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熊本県宇城市 三角旧港(西港)施設

Misumi West Port,Uki City,Kumamoto

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宇城市三角町三角浦字瀬戸 三角旧港(三角西港)施設 埠頭 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治20(1887) "石造埠頭、延長756m 岸壁(階段付)、エプロン(係船柱付)、法面(階段付)及び斜路よりなる" 20021226

宇城市三角町三角浦字瀬戸 三角旧港(三角西港)施設 東排水路 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治20(1887) 石造排水路、延長154m、排水口付 20021226

宇城市三角町三角浦字瀬戸 三角旧港(三角西港)施設 西排水路 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治20(1887) 石造排水路、延長133m、排水口付 20021226

宇城市三角町三角浦字瀬戸 三角旧港(三角西港)施設 西端排水路 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治20(1887) 石造排水路、延長50m、排水口付 20021226

宇城市三角町三角浦字瀬戸 三角旧港(三角西港)施設 後方水路 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治20(1887) 石造、延長813m、排水口付 20021226

宇城市三角町三角浦字瀬戸 三角旧港(三角西港)施設 一之橋 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治20(1887) 石造単桁橋、橋長2.4m、幅員9.2m 20021226

宇城市三角町三角浦字瀬戸 三角旧港(三角西港)施設 二之橋 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治20(1887) 石造単桁橋、橋長4.0m、幅員9.9m、高欄付 20021226

宇城市三角町三角浦字瀬戸 三角旧港(三角西港)施設 三之橋 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治20(1887) 石造単桁橋、橋長4.1m、幅員9.0m、高欄付 20021226

宇城市三角町三角浦字瀬戸 三角旧港(三角西港)施設 中之橋 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治20(1887) 石造単桁橋、橋長3.0m、幅員8.3m、高欄付 20021226


Mar.6,2022 瀧山幸伸

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A camera

                   

              

             

   

旧高田回漕店

                  

                                     

旧三角簡易裁判所

                                          

   

旧宇土郡役所

          

       

 

B camera

                                                                                                                                                                                         


May 1,2015 瀧山幸伸 source movie

三角

Misumi

三角港は西港と東港に別れており、1884年(明治17年)に西港の整備が始められ、1887年(明治20年)に開港した。近代的港湾としては、日本でも最古にあたる。三角西港の建設には国費が投じられ、宮城県の野蒜築港、福井県の三国港とともに明治の三大築港と呼ばれる。

1880年(明治13年)、熊本県は坪井川河口の百貫港(現在の熊本市小島・百貫石周辺)を候補地をして内務省に貿易港の建設を申請した。翌年熊本に派遣されたオランダ人水理工師ローウェンホルスト・ムルデルは調査の結果、宇土半島先端のこの地(西港)が百貫港よりも優れた天然の良港であるとして築港を進言。その設計指導の下、1884年から3年の歳月をかけて築港され、かつ町全体に海水を導入して浮町とするために石積み水路が設けられた(地元では水道と呼ばれた)。水路のために町は三区に分かれ、北部から西港一区、二区、三区と呼ばれた。石積み水路は完成したものの、海水が全ての水路まで届かず本来の機能を発揮できなかった。工事は全てを切り出した石材で港を構築した。

西港は、埠頭や排水河川、橋などが造られたほか、海沿いには海運倉庫が建ち並び、背後に旅館など洋風の建物からなる街並も造られて繁栄した。昭和初期まで西港には、裁判所、商船学校(旧郡役所)、水産試験場、警察署長官舎、海上保安庁の船舶停泊施設などがあった。昭和初期から中期にかけて、旧郡役所から裁判所に至る通りは桜並木があり、桜の大木が連なって見事な景観であった。今はその面影はない。

西港周辺は背後に山が迫り敷地の拡張に難があることから、やがて東港が整備されるようになり、更に1899年(明治32年)に開通した九州鉄道の三角線も東港へ通じる路線であったため、西港は急速に廃れ、物流や人口は東港へと移動していった。

1951年(昭和26年)には重要港湾に指定され、1964年(昭和39年)に三角と島原を結ぶフェリーが就航し、1971年(昭和46年)-9m岸壁が1バース延伸されて、ますます機能が充実した。

しかし、1966年(昭和41年)に天草五橋が開通して九州本土と天草諸島とが自動車で往来できるようになり、天草への貨物・客船航路は次第に廃止されていった。また、八代港、熊本港等の他の港の機能整備が進展したことにより、人流・物流が分散した。2006年(平成18年)には三角島原フェリーも廃止され、現在三角港から出ている船は御所浦港行きのみであったが、2009年(平成21年4月1日)より、本渡港-前島(上天草市松島)-三角港間に高速船「天草宝島ライン」が就航した。

一方、早くに東港に機能が移ってしまったため、西港は石積みの埠頭や水路・橋など当時の施設がほぼ原形のまま残っている全国唯一の港湾史跡として高く評価されている。1987年(昭和62年)に港湾整備事業の指定を受けた。点在していた民家も区画整理で地元を離れ、現在、熊本県は宇城市と協力し、西港の港湾遺跡の保存を柱に周辺の整備や当時の建造物の復元などに取り組んでいる。2002年(平成14年)には国の重要文化財の指定も受けた。2009年(平成21年)に九州・山口の近代化産業遺産群の一つとして世界遺産暫定リストに追加掲載された。

                                  

旧高田回漕店 - 旅客・貨物輸送の取次をした廻船問屋。築港当時の面影を残す港湾施設として1999年(平成11年)に修復された。

  

三角築港記念館 - 荷役倉庫として使われていた土蔵造りの建物。1999年(平成11年)に洋風レストランとして改装された。

    

ムルドルハウス - 洋風の物産館。伝統工芸品や海産物などの特産品を販売している。

      

  

龍驤館 - 明治天皇の即位50周年を記念して宇土郡教育会が建てた木造平屋建ての洋館。現在はイベントや展示場として使われている。

               

浦島屋 - 明治中頃に存在していた旅館。1893年(明治26年)に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が滞在し「夏の日の夢」という紀行文を残した。港湾環境整備事業により1992年(平成4年)に建物の一部が復元され、休憩所・カフェ・展示場などとして活用されている。

   

                    

高台の施設

    

法の館 - かつて簡易裁判所だった和風建築。1890年(明治23年)に開庁し、後に現在地に移築された。1995年(平成7年)に法廷の仕組みを紹介する施設として活用されている。

                                                      

九州海技学院 - 1902年(明治35年)に宇土郡役所として建設された擬洋風建築。2014年3月までは全国で唯一の自治体経営である海技学院として使われていた。現在は民間企業のJEIS西日本が事業を継続し、同社の施設となっている。

                    

対岸、天草側からの風景

        

小田良古墳 (史跡)

Kotara kofun

      


Dec.2010 瀧山幸伸

                               

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