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兵庫県姫路市 弥勒寺

(Mirokuji, Himeji City, Hyogo)

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姫路市夢前町寺1051 弥勒寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 康暦2(1380) 桁行三間、梁間五間、両側面後部三間及び背面庇付、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺 19230328


Sep.26,2015 瀧山幸伸 source movie

                                                            

                             


July 12,2015 大野木康夫 source movie

所在地 兵庫県姫路市夢前町寺1051

         

本堂(重要文化財)

康暦2(1380)年の建築

桁行三間、梁間五間、両側面後部三間及び背面庇付、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺

                                     


June 2012 野崎順次 source movie

兵庫県姫路市夢前町寺 1051

通宝山 弥勒寺

(Mirokuji Temple, Himeji City, Hyogo Pref.)

撮影日: 2012年6月24日

弥勒寺は寺伝によると、長保二年(1000年)書写山開基の性空上人が隠棲され草庵を営まれたのが始まりと言われ、当時の院、花山法皇が性空上人の徳をしたい長保四年(1002年))に彌勒寺に行幸され播磨国司、巨智宿弥延昌に命じて諸堂を建立させたのが弥勒寺の起源とされる。本堂、本堂内の彌勒仏および両脇侍仏が国の重要文化財に指定されている。

アプローチ

JR姫路駅から神姫バスで又阪で降り、3km余り歩く。

                       

弥勒寺観光道路に入る。町会議員の発案で自治会員が英知を結集して用地を買収して建設されたそうだ。幅員6.5m、延長740m。

        

弥勒寺に着く。小さな石橋「御幸橋」を渡ると花山法皇の勅願碑、性空上人開基碑などが立てられている。さらにアジサイの並ぶ参道を進み、山門をくぐる。

                

国重文 弥勒寺本堂 室町前期 北朝康暦二年 南朝天授六年(1380)

桁行3間、梁間5間の規模で、前方部の桁行3間、梁間2間を開放の外陣とし、内陣の両脇及び後面に各1間の廂間を付属し、中央に唐様須弥壇を配置する。細工が施された内陣の折上小組格天井など各部の形式手法は南北朝時代の標本とされる。赤松義則による再建である。

                  

 

向拝と外陣の細部

                                 

鐘楼と庫裡

      

百観音の入口あたり

彌勒寺本堂の左側には百体の観音さまの石像がある。百観音とは、西国三十三観音と、坂東三十三観音、それに秩父三十四観音の札所を総称したもの。

       

市文 護法堂 江戸中期(1711)

          

市文 石造宝塔 性空上人供養塔 鎌倉後期

    

市文 開山堂 江戸中期 享保(1716 ? 1736)

梁間4.5m、桁行4.5mの方形造。棟札の裏面に「抑享保年中先住仙岳造立」とあり、享保年間(1716〜1736)に建立されたとされる。また表面に「慶應三丁卯年 修補発起」とあり、慶応3年(1867)に修理されたことが判る。内部の開山性空上人木像を安置する厨子(県文)は、春日厨子で扉の金具に慶長16年(1611)の打出し銘がある。

       

石造布袋尊:像高5m、重量130t。日本一と云われている。

       

天然記念物 モリアオガエル

木の上の泡状の卵塊の中でオタマジャクシに帰り、水の中に落ちて育つ。成長すると木の上に住みつく。

      

境内のお墓や歌碑

    

帰途、近くに若王子神社と云うのがあったので、寄ってみたが、イノシシ除けの電気ショック柵に囲まれていた。電源スイッチは分かったが、何やら気乗りがしないので、入らなかった。疲れか、加齢か。

     

また、来た時とは反対側の最寄りのバス停(大村)まで3㎞ほど歩いて姫路行きのバスに乗った。途中で西洋のお城風の建物が見えた。何だろう。ラブホテルにしては大き過ぎる。老人施設にしては派手すぎる。

  

参考資料

弥勒寺HP

姫路市HP

お寺の風景と陶器


Feb.2012 酒井英樹

撮影:2012年1月

 弥勒寺は西国33ヵ所の札所で知られる書写山を開基した性空上人が長保2年(1000)に草庵を結んで隠棲したことにはじまる。

 そのため、現在でも書写山の奥の院に位置づけられている。

 長保4年(1002)には花山法皇が訪れ、弥勒堂などの建立を勅命し、以降弥勒寺と称した。

 

<本堂>

 北朝元号康暦2年[南朝元号天寿6年](1380)に赤松義則が建立寄進したときのもの。

 

 正面3間、側面5間、組物二手先、中備蓑束、二軒繁垂木、入母屋造。妻虹梁大瓶束、本瓦葺

 室町時代[康暦2年(1380)]

     

《本堂蟇股》

           


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