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京都府京都市伏見区 寶塔寺
Houtouji,Fushimiku,Kyoto city,Kyoto

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京都市伏見区深草宝塔寺山町32 寶塔寺四脚門(総門) 重文 近世以前/寺院 室町中期 室町中期 四脚門、切妻造、本瓦葺 19060414
京都市伏見区深草宝塔寺山町32 寶塔寺塔婆(多宝塔) 重文 近世以前/寺院 室町中期 永享10(1438) 三間多宝塔、本瓦葺 19060414
京都市伏見区深草宝塔寺山町32 寶塔寺本堂 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長13(1608) 桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺 棟札1枚 19840521

Feb.2.2015 中山辰夫

京都市伏見区深草宝塔寺山町32

宗派:日蓮宗 

平安時代に関白藤原基経(もとつね)の発願により真言宗極楽寺を創建。
鎌倉末期、住職の良桂が日蓮の法孫日像(にちぞう)上人と三日三晩の法論の末、日像に心服して以来、法華道場となった。日像の死後、その廟所となり、に宗派を日蓮宗に改め、寺名を宝塔寺とした。寶塔は日蓮、日朗、日像と三人の遺骨を納めた塔があることに由来する。

都名所図会

総門
国重要文化財
室町中期建立 四脚門 切妻造 本瓦葺 桁行3.2m 全高5.2m 1938(昭和14)年に修理された。


仁王門
18世紀初め1711(宝永8)年再興された。18世・日実上人の代で、松平紀伊守信庸の寄進による 
金剛像は1670(寛文10)年の作とある
1996(平成8)年からの本堂の解体修理の際に、門の丹塗、天井画の復元がされた。250枚ものボタンの花の絵である。

本堂
国重要文化財
1608(慶長13)年の建造 桁行七間 梁間七間 一重 切妻造 向拝三間 本瓦葺 1996(平成8)年解体修理行う。

豊臣秀吉の築いた方広寺大仏殿の余材を用いたと伝える。京都市内の日蓮宗本堂では最古のもの。日像の木像が安置されている。

多宝塔
国重要文化財
1438(永享10)年建立 三間多宝塔 本瓦葺 京都市に現存する多宝塔の中では最古のもの。少なくとも室町時代、1438年以前の建立。


行基葺
屋根瓦は、特徴的な「行基葺」。丸瓦の瓦との継ぎ目に瓦の厚さ分の段差が残されており、独特の様式美となる。本瓦葺きの場合には、重ねしろ(玉縁)を取るため、継ぎ目に段差が生じない。行基葺は飛鳥時代、奈良時代に行われ、それ以後の例はほとんどない。

客殿・方丈

鐘楼と境内

那羅金剛像

迹金剛像

塔頭
総門から仁王門までの参道の左右に並んで建つ。仁王門から順に並べる。

慈雲院

霊光寺

茶毘処

日像上人を荼毘に臥した所
直勝寺

圀妙院

大雲院







Dec.2012 大野木康夫 HD video

所在地 京都府京都市伏見区深草宝塔寺山町32

深草山寶塔寺は京都における日蓮宗の古刹で、伏見稲荷大社の南方にあります。
菅原道真との確執で著名な左大臣藤原時平が創建した真言宗の極楽寺が起源と伝わっていますが、徳治2(1307)年に当時の住持が京都に日蓮宗を広めた日像に帰依し、日蓮宗の寺院となったということです。
寺名は、日像を当寺に葬った際、日像が京の七口に建てた題目の石塔婆の一つを祀ったことから、寶塔寺と改められました。

四脚門(総門)(重要文化財)
室町中期の建築
四脚門、切妻造、本瓦葺

JR奈良線の踏切の脇が寶塔寺の境内入り口です。
入り口につつましやかに建っています。

仁王門
宝永8(1711)年の建築

本堂(重要文化財)
慶長13(1608)年の建築
桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺

仁王門の正面に堂々と建っています。

多宝塔(重要文化財)
永享10(1438)年の建築
三間多宝塔、本瓦葺

本堂右手の墓地の入り口付近に建っています。
寶塔寺は応仁の乱でほとんどの堂塔が焼失しましたが、四脚門と多宝塔は残りました。

境内風景

寶塔寺は境内自由拝観で、JRの電車や踏切の音や近くの立命館中学・高校の生徒の歓声を除けばとても静かな雰囲気です。


Feb.2012 中山辰夫

宗派:日蓮宗 本尊:釈迦如来
寶塔寺は、その昔、藤原基経が発願し昌泰2年(899)藤原時平が大成し、起こした真言宗系の極楽寺を
始まりとされる
その後、鎌倉時代の徳治2年(1307)、時の住職良柱が京都開教中の日蓮の法孫・日像と三日三晩、宗論
を戦わした末に帰服し、日像を開山に迎え日蓮宗となった。
日像上人が京都の七街道口に建てた法華題目石塔婆の一つを、当山の日像本廟所に奉祀したことにちなみ
寺名も寶塔寺と改めた。応仁の乱(1467)で衰退するが、天正年間(1573~92)に日銀が再興する

総門
国重要文化財
室町中期建立 高さ:3.2m×横:5.2m

旧奈良街道に面して建つ


見た目には何の特徴もない、うっかり通り過ぎてしまうほどの門である


間口は狭く、屋根は切妻造、本瓦葺の四脚門 室町中期の建造とされる


「犬連込不可」の木札に目をやりながら、総門をくぐる
石畳のゆるやかな坂の上に仁王門が見える。表通りからの外観と大違いで、境内の深さに驚く

総門は、多宝塔と共に、応仁の乱や天文法華の乱の兵火をくぐり抜けてきた
幕末の禁門の変では寺を屯所にした大垣藩と都に攻め入る長州藩との小競り合いの場にもなった、
外観は何の変哲もない門だが、転変めまぐるしい歴史を凝視してきた門でもある


仁王門に至る参道の左右に六カ寺の塔頭が並ぶ


その中ほどには寺の歴史を大きく転換させた日像上人の「像尊荼毘処」がある

仁王門

石畳の緩やかな坂の上に建つ


宝永8年(1711)建立。直近におこなわれた塗り替えで朱色が燃えている


門の両脇には寛文10年(1670年)に造られた那羅延金剛(ならえんこんごう)と密迹金剛(みっしゃくこんごう)が立つ


天井には花や蕾が描かれた花天井絵が250枚、色鮮やかなボタン花が目を引く

最初に通る総門でなく、仁王門を重要文化財と間違える人が多いと聞く

境内配置図「全体と七面宮」

七面大明神
本堂背後が標高100mの七面山である。山上に、日蓮ゆかりの七面大明神を祀る七面宮(七面社)がある

七面大明神までの参道は石段の連続である


日像尊廟が建つ 経一さま銅像(日像上人)


立正安国の日蓮大菩薩銅像が建っている


千仏堂 鬼子母神千体仏を祀る。土製の千体仏 江戸時代、1647年建立


参道の石段は続く


やっと到着、妙見堂(徳川初期創建)


拝殿と本殿


七面宮

七面宮
江戸時代、1666年建立で、かつては宝塔寺の鎮守社だった。吉祥天女を祀る
七面大明神とは、釈尊の応化身で、法華信仰の守護のため、身延山の西の七面山の頂に鬼門封じ
のため垂迹示現した吉祥天をいう
瑞光寺開祖・元政によれば、平安時代、建治年間(1275-1277)、身延山で法華経を説く日蓮の前に
参詣者に混じり若く美しい女が現れた。
正体を見抜いた日蓮が、「本当の姿を見せよ」と言うと、「一滴の水さえあれば」という。傍らの
花瓶の水を与えると、たちまち龍身となる
龍蛇は再び女の姿に戻り、釈尊の仰せに従い、法華経守護のために現れたといい、七面山の方に
消えたという
奉納されている尊像は、江戸時代、1666年、11世・日性の時のものという。青木東庵(金元澄)作
元政により奉納、その後、さらに大きい像が奉安された



Mar.2010 瀧山幸伸 HD video

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Aug. 2006 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps HD video Video FAQ



四脚門




本堂


多宝塔


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