JAPAN GEOGRAPHIC

兵庫県伊丹市 猪名野神社

(Inanojinja Shrine, Itami City, Hyogo Pref.)

Category
Rating
Comment
  General
 
国史跡、県重文建造物、市天然記念物
  Nature
  
 
  Water    
  Flower
 
  Culture
 
 
  Facility
 
  Food
 


May 2, 2020 野崎順次 source movie

兵庫県伊丹市宮ノ前3丁目6番1号

文化財指定
本殿・幣殿・拝殿3棟は兵庫県指定重要文化財、境内は国史跡有岡城岸の砦跡、また、社務所裏のムクロジ巨木は伊丹市指定天然記念物。

祭神 猪名野坐大神
由緒 当社は古く野ノ宮、天王ノ宮、牛頭天王、祇園(ごずぎをん)社等称せり。野ノ宮と称するは猪名野ノ宮の意なるべし。祭神は猪名野坐大神と称して建速(たけはや)須佐之男命(すさのをのみこと)を杞(まつ)る。其の創立年月は詳に知り難しと錐も、孝徳天皇の御宇(ぎよう)既に猪名寺の地に在りしを、宇多法皇の勅願に依りて延喜四甲子年醍醐寺開祖聖宝がこの地に勧請せしものなりと云ふ。其の後久安六年、鎮西八郎為朝此の地に暫く宿して、当社を重興せし、より伊丹氏外武門の崇敬篤かりしも、天正年中荒木摂津守村重が逆乱の時、社殿悉く兵焚に罹り什宝縁起等も残らず焼失せり。後文禄年中、千僧村願成就寺中地藏坊に在りし長照法印野ノ宮寺に入寺するに及び慶長六年辛丑三月二十八日、豊臣秀頼の命によりて再興す。ついで寛文元年より伊丹の地は近衛家の所領となり、当寺別当長照の後を受けたる長賢を経て宥尊の代、貞享乙丑二年四月三日の出願、同年七月廿六日本殿井玉垣再建の上棟をなし、同時に幣殿を新に建つ。これ現今の建築にして近衛基熈の造営にかかる。斯くして明治二年に至り、神仏分離と共に野宮牛頭天王を猪名野神社と改め、明治六年八月郷社に同十四年二月十八日県社に加別、同三十三年、従来祭神を猪名野大神と称し来りしを猪名野坐大神と改称す。
(御由緒略記より)

御由緒略記と現地説明板
    


正面鳥居から石燈籠の並ぶ参道を進む。
                


社務所とムクロジの巨木(市天然記念物)
          


県重文 猪名野神社 3棟(拝殿、幣殿、本殿)

拝殿: 正徳4年(1714)に再建され、寛政5年(1793)頃に大きな改修が施されています。向唐破風造の向拝が取り付く中央間は最も広くとられ、縁を設けず、床板の前半分が取り外せ、その下に床板を張って、祭礼時に神輿を安置できるようになっています
幣殿: 文政10年(1827)頃の建設と推測され、桁行四間、梁間一間の規模で、拝殿背面に接続します。
本殿: 隅木入春日造で、高い切石積み基壇上に建ち、春日造りとしては大規模な社殿です。貞享2年(1685)に建立されたことが棟札からも明らかで、保存状態が良く、技術的にも上質で、伊丹郷町の領主であった近衞家による援助で極めて良質な檜材を用いていることが特色です。
(伊丹市ウェブサイトより)
               


向かって右側(東側)
                     

向かって左側(西側)
            

東側の境内神社、大地主神社、稲荷神社、護国神社、野々宮神苑碑、神明神社
             


西側の絵馬堂とその裏の伊丹市立相撲場
     


西側の境内社、新宮神社、天満神社、厳島神社、佐田彦神社
            


鬼貫句碑
    


国史跡 有岡城岸の砦跡
戦国時代、荒木村重の有岡城の惣構北端「岸の砦」が置かれていた所、境内西側には土塁と堀跡が残る。
                          

   All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中