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広島県尾道市 尾道 
Onomichi, Onomichi city,Hiroshima

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Water  
Flower
 
Culture
 
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Food
 

尾道市西久保町8-3 常称寺 本堂 重文 近世以前/寺院 室町中期 室町中期 "桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺 附・須弥壇及び厨子 一具" 墓処門1棟、須弥壇及び厨子 20071204
尾道市西久保町8-3 常称寺 観音堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 室町後期 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、正面一間向拝付、本瓦葺 20071204
尾道市西久保町8-3 常称寺 鐘搗堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 江戸初期 桁行一間、梁間一間、一重、入母屋造、桟瓦葺 20071204
尾道市西久保町8-3 常称寺 大門 重文 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 四脚門、切妻造、本瓦葺 20071204
尾道市西久保町29-27 西国寺金堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 至徳3(1386) 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺 厨子1基 19130414
尾道市西久保町29-27 西国寺三重塔 重文 近世以前/寺院 室町中期 永享元(1429) 三間三重塔婆、本瓦葺 19130414
尾道市東久保町20-28 浄土寺 方丈 重文 近世以前/寺院 江戸中期 元禄3(1690) 桁行16.7m、梁間13.1m、一重、寄棟造、本瓦葺、背面張出附属、桟瓦葺 棟札1枚 19940712
尾道市東久保町20-28 浄土寺 唐門 重文 近世以前/寺院 江戸中期 正徳2(1712)頃 桁行一間、梁間一間、向唐門、本瓦葺 19940712
尾道市東久保町20-28 浄土寺 庫裏及び客殿 重文 近世以前/寺院 江戸中期 享保4(1719) "庫裏 桁行15.9m、梁間12.0m、一重、切妻造、妻入、玄関及び背面張出附属、本瓦葺 客殿 客室部 桁行18.0m、梁間7.0m、寄棟造、玄関附属、西面突出部 桁行5.0m、梁間7.2m、切妻造、本瓦葺、南面張出附属、居室部 桁行12.8m、梁間4.0m、北面茶室附属、桟瓦葺、西面突出部 桁行5.9m、梁間4.2m、切妻造、本瓦葺、一部二階、切妻造、桟瓦葺" 棟札1枚、旧食堂厨子及び須弥壇1具 19940712
尾道市東久保町20-28 浄土寺 宝庫 重文 近世以前/寺院 江戸後期 宝暦9(1759) 土蔵造、桁行6.0m、梁間3.9m、二階建、切妻造、本瓦葺 19940712
尾道市東久保町20-28 浄土寺 裏門 重文 近世以前/寺院 江戸後期 江戸後期 長屋門、桁行14.9m、梁間5.0m、切妻造、本瓦葺 19940712
尾道市東久保町20-28 浄土寺 露滴庵 重文 近世以前/住宅 江戸中期 江戸中期 三畳台目茶室、水屋及び四畳、四畳半の勝手よりなる、一重、入母屋造、茅葺 中門1棟 19531114
尾道市東久保町20-28 浄土寺阿弥陀堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 貞和元(1345) 桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺 19130414
尾道市東久保町20-28 浄土寺山門 重文 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 四脚門、切妻造、本瓦葺、両袖潜付 棟札1枚 19531114
尾道市東久保町20-28 浄土寺多宝塔 国宝 近世以前/寺院 鎌倉後期 元徳元(1319) 三間多宝塔、本瓦葺 相輪内納入経巻類 19010327 19530331
尾道市東久保町20-28 浄土寺納経塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 弘安元(1278) 石造宝塔、基壇付 弘安元年戊寅十月十四日の刻銘がある 19530829
尾道市東久保町20-28 浄土寺宝篋印塔 重文 近世以前/その他 室町前期 室町前期 石造宝篋印塔 19610323
尾道市東久保町20-28 浄土寺宝篋印塔 重文 近世以前/その他 室町前期 貞和4(1348) 石造宝篋印塔 貞和四年戊子十月一日の刻銘がある 19530829
尾道市東久保町20-28 浄土寺本堂 国宝 近世以前/寺院 鎌倉後期 嘉暦2(1327) 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺 厨子1基、棟札2枚、境内図2枚 19130414 19530331
尾道市東久保町8-40 西郷寺山門 重文 近世以前/寺院 室町中期 応永2(1395) 棟門、本瓦葺 19610607
尾道市東久保町8-40 西郷寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 "文和3-応永13(1354-1406)" 桁行七間、梁間八間、一重、寄棟造、本瓦葺 19610607
尾道市東土堂町17-29 天寧寺塔婆 重文 近世以前/寺院 室町前期 嘉慶2(1388) 三間三重塔婆(元五重)、本瓦葺 銘札1枚 19490218
June 2014 中山辰夫

尾道商店街近辺散策

■■概況
尾道は、「坂の町」・「寺の町」・「文学の町」・「映画の町」としてあまりに有名である。瀬戸内海に面した細長い平坦部を除いては丘陵地で占められているため、坂道と石段が多い。
海岸線の中央に風光明媚な尾道港があり、南に尾道水道を挟んで、かつて歌島と呼ばれた天然の良港向島がある。
町の北側には浄光寺山・西国寺山・千光寺山が迫り、その狭い谷筋―山手地区とそれに続く海岸部に町が営まれている。
山手地区は、1890(明治23)年山陽鉄道が敷設されるまでは、山林の中に社寺が点在するような場所であった。鉄道により社寺と浜とを結ぶ参道が寸断されたが、逆に豪商の別宅地として開発され市街化された。
尾道の文化・文明は、町の経済力と人々の信仰心、そして豪商たちの支えで現在に引継がれてきた。

市内地図と現況

山手地区の坂の上から見下ろすと、重なり合う甍の家並を越えて、眼下に尾道水道が、その向こうに向島の造船工場のクレーン群が眺められる。
左手には尾道大橋、新尾道大橋が見える。

■■尾道の歴史
1169(嘉応元)年に後白河院領大田庄(現在の世羅町付近)の倉敷地に公認されて以来、尾道は足利氏・山名氏等の将軍家、有力大名の庇護を受け、瀬戸内海有数の港町として繁栄してきた。対明貿易の拠点ともなった。
鎌倉〜室町時代には、港を囲む尾道三山の麓に数多くの寺院が建立され、現在の「寺の町」としての尾道が形成されていった。
江戸時代には、高須新涯の埋立により、西国街道が海岸沿いを通るようになり、また、西航路の開発により、北前船の寄港地となったことにより、港町尾道は瀬戸内海の流通経済の中心として飛躍的な発展を遂げ、回船問屋が建ち並ぶ商業地として繁栄した。
そこに尾道商人が生まれ、江戸時代の尾道に多大な影響と貢献を果たした豪商が誕生し、彼らの豊かさが、文化の高揚につながり、今日に至った。

■■尾道の寺院
尾道には港町の財力を背景に、相次いで寺院が建設され、81カ寺を数えたと言われる。今は20数カ寺が数百年の歴史を刻み佇んでいる。
真言宗では西国寺が11世紀以来の歴史をもち、千光寺も鎌倉時代以来活動している。時宗では一遍(1239〜89)によって創られた尾道最古の道場、常称寺・西郷寺は14世紀前期の開基。律宗では浄土寺、隣接の海龍寺があった。臨済宗では三重塔で有名な天寧寺が南北朝の開基。浄土宗では光明寺・宝土寺、日蓮宗では妙宣寺が何れも南北朝には存在していた。
各宗派が瀬戸内海の要津であるこの尾道に拠点を置こうとしたために多くなった。なかでも時宗が多かった。

■■尾道のまちなか
尾道市内、海岸から山手に至るには、海岸線を走る海岸通り、本通りを中心とする商店街通り、国道2号線、山陽本線を渡ることになる。
社寺を中心とする観光スポットは山手に集中している。

■■大通り商店街の目だった建物、ところ

■尾道商業会議所記念館 
この建物は、1923(大正12)年に尾道商業会議所創設30周年の記念事業として建設されたものを、当時のように復元改修したもの。
当時としては最先端の鉄筋コンクリート造りで、外観も洋風建築様式を取り入れ、2階は3階と吹き抜けの階段状議場となっている。
大正ロマンただようこの建物は、商業会議所として建築された鉄筋の建築物としては、現存する日本最古のものであり、2004(平成16)年に尾道市重要文化財に指定されている。現在は市内観光の休憩・案内や尾道市の商業史に関する資料が展示されている。

■尾道一宮神社お旅所 尾道ベッチャ祭(11月1−3日 」用の神輿。すべて手づくりで、三年がかりでつくられた神輿。

■林芙美子記念館

■道路を結ぶ石畳の小路が多くある。

■尾道歴史博物館
海運で栄え、明治時代にはいち早く銀行を設立し、金融の街としても栄えた尾道。かつての金融街、「銀行浜」に建つ「旧尾道銀行本店」を改装した博物館。1923年(大正12)建築で、尾道市重要文化財。鉄筋コンクリート2階建て(一部木造)、入口には切石を積み上げてある。建物の中に入るとそこには巨大な金庫が残されている。館内には尾道の中世を伝える尾道遺跡の考古資料、当地ゆかりの文人墨客の美術品が並ぶ。年2回、尾道をテーマとした特別展も開催。

■住吉神社

1740(元文5)年に尾道の町奉行に着任した平山角左衛門《名誉市民》は、翌年の1741(寛保元)年に住吉浜を築造し尾道発展の基礎を築いた。
その際、浄土寺境内にあった住吉神社をこの住吉浜に移して港の守護神とした。
毎年旧暦の6月28日前後の土曜日、平山奉行の功績を称えるため「おのみち住吉花火まつり」が行われる。
尾道浜問屋初市

江戸時代1671(寛文12)年、河村瑞賢により西廻り航路が開拓され、寄港地に尾道が選ばれた。1800年代には1日1隻の割合で入港していた。昆布や鰤{ぶり}などの市も開かれた。今に残る海産物の初市が毎年1月15日に境内で開かれ、その年の日本の相場の基準となる。
力石

■■国登録文化財
一部である。

■旧福井家住宅主屋・茶室・土蔵
東土堂町 現在は「文学記念室」として公開されている。 志賀直哉旧居にも近い。
尾道水道に臨む斜面に南面して建ち,寄棟造の東棟が1912(大正元)年,入母屋造の西棟が昭和2年築で,ほぼ中央の玄関を挟んで巧みに連続する。木造平屋建,桟瓦葺で,檜を中心に楓や鉄刀木(たがやさん)などの銘木を多用した上質な造りになり,瀟洒な数奇屋風の意匠でまとめている。

■尾道ガウデイハウス (旧和泉家別邸)
三軒家町9−17

大正末期から昭和初期にかけて戦前の豊かな時代に、他の港町と同様尾道でもハイカラな洋風建築が流行りました。鉄道開通後栄え始めていた尾道駅裏の斜面地には擬洋風建築の建物が今も多く残されており、旧和泉家別邸もそのひとつで、わずか10坪の狭い建物の中に当時流行った技法がところ狭しとちりばめられた洋館付き住宅となっている。
旧和泉邸は、千光寺山南西斜面の石垣上に建つ小住宅。木造2階建で下見板張(したみいたばり)の和館の南にモルタル塗の洋館を接続する。
変形の小敷地を巧みに利用しており,2階8畳座敷や階段の造作も丁寧である。入母屋屋根に切妻破風(はふ)や小庇,露台をつけ,変化に富んだ屋根構成を見せる。1933(昭和8)年に和泉家の別邸として一人の大工さんが3年かけて建てた建物

付近で見かけた旧家
■吉源酒造場
創業1854(安政元)年

 

千光寺
尾道市東土堂町15−1

撮影日:Jun.23.2014

衆派:真言宗 本尊:千手観音(秘仏 32年毎に開帳) 開祖:空海 創建;806(大同元)年

千光寺は標高140m、尾道港が一望できる大宝山の中腹に建つ、巨岩に囲まれた古刹である。山門から振り返ると海が見え、その向こうに島々の山並みが重なり合っている。
境内は後ろに山を控えた高台にある。巨岩に張り付くように、本堂・鐘楼・持仏堂などの建物が並び建つ。名前のついた巨岩がめっぽう多く、圧倒される。



ロープウエイから見た千光寺

■歴史
寺伝によれば806(大同元)年に空海(弘法大師)によって創建され、源満仲(多田満仲)が再興したというが確証なく、中世以前の寺歴は判然としない。
戦国時代には備後国御調郡木梨村木梨城主の杉原元恒がこの地に出城を築いている。

■境内図

■本堂

俗に赤堂と呼ばれる千光寺本堂の本尊・千手観世音菩薩は、33年に一度開帳の秘仏。俗に火伏せの観音とも称されている。
観音冥応集によると、『元禄十七年二月八日、隣接の栗原村国長の善右衛門という者の長屋から出火した火勢さかんとなり本宅に燃え移らんとした際、一心専念に千光寺観音に祈誓をこめ、この火難を救い給われば、一夜お籠りして念誦申し上げることを誓ったところ、たちまち不思議に風向き転じて猛火は和らぎ災厄をのがれたので、霊験のありがたさに、急ぎ観音に詣うでて礼謝した』と伝えられ、爾来火伏せの観音として巷間ひろく信奉されている。

大師堂
大師尊像を祀る。由来についての伝承が残る。

■護摩堂

三百余年前までは、境内に当山城主杉原公の守本尊・多聞天を祀った三重の宝塔があったが、山上から大石が落下して倒壊し、その跡に建立された。
本尊は不動明王で、脇侍に阿弥陀如来、地蔵菩薩が祀られている。毎月28日には不動護摩供を修法している。

■三十三観音堂

■大仙堂

大山智明大権現は鳥取の大山寺の御本尊・地蔵菩薩のことで、その御分体がここに祀られている。
昔は人が死ぬとその魂は大山へ留まるという信仰があり、大山へお参りできない人は、この大仙堂に参拝していた。
当山の大山智明大権現は表情が非常におだやかで「ニコニコ地蔵」と呼ばれみんなに親しまれている。

■毘沙門堂

本尊・毘沙門天、脇士禅尼師童子、吉祥天女はともに聖徳太子宮造りの棟梁、鞍作止利仏師の作で、聖徳太子開運を祈願せられた尊像と伝えられ、当山城主杉原公の守本尊であった。

■鐘楼

堂前の小門をくぐると目前に朱塗り唐づくりの鐘楼が断崖絶壁に建っている。この鐘は「時の鐘」として名高く、元禄初年より時刻を近郷近海に報じ近年はテレビ、ラジオを通じて「除夜の鐘」としてひろく人々に親しまれ、尾道の名物の一つにもなっている。
この鐘の特徴は、鐘の上部に百八個のイボ(乳)がなく、梵字百字の真言と五智如来の種子が浮彫りになっており、この地方では珍しい曼荼羅の鐘である。
千光寺鐘楼「驚音楼の鐘」は平成8年7月1日、環境庁の選定した「日本の音風景百選」の一つに選ばれました。特にこの附近の情景は文豪志賀直哉氏の小説『暗夜行路』にも描写されている。

撫松庵(ぶしょうあん)

頼山陽が命名したものとして世に知られる撫松庵は、古くから頼山陽を始め田能村竹田など知名の風流人士、文人墨客の憩いの部屋として慣れ親しまれてきた建物である。

■石鎚鎖道場

千光寺の鎮守は熊野権現と石鎚蔵王権現である。千光寺本堂裏には石の鳥居があり大正時代から石鎚蔵王権現が奉られていた。
大正15年3月に石鎚山へ登る鎖を取り付けたが、戦争の激しくなった昭和18年に鐘と一緒に供出されて以来、今では忘れられた存在であった。
平成に入り、住職が、「本堂からとは違う一段上からの素晴らしい眺めと奇岩を見てもらいたい」と石鎚山を整備し始めたことがきっかけで、62年振りとなる平成17年から一般の参拝客にもお参りできるようになった。
この石鎚権現さんは四国ではなく浄土寺山の鎖山にある石鎚権現さんの方向を向いている。

■玉の石 高さ15m、周囲50m

玉の岩または烏帽子岩と呼ばれ、周り50m、高さ15mあり、当山第三の巨岩で、これには伝説がある。

■梵字岩

この曼荼羅図絵は徳川五代将軍綱吉公の帰依僧、東京の霊雲寺開基、浄厳大和尚当地へ御留錫の砌、書き遺されたものなりと云う。
円形の中に光明真言、大日如来真言の梵字が刻まれており光明真言曼荼羅である。

■岩割松

樹齢数百年の大きな松がその根で数トンにもあるような岩を割り、砕いて、厳然と立ち上がっているその様は、今更ながら自然界の力強い生命力を感じさせると同時にゆったりと流れる悠久の時間をも感じさせられる。

■鼓石

鼓岩は別名ポンポン岩と呼ばれ、岩の上を石で打つと「ポンポン」と鼓のような音がする。
右側の岩の傷は大阪城築城の時、石垣材として搬出すべく割りかけたノミの跡といわれている。

■三重(みかさね)岩

■夫婦岩

■観音坂

■本堂からの遠景

『海が見えた。海が見える。五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい』…放浪記

■■下山
石段道を下りてゆく。途中で天寧寺へ行く方向と文学の小路がある。坂の連続である。

文学記念の館とその周辺
尾道市東土堂町8−28

「文学のこみち」
千光寺山頂から途中千光寺敷地内を通り、千日稲荷迄続く全長約1kmの遊歩道。
道沿いの自然石の巨岩に尾道にゆかりのある作家・詩人の作品を刻んだ28基の文学碑が立ち並ぶ。途中数か所結構険しい箇所がある。

おのみち文学の館は「志賀直哉旧居」・「文学記念室」・「中村憲吉旧居」・「文学公園」の総称。

中村健吉旧居
歌人中村健吉は、病気療養のため千光寺公園下の別荘を借り、広島からここに転地したが、昭和九年に亡くなられた。その別荘が中村健吉旧居として残されている。すぐ近くに歌碑がある。

尾道のシンボルである天寧寺の三重塔はすぐ近くである。

志賀直哉旧居
志賀直哉が1912(大正元)年から翌年にかけて暮らした棟割長屋で、「暗夜行路」の草稿を練ったとされる当時の部屋を展示している。

文学記念堂
林芙美子の書斎を再現し遺品や生原稿を展示したコーナーなど尾道ゆかりの作家たちの展示をしている。

下りも登りも石段である。



天寧寺
尾道市東土町17−29

宗派:曹洞宗 本尊:釈迦牟尼仏 創建:1367(貞治6)年

天寧寺は、創建当時東西3町(約330m)の寺域をもつ大寺院であったが、室町幕府という後ろ盾がなくなったことや、1682年の火災で塔以外の全てを焼失したことにより衰退し、現在は、本堂などのある境内と、そこから少し山を登ったところにある三重塔とは別々の敷地になっている。
その三重塔は尾道のシンボルである。

天寧寺は元臨済宗で、尾道の万代道円の発願により、1367(貞治6)年に春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を招いて開山とし、天龍寺(京都市)の末寺とされた。
足利氏の帰依を受けて栄えた寺で、1389(康応元)年、厳島参詣の帰途に室町幕府将軍足利義満が立ち寄り、当寺で 一泊し、守護山名氏の饗応を受けている。
足利市・山名氏の衰退に伴って寺運も衰えたが、元禄年間(1688〜1704)に、宗光寺(そうこうじ 現・三原市)の住職一雲椿堂(いちうんちんどう)が再興して曹洞宗に改宗、宗光寺末寺となり、芸備地方(現・広島県)の曹洞宗僧侶の養成機関となった。

■山門
2階に鐘堂がある珍しい造り。

■案内

■境内

■庫裏

■本堂
墨で描かれた左右一対の唐獅子牡丹の襖絵がある。

■『さすり仏』

■羅漢堂
五百羅漢が納められている。526体の羅漢像は江戸時代から明治にかけ一体一体が寄進されたもの

■三重塔(塔婆 海雲塔)
国重要文化財 建立:室町時代 1388(嘉慶2)年:構造:、本瓦葺、高さ25m) 足利義詮が建立
三重塔は、1388年に建立された五重塔を、1692年に傷みの激しい上二重を取り払って三重に改造したもの。
このため三重塔にしては、いささか寸胴な外観になっている。その寸胴な外観が一際目立ち、尾道の風景を代表する存在となっている。

■天寧寺坂
天寧寺横の坂道、風情のある坂路である



西國寺
尾道市西大窪町29−27

撮影:Jun.22.2014

宗派:真言宗醍醐派大本山 本尊:薬師如来 創建:天平年間(729〜48)

尾道三山の一つ愛宕山(あたごやま)。その山腹に大伽藍が広がる西國寺は、境内の平地面積15,700uに及ぶ。
観光尾道のシンボルとされる長さ約2mの大草履の仁王門をくぐり、108段の石段を登れば、朱塗の金堂・三重塔・大師堂・不動堂・持仏堂等が並び華麗な密教伽藍を呈す。そして眼下には尾道水道が横たわる。
境内は3段になっていて、1段目に仁王門と塔頭の持善院と金剛院、 2段目に金堂や鐘楼、3段目に本堂や庫裏、そして裏山に三重塔が建っている。JR尾道駅から約1.5qの距離にある。

寺伝によれば奈良時代の天平年間(729年 - 749年)行基が巡国中にこの地で加茂明神の霊夢を見たことにより建立されたという。
『西國寺由来記』によれば、平安時代初期の治暦2年(1066年)火災により堂宇の大半を焼失したが、白河天皇の勅命により、当時の住職・慶鑁によって復興され、永保元年(1081年)には愛宕山の山麓から中腹にかけて巨大な伽藍が完成、永保2年(1082年)白河天皇の祈願所となった。さらに天仁元年(1108年)には法皇となった白河上皇により勅願寺となり、官寺として100を超える末寺を持つに至った。
山陽道随一の伽藍を誇り、正和元年(1312年)花園天皇の綸旨を受け寺院の名称を西國寺とした。
現在においてもなお、数ある尾道市の寺院の中で最大の規模を誇っている。
南北朝時代の永和年間(1375年〜79)に、再び火災により焼失した。備後国の守護大名であった山名氏が寺院の復興にあたり、至徳3年(1386年)には、早くも金堂が復興し現在にその姿を留めている。三重塔は永享元年(1429年)室町幕府6代将軍足利義教の寄進により建立され現在に至っている。
「引用:ウイキベア」

境内図

石畳の坂道を登る。結構な距離である。夏場は堪える。

山門(仁王門)
広島県重要文化財
三玄一戸楼門二階建
室町時代末期の桜門形式の仁王門。1740(元文5)年尾道の豪商泉屋新助による大修理の棟札がある。
扁額「摩尼山」は小松宮彰仁親王の筆跡である。仁王像も山門と同時代と思われる。大きな草履が目立つ。




境内

左側に塔頭・持善院

さらに進むと塔頭・金剛院 金剛院の拝殿に大きなカラス天狗の面がある

また その裏側には「重軽(おもかる)さん」といわれる石で造った三体の天狗面がある。
願い事を念じ、その石が軽く持ち上がれば、その願いが叶うと伝えられる。

十王堂
最初の堂である。そこはまた墓地への道の入り口であり、金堂へ通じる石段の上り口でもある。堂内には閻魔王を中心に極彩色の十王像が並ぶ。

春には桜に覆われる石段道を上ると正面に金堂が見える。4月頃に咲く桜は見応えがあると聞く。

遠景と境内

袴腰鐘楼

金堂
国重要文化財 建築:1386(至徳3)年 鮮やかな朱塗りの社殿である。
行基菩薩の開基と伝えるが、度々の火災により焼失し、現在の堂は南北朝期、備後の守護山名一族によって再建された。
和様を基調とした折衷様式で来迎壁は再建当時の壁面と思われる。内陣の漆塗、春日厨子は唐様をまじえて美麗なものである。
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺

英霊

唐門

金堂の裏、石積みで確定された台状地に本坊(庫裏)・持仏堂・不動堂・毘沙門堂・弥勒堂・大師堂が建つ。

本堂

持仏堂・不動堂・毘沙門堂・弥勒堂が連なる

大師堂

手水舎
周囲に施された彫刻が見事である。

三重塔
国重要文化財
三間三重塔婆、本瓦葺
塔婆勧進帳」(県重文)によると、1492(永享元)年足利六代義教によって建立されたことが知られる。
復古式建築の純和様の重量感ある美しい塔である。二重三重の隅瓦に天正4年(1576)10月の屋根修理銘のヘラ書がある。
建立当時のものと思われる如意輪観世音菩薩像を本尊とし極彩色の四天王を配する。

参考資料≪説明は西国寺HPより引用≫



常称寺・大山寺・御袖天満宮
これらの社寺は西國寺に近い距離にあるが、かなり勾配のきつい石畳の坂道を辿ることになる。

■常称寺
尾道市西久保町8−3

宗派:時宗 本尊:阿弥陀如来立像

常称寺は、時宗二代真教によって鎌倉時代後期に創建された寺院で、本堂は室町中期、観音堂は室町後期、鐘撞堂は江戸前期、大門が室町前期の建築とみられ、国の重要文化財に指定されている。
常称寺の諸堂は、室町期の時宗寺院伽藍を伝える数少ない遺構であり、特に本堂は、和様の外観と禅宗様の内部構成を兼備し、内外陣と脇陣を一体的空間とするなど、盛期の時宗本堂の特徴を有している。
また、境内に残る観音堂や鐘撞堂も、各時代における当地方の意匠的特徴を備えており、時宗寺院伽藍の構成を理解するうえで、価値が高い。

大門
国重要文化財 四脚門 切妻造 本瓦葺 建造:室町前期
山陽本線の線路で隔離されたままになっている。修復中かどうかは不明。

大門から踏切を渡って境内に向かう。

案内

1309(延慶2)年、時宗第2世の他阿真教が諸国巡錫中、尾道にとどまり念仏弘通に勤めている際、霊夢を感じその地に生えていた榧(かや)の大木をもって一堂を建立したので榧堂と言われていたとされる。
その後、焼失と再建を重ね、現在では山門と本堂の間にJRと国道が走り、山門は民家の中に残されている。

本堂
国重要文化財 桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺 建造:室町中期 (附;須美壇及び厨子 一具)
外観は和風、内部構造は禅宗様を含む雪中になっている。

天井画は龍と飛天が描かれ、1839(天保10)年の銘がある。市民族文化財に指定されている。

墓処門
国重要文化財(本堂の附指定) 建造:15世紀後半 薬医門

観音堂
国重要文化財 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、正面一間向拝付、本瓦葺 建造:15世紀前半

鐘搗堂
国重要文化財 建造:江戸時代前半

稲荷神社

中門と庫裏
庫裏は切妻造、妻入り、本瓦葺。懸魚がいい。

 

 

■大山寺(たいさんじ)
尾道市長江1−11−11

宗派:真言宗 本尊:大日如来(十一面観世音菩薩)
平安時代前期に創建、延久年間(1069〜74)中興、1175(承安5)年再建

石畳の参道を上ってたどり着く。この辺りの坂が「蓮華坂」と呼ばれる。 結構高台にあって市内が見渡せる。

寺伝
米瑠山天神坊大山寺と称し、延喜元年(901年)菅原道真公が九州筑紫へ赴くとき、当浦に寄られ、袖に御自筆の御影を描き村人にお渡しになられた。 
その後境内に、社が建立され「御袖天満宮」と呼ばれ別当寺となった。
境内東側には霊験あらたかな「日限地蔵尊」をお祀りしている。前面の6体のお地蔵様は、心願成就の「重軽地蔵」とも呼ばれる。
隣接の庚申堂には珍しい青色金剛神をお祀りしている。

日限地蔵尊と庚申堂
境内東側に霊験あらたかな「日限地蔵尊」をお祀りしている。日を限って日参し、一心にお願いすれば願い事がかなえられる。前面の6体のお地蔵様は、心願成就の「重軽地蔵」とも呼ばれ、特に受験シーズンになると合格祈願のため大勢のお参りがある。
隣接の庚申堂には珍しい青色金剛神をお祀りしている。

境内 六角堂もある

本堂

鐘堂と遠景

■御袖天満宮
尾道市長江1−11−16

主祭神:菅原道真公 建立:延久年間((1069〜74)

平安時代の901年(延喜元年)右大臣菅原道真が京都から九州の太宰府へ下るおり、尾道の長江の浦に船を寄せた。そのとき地元の人が親切に麦飯、甘酒などでもてなしたため、道真はお礼のしるしに片袖と自画像を地元の人に与えた。それがこの神社のご神体と伝えられている。

参道の石段
映画「転校生」の階段落ちでも有名になった。参道は石段で、約5mの一枚石が55枚使われている。

神門
三間一戸、切妻造、平入、八脚門

境内

拝殿
入母屋造、平入、正面一間向拝




浄土寺奥之院満福寺

浄土寺満福寺
尾道市東久保町蛇ケ谷2−8

浄土寺山(瑠璃山)の山頂にある浄土寺奥之院への道はハイキングコースとしても親しまれている。
浄土寺を出て瑠璃橋を過ぎ、海龍寺横から山中へ続く石段道を登る。登山道が始まる。深い森が続く。道は整備されている。石鎚神社のお堂を過ぎる。

この登山道は「観音の小道」といわれ、浄土寺に壱番、海龍寺弐番を皮切りに頂上まで「坂東三十三観音」が祀られている。
また、霊山石鎚山に習って、一番クサリ、二番クサリ、三番クサリのある急峻な岩場を登る登山道も別にある。

石の鳥居辺りから視界が良くなり、展望台スペースもある。

山側に不動明王を彫りこんだ「不動岩」・他やたらと多くなる。磨崖仏は「子宝観音」といわれ、沢山の石仏が置かれているのは祈願の証であろう。

奥之院 峰の薬師如来
コンクリートで出来たお堂。巨岩にまもられている感じである。峰薬師再建碑(昭和11)年が建つ。
碑には、この山に行基が入山し、その景勝を愛で、一宇を建立し薬師瑠璃光如来を安置した。以来この山を瑠璃山と号した。
その後、1631(寛永8)年安芸国主浅野長晟公が再建、浄土寺奥之院満福寺と称した。明治の廃仏毀釈により荒廃していたのを、昭和6年山が都市公園となったので、有志により再建したという内容である。

付近の巨岩には「岩の薬師如来」が祀られている。

山頂の展望台
尾道随一の絶景ポイントといわれる。

遠景




浄土寺
尾道市東久保町20−28

撮影日:Jun.22.2014

宗派:真言宗泉涌寺派大本山 本尊:十一面観音立像(秘仏:国重要文化財)

616年聖徳太子の創建と伝えられる。
1169(嘉応元)年大田庄の倉敷地として、その後北前船の寄港地として重要な役割を果たしてきた”港町”尾道。この街と共に浄土寺の歴史は刻まれていった。


尾道絵屏風と浄土寺部分
今は、「観音様の寺」「茶の寺」「文化財の寺」として親しまれている。

尾道での社寺めぐりは、JR山陽本線のガードをくぐることから始まる。

山門

国重要文化財 南北朝時代 四脚門、切妻造、本瓦葺、両袖潜付

裏門

国重要文化財 江戸時代後期の建築 長屋門、桁行14.9m、梁間5,0m 切妻造、本瓦葺

伽藍配置図(引用)

多宝塔・阿弥陀堂・本道が海に面して並ぶ。背後の山は巨岩が露出し、修行場になっている。

本堂に向かって右側より巡る
稲荷・稲守大明神・丹生・高野両明神・文殊堂・子安堂・護摩堂・経堂・鐘楼、などの神社、護摩堂、小安堂、経堂、などが立ち並ぶ。

多宝塔
国宝・1328(鎌倉時代) 
本殿再建の2年後の1329(元徳元)年に再建され、規模が極めて大きく、下層の一辺は6.6m、総高20.5m

多宝塔の一般的な形式であるが、大規模である。

肘木、尾垂木側面の貝殻形の模様、頭貫木鼻、双斗、蟇股に折衷様がみられる。

阿弥陀堂
国重要文化財 1345(貞元元年)南北朝時代 桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺

本堂
国宝 1132(嘉?2)年 桁行五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺
朱・緑・白と色の美しい建物である。こじんまりとしている。外観は貫、桟唐戸の桟など縦横の線が目立つ。福山の明王院本堂と似ている。

礼堂(外陣)部分は全部扉で開放的、周りは桟唐戸で桟組み、その間に板をはめ込んだ扉で、扉の軸は飛貫に打った藁座にはめ込まれる。

本堂正面を横から見る。柱を頭貫・飛貫で繋ぐ。頭貫には独特の木鼻をつけ、扉は藁座で吊った桟唐戸、中備は間戸束の上に双斗を置く。組物の一覧である。

本堂の妻飾

礼堂内部

以下は特別に写させて頂いた。
礼堂の中は左右の隅に柱が一本ずつ立ち、中央に2本の大紅梁が架かって化粧垂木と組入れ天井を受ける。

蟇股

紅梁の上の蟇股。花肘木付双斗の上に置き、豪快な空間を華麗に飾る一役を買っている。

方丈
国重要文化財 桁行16m、梁間13m 一重 寄棟造、本瓦葺、
1690(元禄3)年、尾道の豪商である橋本家が施主になって再建された。
方丈の正面には中庭が広がっており、勅使門(唐門)がある。反対側からは露滴庵がみえる。

唐門(勅使門)
国重要文化財 建立:1712(正徳2) 一間向かい、唐門、本瓦葺
この門は1719(享保4)年に本堂と阿弥陀堂の間に移築されたが、後に現位置の方丈正面に移された。総ケヤキ造りである。
表玄関横にある。唐門両脇の筋壁(5本の白線入り)も修復中で、勅使をはじめ賓客を迎える最高格の門が完成する。

露滴庵と庭園
国重要文化財と名勝 筆跡「露滴庵」は小堀遠州筆
三畳台目の席に水屋と後補の勝手を付属させた茶室。豊臣秀吉が桃屋尼場内に建てた茶室「燕庵」を移したものとされ、京都は伏見から本願寺を経て、尾道は向島の豪商・富島家より寄進された。
1814(文化11)年向島の天満屋が寄進したとされる。織部好みの風格ある建物といわれる。修復中。(10月末完了予定)

雪舟十三代の孫・長谷川千柳による作庭。築山に配置された百に近い庭石には「本尊石」「シャカ石」「仙人腰掛石」とそれぞれ神仏の名前が付く。

庫裏と客殿
国重要文化財
1719(享保4)年建立。

庫裏
平成の大修理で、庫裏の大屋根に十二連の竃等が復元され、藩主のおなりの時など何百人分もの賄いがされた情景が想像できる。

客殿
本玄関も藩主を迎えるなどの格式を保つように復元される。

宝庫
国重要文化財 土蔵建築 1759(宝暦9)年建立 全解体修理がなされ、複雑な内装の様式が忠実に復元された。

宝篋印塔(伝尊氏塔)・宝篋印塔・納経塚



Aug.2012 大野木康夫 HD video

尾道

2012.8.19撮影

家族旅行で尾道に行きました。
残暑の中、約5時間の散策でした。

尾道駅前のバスターミナルにはいろいろなバスが来ます。

尾道港

尾道といえば坂道です。
映画やドラマのロケ地を回りました。
坂は思ったよりも急でした。

一旦坂を下りて商店街を歩きました。

千光寺道から天寧寺塔婆に向かいます。

天寧寺塔婆(重要文化財)

嘉慶2(1388)年の建築
三間三重塔婆(元五重)、本瓦葺

天寧寺の上(北)、墓地に建っており、海雲塔と呼ばれています。
尾道大橋方面の眺めは素晴らしいです。

猫の細道

艮神社

千光寺ロープウェイ

千光寺

千光寺から一旦町に下りて昼食を摂り、常称寺に行きました。

常称寺

常称寺は、時宗二代真教によって鎌倉時代後期に創建された寺院で、本堂は室町中期、観音堂は室町後期、鐘撞堂は江戸前期、大門が室町前期の建築とみられる。
常称寺の諸堂は、室町期の時宗寺院伽藍を伝える数少ない遺構であり、特に本堂は、和様の外観と禅宗様の内部構成を兼備し、内外陣と脇陣を一体的空間とするなど、盛期の時宗本堂の特徴を有している。
また、境内に残る観音堂や鐘撞堂も、各時代における当地方の意匠的特徴を備えており、時宗寺院伽藍の構成を理解するうえで、価値が高い。
(国指定文化財等データベースより)

大門(重要文化財)

室町前期の建築
四脚門、切妻造、本瓦葺

山陽本線により分断された常称寺の名残として市街地の中に残っています。
修理中ではなく、しばらくこのままではないでしょうか。

大門から北、踏切を渡って境内に向かいます。

本堂(重要文化財)

室町中期の建築
桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺
附・須弥壇及び厨子 一具

墓処門

本堂の附指定です。
本堂の東にあります。

観音堂(重要文化財)

室町後期の建築
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、正面一間向拝付、本瓦葺

本堂の南、線路脇に建っています。

鐘搗堂(重要文化財)

江戸初期の建築
桁行一間、梁間一間、一重、入母屋造、桟瓦葺

幼稚園の園庭に建っています。
子どもたちの遊び道具置き場になっているようです。

坂道を上っていくと、天寧寺塔婆や千光寺が見えました。

大山寺

御袖天満宮

西国寺

山門(広島県重要文化財)

さらに石段を上ります。

金堂(重要文化財)

至徳3(1386)年の建築
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺

鮮やかな朱塗りの建築です。

三重塔(重要文化財)

永享元(1429)年の建築
三間三重塔婆、本瓦葺

境内風景

西郷寺

本堂は文和二年(一三五三)に建立されたもので保存がよい。
時宗本堂として珍らしいものである。
山門は貞治年間(一三六二−八)の建立で、簡單な門であるが、これも保存がよい。
(国指定文化財等データベースより)

山門(重要文化財)

応永2(1395)年の建築
棟門、本瓦葺

本堂(重要文化財)

文和3(1354)年から応永13(1406)年の建築
桁行七間、梁間八間、一重、寄棟造、本瓦葺

浄土寺

庫裏や方丈は修理中で覆いの中でした。

裏門(重要文化財)

江戸後期の建築
長屋門、桁行14.9m、梁間5.0m、切妻造、本瓦葺

山門(重要文化財)

室町前期の建築
四脚門、切妻造、本瓦葺、両袖潜付

本堂(国宝)

嘉暦2(1327)年の建築
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺

この日は施餓鬼の法要でした。

阿弥陀堂(重要文化財)

貞和元(1345)年の建築
桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺

多宝塔(国宝)

元徳元(1319)年の建築
三間多宝塔、本瓦葺

境内東側に宝篋印塔と納経塔が並んでいます。

納経塔(重要文化財)

弘安元(1278)年の建造
石造宝塔、基壇付
弘安元年戊寅十月十四日の刻銘がある

宝篋印塔(重要文化財)

貞和4(1348)年の建造
石造宝篋印塔
貞和四年戊子十月一日の刻銘がある

もう一つの重文宝篋印塔は境内南側、鐘楼の隣です。

宝篋印塔(重要文化財)

室町前期建造の石造宝篋印塔で、足利尊氏の供養塔と伝わっています。

国道から浄土寺を振り返りました。

商店街を通って駅前桟橋に向かいました。





Dec.2008 瀧山幸伸 HD video video FAQ
Sample video


浄土寺
Joudoji

Category
Rating
Comment
General
 
Nature
 
Water    
Flower
 
Culture
 
Facility
 
Food
 



山門、裏門
Sanmon,Uramon


本堂
Hondou

阿弥陀堂
Amidadou

多宝塔
Tahoutou


納経所、書院、唐門


宝篋印塔 納経塔

その他


西郷寺
Saigouji
Category
Rating
Comment
General
 
Nature
 
Water    
Flower
 
Culture
 
Facility
 
Food
 

山門

本堂


浄泉寺
Josenji
Category
Rating
Comment
General
 
Nature
 
Water    
Flower
 
Culture
 
Facility
 
Food
 



西国寺
Saigokuji
Category
Rating
Comment
General
 
Nature
 
Water    
Flower
 
Culture
 
Facility
 
Food
 



山門

本堂



三重塔


尾道の坂と石段

大山寺付近

御袖天満宮付近


常称寺付近
Joshoji


常称寺
Joshoji

Category
Rating
Comment
General
 
Nature
 
Water    
Flower
 
Culture
 
Facility
 
Food
 








Mar.2008 撮影: 高橋明紀代

浄土寺山門、五百羅漢

西国寺三重塔

御袖天満宮


天寧寺五百羅漢


千光寺公園から臨む瀬戸内海


足利尊氏・義満の時代から、江戸期の北前船が入ってきて繁栄していた尾道の港


林芙美子像、林芙美子の「放浪記」記念碑





向島と夜の尾道

July 2005 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps High Vision


商店街のレトロな銭湯
デザインが哀愁を誘う。


向島への渡し
あっというまに向島へ。この島は向島レトロタウンと称している。 


映画のロケ地向島
大林監督の映画「ふたり」「あした」のロケ地巡りは、好きな人にはたまらない魅力だろう。



向島 ロケに利用されたバス停付近


映画、「男たちの大和」撮影用の模型
二度と悲劇が起きないように、永遠のメモリアルとすべきだろう。



尾道港 船着場の小さな祠


尾道港 寿司割烹 絲魚(いとう)
港に面する。窓から見る港の景色が美しい。



ヤマモモ


ドックの夜景
映画「男たちの大和」のロケ用に大型模型を建造した。 ライトアップが美しい。


しまなみ海道の橋もライトアップされている。




街並
Townscape

Dec.2003 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps High Vision

坂、寺、文学、そして映画の街並






原図:国土地理院

古来より尾道は水上交通の要衝であった。嘉応元年(1169)、備後大田荘(高野山直轄領)の船津倉敷地となり、荘園米の積み出しで栄えた。その後は、対明貿易船や北前船など内海航路の寄港地として繁栄を保った。
尾道に多く見られる国宝、重文の寺社仏閣は、このような背景で栄えた豪商の寄進によるところである。尾道は、風光明媚な港の景観、おいしい食事、寺社の歴史と伝統のまち、坂のまち、文学のまち、映画のまちとしても有名だ。
文学では、この地で「暗夜行路」を執筆した志賀直哉、「放浪記」の林芙美子などがこの地を強く印象付けている。
映画では、大林宣彦監督に代表される「尾道三部作」が有名だ。
風光の美、歴史の美、海鮮とラーメンなどの食の美、文学と映画の美がおりなす尾道の街並は、この街を訪れる人々の心にあたたかい灯を燈してくれる。
尾道ゆかりの作品を愛する人にとっては、「ここでなければならない」必然のブランドデスティネーションなのだ。

広島出張の際、わざわざ尾道に宿泊する知的サラリーマンは少なくないとのこと。
時間が限られた人は、海と山に挟まれた小道を、国宝の浄土寺から千光寺公園まで歩いてみよう。
その後は、渡しで向島に渡ってみよう。
豊饒の海とともに発展した尾道の雰囲気を堪能することができる。






映画資料館
Movie museum




西国寺 (重文)

行基の開基と伝えられる真言宗の古刹。
金堂は,至徳3年(1386)建立で,和様を基調とした建物。
入母屋造の妻飾は二重虹梁大瓶束で,屋根に重量感がある。
内部の厨子,須弥壇も美しい。
木造薬師如来坐像(重文)が本尊。

三重塔は,永享元年(1429)足利義教によって建立された。
室町時代によく行われた復古建築の純和様で,和様と禅宗様の混交の風に飽き足らず,奈良時代への復帰をめざしたもの。
回縁がなく,石製基壇の上に立つ珍しい例。



西国寺付近の坂道
舗装、石垣、塀の質感が心地良い。


天寧寺塔婆(重文)

天寧寺は貞治6年(1367)に足利義詮が建て,普明国師を開山とした曹洞宗の大寺。
本堂などは雷火で焼失し,この塔だけが残った。
塔婆は嘉慶2年(1388)の建立。
元禄5年(1692)上の二重を撤去し三重塔婆に改修された。
和様を基調に禅宗様が濃厚にとり入れられている。



千光寺公園へのロープウェイが天寧寺塔婆をかすめる。


千光寺公園への坂道
山が見え、海が見え、向島が見える。
登りと下りとでは坂の情景が大きく変化する。この街が文学者を虜にした理由がわかる。


坂の街並の美しいシーケンス
歩を進めるごとに微妙にシーケンスが変化する。
坂の街並は三次元の立体的な景観変化がダイナミックで美しいが、尾道の坂は狭く急峻で、特に美しい。


尾道文学館
坂の途中、林芙美子、志賀直哉の家の周辺を文学館として保存している。
縁側から景色を眺め、彼らの文章の世界に没入する。至福の時を過ごすことができる。


林芙美子 旧宅


林芙美子旧宅から見下ろす尾道の街並


志賀直哉旧宅




尾道の猫は文学的。小説の構想中か。猫は生来にして放浪記そのもの。


千光寺公園
眼下に広がる尾道の街並。
塔が風景に画竜点睛を与え、印象的な景観を焼き付ける。


公園脇にある中村憲吉(アララギ派歌人)の庵 


尾道ラーメン つたふじ
魚のだしが味の奥深さを作る。

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