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兵庫県加東市 朝光寺

Chokoji,Kato city,Hyogo

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加東市畑609 朝光寺鐘楼 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 鎌倉後期 桁行一間、梁間一間、袴腰付、寄棟造、とち葺形銅板葺 19540917

加東市畑609 朝光寺本堂 国宝 近世以前/寺院 室町中期 "応永20-正長元(1413-1428)" 桁行七間、梁間七間、一重、寄棟造、向拝三間、本瓦葺 厨子1基、厨子裏旧嵌板2枚 19230328 19540320


August 26, 2023 大野木康夫 source movie

つくばねの滝
       


山門
      


本堂(国宝)
                                                                               


本堂から多宝塔へ
    


多宝塔(兵庫県指定有形文化財)
                      


鐘楼(重要文化財)
                                


Sep.16,2016 瀧山幸伸 source movie

                                                                                                       


December 26,2015 大野木康夫 source movie

つくばねの滝

   

山門から境内へ

  

本堂(国宝)

                                                         

鐘楼(重要文化財)

                     

多宝塔

    


Mar.16, 2013 大野木康夫 source movie

所在地 兵庫県加東市畑609

朝光寺は加東市の旧社町畑地区、自家用車なら東条湖おもちゃ王国から車で西に3㎞ほど行ったところにあります。

加東市は公共交通機関が少ないので、車がないと行きづらいロケーションです。

駐車場からのアプローチ

 

つくばねの滝

     

滝から石段を上がれば境内です。

山門、本堂、鐘楼、多宝塔、鎮守社が並んでいます。

         

本堂(国宝)

応永20(1413)年から正長元

(1428)年の建築

桁行七間、梁間七間、一重、寄棟造、向拝三間、本瓦葺

附指定:厨子1基、厨子裏旧嵌板2枚

山門の正面に建っています。

                                                        

鐘楼(重要文化財)

鎌倉後期の建築

桁行一間、梁間一間、袴腰付、寄棟造、とち葺形銅板葺

本堂の右手に建っています。

                  

多宝塔

  

 

 


Jan.2011 酒井英樹

撮影:2010年4月

朝光寺は一乗寺[兵庫県加西市]と同じく法道仙人が奈良時代に開基したと伝えられる。

しかし、法道仙人は天竺のから紫の雲に乗って来たとも伝えられる半ば伝説上の人物であり、開基の真偽は定かでなく伝説の域を脱しえない。

また、寺の初期の歴史については資料が乏しく不明な点が多い。

寺の記録によると元の朝光寺は現在地よりも北にある鹿野山西峯にあったとされる。

しかし、伽藍が狭隘なため文治5年(1189)現在地に移転再建され、寺観が整えられた。

現在の本堂は様式より15世紀初めの再建とされている。

応永20年(1413)に京都の蓮華王院本堂(通称:三十三間堂)の十一面千手観音像を1躯譲り受け安置された。(蓮華王院本堂に安置されている千体千手観音像[実数1002躯]の1躯だけが室町時代の製作像が残っている。)

この観音像は鎌倉時代初期に活躍した大仏師湛慶(東大寺南大門にある有名な仁王像を製作指導した運慶の実子)の作あるいは慶派の仏師の作とされている。

ちなみに鎌倉時代に焼失した蓮華王院本堂が再建された際、焼け残った千手観音像(100躯程度が当初像)を補完する目的で当時の仏像工房が競って製作したため、蓮華王院にある千体千手観音像には当時の各流派が同じデザインで競作している。

蓮華王院中尊の巨大千手観音座像と数体は湛慶作。

また、厨子裏にある墨書には正長元年(1428)の銘とあることから、現在の本堂は応永20年(1413)から正長元年(1428)の間に再建となり、建築様式とも一致する。

<本堂>

 正面7間側面7間 寄棟造 本瓦葺

 室町時代初期の密教本堂の好例として国宝指定

 室町時代[応永20年〜正長元年(1413-1428)]

    

本堂外陣内部

  

<鐘楼>

本堂の脇に建つ。樣式・手法から見ると本堂より古めかしく、鎌倉時代後期の建立とされている。

寺記では16世紀のはじめの永正年間の再建と伝わるが、室町時代後期の部材の混在していることからこの時期に解体修理が行われたとされている。

屋根はもとはこけら葺であった

鎌倉時代後期の袴腰付鐘楼は数が少なく、貴重である。

正面3間側面2間 袴腰 寄棟造 とち葺形銅板葺

 鎌倉時代後期

  

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