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兵庫県神戸市西区 太山寺

(Taisanji Temple, Nishiku,Kobe city, Hyogo)

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国宝 本堂、重文 阿弥陀如来座像など
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神戸市西区伊川谷町前開224 太山寺仁王門 重文 近世以前/寺院 室町中期 室町中期 三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺 19130414

神戸市西区伊川谷町前開224 太山寺本堂 国宝 近世以前/寺院 鎌倉後期 弘安8(1285) 桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、銅板葺 19130414 19550622


January 9,2016 大野木康夫 source movie

 

仁王門(重文)

駐車場から県道16号方向に引き返して撮影しました。

正面側は木立で撮影しにくい状態です。

                         

境内へ

  

本堂(国宝)をじっくり撮影

朝より日中の方が順光で撮影しやすかったと思います。

鎌倉建築ですが、密教仏堂として平安期の趣があるような気がします。

                                                   

その他境内

       


Mar.16, 2013 大野木康夫 source movie

所在地 神戸市西区伊川谷町前開224

太山寺は西神の伊川谷地区東部に位置します。

 

仁王門(重要文化財)

室町中期の建築

三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺

             

山門から本堂の眺め

   

本堂(国宝)

弘安8(1285)年の建築

桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、銅板葺

                                                   

境内各所

        


Dec.2012 瀧山幸伸 source movie

仁王門

       

    

  

  

   

本堂

                                                                 

                                         

三重塔

            

          

阿弥陀堂

     

                     

羅漢堂、釈迦堂

   

           

護摩堂、鐘楼

     

稲荷社、太子堂

  

  

 

奥の院

              

           

太山寺磨崖不動明王

     

           


Jan.2011 撮影/文: 野崎順次

兵庫県神戸市西区伊川谷前開224

三身山

撮影日: 2011年15日

当寺は天台宗。 天延元年(973)12月8日の年紀をもつ「播州太山寺縁起」には藤原鎌足の子、定恵和尚の開山、霊亀2年(716)公の孫である宇合(不比等の子)の建立と伝える。

元正天皇(715〜723在位)の勅願寺として、歴代天皇をはじめ一般民衆にいたるまで広く信仰を集めた。

建武中興(1334)の時は、朝敵北条勢を討つため大塔宮護良親王の令旨を受けて、当寺衆徒のめざましい活躍があった。

寺運は大いに栄え、この地方の一大法城として南北朝時代には支院四十一ヶ坊・末寺八ヶ寺・末社六ヶ社を持ち僧兵も養っていたが、興亡・浮沈は著しく、現在は龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院の五ヶ坊となっている。

パンフレットとバス停あたり

       

重文 仁王門(室町中期)

もともと重層の楼門であったが、上層部を撤去した時に大幅に改築、現在は入母屋造・本瓦葺・棟高8m の八脚門である。 当初の軒組物を復元して背面左側の間に置いている。

                           

中門までの道沿いに、酒屋、民家、そして、塔頭(龍象院、成就院、安養院)が並ぶ。

                                   

説明板、中門、手洗舎

          

県文 三重塔(江戸中期)

心柱宝珠柱の銘と棟札から、貞享5年(1688)の建立とされている。 屋恨は本瓦葺で相輪は型通り、水煙は火焔型である。

各層四隅の尾垂木の問には邪鬼を置いている。色は各層で異なり、下から白、緑、褐色となっている。初層内部の須弥壇には、等身大の大日如来坐像および四天王立像が安置されている。

                                 

国宝 本堂(鎌倉)

弘安八年(1285)の火災で前身の建物が焼失し、その後復興にとりかかり、永仁年間(1293〜99)に再建された。規模は柱真々間で正面20.82m、側面17.76mと大きい。仏教の大衆化に伴う新しい仏殿の形式が成立した初期の例としてこの本殿は、極めて貴重な遺構といえる。

                                            

本堂の外陣・内陣

               

阿弥陀堂(江戸中期)

現在の阿弥陀堂は、貞享五年(1688)に再建されたものである(宝珠柱の銘による)。本来は、天台宗の修法である常行三昧の修行堂であったが、堂の本尊である阿弥陀如来に対する信仰が高まるにつれて、阿弥陀堂として人々の礼拝の対象となった。

             

重文 阿弥陀如来坐像(鎌倉初期)

丈六の像。時代は百五十年ほど違うが、宇治の平等院 鳳凰堂にある定朝作の阿弥陀如来坐像とほぼ同じ大きさ(約2.74m)・様式である。

   

羅漢堂(江戸後期)、釈迦堂(江戸後期)、墓地

                           

護摩堂(江戸中期)、鐘楼

      

稲荷社、太子堂

         

奥の院

太山寺川にかかる閼伽井橋を渡ると稲荷舎・地蔵堂がある。 地蔵堂の下から巌窟を通って水が湧き出ていた。この霊水は仏前に供する清浄水(アカ)で、この場所はそれを汲む閼伽井(アカイ)となっていた。地蔵堂は一願地蔵といって一つの願いに限ってお蔭をいただくという巷説で名高い。

                 

神戸市指定史跡 太山寺磨崖不動明王(鎌倉後期)

いったん、中門を出てお寺の裏の方に農道を進み、大山寺川沿いの舗装道路を上ると、兵庫県下最古の磨崖仏がある。太山寺川上流東岸の花崗岩岩肌に等身大の磨崖仏(不動明王像)が刻まれており、弘安年間(1278〜1288)の作とされる。手足の筋肉や衣の躍動感が素晴らしい。

           

参考資料

太山寺パンフレット

太山寺HP

 


Dec. 2006 瀧山幸伸 source movie

     

  

境内

  

     

   

  

   

   

            

本堂

                                         

三重塔

                         

阿弥陀堂

                        

護摩堂

    

奥の院

           

安養院

    

仁王門

  

      

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