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京都府京都市伏見区 藤森神社
Fujinomorijinja,Fushimiku,Kyoto city,Kyoto

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京都市伏見区深草鳥居崎町609 藤森神社境内社大将軍社社殿 重文 近世以前/神社 室町後期 室町後期 一間社流造、こけら葺 19060414
京都市伏見区深草鳥居崎町609 藤森神社境内社八幡宮本殿 重文 近世以前/神社 室町後期 明応3(1494) 一間社流造、こけら葺 19060414

Mar.2,2015 中山辰夫

京都市伏見区深草鳥居崎町

京阪電鉄藤森駅と黒墨駅とのほぼ中間にある。

正面に立つ大鳥居の前に一対の堂々とした大灯籠があり、その前に「菖蒲の節句発祥の地」の石柱が目に付く。
「武神」を祀るとされるだけに堂々とした入口の佇まいである。昔、この前を通る大名行列も槍を倒して敬意を払ったといわれる。


案内

創建由緒は不詳。建立:203(神功摂政3)年という説もある。元々は紀伊郡深草地域の産土神であった。
平安期以前、神功皇后が軍旗や武具をこの地に埋め神まつりしたのが始まりと伝え、境内に旗塚もあるが後で付加されたと思われる。
現在祀られている本殿・東殿・西殿はそれぞれ別々の成立とされる。
東殿は天武天皇と舎人親王を祭神とし、初め藤尾の地にあった。藤尾の地は今の伏見稲荷大社の地であり、室町時代に山上から平地の藤尾の地に移り、借用したままになっているという故事が、藤森祭の際の神輿の担ぎ手・神官たちの掛け合いセリフになっていたとされる。藤森神社の歴史の奥深さが感じられる。
5月5日は「藤森祭」で、朝からみこし3基が氏子内を巡行し、武者行列が練る。端午の節句に武者人形を飾る風習はこの行事に由来するとされる。
この日は境内では呼びものの駈馬(かけうま)神事があり、一字書き、藤下がり、さか乗りなどの馬上妙技が披露される。→大野木氏レポート

幅広い参道〜境内
毎年5月5日の藤森祭ではこの参道で武者行列や「駈馬の神事」が行われる。

中央参道の左側に蒙古塚がある。伝説では、神功皇后が朝鮮より凱旋されたとき兵器を埋納した所とされる。神苑の奥は広くて深い。
木立の中間に拝殿の向庇が堂々の構えで立っている。 宝物殿は左側にある。

割拝殿
平入、切妻造、唐破風の向庇付

傾斜がやや急で重量感に富んでいる屋根に比べて、それを支える柱が細く、四面吹き放しになっており、宮廷建築の特長を残している。

本殿
1712(正徳2)年、中御門天皇より宮中内侍所を下賜されたもの。檜皮葺の屋根を持つ優雅なもの。
殿内中央に神功皇后・武内宿祢・素盞鳴命・別雷神・日本武尊・応神天皇・仁徳天皇の七柱を祀る。東殿には藤尾社、西殿には塚本社も合祀されている。
正面前方に千鳥破風と唐破風段々に重ねた拝所が付せられている。

本殿の背後には摂社、東に八幡宮、西に大将軍社がある。何れも1438(永享10)年に足利義教が造営した。国重要文化財である。
一間社流造、こけら葺の上品で清楚である。特に向拝と奥拝の正面の蛙股は流麗で、室町時代の特色を持った逸品とされる。

八幡宮
国重要文化財 祭神 :応神天皇

大将軍社
国重要文化財 祭神 : 磐長姫命
平安遷都の時、王城鎮護のため京域の四方に祀られた諸社のうちの一社いわれ、古来方除けの神として信仰を集めている。

手水鉢

この手水鉢の台石が宇治川に立つ十三塔の上から五番目の石であり、怪盗石川五右衛門が盗んでここに運んだという話。そのため、十三塔の五番目の石の色が異なっているとか・・・・・。十三塔は宇治川のアユの供養に造られた。

絵馬堂
1612(慶長17)年、18年の銘を持つ絵馬が掛けられている。馬に因む絵馬が圧倒的である。

左馬

神社では12年毎に来る午年に左馬の大きな絵馬を描く。

藤森神社は現在、武神と学問神の御利益があると有名。
舎人親王を学門神と崇敬するのは、日本書記の撰修の功績を重視したことによる。天武天皇の皇子である。

旗塚(はたつか)
本殿東方の石垣で囲まれた高壇に注連縄が巻かれた巨樹の切株が祀られている。
神功皇后の新羅侵略のさい纛旗(とおき 軍の中でも一番大きな旗)を埋納した所と伝える。“秦塚”とするのが妥当とされる。武神を祀るものであったろう。
塚の上に枯れた櫟の木の株があるが、“いちの木さん”の愛称で親しまれてきた。このいちの木さんに祈ると不思議と腰痛が治ると信じられ近藤勇も信仰していた。

菖蒲の節句発祥の地−勝運と学問の神社
藤森祭は、毎年5月5日に行われているが、この祭は、菖蒲の節句発祥の祭として知られ、各家に飾られる武者人形には、藤森の神がやどると伝えられる。
菖蒲は尚武に通じ尚武は勝負に通じるといわれ、勝運をよぶ神として信仰を集めている。
日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王を御祭神としてお祀りしてあり学問の神としての信仰も深い

神鎧塚

菖蒲発祥の地

境内には菖蒲が多く栽培されている。“尚武”は即ち”菖蒲”に置き換えられ、同郷や陰陽道では魔除けの植物とされて、現在でも“菖蒲湯”に入ったり、軒先に菖蒲を投げあげて厄払いをする行事が5月の節供に残っている。


2011.5.5 撮影:大野木康夫 HD video

藤森祭
Fujinomori Matsuri, Fushimi-ku, Kyoto city

毎年5月5日に行われる藤森祭に行ってきました。

まず、伏見稲荷大社に、神輿繰り込みを見に行きました。
神輿巡行のことを、藤森祭では「神役」と呼んでいるようですが、東福寺郷、深草郷、宮本下之郷の3郷それぞれがきらびやかで立派な神輿を担ぎます。
巡行は、朝早く藤森神社を出発し、昼前に伏見稲荷大社境内に繰り込みます。
系統が違う神社へ神輿を担ぎこむこと自体が珍しいと思いますが、そこでは、もともとあった藤森神社(紀氏系の神。伏見は旧山城国紀伊郡)の土地に秦氏系の伏見稲荷大社が建てられた因縁を感じさせる神事が行われるようです。(神事は撮影が禁止されています。)

伏見稲荷大社前の本町通りで、神輿の先導をする鼓笛隊が準備を始めました。

境内には準備の人や見物客が集まりだしました。

鼓笛隊の行列

武者行列、七福神行列

行列から神輿まで少し間があいたようです。
神輿が置かれる摂社の前では神職が準備をされています。

奉賛で瀧尾神社(東山区)の剣鉾差しが披露されました。

神輿が到着しました。先払いは女神輿が務めます。

先頭の神輿は深草郷です。
京都の神輿は、掛け声が「ワッショイ」ではなく「ホイット ホイット」で、担ぎ手が足を後ろに跳ね上げて神輿を揺らしながら担ぐと、担ぎ棒の前後に付いているナリカンと呼ばれる金具が鳴り響きます。

次は東福寺郷です。

最後は宮本下之郷です。

3基の神輿が稲荷社の摂社前に据え付けられ、神事を待ちます。

鼓笛隊などの行列は、神事を待たずに出発します。

ここから、藤森神社で行われる駆馬神事を見に行きました。
途中、本町通り沿いには、町屋造の家が点在しています。

聖母学院本館(旧陸軍第十六師団司令部、明治41(1908)年建築)

藤森神社に着きました。
しばらく境内を撮影しました。

境内社大将軍社社殿(重要文化財)

境内社八幡宮社殿(重要文化財)

境内各所

乗り手が準備をしていました。

駆馬神事(かけうましんじ)(京都市無形民俗文化財)

5月5日の藤森祭に、藤森神社の境内参道で行なわれる駈馬行事。単なる早馬ではなく、江戸時代に流行した曲芸的な馬術である曲馬の影響を受けたものとも考えられ、祝意を表して寿の字を書く「一字書き」をはじめ、「手綱くぐり」「藤下り」「立乗り」などの乗馬の業を伴う点に特徴がある。
(京都市HPより)

会場の参道馬場では、満員の見物人が見守る中、馬場整備が行われます。

整備が終わった参道馬場

馬場を清める行事が行われます。
曲乗りを行うため、フラッシュ・ストロボなど、馬が驚くすべてのことが禁止されています。
保存会の家の子どもたちが乗り手の衣装を着て行列に参加しています。

使われる馬は3頭、うち1頭が去年も使われた馬です。
乗馬用の馬ですが、普段は洋鞍を付けており、胴全体を締め付ける和鞍には慣れていません。
そのような中、乗り手は、ぶっつけ本番で高度な乗馬の技に挑みます。

最初の1巡目は素駈けといって、ただ乗って走るだけですが、全速力で駆け抜けるため、すごく迫力があります。
この段階で、行列の時にストロボで驚いた1頭が落ち着くことができず、乗り手を2回振り落としたので、2頭での実施となりました。

横乗り

手綱くぐり

杉立ち(逆立ち)

矢払い

藤下がり

一字書き

馬のスピードが速いので、負けないように速く流して撮った結果、馬を追い越してしまって多くが後ろに切れてしまいました。
また行く機会があれば、もう少し落ち着いて撮りたいと思います。






Nov.2009 瀧山幸伸 HD video


















Aug. 2006 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps HD video Video FAQ



本殿


藤森神社境内社八幡宮本殿


藤森神社境内社大将軍社社殿


宝物館






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