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兵庫県たつの市 賀茂神社
(Kamojinja Shrine, Tatsuno City, Hyogo)

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たつの市御津町室津74 賀茂神社 本殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 元禄12(1699) 三間社流造、檜皮葺 棟札5枚 19740521
たつの市御津町室津74 賀茂神社 摂社片岡社太田社本殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 元禄12(1699) 二間社流造、檜皮葺 棟札7枚 19740521
たつの市御津町室津74 賀茂神社 摂社貴布祢社若宮社本殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 元禄12(1699) 二間社流造、檜皮葺 棟札6枚 19740521
たつの市御津町室津74 賀茂神社 摂社榲尾社本殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 元禄12(1699)頃 一間社流造、檜皮葺 棟札1枚 19740521
たつの市御津町室津74 賀茂神社 権殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 元禄10(1697) 一間社流造、檜皮葺 19740521
たつの市御津町室津74 賀茂神社 唐門 重文 近世以前/神社 江戸中期 元禄12(1699)頃 桁行一間、梁間一間、向唐門、檜皮葺 棟札2枚 19740521
たつの市御津町室津74 賀茂神社 東回廊 重文 近世以前/神社 江戸中期 元禄(1688-1703)頃 桁行七間、梁間一間、一重、唐破風造、檜皮葺 19740521
たつの市御津町室津74 賀茂神社 西回廊 重文 近世以前/神社 江戸中期 元禄(1688-1703)頃 桁行七間、梁間一間、一重、唐破風造、檜皮葺 19740521

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参道

四脚門

重文指定の社殿群

京都賀茂別雷神社の御厨の地に建てられた神社本殿(三間社)摂社三殿(片岡社太田社、貴布祢若宮社は二間社、榲尾社は一間社)、権殿(一間社)はいずれも正規の流造の形式をもち、材料工作とも優秀である。
賀茂別雷神社の直系としてきわめて貴重な遺構。
唐門、回廊も社殿配置を知る上に重要である。
(国指定文化財等データベースより)

東回廊

元禄(1688-1703)頃の建築
桁行七間、梁間一間、一重、唐破風造、檜皮葺

唐門

元禄12(1699)年頃の建築
桁行一間、梁間一間、向唐門、檜皮葺

西回廊

元禄(1688-1703)頃の建築
桁行七間、梁間一間、一重、唐破風造、檜皮葺

回廊内の社殿群

摂社榲尾社本殿

元禄12(1699)年頃の建築
一間社流造、檜皮葺

摂社片岡社太田社本殿

元禄12(1699)年の建築
二間社流造、檜皮葺

本殿

元禄12(1699)年の建築
三間社流造、檜皮葺

摂社貴布祢社若宮社本殿

元禄12(1699)年の建築
二間社流造、檜皮葺

権殿

元禄10(1697)年の建築
一間社流造、檜皮葺







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兵庫県たつの市御津町室津74

撮影日:2011年11月20日

室津港の南の入口に鎮座するのが賀茂神社である。京都の上加茂神社と同じ祭神(加茂別雷神)をまつり、流造、桧皮葺の五つの社殿が並び、本殿の前に唐門を建て、回廊がとりかこむ。紋章も同じ二葉葵。いつ賀茂神社が室津に置かれたかは不明だが、古代、賀茂神社に仕える海人は、気にいった所を神領にすることができた。そのような土地は御厨(みくりや)と呼ばれ、平安時代には42ヶ所もあり、室津もそのひとつだった。その頃に分社として建てられたようだ。承4年(1180)、安芸の厳島神社を参詣した高倉上皇の記述をみると、「やしろ五、六大やかにならぶ 」とあるから、当時からこのような景観であったと考えられる。

現地説明板

東から表参道の石段を上る。

県指定文化財天然記念物 ソテツ
四脚門と石鳥居の中間参道沿いに群生する。野生状態の群生林としては本日本列島の北限に位置するといわれる。

表参道沿いの摂社

四脚門(表門)
龍の彫刻で有名。「馬足の龍」と呼ばれている。明和6年(1769)、大阪の中川利兵衛藤原知親家の作とされる。

賀茂神社本殿(三間社)摂社三殿(片岡社太田社、貴布祢若宮社は二間社、榲尾社は一間社)、権殿(一間社)はいずれも正規の流造の形式をもち、材料工作とも優秀である。賀茂別雷神社の直系としてきわめて貴重な遺構。 唐門、回廊も社殿配置を知る上に重要である。

重文 西回廊 江戸中期 元禄頃(1688-1703頃)
桁行七間、梁間一間、一重、唐破風造、檜皮葺


重文 唐門 江戸中期 元禄12頃1699頃
桁行一間、梁間一間、向唐門、檜皮葺

 

重文 東回廊 江戸中期 元禄頃(1688-1703頃)
桁行七間、梁間一間、一重、唐破風造、檜皮葺

重文 本殿 江戸中期 元禄12年(1699)
三間社流造、檜皮葺

重文 摂社片岡社太田社本殿 江戸中期 元禄12年(1699)
二間社流造、檜皮葺

重文 摂社榲尾社(すぎおしゃ)本殿 元禄12頃1699頃
一間社流造、檜皮葺

重文 摂社貴布祢社(きぶねしゃ)若宮社本殿 江戸中期 元禄12年(1699)
二間社流造、檜皮葺

重文 権殿(ごんでん) 江戸中期元禄10年(1697)
一間社流造、檜皮葺

裏から本殿、摂社三殿の屋根を見る。

市文 拝殿 江戸中期宝永4年(1707)再建
本殿と拝殿が境内を隔てて建っている。その形態を飛び拝殿と呼び、神社建物配置の古い形を残した遺構である。

拝殿の隣が絵馬堂で中に神馬舎(しんめいしゃ)がある。馬は古くから神様の乗り物という信仰あった。このため神社に生馬を奉納した。(なかでも白馬は神聖なものとされた)。その代用として木馬を奉納したりした。生馬や木馬を奉納できぬ階層が板絵を額として納めたのが絵馬の起源との説もある。

その他境内

多宝塔跡
多宝塔は南北朝貞治年間(1362−1368)頃に建立された。その後、再建され、シーボルトが訪れて「建築上の真の名作」と絶賛した。明治の廃仏棄釈により取り壊され、ご本尊の多宝如来は浄雲寺に安置される。

賀茂の愛の榊(連理の榊)
2本の榊の木が途中から1本に結ばれている。

裏参道を西に下ると、瀬戸内海を見渡せる。

参考資料
国指定文化財等データベース
「嶋屋」友の会HP

 



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