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群馬県安中市 松井田 
Matsuida,Annaka city,Gunma

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May 2016 柚原君子

中山道第16「松井田宿」

行程:伝衛門脇本陣、徳衛門脇本陣跡→金井本陣跡・松本本陣跡→不動寺、高札場→松井田八幡宮→補蛇寺、一里塚→金剛寺→高札場跡→五料の茶屋本陣→立場→百合若大臣

松井田宿概要
鎌倉時代は1185年から1333年頃といわれていますが、松井田の地名は鎌倉初期に書かれた『平治物語』にも出ています。『平治物語』は絵物語で、完成年代は定かではありませんが、描かれている内容から1200年以降の完成と推定されていますから、それ以前にすでに松井田の地名はあったということになります。

地名の由来としては、鎌倉時代の1243(寛元元)年、下野の国司も務めた高僧、慈猛上人により開かれた龍本山松井田院不動寺の古文書のなかにある「境内老松のもと泉あり、そそいで 民田に到る」と書き留められていることが、根拠になっているといわれています。しかし『井田』という呼称は社寺有地と認められていた土地を指すこともありますので、双方がからんで『松井田』であったのではないかと思えます。

戦国時代からこの地にあった山城は、安中忠親氏が築いた松井田西城や、松井田諏訪氏が築いた諏訪城などですが、現在の松井田城といわれている城の前身がどちらであったかは解っていないそうです(Wikipediaより)

1602(慶長7)年、碓氷峠越えの道が中山道として制定されたのを機に、安中藩領である松井田に宿が設置されます。間口を七間や三間半に決めて家並みがそろったのは1688〜1704の元禄年間になってからのことです。

松井田宿は妙義山詣の追分、登山口としても栄えますが、信州諸藩が年貢米をこの宿まで運び、半分を売り払い、さらに倉賀野宿で残り半分の一部を売り払い、残った年貢米を江戸に詰めている家中の扶持米として、利根川を利用して江戸に出したこともあり、松井田宿は『年貢米売払いの地』として「米宿」とも呼ばれて栄えます。

1843(天保14)年の記録によると総人口1009人、家数252軒、本陣二軒、脇本陣2軒、旅籠14軒。全長は6丁13間(約700m)で、 宿内での通りの幅は6間半(約12m)。
旅籠に見られた出梁の家や、近年に盛んであった養蚕農家の形式である屋根の棟の上に、換気のために建てられた高窓を持つ家など、現在でも多く見られます。

しかし2016年現在、宿全体に手厚い保護がなされている様子はあまり見られません。街道筋は間口の広いカーテンを閉め切った古い家が多いのですが、住まわれているからでしょうか朽ち果てる様子はなく、また急速な宅地化の波にもさらされていず、ゆっくり歩いて宿の面影を想像することができる松井田となっていす。都会からは考えられませんが、国道18号に出ない限りコンビニはありませんので、途中でおにぎりなど調達不可能と肝に銘じる必要があります。

松井田宿を歩いていくと妙義山絶景ポイントが数ヶ所あります。妙義山はギザギザの形をした絶壁の岩の多い奇異な形で知られていて、私も初めて見たときは高速道路からでしたが、あの山なに!と思わず口に出した記憶があります。妙義山という単体の名前ですが、安中市・富岡市・下仁田町にまたがる連山で表妙義と裏妙義があります。

表妙義は北側の白雲山、真ん中の金剛山、南側の金鶏山の3山。裏妙義は谷急山、烏帽子岩、赤岩岳、丁須の頭、御獄山などの山々です。700万年前に形成されて、その後の浸食・風化により多数の奇岩が見られる山となって、国の名勝指定を受けています。

中山道は安中宿あたりから碓氷峠に向けて少しずつ登り勾配になっていくのですが、遠くにあったギザギザの山がだんだんに近づいてくる感じは、碓氷関所や碓氷峠越えを控えている昔の旅人にとっては、妙義山の異形も伴って身の引き締まる思いだったのではなかったでしょうか。

1,伝衛門脇本陣、徳衛門脇本陣跡
郷原の妙義道常夜灯で安中宿を終了して、松井田宿を目指して行きます。妙義道常夜灯を過ぎて400メートルほど行くと左前方に絶景が見えてきます。表妙義です。午後2時ですが薄曇りの中にダイナミックなシルエット。しばし見とれてしまいました。

その先の道は国道とそれから左にそれるのと二股になります。それていく左の旧中山道をいきます。やがて茂った樹木を背に石仏石塔群が見えてきます。どこから集められたのでしょうか。石仏群を過ぎると再び国道に合流します。コメリのお店と馬頭観音・庚申塔を過ぎると、道は町に入ってきた感じがします。

郵便局のあたりが松井田宿の東(江戸)口、下町の交差点あたりが伝衛門脇本陣があったところ。いづれも何の表示もありません。ちょっと残念。
下木戸跡を過ぎると左側に民家があります。こうべやという看板にはたばこの文字が見えます。この看板と壁袖になっているよう見えるもう一つの看板は「妙義道」とあります。その下は風化されていて読めませんが登山道口と書いてあるそうです。郷原にあった妙義道常夜灯が建立されたのが1804年のことですから、妙義道登山口という看板もその頃利用されたのでしょうね。200年も前の看板ということでしょうか。すごいなぁ。

向かい側には「徳衛門脇本陣跡」という説明板を取り付けた家がありました。このあたり、という注釈なので本陣の名残りはないようです。「徳衛門脇本陣は、おおよそ建坪73坪、玄関門構えなく御座候」と松井田宿明細帳に書いてあったと、記載されています。数軒先の山城屋酒店が「ういろう」の分家「外郎陳道斉」の店の跡。
                                     

2,金井本陣跡・松本本陣跡
徳衛門脇本陣の向かい側の群馬県信用組合のあたりに、下の本陣である金井本陣(建坪171,玄関門構え之ありそうろう)があったそうです。松井田宿の本陣は上と下にあり、二つの本陣が問屋をかねて1ヶ月交替でつとめています。
上の松本本陣は斜め向かい側の松井田町道路元標の先の路地を入った奥、クリーニングオオツキのところにあったそうですが、周囲を自転車で周回しましたがクリーニングオオツキそのものを見つけられず、キョロキョロと忙しく探しましたが、どういうわけか、本陣跡の立て札も見つけられませんでした。

帰宅後に調べたら、『上町の丁字路角「お休み処みなとや」を右折する。松本本陣は当時の建坪174坪、玄関門構えのある23部屋を有する大きさで、表門両脇から東側に10軒の店舗があり、裏門は不動寺への通路になっていた』、と記された看板があったことがわかりました。次回はがんばろうっと。

街道に戻って「お休み処・みなとや」。両替商・質屋・塩も商う大きな宿屋であったそうです。昔の建物は焼失して現在のみなとやは原市の仁井家より火事見舞いとして当時築150年を越えていた農家が移築されたもので、現在では築300年を越えていることになります。
             

3,不動寺、高札場
所在地:安中市松井田町松井田甲987
不動寺には仁王門と石塔婆と木彫りの不動明王という群馬県指定の重要文化財が三点あります。仁王門は桃山時代の作風が良く残されていて、江戸時代初期の改築と推定されていますが、作者等の資料はなく残念である、と教育委員会の立て札があります。

不動堂に安置されている不動明王は、鎌倉時代初期、中央仏師の作と推定される総高26.2cmの小さい座像だそうです。のぞかせていただきましたがよく見えません。石塔婆は異形板碑。文字は南碑に「観応三年壬辰(1352)円観見性敬白」などがあり、北朝年号を刻んでいるそうですが、囲いの板の背が高すぎて、やはりこちらも細部はよく見えません。

不動寺を出ると脇本陣安兵衛屋敷跡という表示。うまかんべえというお店の前が高札場跡、先の歩道橋のあたりが上木戸跡。流れている水路は「立が堀」と呼ばれています。
                           

4,松井田八幡宮
所在地:群馬県安中市松井田町新堀1497

街道を右に折れて、見上げるほどの木立ダリア(別名皇帝ダリア)が咲く中を行くと松井田八幡宮が正面に見えてきます。村社八幡宮の石柱を見ながら石段を登ります。秋祭りの後なのかそれともこれからの用意なのか裸電球がぶら下がっています。

松井田八幡宮は創建年代不詳ですが、1197(建久8)年に源頼朝が参拝に訪れたとの記録が残っているそうで、本殿は江戸初期の建造。群馬県指定重要文化財になっています。桃山風の形式をよく伝えている本殿は三間社流造り、屋根は外部からは幣殿と連なり、更に拝殿に続いている一種の権現造りであり神佛混淆を示す適例である、と明示されています。石段をあがってきたところが建物の中央に通路が設けられた割拝殿、その奥が拝殿、その奥が本殿となります。割拝殿の横には八角円堂がありますがこれも神仏混合の名残で珍しい形態だそうです。

安中宿にあった日枝神社の拝殿のような神楽殿は、くぐりながら拝殿に行きます。日枝神社も八幡宮も由緒ある神社で、さらに珍しい形態ですが、こちらの八幡宮・割拝殿の前にはドラム缶がど〜んと二本おいてありますし、粗末に扱われている感じがします。神楽殿や拝殿の乱雑さを見ると歴史という財産を軽く扱っているような気がして仕方がありませんね。もったいないなぁ、と思います。

八幡宮の境内を出ます。鳥居の脇にある庚申塔や十三夜塔に会釈をします。菊や紅葉がきれい。街道に戻り向かい側の北向き千手観音と石仏を写真に収めて途中ですが今回はここで終了です。
                              

5,補蛇寺、一里塚
先回の中山道歩きは一ヶ月前の松井田八幡宮、北向千手観音で終了していますので本日はその続きです。午前10時に高崎線の「西松井田」駅からの出発です。信越本線と国道18号との間に33号が並行していますがそれが旧中山道。新堀の交差点付近に戻ります。

中山道分間延絵図を古民家の床の間で座ってみられる、という案内を出している家がありました。中山道新堀金井家が告知しているものでした。金井家といえば松井田宿の本陣を担っていた由緒ある家。その御子孫でしょうか。

続いて補蛇寺。松井田城の最後の城主大導寺政繁のお墓があります。大導寺政繁は1582(天正10)年、本能寺の変の後に滝川一益との神流川の決戦で大功をたてて松井田城の城主になっています。数年かけて松井田城を増築して北国勢力の攻勢に備えていきますが、1590年、豊臣秀吉による小田原征伐が開始されると、中山道の入り口にある松井田城には前田利家らの大軍が攻め寄せてきます。

政繁は必死の抵抗を試みますが持ちこたえられずに開城となります。しかし、その後前田軍の先駆として働いたにもかかわらず、小田原城北条氏政が降伏となったときに、秀吉から北条氏政、氏照、松田憲秀らとともに切腹を命ぜられ自害し果てます。

この事から、加賀前田家の大名行列が参勤交代などで門前の中山道を通ると、この墓は悔し汗をかくと伝わっているそうです(墓前の表記より要約)。

補蛇寺を出てしばらく行くと玄関屋根に大黒様を乗せた家がありましたので写真を一枚。旧中山道はその先の左に分岐している方に入っていきます。右側の小高くなっているところに1841(天保12)年の道祖神。その少し先に一里塚。昔は左右にあったそうですが、今は南側のみ残るとあります。ここかなぁ、という土盛りがありますが、確定する自信がありません。
                                                       

6,金剛寺、
所在地: 群馬県安中市松井田町新堀1058
グーグル中山道マップなどを頼りになるべく旧道をたどるようにしているのですが、大きな川に行き当たって渡し場は痕跡のみで、現在は途方もなく先に橋が架かっていたりします。山沿いの旧道は道が消滅していることもあります。

松井田宿の新堀の一里塚を越えた辺りも踏切のどれを渡っていいのか、地図を片手にも迷います。ちょっとうろうろしたのですが、時間も惜しく思い切って国道18号の向こう側にある金剛寺に行きます。よく手入れされているお寺です。山門は単層、切妻、桟瓦葺、三間一戸八脚門。本堂は寄棟、銅瓦棒葺、平入、桁行8間、梁間6間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ。

山門にいらっしゃる、かっ!と見開いた仁王様の目が素敵です。寺の開基は大江山の酒呑童子を退治したことで知られる源頼光四天王のひとり、碓氷荒太郎定光。

勇名を馳せて故郷に錦を飾っています。そして碓氷峠で村民や往来の人を悩ませた毒蛇と対決し、十一面観世音のお加護で定光は大鎌をふりまわし大蛇を滅すことができた、という言い伝えがあるそうです。この大鎌を祀ったのが「鎌の明神」、観世音出現の霊地を「大法師の宮」、定光が飛び越えたところが「刎石峠(はねいしとおげ)」と名づけられているそうです。伝説はいつも壮大なロマン!昔々の話はともかくとしてこの金剛寺から眺める間近に迫った妙義山は迫力満点です。

寺を出て今度こそ踏切を渡って国道と交差する場所に出てきました。山灯籠と二十三夜塔があります。国道寄りではない方の道を少し戻ると岩の上にお地蔵様が立っています。何故、と思いますが解りません。この道が先ほど消滅していた道とつながるはずの道だったようです。

国道に戻って上信越自動車道をくぐり、五料の交差点にクロスする形で旧道にはいります。理容院の脇にしめ縄を飾られた庚申塔と十三夜塔。
                                               

7,高札場跡、五料の茶屋本陣 お西
所在地:群馬県安中市 松井田町五料564ー1 
高札場跡に一枚の立て札。「安中藩板倉伊豫守領分五料村高札場跡」とあります。五料村は碓氷関所付けの重要な位置づけとされた村で、よそ者の侵入を監視する役目を担っていたそうです。高札場の奥に信越本線の線路。踏切名は「お東踏切」。横断して五料の茶屋本陣お西に入ります。

中山道の松井田宿と坂本宿の間の五料村と横川村にはそれぞれ2ヶ所ずつ茶屋本陣が設けられています。五料村では向かって右にあるのがお西(本家)、向かって左にあるのがお東(分家)と呼ばれています。いずれも名主の中島家が一年交代で務めています。

両家屋ともに1806(文化3)年の大火で焼失していますがすぐに再建されています。間口十三間、奥行七間、総二階建、切妻造りで左右ともにほぼ同じ作りです。1973(昭和48)年、持ち主の中島家から県に寄贈されたのを機に昭和57年から保存修理工事を行い江戸時代の再建当時のものに復元されていますが、明治天皇が北陸東海御巡幸の折に休憩された上座の間は、休憩された当時に改修された状態で復元されているとのこと。

縁側に敷かれた座布団に座らせていただいて、正面の鼓山を借景とする美しい庭を眺めてしばし休憩させていただきましたら、お茶の接待を受けました。優しい気持ちになって甘いお茶をゆっくりいただきました(ありがとうございます)。

お東の中は見応えがあります。表の間、次の間などの大名が休まれた部屋、家族の間である勝手や玄関や居間(村役場設置場所でもあった)、廊下に槍が飾られています。二階も展示室になっていて、幕府からの法令などが告知されている高札が展示されています。一階の土間にはめずらしい風呂場や農機具もあります。家の裏にある板碑、ひっそりと咲く水仙……訪れる人もなくゆっくりと見学できます。
                                                                                                  

8、五料茶屋お東
続いてすぐお隣の五料の茶屋本陣お東です。お東は間口が半間広いだけで作りはお西とほぼ同じですが、明治天皇の御小休所にならなかった分、改装されていないので、江戸時代の様式を残しています。こちらが県に寄贈されたのは1992(平成4)年のこと。その後3年ほどかけて保存修理がされて公開されています。
                                            

9,立場、百合若大臣
五料茶屋本陣を出て、また踏切を渡り旧中山道に戻ります。左側に男女の道祖神。村の境の印として1714(正徳4)に建てられたようです。右側には丸太道標、坂本宿まで5.5キロとあります。今は家がありますが昔は村はずれの寂しい道だったのでしょうね。

柔らか曲線を描いて村はずれの道は続きますが、再び線路を渡り上り勾配となって山道に入っていきます。左側に道祖神、背後のススキがよく似合います。右に石仏石塔群。青面金剛(しょうめんこんごう)と刻まれています。庚申塔ですね。

道はさらにゆるく上り坂(丸山坂)に。上がりきった先に夜泣き地蔵と茶釜石があります。京方面から来た馬方が荷の均衡を取るためにこのお地蔵さんの頭をもぎ取って、馬にくくりつけて行ってしまったそうです。そうして深谷の宿で荷下ろしが済んだので、お地蔵様の頭を捨ててしまったのです。(ひどい話!)。するとお地蔵様は夜ごと五料が恋しいと泣かれたそうで、哀れんだ深谷の人が五料に届けた、という曰くがある夜泣き地蔵様。

その横に置かれてあるのは茶釜石。石なのに叩くと茶釜のような音(金属音)がするということです。もちろん叩いてみましたよ。なるほど金属音でした。鉄鉱石かな?ロマンであれば隕石!だったらいいのに……。

ミカンの木や季節外れの菜の花、あちらこちらの馬頭観音を眺めながら、なだらかな下り坂を気持ちのんびり行きます。電信柱や電線がなければ昔の旅人の気分です。右側に見える赤い鳥居は碓氷神社。この辺一帯は御所平と呼ばれるところですが、源頼朝が境内に御所を置いたことが所以とのこと。

街道に戻って臼井小学校の前を通って?臼井?碓氷でも同じ読みなのになぜ臼井と思いつつ、通過します。

「小山沢」の信号を左に入っていくと「百合若大臣の足跡石」があります。柳田國男 『旅と伝説』(1930年)では「妙義山の射貫岩は、昔、ここで百合若大臣が松井田の里はずれから弓を射て、その時踏ん張った足跡石が路傍に残り、真正面にある岩には、彼が射通したという穴があいている。」とあります。

百合若大臣は九州地方を中心とした説話の主人公で、実在はしていません。巨人伝説の一環ともまた伝承地によっては桃太郎であったり、また長谷観音の申し子であったりします。妙義山の中にある「星穴岳」に空いている穴の伝説、二つの穴があり、一つは百合若大臣の弓矢、もう一つは家来が負けじと投げたおむすびがあたった穴、と足跡石の横の解説にはあります……。踏み込んだ石は説明がなければよく分からないくらいのへこみ方ではあります。

下横川の信号まで歩きます。旧中山道はこちらという矢印の付いた標識が出ていますので、その通りに再び線路を渡って山際の道に入ります。所々に街道筋にふさわしい家や養蚕農家の間口の広い家が見られます。信越本線の終点となっている釜飯で有名な横川の駅を目指します。次の坂本宿まで2.5キロの丸太道標がみえてきましたので、松井田宿を終了します。
                                                                                      

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