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兵庫県赤穂市 大避神社

Osakejinja,Ako city,Hyogo

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Dec.10,2016 中山辰夫

赤穂市坂越1297番地

祭神:大避大神 天照皇大神 春日大神 647(大化3)年頃 秦氏の祖・秦 河勝(はたのかわかつ)を祀る

坂越湾の静かな海を見下ろす山腹に鎮座する。聖徳太子四天王の一人であった河勝は、太子の死後の644年蘇我氏に追われてこの地に至り、大避神社を建てたと伝わる。大避(大酒)神社は千種川流域に多く、渡来人系とされる秦氏は坂越を拠点に千種川流域の開発を行ったとされる。

案内〜鳥居周辺

        

古い家並みの大道(だいどう)を行くと左手に参道がある。

神門

12段の石段をのぼる。1746年(延享3年)の再建。神仏習合の影響を受け、随神像と仁王像が背中合わせに配置されている。

            

境内—社務所・新宮「聖徳太子を祀る」

               

拝殿

1746年(延享3年)の再建 神紋は矢車 格天井には花鳥獣を極彩色で描いた天井絵、96枚(12×8枚)がある。

               

絵馬堂

江戸時代以降の絵馬が40余り掲げられている。中には享保7年(1722年)の絵馬もあり、船絵馬としては日本で最も古い貴重なものである。

      

奉納された額の中に「楽祖泰河勝後えい 元宮内省式部職楽部 岡正雄」と「日本藝術院会長 宮内庁楽部元首席楽長 東儀俊美」の2枚が目立つ。

   

河勝は猿楽の祖梓祖とされ、観阿弥・世阿弥親子も河勝の子孫と称す。

楽船 社殿の右手に「船渡御祭」に使用されたもの。

   

坂越の船祭りで使用される和船(兵庫県指定有形民俗文化財)は伝統的造船技法により忠実に造られている。祭りでは12艘の和船が使われる。

祭礼はそれらの技術工芸と共に、儀礼・儀式での御歌、雅楽、船壇尻船の舞台での演芸や壇尻囃子など雅やかな伝統芸能の要素が数多く含まれていることから、国無形民族文化財に指定されている。

本殿

1769年(明和6年)の再建。

         

坂越の船祭り 国の重要無形民俗文化財 海運業で繁栄したかっての坂越の様子が窺える

  

「山のみか 海も紅葉の 秋まつり」と詠まれているごとく、荘厳華麗かつ勇壮な神事で、我が国でも他に類をみない伝統的和船の祭礼(船渡御祭)として全国に知られる。 毎年10月の第2日曜日に行われ、江戸時代初期、祭神の秦河勝が坂越に渡来した伝承を再現する祭りとして始まったと言われる。

大阪天満宮の天神祭、安芸厳島神社の管絃祭とともに瀬戸内海三大船祭りの1つに数えられる

参考資料≪引用: ウィキメディア≫

歴史

秦氏は、6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団とされる。秦河勝は秦氏の族長的人物として聖徳太子の元で活躍した人物である。のち京都最古の寺とされる広隆寺を建立、聖徳太子より賜った弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)を安置したとされる。 広隆寺近隣には大酒神社があるが、神仏分離政策に伴って広隆寺境内から分散し遷座したものとされ、当社も大避(大酒)と云われる由縁の一つである。 河勝は太子死後の皇極3年(644年)、蘇我入鹿の迫害を避けて海路をたどって坂越に移り、千種川流域の開拓を進めたのち、大化3年(647年)に80余歳で死去、そして地元の民がその霊を祀ったのが当社の創建という。 神社正面の海上に浮かぶ生島(国の天然記念物)には秦河勝の墓があり神域となっているため、現在でも人の立ち入りを禁じている。

当社には、河勝が弓月国から持ち帰ったという、天使ケルビム(智天使)の像とされる胡王面があり、我が国で現存する最古の雅楽の面として伝えられる。

河勝は猿楽の始祖とも云われており、観阿弥、世阿弥親子や、楽家である東儀家などが末裔を称し、金春禅竹の金春流も河勝を初世として伝えている(『明宿集』)。

 『播磨国総社縁起』の記述では、養和元年(1182年)に祭神中太神24座に列しており、当時すでに有力な神社であったとされる。

学会の通説とはなっていないが、秦氏とキリスト教の関連については、能『河勝』にも見られ、梅原猛氏もその講演で触れており、大変興味深いものがあります。

これに関して、司馬遼太郎の初期の作品である『兜率天の巡礼』において、ここ大避神社が登場し、神主がその先祖を語るのですが…、

当社に関する事象

神社の呼称である「大避」は、延喜式以後であり、それ以前は「大闢(だいびゃく)」と書かれていた。 中国景教を研究した佐伯好郎は、「中国ではダビデを漢訳して大闢と書くが、大避神社は渡来民族である秦氏によって日本にもたらされた景教を祀るために建立された礼拝堂だった」とし、坂越が古代ユダヤ人の渡来地であると述べている。 また、当社には、キリスト教で重要視される「12」の数字にまつわる事象が多くある。これは、河勝もイエス・キリストと同じ12人の弟子(使徒)を伴っていたことに由来するといわれ、神社拝殿の天井絵(12×8枚)、拝殿へ向う階段、境内のヤスライ井戸の石柱、船渡御の祭礼船、櫂伝馬船の漕ぎ手、神社を守る社家の数は全て12である。また、祭りの日程(旧暦の9月12日)や、神社への初穂料(昔は12銅、現在は12の倍数)も12にまつわっている。

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