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アサヒビール大山崎山荘美術館
Asahi beer Oyamazaki sansou museum


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Nov.2009 撮影/文:野崎順次

京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字銭原5-3
アサヒビール大山崎山荘美術館
(Asahi Beer Oyamazaki Villa Museum of Art, Otokuni-gun, Kyoto)

撮影日: 11月3日および7日

天王山の中腹に位置し、木津・宇治・桂川の三川を望む「大山崎山荘美術館」は、大正から昭和初期にかけて加賀正太郎によって建築された「大山崎山荘」(登録有形文化財)を本館として、建築家・安藤忠雄設計による新館(1995年竣工)とともに公開しています。
本館の展示品の中核となるのは、朝日麦酒株式会社(現アサヒビール)の創業者として知られる関西の実業家・山本為三郎の収集したコレクションです。
彼は大正から昭和初期に柳宗悦らが提唱した「日本民藝運動」の賛同者であり支援者でもありました。
民藝運動に参加した河井ェ次郎、濱田庄司、バーナード・リーチの作品を中心に、古陶磁、家具、染色作品などで展示しています。
新館では印象派のクロード・モネの代表作として知られる『睡蓮』の連作を展示しています。
あわせて年に数回の企画展や、地域と連携したイベントを随時開催しています。
また、約5500坪の敷地面積を有する庭園には数多くの植物が配され、四季折々に眼を楽しませてくれます。

アサヒビールとニッカウヰスキーとサントリー

アサヒビール所有大山崎山荘のすぐ近くにサントリーの山崎ウイスキー蒸溜所があります。
これらの歴史には酒造メーカー3社の不思議な因縁話があります。
大山崎山荘を建てた加賀正太郎は、1888年、大阪船場の株相場師の息子として生まれました。
現在の一橋大学を卒業するとイギリスを中心に欧州へ遊学し、その間にはアルプスの山々に登頂してアルピニストとしても名を高めました。
日本帰国後は証券会社(加賀証券)などを設立しました。
また、1934年には壽屋で山崎工場を立ち上げた竹鶴政孝が、オーナーとの路線対立から独自でウイスキー製造に乗り出した際に、会社設立に参加しました。
これが大日本果汁で後のニッカウヰスキーです。
彼は天王山山麓の淀川の流れを見下ろすこの場所に、テムズ川を見下ろすウィンザー城の風景を想い、山荘を作りたいと考えたのです。
1912年に建設に着手、1915年には最初の木造の望楼「白雲楼」が、さらに増築を重ね1932年には現在見る本館である「霽景楼(せいけいろう)」が完成しました。
加賀は併設された温室でイギリス時代以来夢中だった洋蘭の研究や品種改良を進め、『蘭花譜』という図録を出版し、1954年に死去しました。
その後、山荘は加賀家の手を離れ、様々な所有者の手に移り、年々老朽化が進みました。
バブル経済末期には建設業者が買収し一帯を更地に地上げするマンション開発計画を立てました。
猛反対する地元住民は、山荘の価値を見直し、山荘と周囲の森林の保全を訴えました。
これが大山崎町や京都府を動かしました。
アサヒビール社長樋口廣太郎は、友人の京都府知事荒巻禎一の申し出に応じて企業メセナ活動として保存に協力することになります。
アサヒビールは加賀の作ったニッカウヰスキーを子会社にしており、さらにアサヒビール初代社長の山本為三郎と加賀正太郎は交友があり、両者の縁が深かったことが幸いしたわけです。


大山崎山荘パンフレット

アプローチ。JR山崎駅から急坂を約10分登ります。

岩盤をくり抜いて煉瓦造躯体のフラットアーチ型に築いたトンネル(昭和初期)が山荘全体の入り口です。
トンネルをくぐり、道をたどって山荘へ向かいます。

本館は、実業家加賀正太郎が自らの山荘として設計、建てたものです。
山荘は大正時代に木造で建てられたのち、昭和初期に増築されました。
第一期山荘は、欧州旅行より帰国した加賀がイギリスの炭鉱主の家を参考に設計したといわれています。
この部分は現在では玄関に名残りを残すのみとなっております。
増築は、規模、棟数とも、最初の工事を大幅に上回り、今日の山荘の姿ができあがりました。
上棟部はイギリスのハーフティンバー工法による建物で、構造は鉄筋コンクリート造、屋根部分には鉄骨組みがなされています。
オープンカフェとして現在使われているテラスも、この時に作られています。

北側のハイキング道から見た山荘の全景。

本館2階北側テラスと展望。

山側に見える白い塔屋は、「栖霞楼(せいかろう)あるいは白雲楼(はくうんろう)」と呼ばれ、山荘建設時に、この塔の上から加賀が工事を指揮したといわれております。

南の庭園から見た本館。

本館2階南側テラスと展望。

新館は「地中の宝石箱」とも呼ばれる、地中に位置するギャラリーです。
円柱形のギャラリーは半地下で、円柱上部は植栽が施されています。
これにより、ギャラリーとまわりの景観との調和が生まれました。
安藤忠雄氏は環境に配慮して新館を地中に配しました。
新館と本館とは通路で結ばれます。
通路はコンクリート打放しでつくられ、両側を高い壁に囲まれた階段を下りると、地中のギャラリーに着きます。
階段通路の上部四方と正面にガラスを使っているため、まわりの木々の緑が美しく目に入ります。
光の中を地下に下りると、円形の展示室となっております。
展示室上部中央には丸い天窓があり、ギャラリー内に一筋の光を呼び込みます。

秋の庭園。

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参考資料: 本美術館パンフレットおよび公式ホームページ
 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』アサヒビール大山崎山荘美術館

以上







July 2007 撮影:高橋久美子





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