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兵庫県神戸市垂水区 孫文記念館「移情閣」

Sun Yat-sen memorial,arumiku,Kobe city,Hyogo

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神戸市垂水区東舞子町2051 移情閣 重文 近代/住居 大正 大正4(1915) 木骨コンクリートブロック造、建築面積105.7㎡、八角三階建、正面玄関ポーチ付、側面階段室付、スレート葺及び銅板葺 幣串1本 20011114


 December 31, 2022 and January 8, 2023  野崎順次 source movie

 

兵庫県神戸市垂水区東舞子町2051 舞子公園内
孫文記念館(移情閣)

孫文記念館は、八角三階建ての移情閣、二階建ての付属棟、一階建ての管理棟の三棟で構成され、移情閣のみが国重文指定である。

国重文 移情閣 大正4年(1915)
木骨コンクリートブロック造、建築面積105.7m2、八角三階建、正面玄関ポーチ付、側面階段室付、スレート葺及び銅板葺 1棟
移情閣は,神戸を中心に活躍した華僑の呉錦堂が,舞子ヶ浜にあった別荘の一部として,大正4年に建設した。呉錦堂と親交が深かった孫文は,数回ここを訪れており,これに因んで,現在は孫中山記念館として活用されている。
形式は八角三階建で,総高は約24.1mである。構造は木造軸組を建て,外壁にはコンクリートブロックを軒裏まで積み上げている。内部は各階とも床が板張,壁面が下部を腰板張,上部を金唐革紙の壁紙張として共通するが,天井等は各階毎に変化をつける。移情閣は,八角三階建という類例の少ない形式ながら,端正な比例構成を持ち,内部も各階毎に異なる意匠でよくまとめられ,高く評価できる。また,最初期のコンクリートブロックを用いた建築で,その構法や技術を伝える遺構としても重要である。
(文化遺産オンライン)

付属棟 1890年代 木骨煉瓦造、地上2階建、延床面積 344.39㎡
管理棟 地上1階、延床面積 88.70㎡
(ウィキペディア「孫文記念館」)

パンフレットと現地説明板
   


建物外観
                     


建物内部、付属棟 1階
                        


国重文 移情閣 1階
               


移情閣 2階への階段
       


移情閣 2階
                 

付属棟 2階
                 


付属棟 1階への階段
      

 


Mar.2012 野崎順次 source movie

兵庫県神戸市垂水区東舞子町2051番地

孫文記念館(移情閣)

(Sun Yat-sen Memorial Hall (Ijoukaku), Tarumiku, Kobe City, Hyogo)

撮影日: 2012年3月11日

この記念館は、中国の革命家・政治家・思想家である孫文(号は中山、又は逸仙、英文名はSun Yat-sen、1866〜1925)を顕彰する日本で唯一の施設で、1984(昭和59)年11月に開設された。この建物は、もともと神戸で活躍していた中国人実業家・呉錦堂(1855〜1926)の別荘「松海別荘」を前身としている。1915(大正4)年春、その別荘の東側に八角三層の楼閣「移情閣」が建てられ、外観が六角に見えるところから、地元では長らく「舞子の六角堂」として親しまれてきた。孫文と「松海別荘」(移情閣))の関わりは、孫文が1913(大正2)年3月14日に来神した際、神戸の中国人や政・財界有志が開いた歓迎の昼食会の会場になったときに始まる。現在、この記念館は兵庫県が管理し、日本と孫文、神戸と孫文の関わりを中心に、呉錦堂の生涯や移情閣の変遷などについての詳細な展示が行われている。

国重文 移情閣 大正4年(1915)

木骨コンクリートブロック造、建築面積105.7m2、八角三階建、総高約24.1m、正面玄関ポーチ付、側面階段室付、スレート葺及び銅板葺。内部は各階とも床が板張,壁面が下部を腰板張,上部を金唐革紙の壁紙張として共通するが,天井等は各階毎に変化をつける。移情閣は,八角三階建という類例の少ない形式ながら,端正な比例構成を持ち,内部も各階毎に異なる意匠でよくまとめられ,高く評価できる。また,最初期のコンクリートブロックを用いた建築で,その構法や技術を伝える遺構としても重要である。

パンフレット

  

孫文記念館を北から遠望する。左(東)から、移情閣(重文)、附属棟、管理棟の三棟から成る。

             

南西の門から入り、建物外部を左回りに見て行く。

                                 

附属棟1階の展示 孫文の生涯

             

附属棟1階の展示 日本と孫文

                  

附属棟1階 南側廊下

       

移情閣1階

                     

2階への階段

    

移情閣2階

  

附属棟2階展示 孫文自筆の書など

       

附属棟2階展示 呉錦堂

                         

附属棟2階の南側廊下

       

参考資料

孫文記念館HP

国指定文化財データベース


Apr.2010 撮影:中山辰夫

神戸市垂水区東舞子町2051

舞子の浜に美しいシルエットを見せている。

大正時代に立てられた別荘で、六角堂とも呼ばれている。

亡命中の孫文が立ち寄ったところで、孫中山記念館として一般に公開し、孫文の遺品を展示している。

  

移情閣は、どの方向から見ても壁面が三面見え、外観が六角に見える錯覚から、地元では舞子の六角堂(八角堂)と呼ばれ親しまれてきた。

国内最古のコンクリートブロック建造物で、建物は正八角形の三階建て八方に窓がある。

もともと兵庫県道21号神戸明石線(神明道路)の南に面し、背後は海だった。

そののち、この界隈は明石海峡大橋建設に伴い、 埋め立てられ、近辺にあった民家や旅館はなくなり、現在の舞子海浜公園となったが、この建物だけは解体保存され、平成12年4月、現在地に復原され、孫文記念館として一般公開され、さらに平成13年国の重要文化財に指定されました。

    

この記念館は、中国の革命家・政治家・思想家である孫文(号は中山、又は逸仙、英文名はSun Yat-sen、1866〜1925)を顕彰する日本で唯一の博物館で、昭和59年(1984)に開設された。

この建物はもともと神戸で活躍していた中国人実業家呉錦堂(1855-1926)の別荘「松海別荘」が前身である。

呉錦堂は、中国淅江省の出身で、明治18年(1885)に来日、行商をしながら蓄財し、苦難の末に成功して関西財界の立役者になった。

神戸での学校建設にも尽力し、さまざまな社会事業に貢献した。

    

孫文と「松海別荘」の関わりは、孫文が大正2年(1913)、来神したとき、神戸の中国人、財界有志が開いた歓迎の昼食会の会場になったときに始まる。

大正4年(1915)には八角三層の楼閣・移情閣(国重要文化財)が増築された。

その名の由来は、窓から展望する六甲山系・淡路島大阪湾などの風景が、刻々と変化するからとも、また呉錦堂が還暦を迎え、故郷への思いをこめて名づけたともいわれる。

外観が六角に見えることから、地元では「舞子の六角堂」と呼ばれ親しまれていた。

    

その後、昭和57年(1982)、兵庫県が「移情閣」を管理していた神戸華僑総会から寄贈をうけ、改修を行い、昭和59年(1984)孫文生誕の日に「孫文記念館」として一般に公開されました。

平成5年(1993には「兵庫県指定重要有形文化財」に指定されました。

平成6年(1994)、明石海峡大橋の建設にともない、いったん解体され、西南方向200メートルのこの地に移転、復原工事が進められ、平成12年(2000)に完成しました。

平成13年(2001)、移情閣は国の重要文化財に指定された。

この記念館には、孫文と神戸の関わりを中心に、呉錦堂の生涯、移情閣の変遷などに関する展示が行われている。

平成17年(2005)より孫文記念館と改称した。

   

訪れた日は月曜日で休館日だった。

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