。源 融公と虎女との悲恋物語で、虎女が恋する公の面影がこの石にうかんだといわれる石です。

綾形石 

正岡子規の句碑 子規は明治26年7月に訪れて 「涼しさの 昔をかたれ 忍ぶずり」の句を詠んでいます。


人肌石・小川芋銭の句碑 日本画家芋銭は明治、大正に2度当地を訪れ、人肌石を見て 「若緑 志のぶの丘に 上り見れば 人肌石は 雨にぬれいつ」の句を詠んでいます。

足止め地蔵尊

夜泣き石

源 融公と虎女の墓

多宝塔 福島県指定重要文化財で文化9年(1812年)の建立と伝えられています。塔内には金剛界五智如来が安置されています。東北では唯一の多宝塔です。

もちずり観音堂。信達三十三観音の2番札所です。 


源 融公の歌碑 「みちのくの しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに 乱れそめに しわれならなくに」
 (歌意 みちのくの信夫の郡の名産である、忍草のもぢり摺りの染めよ。それは型紙がずったり染色がにじんだりして乱れているが、いったい誰のせいで、恋の心に乱れはじめたわたしだというのか)公は864年から869年の間に按察使としてこの地を訪れ、この和歌を詠んだ。

梵鐘

灯籠

資料館傳光閣。平成14年開設。館内には芭蕉始め子規等の真蹟や絵画が常設展示されています。

文知摺境内の図(元禄10年頃の作)

小川芋銭の耕作の図

手水鉢

馬頭観音の石碑

境内の庭園

しのぶ草

参考文献 安洞院発行 信夫文知摺のしおり及び安洞院
 偕成社発行 おくのほそ道
 河出書房新社発行 百人一首故事物語 

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