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熊本県熊本市 熊本城

Kumamoto castle,Kumamoto city,Kumamoto

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熊本市中央区本丸および二ノ丸 熊本城 宇土櫓 重文 近世以前/城郭 桃山 "慶長6-12(1601-1607)" 三重五階櫓、地下一階付、続櫓一重櫓、一部二階、総本瓦葺 19330123

熊本市中央区本丸および二ノ丸 熊本城 源之進櫓 重文 近世以前/城郭 桃山 "慶長6-12(1601-1607)" 折曲り一重櫓、本瓦葺 19330123

熊本市中央区本丸および二ノ丸 熊本城 四間櫓 重文 近世以前/城郭 江戸末期 慶応2(1866) 一重櫓、本瓦葺 19330123

熊本市中央区本丸および二ノ丸 熊本城 十四間櫓 重文 近世以前/城郭 江戸末期 天保15(1844) 一重櫓、本瓦葺 19330123

熊本市中央区本丸および二ノ丸 熊本城 七間櫓 重文 近世以前/城郭 江戸末期 安政4(1857) 一重櫓、本瓦葺 19330123

熊本市中央区本丸および二ノ丸 熊本城 田子櫓 重文 近世以前/城郭 江戸末期 慶応元(1865) 一重櫓、本瓦葺 19330123

熊本市中央区本丸および二ノ丸 熊本城 東十八間櫓 重文 近世以前/城郭 桃山 "慶長6-12(1601-1607)" 一重櫓、本瓦葺 19330123

熊本市中央区本丸および二ノ丸 熊本城 北十八間櫓 重文 近世以前/城郭 桃山 "慶長6-12(1601-1607)" 折曲り一重櫓、本瓦葺 19330123

熊本市中央区本丸および二ノ丸 熊本城 五間櫓 重文 近世以前/城郭 桃山 "慶長6-12(1601-1607)" 一重櫓、本瓦葺 19330123

熊本市中央区本丸および二ノ丸 熊本城 不開門 重文 近世以前/城郭 江戸末期 慶応2(1866) 櫓門、左端入母屋造、右端切妻造、本瓦葺 19330123

熊本市中央区本丸および二ノ丸 熊本城 平櫓 重文 近世以前/城郭 江戸末期 安政7(1860) 一重櫓、前面一部庇付、本瓦葺 19330123

熊本市中央区本丸および二ノ丸 熊本城 監物櫓(新堀櫓) 重文 近世以前/城郭 江戸末期 安政7(1860) 一重櫓、本瓦葺 19330123

熊本市中央区本丸および二ノ丸 熊本城 長塀 重文 近世以前/城郭 桃山 "慶長6-12(1601-1607)" 長さ252.7m、桟瓦葺 19330123

熊本市中央区本丸熊本城天守閣館内 細川家船屋形 重文 近世以前/その他 江戸末期 天保11(1840) 桁行三間、梁間舳面一間、艫面二間、一重二階、切妻造、段違板葺 旧足隠板8枚 19540917


Apr.2016 蒲池眞砂子

撮影:May 3,2012

                       


撮影日: 2011年10月28日 野崎順次

日本三名城のひとつといわれる熊本城は、加藤清正が慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけ築城した天下の名城である。その構えは豪壮雄大で、城域は98ha、周囲5.3Kmにも及びます。当時は大小天守閣はじめ、櫓(やぐら)49、櫓門18、その他の城門29を数え、実戦を想定した巨大要塞だった。自然の地形を利用した石垣は、敵に対する備えでもあり、その美しい曲線から「清正流石垣」とも呼ばれる。加藤家2代、細川家11代の居城として続いたが、明治10年の西南戦争では、薩摩の大軍を迎えて50余日の籠城に耐え、難攻不落の名城の真価を発揮した。しかし、薩軍総攻撃の3日前、原因不明の出火により、宇土櫓(うとやぐら)はじめ11棟を残し主要な建物を焼失した。現在の天守閣は昭和35年に市民の浄財を基に再建されたものである。

重文 長塀 桃山時代慶長6〜12年(1601〜1607)

東の平御櫓(ひらおんやぐら)から西の馬具櫓(ばぐやぐら)まで252.7mの桟瓦葺き塀が続いている。現存する城郭の塀の中では最長を誇る。白漆喰に黒の下見板を張り、桟瓦が乗る。内側には凝灰岩の控え柱が立ち貫で固定してある。

重文 宇土櫓 桃山時代慶長6〜12年(1601〜1607)

三重五階櫓、地下一階付、続櫓一重櫓、一部二階、総本瓦葺。

本丸の西北隅、20mの高石垣の上に建つ地上約19mの櫓で、天守並みの構造と大きさを誇る。宇土櫓の名前の由来は宇土(うと)の小西行長が関ヶ原で滅んだ後、小西の家臣の一部を清正が召し抱えて宇土小路に住まわせ、櫓をこの一団に管理させたことからだとされる。

建物外部

建物内部

最上階(5階)からの眺望

本丸御殿

本丸御殿は、加藤清正公によって創建され、藩主の居間や対面所(接客の場)などに使われた熊本城の中核をなす建物である。平成15年の秋から復元工事がはじまり、平成20年春に落成を迎え、一般公開された。

アプローチと闇り通路

本丸御殿は2つの石垣を跨ぐように建てられたため、地下通路があった。御殿への正式な入口であり、「闇り通路」と呼ばれていた。このような地下通路を持つ御殿建築は全国にもあまり例がない。

本丸御殿内部

天守閣など

熊本城の天守閣は、明治10年(1877年)、西南戦争の年に焼失してしまった。現在の天守閣は、古い写真や絵地図などを基に、昭和35年(1960年)に復元された。瓦の列や数まで細部にわたって忠実に再現している。

参考資料

熊本城HP

熊本市観光情報サイト 満游くまもと

国指定文化財などデータベース


Dec.2010 瀧山幸伸 source movie

A camera

藤崎台のクスノキ群

Fujisakidai kusunoki forest

B camera


Nov.2009 撮影:小出正

本丸御殿

Honmaru goten

九州へ旅行し、昨年復元工事が完成した「本丸御殿」大広間(対面所)、数寄屋(茶室)、大台所を見る機会を得ました。

この復元は、熊本城築城400年を期して計画された熊本城の復元整備計画の一環として進められたもので、計画の中核ともいうべき歴史的建造物の復元整備計画の中心として考えられたものが、この「本丸御殿」の修復です。

熊本市のホームページによると、「熊本城は絵地図や古文書をはじめとする資料が多く残されており、この財産を生かして、史実に基づいた歴史的建造物の復元・保存を行うことにより、歴史遺産としての価値をさらに高めます」

ということで、復元された「本丸御殿」は、往時の姿が忠実に再現され、見応えがあるものになっていました。

生憎、雨の日で、しかもフラッシュ撮影ができないという条件下で、写真の出来映えは芳しくなく、必ずしも、「本丸御殿」の輝かしい絢爛さが再現できないのは残念ですが、大体の様子は読み取っていただけるだろうと思います。


Dec.2005 No1 撮影:瀧山幸伸 source movie

宇土櫓

天守閣

御殿

長塀

天守閣内

Dec.2005 No2 瀧山幸伸 source movie

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