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群馬県太田市 旧中島家住宅

Kyu Nakajimake,,Ota city,Gunma

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Sep.2019 酒井英樹

 旧中島家住宅は、利根川左岸の自然堤防上に約1万㎡に及ぶ敷地を占める。

 施主の中島知久平は、我が国の航空機産業黎明期を牽引した中島飛行機製作所(現:富士重工業[スバル])を創設した実業家。

 本住宅は中島家の本邸として建築された。かつては利根川河川敷に設営された飛行場からの離着陸が眺められるように出来ており、接客用に用いられるとともに、主として知久平の両親が居住した。

 設計は宮内省内匠寮出身の中里清五郎と伊藤藤一。昭和5年(1930)に主屋が上棟され、翌昭和6年(1931)には付属建物も完成している。

≪主屋≫

 西側に車寄部、南側に客室部、東に居間部、北に食堂部の4棟が口の字形に並べて廊下や縁によって接続し、中庭園に池泉庭園を持つ。昭和5年(1930)の建築。

 車寄部は西面して建つ。平屋建、入母屋造、桟瓦葺、建築面積253.70㎡の南北棟で、中央に銅板葺の大きな唐破風造の車寄を張り出す。

 客室部は南面して建つ。平屋建、入母屋造、桟瓦葺、建築面積243.55㎡の東西棟で、銅板葺の庇を巡らす。

 居間部は2階建、入母屋造、桟瓦葺、建築面積213.49㎡の東西棟で、2階軒先と1階下屋を銅板葺とする。1階は居間と仏間、2階は座敷と次の間を配する。

 食堂部は南面して建つ。平屋建、寄棟造、桟瓦葺、建築面積185.11㎡の東西棟で南面の軒先を銅板葺とする。

 <車寄部>

       

 <客室部>

    

 <居間部>

    

≪土蔵≫

 主屋と同じく昭和5年(1930)の建築。木造、2階建、切妻造、桟瓦葺、建築面積39.67㎡の東西棟で、主屋居室部北東隅の蔵前に接続し妻入りとしている。

 壁や窓枠などを鉄筋コンクリートで造った上に漆喰塗りとし、屋根は野地板上に鉄網コンクリートとする。1・2階とも東南北の三方に窓を設け、木製の庇を付ける。

    

≪氏神社≫

 敷地の北西隅に南面して建つ。昭和5年(1930)に地鎮祭を行った記録からこの頃の建築と判明している。切石積基壇上に建ち、1間社流造、銅板葺

    

≪正門≫

 正門は昭和6年(1931)の建築。

 正門は、間口3.6mの1間薬医門、切妻造、本瓦葺。北方に潜戸、南方に袖塀が附属する。

    

 宮内省出身の技術者による設計で、和洋の意匠を匠に折衷した応接施設や日常生活を意図した居間部など、機能を明確に区分した建物を口の字形に配して中庭園を囲むという、昭和初期当時の大規模邸宅の特徴をよく示した昭和初期を代表する邸宅として貴重であり、敷地内の4棟(主屋、土蔵、氏神社、正門及び門衛所)が重要文化財に指定されている。

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