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茨城県笠間市 笠間城跡

Kasama Castle,Kasama city,Ibaraki

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Jan.30,2020 瀧山幸伸 

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標高205メートルの佐白山は、笠間城があったので「お城山」とも呼ばれています。笠間城は、江戸時代全国でも数少ない山城の一つです。近世の初め、笠間城主であった蒲生郷成が、出身地の近江国(滋賀県)の石材技術をもつ石工らを用い、近世笠間城の骨格を形成しました。最も顕著な遺構は、山頂一帯の天守曲輪の石垣や石段で、山中の露出する岩石を割り、急斜面の山腹から運びだして築き上げたものです。

ここには江戸時代二層の天守櫓がそびえていました。山頂には古代から佐志能神社が祀られていましたが、鎌倉時代に笠間時朝によって山麓に移されました。佐志能神社は、明治五年(1872)山頂に復帰し、その拝殿は笠間城の天守櫓を改造したものといわれています。

 山頂から下がった本丸には、東櫓門跡、八幡台櫓跡、宍ヶ崎櫓跡、玄関門跡の礎石の一部が残されています。この本丸と天守曲輪は、笠間市指定文化財(史跡)に指定されています。また、八幡台櫓は、廃城後に城下の日蓮宗真浄寺に移築され、七面堂として復活し、昭和四十四年(1969)に笠間城櫓として茨城県指定文化財となりました(笠間の歴史探訪15参照)。

 本丸、天守曲輪以外の城郭跡は現在指定文化財になっていないものの、玄関門下の石垣と石段、二の曲輪、帯曲輪と玉滴の井、三の曲輪と大手門跡や空堀、千人溜などの遺構を見ることができます。
山の地形を利用して築城された笠間城は、東・南・西側の三面は急斜面で戦いの防御は容易です。北面はゆるやかな山地が続き防御の弱点で、この面に曲輪、土塁と堀、石垣、大手門、千人溜を拝する梯郭式の構造で、専守防衛型の城です。

東日本大震災により、天守曲輪の石垣が一部崩落しましたが、現在は仮復旧を行い、修復にさまざまな調査を行っております。今後、当時の笠間城の姿が解明されることが、期待されます。なお、天守曲輪の東側は「石倉」と称する巨岩が重なり、ここから遠く水戸、太平洋を望む名勝地です。さらに、佐白さん一帯は笠間県立自然公園にも指定され、自然が保護された山中は植物の宝庫でもあります。(市史研究員 小室昭)(笠間市)

 

空撮

       

千人溜付近

    

堀切と大手門跡

            

曲輪と本丸跡 

                     

天守跡

                                                          

大黒石

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