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兵庫県川西市 多田神社
(Tadajinja, Kawanishi, Hyogo)

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 Culture
 
 重文3件、県文多数。清和源氏。
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川西市多田院多田所町1-1 多田神社 本殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文7(1667) 桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝三間、檜皮葺 御本社目録1冊、棟札4枚 19660611
川西市多田院多田所町1-1 多田神社 拝殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文7(1667) 桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、正背面向拝三間、檜皮葺 御拝殿目録1冊 19660611
川西市多田院多田所町1-1 多田神社 随神門 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文7(1667) 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 八足門目録1冊 19660611



Aug.2016 酒井英樹

撮影:1992年7月、2009年11月

 多田神社は平安時代中期の永観元年(983)に源満仲がこの地に寺院を建て、多田院と号したのが始まりと言われる。
 その後、満仲をはじめ、源頼光、源義家など清和源氏累代の廟所として中世を通じ、北条氏・足利氏の崇敬を受けてきたが、神社というより寺院の性格を持っていた。

 天正2年(1574)に織田信長の兵火によって諸堂を焼かれ、約90年は廃絶に近い状態であったが、寛文年間(1661-1673)に至り、徳川家綱によって再興されることとなった。
 造営は寛文4年(1664)に始められ、寛文7年に上棟、正遷宮があり、初めて神社としての形態が整った。
 大工は江戸幕府京都役所棟梁中井主水正正和であったが、建物別に一式請負となっていた。
 その後、数次にわたり修理が施されたが、本殿、拝殿、随神門などの主要な建物は寛文建立時の状態を保っている。

<本殿>
1992年7月撮影
  

2009年11月撮影
  


<拝殿>
1992年7月撮影
  

2009年11月撮影
  



<随神門>
1992年7月撮影
 
2009年11月撮影
  


January 9,2016 大野木康夫 movie 

所在地 兵庫県川西市多田院多田所町1-1

多田神社は源氏の祖 多田満仲と源頼光の廟所であって、社殿は寛文七年(一六六七)将軍家綱によって造られた。
大工は中井正知であったが、工事は一棟ごとに請負で行なわれた。
江戸時代の神社建築としては気品があり、時代の一基準となる。
(国指定文化財等データベースより)

六孫王経基の嫡子多田満仲が屋敷跡に建立した多田院(天台宗、後に真言律宗)の源氏霊廟が明治の神仏分離の際に多田神社となりました。
祭神は満仲(多田大権現)、長男の頼光(摂津源氏の祖)、三男の頼信(河内源氏の祖)、頼義(頼信の嫡男)、義家(頼義の嫡男)の5柱で、本殿も五間となっています。
司馬遼太郎の小説か何かで、大坂いろはかるたの「た」が「多田満仲(ただのまんじゅう)武士のはじまり」だったというのを読んだような気がします。
源氏政権として始まった鎌倉幕府や源氏である足利将軍家、源氏を公称していた徳川将軍家の庇護を受けていたということです。

境内

          

随神門(重要文化財)

寛文7(1667)年の建築
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺

               

拝殿(重要文化財)

寛文7(1667)年の建築
桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、正背面向拝三間、檜皮葺

                                    

本殿(重要文化財)

寛文7(1667)年の建築
桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝三間、檜皮葺

                                



Feb.2011 撮影/文: 野崎順次

兵庫県川西市多田院多田所町1-1
国指定史跡 清和源氏発祥の地

撮影日: 2011年2月11日

当神社は、天禄元年(970)に創建され、元多田院とも、また、多田大権現社とも言われ、関西日光の称ある大社である。御祭神は、第五十六代清和天皇のひ孫贈正一位鎮守府将軍源満仲公をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公をお祀りしていることから、源氏発祥の地と言われている。当社は、武運長久の勅願社として、又家運隆昌、厄除開運の守護神として崇敬されている大社である。
現在の社殿は、徳川四代将軍家綱公の再建に依るもので、境内一万六千坪に、内廓外廓の二重になっており、外廓南門に楼門(県指定)があり、東西に高麗形の大門(県指定)があり、それに社務所、宝物殿、儀式殿、斎館などがある。また、内廓には、御神廟、御本殿(国指定)、拝殿(国指定)、隨神門(国指定)、神輿庫、神馬舎などがあり雄大な神社である。環境は静寂であり、楼門階下には猪名川が流れ、後方に鷹尾山を控えた高地であるから、眺めがすばらしく、また杉、檜、楓や桜など相交わり、特に日本一の唐椿(キャプテンロー)の老木をはじめ、招霊(おがたま)、タラヨウ、無患子(むくろじ)など珍しい樹木が鬱蒼と繁茂している清浄の霊地である。
このような観点から、文部省より国史上重要な地域であるとして境内一円は、史蹟指定を受け、県においては、観光地として県立公園に指定されているのである。

パンフレットと説明板

          

県文 南大門
多田院のもとの仁王門であり、両脇に仁王像があった。明治4年神仏分離の折、仁王像は満願寺山門に移転され、安置されている。

     

西門の方へ、田尻稲荷神社 、厳島神社(県文)など。

           

県文 六所宮
伊勢、賀茂、稲荷、春日、住吉、熊野の神々を祀っている。旧多田院の鎮守社として、また多田荘72ケ村の総社として鎌倉期に創建された神社である。現在の社殿は室町後期に再建された三間社造りで建築様式、組物、蓑束、懸魚等の細部手法は非常に貴重である。

                

県文 西門
徳川四代将軍家綱公による再興にて造営され、全体的に木柄が太く、主柱の架構が鳥居様式であり、控え柱上の屋根妻が正面に見えているのは、高麗門としては珍しい扱いである。江戸時代の遺構としては重要な建築物とされている。

         

参道に戻り、正面へ。

        

重文 随神門
徳川四代将軍家綱公により再興。両脇に築地塀が付き、三楝造と呼ばれる伝統的な手法により建てられた八脚門。豊岩間戸尊、櫛岩間戸尊の二体の随神像が安置されている。

             

拝殿のあたり、唐椿(キャプテンロー)など。

                

神馬舎
東京都の後藤光行、綿引司郎両氏より、昭和42年より一年六ヶ月の歳月を費やして作成された神馬が納められており、屋舎は元内務省神社局松本芳夫氏の設計・監理のもと建てられた。

   

重文 拝殿
徳川四代将軍家綱公により再興。桁行7間、梁間3間の大規模な入母屋造、檜皮葺屋根の構造物である。

                         

重文 御本殿
徳川四代将軍家綱公により再興。桃山時代の姿をそのまま継承した、素木の入母屋造、檜皮葺屋根の建造物としてすぐれた遺構となっている。

             

県文 東門
徳川四代将軍家綱公による再興にて造営され、全体的に木柄が太く、主柱の架構が鳥居様式であり、控え柱上の屋根妻が正面に見えているのは、高麗門としては珍しい扱いである。江戸時代の遺構としては重要な建築物とされている。

          

帰途

          

参考資料
多田神社HP


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