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広島県広島市 平和記念公園、原爆関連
Attomic bomb memorial,Hiroshima city,Hiroshima

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広島市中区中島町1-3 広島平和記念資料館 重文 近代/文化施設 昭和 昭和30(1955) 鉄筋コンクリート造、建築面積1,351.06u、二階建、一部三階 20060705

Aug.30,2016 瀧山幸伸 movie

広島平和記念資料館
Hiroshima peace memorial museum

                                                                                                                                                                          
                 

太田川
Ota river


平和記念公園
Peace memorial park
                         

原爆ドーム
Atomic bomb dome

                  


May 24,2016 瀧山幸伸 movie

原爆ドーム
Dome
                                         

平和記念公園
memorial park
                                                                                                               

旧日本銀行広島支店と原爆資料の展示
Kyu nippon ginko hiroshima branch
                                                                                  

  


Mar.2012 野崎順次 HD video


広島県広島市中区中島町
広島平和記念公園
(Hiroshima Peace Memorial Park, Nakaku, Hiroshima City, Hiroshima)

撮影日: 2012年3月17‐18日

現在の平和記念公園一帯(中島地区)は、江戸時代から陸海の交通の要衝として栄えていました。また、明治になると、市庁舎、県庁舎のほか、広島の物流の拠点となるなど、政治・行政・商業の中心となりました。被爆時のこの地区7町の住民は、合計で6,500人と推定されています。

1945(昭和20)年8月6日、人類史上初めて投下された原子爆弾は、この地区の頭上で炸裂しました。地区の住民はもとより、当時この付近で建物疎開作業に従事していた多くの国民義勇隊や動員学徒が非業な死を遂げ、町並みも一瞬のうちにのうちに消え去りました。
1949(昭和24)年8月6日の「広島平和記念都市建設法」の制定にともない、この地区一帯は平和記念施設として整備されることとなり、現在の平和記念公園に生まれかわりました。
公園面積は約122,100平方メートル(約37,000坪)。設計は、丹下健三東大助教授(当時)ほか3名の共同作品で、設計競技による145点の中から入選したものです。

公園地図と現地説明板

  

南から入る。嵐の中の母子像、マルセル・ジュノー博士記念碑、ノーマン・カズンズ氏記念碑。

          

国重文 広島平和記念資料館本館 1955(昭和30)年
設計: 丹下健三、浅田孝、大谷幸夫、木村徳国
広島平和記念資料館は、広島市平和記念公園の中心施設であり、東西約82メートル、南北約18メートルの2階建一部3階です。鉄筋コンクリート造で、特異な断面形状を持つ柱10本を弓形に二列配置した構造とし、2階の南北面には繊細な縦ルーバーを建て込み、日本的性格を付与しています。国際的に高い評価を受けた最初の戦後建築であり、丹下健三の出発点となる建築として重要です。ピロティー式の本館下の空間は、廃墟の中から立ち上がる人間の力強さを表わしたいという考えが込められています。

                              

広島平和記念資料館パンフレット

    

東館展示
被爆前と被爆後の広島、広島に原爆が投下された経緯、核時代の現状や広島市の平和への取り組みについて模型や映像、写真パネルなどで紹介しています。

                                                                                                                           

本館展示
原爆の熱線、爆風、放射線、高熱火災のすさまじさを物語る被爆者の遺品や被爆資料を展示し、1945(昭和20)年8月6日、広島に何が起こったのかを伝えています。

                                                                                                                           

原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)
建立: 1952(昭和27)年8月6日
設計者: 丹下健三(当時・東大助教授)
形状: 材質:みかげ石「黒髪石」(石室部分)
みかげ石「稲田石」(屋根部分)(1985(昭和60)年の改築工事まではコンクリート製)
形態:屋根の部分は、はにわの家型(犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちからこの型にした)

                     

平和の池、平和の灯、平和祈念像(草野心平の詩碑)

          

原爆の子の像 1958(昭和33)年5月5日(こどもの日)
制作者: 菊池一雄(当時・東京芸大教授)
碑文: 「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」

         

英国最高峰の石など

      

レストハウス(元大正屋呉服店) 1929(昭和4)年3月
設計者: 増田清
鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階
爆心地から170m、原爆により屋根が押しつぶされ、内部も破損、地下室を除いて全焼しました。しかし、爆心地の近くでありながら爆心地側に開口部のほとんどない強固な建物だったためか、基本的形態はとどめました。被爆当日、この建物には37人が勤務しており、そのうち8人は傷つきながらも建物を脱出しましたが、たまたま地下に書類を取りに下りていた1人(1982(昭和57)年6月死亡)を除きその後全員死亡しました。
      

夜景

           

元安橋あたり

    

動員学徒慰霊塔

     

世界遺産 原爆ドーム(旧広島県物産陳列館) 1915(大正4)年4月5日
設計者: ヤン・レツル(現在のチェコ出身の建築家)
レンガ(一部鉄筋コンクリート)モルタル仕上げ、玄関部分は石造りで地上3階一部5階建て、地下1階のセセッション様式と呼ばれる建築物で曲面を多用しているのが特徴。
原爆の投下により、建物は一瞬にして大破し、天井から火を吹いて全焼、中にいた30人余りの人々は全員死亡したと伝えられています。爆風がほとんど真上から働いたため、壁の一部は倒壊を免れ、ドームの鉄枠とともに象徴的な姿をさらしました。そして、その形から、占領が明けた頃には「原爆ドーム」という言葉が広く使われ始めました。人類史上最初の原子爆弾による被爆の惨禍を伝える歴史の証人として、また、核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いのシンボルとして1996(平成8)年12月「世界遺産条約」に基づきユネスコの世界遺産一覧表に登録されました。

                                  

夜景

                        

参考資料
広島平和記念資料館ウェブサイト








Jan.2012 田中康平 HD video

Dec.25 ,2011 撮影

世界遺産
広島市の中心部にあります。撮影時も保存工事中でした。大震災の破壊とは全く違う人間の恐ろしさを感じます。
国指定文化財等データベースの説明
登録基準6: 「広島平和記念碑(原爆ドーム)」は、かつて人類によって創り出された最大の破壊力の爆裂の後に、半世紀以上にもわたって世界平和の達成をありのままに表してきた強力な象徴である。
解説文: 原爆ドームは広島県の物産の改良増進を図り、産業の発展に貢献する目的で、大正4年4月に建設された広島県物産陳列館で、チェコの建築家ヤン・レツルが設計したものです。北方の中国山地から広島湾へと流れる太田川が形成したデルタ上、太田川(本川)と元安川の分岐する地点が建設場所に選ばれ、その河岸約2,310平方メートルを埋め立て、旧広島藩の米倉と民有地を整地して加え、全体で約3,200平方メートルを敷地として使用していたといわれます。

 建物は、煉瓦と鉄筋コンクリートで作られた3階建てで、正面中央階段室を5階建てドームとし、一部に地階を有していました。屋根のドーム部分は銅板葺、そのほかはスレート葺とし、ドーム先端までの高さはおよそ25メートル、建築面積はおよそ1,002平方メートルでした。また、噴水池をもつ洋風庭園や、四阿をもつ和風庭園も整備されていました。

 建物は原爆の爆心地から北西約160メートルの至近距離にあり、熱線と爆風を浴びて大破、全焼しました。しかし、爆風が上方(爆発点高度約580メートル)からほとんど垂直に働いたため、ドーム中心部は奇跡的に倒壊を免れたと考えられています。「原爆ドーム」という呼び名は、建物の頂上天蓋の残骸が傘状になっている姿から「いつ、ころからともなく、市民の間から誰ということもなく自然に言い出された」といわれています。


                              

広島平和記念資料館

Dec.25 ,2011 撮影
重要文化財
原爆ドームの近くで歩いてこれます。戦争の残酷さ悲惨さを感じます。
国指定文化財等データベース解説文: 広島平和記念資料館は、広島市平和記念公園の中心施設であり、東西約82メートル、南北約18メートルの2階建一部3階である。昭和24年に実施された懸賞募集で一等入選した丹下健三ら4名の案により、丹下健三が実施設計し、26年2月に着工、30年8月24日に開館した。鉄筋コンクリート造で、特異な断面形状を持つ柱10本を弓形に二列配置した構造とし、2階の南北面には繊細な縦ルーバーを建て込み、日本的性格を付与している。
 広島平和記念資料館は、広島平和記念都市建設法に基づき最初に着手された平和記念施設で、ピロティの造形やルーバーの意匠などに建築的特徴がよく示されている。国際的に高い評価を受けた最初の戦後建築であり、丹下健三の出発点となる建築として重要である。


             



Sep.2000 撮影:高橋久美子

                       



Aug.2005 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps HD(1280x720) Video FAQ

 

原爆ドーム
Atomic bomb dome
       

            


原爆記念公園

  

原爆慰霊碑
         


  

川沿いの慰霊碑
 

被爆朝鮮人の慰霊碑
 

 

  

平和の観音
  
原爆前の姿
 

  

  

原爆の子の像
        
平和の鐘
 

   

被爆学徒の碑
     

折り鶴の碑
    

原爆市民展
Atomic bomb citizen presentation

Aug.2005 Preview video 500Kbps HD(1280x720) Video FAQ

 
                            

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