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茨城県石岡市八郷 
Yasato,Ishioka city,Ibaraki
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石岡市太田940-1 善光寺楼門 重文 近世以前/寺院 室町後期 室町後期 三間一戸楼門(軒以上を欠く)、寄棟造、茅葺 19831226

善光寺 山門 
Zenkoji

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佐久良 東雄 旧宅 
Sakura Azumao residence

史跡

茨城県石岡市(旧八郷町)大字浦須三一四の一番地
佐久良 東雄(さくら あずまお)の旧宅として、国の史跡に指定されている。
緩やかな谷筋に建つ。長屋門と主屋の屋根が重なり、屋根のスカイラインと屋敷林との調和が美しい。

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京都大学附属図書館 維新資料画像データベースより

佐久良 東雄(さくら あずまお) 
文化8年3月21日(1811.5.13)−万延元年6月27日(1860.8.13) 常陸国新治郡浦須村(茨城県八郷村)の土浦藩領林村郷士飯島平蔵長男。 幼名吉兵衛、出家し良哉、還俗し通称靭負、のち静馬。字:良哉、高俊、靭負。 通称:東雄、静馬、健雄。雅号:薑園(きょうえん)。幕末の僧侶、国学者、歌人、志士。 9歳で下林村観音寺に入り住職康哉の弟子となり、名を良哉、字を高俊と改めた。 万葉法師康哉の影響を受け、15才で出家、師の没後28代同郡下林村観音寺住職。 ついで天保6(1835)年土浦町真鍋村(茨城県八郷村)の18代善応寺住職となる。 このころ笠間藩の加藤桜老、土浦の国学者で儒商であった色川三中、真壁の相良任蔵と交友を深め、また早くから水戸藩会沢正志斎や藤田東湖らと親交を結び、学殖を認められ、かつ出仕を勧められていたが固辞して受けなかった。 天保13(1842)年12月江戸に出て平田篤胤に入門。国学を究め、書道にも精進した。 翌14(1843)年6月鹿島神宮神前で潔斎し国学復古の理念に発意して還俗、鹿島神宮に桜樹1,000株を植えて、このとき佐久良(桜)東雄と改名。 弘化元(1844)年京都に上り、妙法院宮の家人となり、また大坂座間(摩)(いかすり)神社の社家に籍を置き、神官を務め、一方で国学書の出版を行った。これを坐摩版という。 安政元(1854)年妙法院宮家家司となった。 安政の末年靭負と改め、静馬あるいは健雄と称し薑園と号した。 万延元(1860)年、桜田門外の変に参画した高橋多一郎父子が大坂に逃れてきた時、これをかくまい共に策謀をめぐらしたが幕吏に捕らえられ、江戸伝馬町の獄舎に投ぜられた。獄中「吾徳川の粟を食わず」と絶食、同年6月27日絶命した。年50。 [法名]:回向院仮葬真道居士 [墓]:茨城県土浦市真鍋[善応寺] [著]:「定本畫園歌集」 「佐久良東雄歌集」 「はるのうた」 「桜東雄草稿」 [参]:望月茂「佐久良東雄」 石井寿夫「佐久良東雄先生のこころ」 高橋梵仙「佐久良東雄」 佐久良巌編「佐久良東雄伝」 武石信徴「桜東雄伝」(「維新資料」117)




Oct.2005 Preview video 500Kbps HD(1280x720) Video FAQ


上曾 廃業した旅館
Kamiso






茨城県フラワーパーク
Ibarakiken flower park

Jan 2004 Preview video 500Kbps HD(1280x720) Video FAQ

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小幡の街並
Obata

Jun 2004 Preview video 500Kbps HD(1280x720) Video FAQ

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