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岐阜県多治見市 虎渓山 永保寺 
Kokeizan Eihoji,Tajimi city,Gifu

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多治見市虎渓山町1-40 永保寺開山堂 国宝 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 "外陣 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺 内陣 桁行一間、梁間一間、一重もこし付、入母屋造、檜皮葺 相の間を含む" 宝篋印塔1基 19010327 19520329
多治見市虎渓山町1-40 永保寺観音堂 国宝 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、檜皮葺 19010327 19520329


Nov.16,2016 瀧山幸伸

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December 9, 2015 野崎順次 movie

岐阜県多治見市虎渓山町1-40
臨済宗南禅寺派
虎渓山 永保寺
(Eihoji Temple, Tajimi City, Aichi Pref.)

山号は虎渓山。虎渓の名称は景色が中国廬山の虎渓に似ていることによるといわれています。 1313年(正和2年)土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が長瀬山の幽境に庵居しこの禅寺を開創されましたが、1317年(文保1年)夢窓は同門の元翁本元(仏徳禅師)に寺の後事を託して上京されました。1335年(建武2年)夢窓が臨川寺(京都)開山となられたとき、永保寺開山は元翁本元に改められました。 元翁の寂年は1331年(元弘1年)で、開山となられた時にはすでに遷化されていましたが、 元翁の塔所である南禅寺正的庵末寺の五山派寺院として展開しました。 しかし文明期以後には衰微しましたが、江戸時代の1746年(延享3年)には末寺28ケ寺、孫末寺1ケ寺を有し、 山内塔頭(たっちゅう)の輪番によって住持をつとめ護持されてきました。

現存する開山堂と観音堂は国宝に指定され、 両堂には南北朝期から室町初期における歴代住持や檀那の位牌が納められ、 開山堂には元翁本元と夢窓疎石の木像が安置されています。 絹本着色千手観音像(重要文化財)のほか、夢窓や元翁の墨跡など数多くの文化財を所蔵し、 観音堂前の庭園は臥竜池と称する池に反り橋の無際橋がかかり、浄土教的庭園の様式を感じさせる名庭で、 国の名勝に指定され、建築・庭園・墨跡など禅の美術で注目される禅寺です。 また近世末期には白隠慧鶴の一系に属する春応禅悦(霊機神応禅師)により僧堂が開かれ、 雲水が禅の修行に励む臨済宗南禅寺派の専門道場(虎渓僧堂)を併設しています。
(永保寺公式ウェブサイトより)

まだ少し紅葉が残っていた。国宝のお堂が二つもあるのに入場無料で、静かで親しみやすい、有難い禅寺である。

現地説明板

     

黒門あたり

                    

鐘つき堂

                   

市天然記念物 永保寺イチョウの木

                  

東から西へ(向かって右から左へ)庫裡、大玄関、本堂
これらは平成15年9月10日に全焼したが、庫裡は平成19年11月に、本堂・大玄関は平成23年4月に再建竣工した。設計は叶尠企画設計(一宮市)。

                           

国宝 観音堂 室町前期
建築形式: 正面三間、側面三間、一重裳階付、入母屋造、檜皮葺
建築様式: 禅宗様(跳ね木の発明により、軒裏等が簡素化した特殊例)
特 徴: 優美な形態は正に禅宗様建築であるが、細部は一般的な禅宗様式とかなり異なった部分が多く庭園と融合した貴族住宅の趣がある。禅宗様の特徴である乱石積基壇がこの建物ではかなり大きな石積み、本来は敷瓦の四半敷土間となるべき室内床は板張りであり、天井も平らな鏡板張りとなっている。軒裏も垂木を見せない板張り、組み物も出組、出三つ斗組を柱上のみに設ける疎組となるなど全体的に簡素な造りである。
(田所一級建築士事務所ウェブサイト「写真で見る国宝建造物」より抜粋引用)

                                           

国宝 開山堂 室町前期
建築形式: 外陣(昭堂・礼堂とも言う)正面三間、側面三間、一重、入母屋造、檜皮葺
 相の間 両下造
 内陣(祠堂) 正面一間、側面一間、一重、裳階付、入母屋造、檜皮葺
建築様式:禅宗様 開山堂 
特 徴: 祠堂は基壇上に建ち小規模ながら禅宗様仏殿の基本形式を満たしている。内部に開山元翁本元の墓塔として宝篋印塔、元翁と夢窓疎石の頂相が祀られている。祠堂の裳階正面柱を省略し、相の間と昭堂内部の一体化による広々とした自由な室内構成。昭堂外観は、三手先詰め組、扇垂木、花狭間付桟唐戸、大きな軒反りなどが禅宗様の特徴。
(田所一級建築士事務所ウェブサイト「写真で見る国宝建造物」より抜粋引用)

                                

国名勝 永保寺庭園
永保寺の仏殿にあたる中心建築観音堂(水月場と称する)の南面にひろがる池を主体とした庭園であって、正和3年(1314)無窓疎石が開創のあと、観音堂(古くは観音閣)の建立に伴う寺域の整備に際して築造されたものと認められる。観音堂の西に接してそばたつ岩山(梵音巌)から岩壁づたいに瀑をかけ、その真下に地形に応じて池を設け、2島を置く。堂の正面、その中軸線上に虹形の亭橋(無際橋と名づけられる)を架け、池を二分する。これらの境域は、その北と西とを長瀬山の丘陵に囲まれ、東と南とは土岐川の曲流に接しており、それ自体景観のすぐれた自然地形をもっている。西の山腹にある座禅石の地点からは庭園一帯の風光を[[一眸]いちぼう]のうちに[[俯瞰]ふかん]することができる。夢窓国師年譜にも「山水ノ景物ハ天図画ヲ開クノ幽致ナリ師ノ意甚ダ適ス」と記されている。これは、疎石の実甥で幼年のとき疎石をこの虎溪山の地に訪ねたことのある春屋妙葩(普明国師)の記述したものであり、疎石がこの景勝地を愛して庵居した事実を裏書きしているが、現在もその通りの境致を残している。石組や護岸などの作庭細部の技法には見るべきものはないし、また後世の改変の跡も認められはするが、わが国中世庭園文化史のうえで最も代表的な作庭家夢窓疎石の作風をよく伝えるものであり、特に当時の建物(国宝観音堂ならびに開山堂)とあわせ残されているものは当永保寺のみである。自然美を尊重し、これを利用して作られた室町時代禅宗寺院の庭園の代表的なものである。
(国指定文化財等データベースより)

                                                       

僧堂 坐禅堂(海珠堂)、雲水修業の場で大小の禅堂と侍者寮がある。

           

境内周辺

            

参考資料
国指定文化財等データベース
永保寺公式ウェブサイト
叶尠企画設計ウェブサイト
田所一級建築士事務所ウェブサイト(POPO’s site)


May 31,2015 大野木康夫 movie

観音堂付近

                                                         

開山堂付近

                      

帰路、JR中央線

 

 


Dec.2012 大野木康夫 HD video

所在地 岐阜県多治見市虎渓山町1-40

虎渓山永保寺(臨済宗南禅寺派)は多治見市の中心部の東北、土岐川が大きく湾曲している虎渓山町にあります。
団体で入山する場合は許可が必要ですが、それ以外は午前5時から午後5時まで自由に庭園を拝観できます。

      

拝観用駐車場から中央線の踏切を渡ると境内です。
庭園は土岐川に向かって少し低くなったところにあります。

    

永保寺庭園(国指定史跡)

永保寺の仏殿にあたる中心建築観音堂(水月場と称する)の南面にひろがる池を主体とした庭園であって、正和3年(1314)無窓疎石が開創のあと、観音堂(古くは観音閣)の建立に伴う寺域の整備に際して築造されたものと認められる。
観音堂の西に接してそばたつ岩山(梵音巌)から岩壁づたいに瀑をかけ、その真下に地形に応じて池を設け、2島を置く。
堂の正面、その中軸線上に虹形の亭橋(無際橋と名づけられる)を架け、池を二分する。
これらの境域は、その北と西とを長瀬山の丘陵に囲まれ、東と南とは土岐川の曲流に接しており、それ自体景観のすぐれた自然地形をもっている。
西の山腹にある座禅石の地点からは庭園一帯の風光を[[一眸]いちぼう]のうちに[[俯瞰]ふかん]することができる。
夢窓国師年譜にも「山水ノ景物ハ天図画ヲ開クノ幽致ナリ師ノ意甚ダ適ス」と記されている。これは、疎石の実甥で幼年のとき疎石をこの虎溪山の地に訪ねたことのある春屋妙葩(普明国師)の記述したものであり、疎石がこの景勝地を愛して庵居した事実を裏書きしているが、現在もその通りの境致を残している。
石組や護岸などの作庭細部の技法には見るべきものはないし、また後世の改変の跡も認められはするが、わが国中世庭園文化史のうえで最も代表的な作庭家夢窓疎石の作風をよく伝えるものであり、特に当時の建物(国宝観音堂ならびに開山堂)とあわせ残されているものは当永保寺のみである。
自然美を尊重し、これを利用して作られた室町時代禅宗寺院の庭園の代表的なものである。
(文化遺産オンラインより)

好天に恵まれ、鏡のような池に映える無際橋や観音堂は息をのむような美しさでした。

                               

開山堂(国宝)
室町前期の建築
外陣 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺

内陣 桁行一間、梁間一間、一重もこし付、入母屋造、檜皮葺

相の間を含む

庭園の奥にひっそりと建っています。

                                 

庭園に戻りました。

                    

観音堂(国宝)
室町前期の建築
桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、檜皮葺

今年夏まで続いていた改修も終わり、美しい姿を見せていました。

                       

最後にもう一度庭園を眺めました。

        

岩山の上から見た観音堂

       

帰路から庭園を振り返る

  



Apr. 2008 瀧山幸伸 AVCHD video Video FAQ

  

   

観音堂
Kannondou

                                         

        

   

       

 


開山堂
Kaizandou

             

鐘つき堂
Kanetsukidou
  

     

   

虎渓公園
Kokei park

    

保寿院
Hojuin

           

  

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