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兵庫県神戸市中央区 徳光院

Tokukouin,Chuoku,Kobe city,Hyogo

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神戸市中央区葺合町布引山2-2-3 徳光院多宝塔 重文 近世以前/寺院 室町後期 文明10(1478) 三間多宝塔、本瓦葺 旧部材3個 19710622


November 13,2021 大野木康夫  source movie

所在地 神戸市中央区葺合町字布引山2-3

山門から境内
       


多宝塔(重要文化財)

文明10(1478)年の建築
三間多宝塔、本瓦葺

【国指定文化財等データベースから引用】
もと神戸市垂水区にあった転法輪寺の塔頭明王寺にあったもので、昭和十三年に現在地に移築されている。
文明十年(一四七八)に建立された三間多宝塔として一部修補部分も多いが、兵庫県下最古の多宝塔として重要である。

                 

部分撮影
           


May.2012 野崎順次 source movie

兵庫県神戸市中央区葺合町布引山2-3

臨済宗天竜寺派

大円山 徳光院

撮影日: 2012年5月19日

布引の滝の参道近く、役小角創建とされる修験道の大道場であった滝勝寺の由緒ある跡地に、神戸川崎財閥の創始者である川崎正蔵が1887年から1905年にかけて私財を投じて建立したもの(滝勝寺は神戸市中央区に移転して現存している)。明治創建の寺であるが、松や楠の樹に覆われた境内には室町時代の多宝塔(国重文)などの古建築が移建されている。また、木造持国天立像・増長天立像の2体が県重要文化財に指定されている。

布引の雄滝から小さな尾根に登り、南に下ると徳光院である。なかなかの山門がある。播磨の寺院から移築されたものという。

             

西側の境内

    

弁天堂。これも京都天龍寺近くの弁天堂をそのまま勧請移築してきたそうだ。

      

境内の続き

        

国重文 多宝塔 室町後期 文明5〜11年(1473〜1479)

垂水区名谷の龍華山明王寺のものであったが、同寺が無住となり荒廃したため、明治33年(1900)川崎氏が買い取り、私邸に移築、更に昭和13年(1938)徳光院に寄進、移築した。墨書に文明10年(1478)の銘があり、他に柱・組物に文明5年(1473)9月の銘があることから、文明年間に建立されたと考えられる。この多宝塔は兵庫県最古の多宝塔であり、また神戸市内唯一の多宝塔でもある。ただ、昭和13年の解体移築中に阪神大水害の被害を受け、保存中の部材の一部が流出、そのため後補材が多く、亀腹もコンクリート製である。第一層は勾欄のない縁を廻らし、正面に木階を設置、中央間は板唐戸、脇間は連子窓、正面上部に「薬師如来」の額がある。斗きょうは一手先で、中備にはかえる股も間斗束もなく、軒は二重繁垂木である。上層は四手先、小造りの亀腹、軒は二重繁垂木、屋根は本瓦葺、相輪は型通りで、四方に鎖を垂らす。この塔は一辺が二間(約3.6m)程度の小塔で、飾りも少なく簡素であるが、木鼻などの細部の手法に見るべきものがあり、全体的なバランスも整っている。

                     

多宝塔の細部

             

東側の境内

         

鐘楼 - 江戸時代初期(1631年)建立(三木市の伽耶院から移建したもの)

中の梵鐘は今は新しいが戦争で供出させられる前は京都伏見御香宮神器の銘が入ったたいそう立派なものであったとのこと。

    

東側境内、続き。石造物が多い。朝鮮石像、羅漢石仏など。

                

本堂 - 十一面観世音菩薩像(本尊、鎌倉時代作)安置、不動堂、庫裡

      

東側境内、続き。

      

境内には樟が非常に多い。この樟は川崎正蔵翁が苗木から育て上げて一本一本植えたそうで、まだ樹齢はさほどではないが、どれも非常に立派に育っている。

           

山門から少し下った左手に朽ち果てた洋館らしき屋敷跡が・・・・

   

参考資料

神戸市HP

久延毘古 独言‐幽黙庵の納戸− HP

ウィキペディア「徳光院」


Jan.2011 酒井英樹

 撮影:2010年12月

 

山に囲まれたJR新神戸駅からすぐ近くの山腹にある徳光院は、役小角創建とされる修験道の大道場であった滝勝寺(神戸市中央区に移転し現存)の由緒ある跡地に、神戸川崎財閥の創始者である川崎正蔵が明治20〜38年(1887〜1905)にかけて私財を投じて建立した私寺院である。

徳光院多宝塔は初め神戸市垂水区名谷町の転法輪寺塔頭明王院にあった。

明王院は延暦20年(801)平城天皇の勅願時として開基した。

多宝塔は肘木や拳鼻には文明5年(1473)、柱には文明10年(1478)の墨書があり、建立年代が特定できている。

近代になり明王院は無住となってしまい多宝塔も荒廃したが、川崎家が買い取り、明治33年(1900)に神戸市中央区の川崎邸へ移された。

さらに昭和13年(1938)に徳光院のある現在地に移建された。

徳光院多宝塔は小規模な多宝塔であり、それに比しても亀腹が特に小さいことが特徴である。

現在地への移建中に発生した阪神大水害で保存していた部材の一部が部材が流失してしまったこともあり、亀腹がコンクリート製など後補材が多くなっている。

しかし、建築年代の特定でき、細部手法がよく時代の特徴を示すなど貴重な多宝塔である。

<多宝塔>

Tahoutou

室町時代[文明10年(1478)]

    

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