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京都市左京区 花背 峰定寺
Bujoji Sakyoku,Kyoto city,Kyoto


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 シャクナゲ 紅葉
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京都市左京区花脊原地町772 峰定寺仁王門 重文 近世以前/寺院 室町前期 貞和6(1350) 三間一戸八脚門、入母屋造、こけら葺 棟札8枚 19040218
京都市左京区花脊原地町772 峰定寺本堂及び供水所 本堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 貞和(1345-1349)頃 懸造、桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、こけら葺 棟札7枚 19040218
京都市左京区花脊原地町772 峰定寺本堂及び供水所 供水所 重文 近世以前/寺院 室町前期 貞和(1345-1349)頃 桁行一間、梁間一間、一重、向唐破風造、板葺 19040218


November 9,2013 大野木康夫 video

11月上旬、早めの紅葉を見に花脊峰定寺に行きました。

花脊の集落

大悲山口から峰定寺へ

寺谷川沿いの紅葉

駐車場付近

峰定寺入口から仁王門へ

仁王門付近

寺谷川対岸から仁王門

対岸からの風景






Mar.9, 2013 大野木康夫 HD video

早春、まだ雪が残っている花脊峰定寺に行きました。
雪の盛りに花脊峠を越えるのは困難なので、峠の雪が解けたばかりのこの時期を選びました。
峰定寺は3月末まで閉門していますので、林道から撮影します。

美山荘の横の林道の橋には深さ4〜50センチの雪が積もっていましたが、対岸の林道は雪も解けて長靴でも十分とおれるくらいの状態になっていました。

しばらく行くと対岸に峰定寺の境内が見えます。

仁王門(重要文化財)

貞和6(1350)年の建築
三間一戸八脚門、入母屋造、こけら葺

三本杉を目指してさらに林道を進むと、雪に覆われた広い空き地に出ます。
そこから峰定寺の方向を振り返ると、かすかに雪が残った本堂の屋根が見えました。

空地の少し先の林のところまで進むと、枝の隙間から懸造の本堂が覗いていました。

本堂(重要文化財)

貞和(1345-13450)頃の建築
懸造、桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、こけら葺

さらに林道を進むと、雪が深くなってきました。
川には雪解け水が流れ込み、流れが急になっています。

三本杉に向かう別れからは雪は膝の高さくらいになり、気を付けないと長靴では踏み抜いてしまうようになりました。
実際何度か踏み抜いて、長靴の中に雪が入り、難儀しました。

三本杉までは普段ならすぐなのですが、雪のため15分かかりました。
川のせせらぎの音だけが聞こえます。

三本杉

高さ35m、周囲薬18m、樹齢約1200年

帰りの道で、長靴の中に入った雪をだすのに手間取り、時間がかかってしまいました。

本堂が見えた場所付近で、川の浅瀬に入って本堂を眺めてみました。

仁王門の脇に戻ると、少し日が傾いてきて見た感じが違うように思えたので、もう一度撮影してみました。






Nov.2010 撮影/文 中山辰夫

大悲山 峰定寺(だいひざん ぶじょうじ)
京都市左京区花脊原地町772
修験宗
本尊:十一面千手観音坐像
行事:本尊開帳彩燈護摩供 収蔵庫特別拝観(5月3日前後3日間、11月3日前後3日間)

峰定寺には、昨年11月末に訪れたが、時雨が降っていて入門禁止であった。今年も二回予定日が雨で流れた。
3回目の予定日だった11月11日は全国的に天候良好。京都も雲一つない晴天で、ポカポカ陽気の一日であった。ラッキー! 
紅黄葉が日に当たり輝いて見えた。これぞまさに・・・・・である。

京都・出町柳から京都バス広河原行に乗り大悲山山口で下車。バスは花脊峠を越え狭い山間道を駆ける。左右に見える北山杉は手が施され美しく立ち並んでいる。
バス停までは約1時間半。降りてから峰定寺迄は舗装された道で参道入口が終点である。左側は寺谷川が流れる。
参道口までは徒歩で約30分強。結構な距離である。途中見る景色は山やスギの木立、カエデなどが交互に現れ素晴らしい。

寺谷川は、桂川の源流で、平安時代から昭和初期まで丹波材の伐り出し地となっていた。
9月半から翌年の5月半頃、杉、檜のほか、松、楓などの木材が筏(2間の材×12本)に組まれ、京まで木流しが行われていた。
水量が不足すれば堰が作られ、水を溜めてから堰を切ったとされる。水量も多かたのであろう。
後述の「大悲山大三杉」にも見られるように、この一帯は「北山杉」の産地で、スギの生長に適した環境なのであろう。
生育と荷運び出しの便利さが重なっての産地である。

入口門を入ると周囲は紅葉で眩しい。万感の思いを抱きながら社務所へゆく。
おかみさんから雑談の中で、“昨日は陶芸の楽吉左衛門先生がおいでになり、滋賀県守山にある佐川美術舘が素晴らしいと伺い是非行ってみたい“という話を聞き、気分よくして入山へ足を進めた。

山へ入る前に寺務所・その周辺を散策した。


仁王門周りも目が離せない。仁王門(国重文)は八脚門で、貞和6年(1350)の建造物(棟札がある)。素朴さの中に重厚感に満ちている。
色づいたカエデがコケラ葺の屋根に差し掛かり、飾り気のない山門を、花やかに引き立てる。季節が作り出す鮮やかな演出といえる。
カエデは、万葉時代はカエルデ。平安時代になってカエデと「ル」が省略された。往古の時代から色の移ろいで人々を楽しませてきた。
峰定寺のカエデも新緑・紅葉と目を楽しませる。今は秋の盛り、その美しさに目を見張る。

前方のコウヤマキ(高野槙)は幹周3.8m、樹高20m。推定樹齢250年、主幹の折れた部分に屋根が被せてある。年代を感じる大木である。

山内へと進む。自然石を組んだ坂道が続く。道幅は2mほどで余裕がある。苔むした石段はしっとりと露に濡れて、黙して迎えてくれる。
両側の道端にはシダが地に這っている。石段は450段。この時期は見られなかったが、季節ごとに種々の花木が彩りを添えようだ。

石段を上り蓬莱橋を過ぎると鐘楼・堂谷晩鐘がある。連打はダメで、余韻の終わるのを待って二度突く。次いで俊寛僧都塔に出会う。
塔は宝筐印塔(室町)で黒ずんで、ひっそりと建っている。
平家打倒の“鹿ケ谷の陰謀(1177)により鬼界島へ流された僧俊寛の妻子がここに隠れ、墳墓をつくって冥福を祈ったと伝えられている。
潜んだという岩穴「獅子子谷」は今も残っている。此の周辺は「くらまの奥」といわれ、落人の隠れ里になっていた。

その上方に行者堂、脇に行者登り口がある。大きな岩場にクサリが這っているのがかすかに見える。寺の背後の山は修験者の行場で、鐘掛岩・獅子岩などと称される奇岩怪石があり、大蛇杉などの巨木があるとされる。
土用と寒には「行」にくる修験者が多いようだ。 (下りてから平地で写した岩場)

行者堂の先に本堂(国重文)と供水所の閼伽井屋(国重文・南北朝)がある。鐘楼から約110段登った所である。
本堂は、標高750mの大悲山の550mあたり、切り立った山肌にすがりつくように建つ懸崖造、1154年に建立され、鎌倉時代1350年に再建された。
約800年経過する、清水寺の本堂と同じ造りで、舞台造りでは最古の建造物。
方5間の単層・寄棟造・柿茸で、簡素だが安定感が感じられる。大層な年数風雨にさらされ全体が白っぽく退色している。
回廊の正面に立つと、重なり合った山・谷のなだらかな起伏が一望に見渡せる。山奥の深いところにいると実感する。

供水所・閼伽井屋は1.8m四方の唐破風の屋根造りで、本堂と同年の建立で現存最古の閼伽井屋とされる。今も水が絶えないとのこと。
カメラが使えないのが残念である。

ゆっくり時間をかけて過ごしたい気分であったが、少し離れた所にある「三本杉」を訪れるために早々に石段を下った。
石道の山側にはどこにも石積が見られた。形がまちまちの頭大の石が不規則に積んであった。地山の石を使った素朴な積み方に往古が偲ばれ、石の表面に白くカビと苔が入乱れて繁茂し、時間の経過を感じさせた。

栄華を極めた洛中を離れ、この山里深く、信仰の地を求めた人の心や、この地を選び、これだけの建造物を造立した事業の成り立ちに迫れないまま山を下った。
峰定寺は12月から沃3月までは積雪のため閉門。雨天時の入山不可。子供及び20名以上の団体の入山不可。カメラの山内持ち込み禁止なので注意。
所有の重要文化財一覧

千手観音坐像(せんじゅかんのんざぞう)
重要文化財 平安時代 像高:31cm
白木のままの表面に截金で模様を貼り付けた檀像で、宝相華文(ほうそうげもん)で飾られた光背、台座を完備し、和様彫刻の発展を極地を感じさせる様な出来ばえを見せている。
山林の浄所に隠退した権力の譽高い聖人にふさわしい仏像である。可愛くて美しい仏像

毘沙門天立像(重要文化財)

四季に彩る花木
ヒトリシズカ せんりょう科
花は4月頃。源義経の愛妾静御前のように艶美なことにその名を因み、「和漢三才図絵」に由来が述べられている。別名:吉野静、眉掃草

シャクナゲ つつじ科 
花は4月末頃。峰定寺はしゃくなげの名所としても有名。大悲山には、ツクシシャクナゲ、ホンシャクナゲ・シロバナシャクナゲがある
春は全山をオオウシャクナゲ見物の人で賑わうようだ。

シラネアオイ しらねあおい科
花は5月頃。この花は透き通るような淡紫色の見事な花で、これが野生の花かと疑うほど。この1属1種の不思議な植物は、本州中部以北に自生するもので、それが京都で毎年多くの花を咲かせるのが珍しい。

ヤマショウヤク ぼたん科
花は5月頃。一重で純白の花は、清楚で且つ優美。野草の女王とも言われ、清流のほとりに咲くその姿はその由縁が容易に納得できる。
幽玄の自然に包まれた庭にもよく似合う花だ。

ナツツバキ(シャラノキ) つばき科
花は6月頃。開花時期が非常に短い。「祇園精舎の金の声、諸行無常の響きあり」と平家物語の冒頭を思わせる。
シャラノキはインドの(Sai 沙羅)に名ぞらえたのでこの名がある。

ヤブコウジ やぶこうじ科
花は7月頃。果実は晩秋から赤熟。古名山橘などと呼ばれ、万葉集にも詠われた。又「祝儀に用ひ、正月の祝いにも是を用ふ」と、縁起のよい植物とされる。

大悲山三本杉

峰定寺の神木とされる三本杉を目指す。
境内から門前橋を通って対岸にある林道を進む。途中”熊に注意“の立て板を見て、あわてて鈴を取り出す。林道は寺谷川に沿って続く。
途中、小学生の団体に出会い、熊の心配は吹き飛んだ。約20分で到着した。林道はここで行き止りであった。

大杉は、樹齢約1200年、樹高35m、総幹周13.6mの巨木。江戸時代、大悲山10景のうち「花脊の三本杉」として名が通ったとされる。
古来、神木として守られてきた。
三本の木が合体したもので、峰定寺のパンフレットの表紙を飾っている。
全国でも三本の指に入る名木として、森の巨人達百選(林野庁)にも選ばれ、京都名木200選にも入っている。
環境が適してはじめてこのような大きさに成長するのであろう。
大変な樹齢にもかかわらず、若々しく元気があって、その中に雰囲気といい、佇まいといい、神秘的さを感じさせる。

大杉を見てバス停にもどった。2時半頃になると、山の冷気が迫ってくるようで寒くなってきた。
準備した割り木を燃やして「暖」を取る時期にそろそろ近づいたのであろう。

参考文献《淡交社「京都の仏像」・絵葉書、他》




Nov.2009 撮影/文 中山辰夫


峰定寺行きは今年の計画の一つだった。遅れに遅れ11月28日に出かけた。
11月最後の連休のためか京都駅は行楽客でごった返していた。
京都駅から出町柳まで行き、京都バス10時発の“広河原”行きに乗換えた。
鴨川の周辺は紅葉が燃えていた。バスはどんどん郊外に向けて走る。45分過ぎると鞍馬。紅葉が盛りだ。バスは山間の道を進む。運転技術が要求される。
山を登って花脊峠まで1時間。晴間と曇天が交互する。車内の空気が冷たく感じてきた。バスの路面は濡れた状態が続く。
バスは山間の集落に入り自由乗降の区域となる。だが人影には出くわさない。手入れが入った杉並木が空に向かって伸びていた。
11時40分過ぎバス停“大悲山口”に到着し、4人が下車する。夫婦連れと集落に住む小学生1人だ。心細くなってくる。小学生に道を確認する。
峰定寺までは一直線でバス停から2kmの距離とのこと。

大悲山峰定寺は、850年ほど前に大峰熊野の修行者三隴上人観空によって創建された。大悲山の高さは750mで、お寺は中腹にある。
鳥羽法皇の御帰依を受けられた観空上人が、久寿元年(1154)二月法王の勅願により三間四面の堂宇を建立された。
本尊には法皇御念持仏の千手観世音菩薩を御下賜され、同年四月、両脇士として二童子付き不動明王立像、毘沙門天立像を奉納せられたことに始まる。
本堂は、崖に臨む舞台懸崖造りになっている。本堂及び仁王門造立には、勅命により造営奉行藤原通憲入道信西、工事雑掌には平清盛が任命されたことが棟札より明らかである。
平清盛は平治元年、仏舎利一粒と唐羅漢十六体を奉安したことが縁起に誌されている。
建造物は数度修繕が行われているが、延宝4年(1676)後西上皇の勅によって聖護院宮道裕親王は、貴船の成就院の僧元快に命じて営繕再興せしめられた。
それにより以後聖護院の直末寺となっている。
大悲山は奈良県の大峰山に対して北大峰とも称せられ古来より修験道の修行場となっている。
さらに大悲山周辺は、古くから「鞍馬の奥」と称せられ、落人達の隠れ里で治承元年(1177)の鹿ケ谷の陰謀によって喜界ケ島に流された俊寛僧都の妻子が近くのなめら谷「僧都谷」で病没した。
その霊を弔うために境内には俊寛僧都と妻子を祀る供養塔がある。

バス停からは舗装された道を歩く。片側は寺谷川が流れる。寒さに身が引き締まる。10分程で中間地点、近くに料理旅館があった。
さらに10分ほど進むと料理旅館“美山荘”の案内と峰定寺の案内板があった。時間は丁度正午。
“美山荘”は昭和12 年(1937)に宿坊を料理旅館に改装し、摘草料理で有名である。

美山荘の前を通り抜けると峰定寺の入口柵があった。閉まったままである。朝から時雨れていたため本日は入門不可とある。
ここからは重要文化財の仁王門も推定樹齢1200年とされる有名な大悲山の三本杉も目には出来ない。
まして苔むした約450ある自然石の石段には全く届かない。
谷筋を吹き抜ける風が冷たく頬をなでる。前を流れる寺谷川の水音がひんやりとした空気を一層引き締める。心細くなってきた。
“雨天時の入山お断り”は承知して出かけてきた。昨日の好天、カツカツ雨まではと・・と甘い見通しが災いした。
峰定寺は12月より3月末まで閉門となる。この期間は深い雪に埋もれて過ごすことになる。

寺谷川の対岸の林道を登って境内や社殿を見るも小雨にぼやけて判然としない。
薄っすらと見える境内に森厳さが漂う。決りごとをキッチリ守る厳しさが感じられた。
入山拒否は文化財を湿度から守ることと参拝者を危険から守ることにある。諦めるより仕方ない。

境内の佇まいは次回訪問の楽しみにとっておきたい。
造営にあたったといわれる平清盛。栄華を極めた洛中を遠く離れ、この山里深く信仰の地を求めた人の心は如何なものだったかを、次の機会に捉えてみたい。
主な建造物は以下の通りとされる。
仁王門
国重要文化財
平治元年(1159)の建立 鎌倉時代
木造入母屋造柿葺
貞和年間(1362〜68)に修理

本堂
国重要文化財
久寿元年(1154)建立 鎌倉時代
五間四面の木造四注柿葺 舞台懸崖造 清水寺の原型とされる。(掲げてあった絵を引用しました)

阿伽井屋(供水所) 
国重要文化財
久寿元年(1154)の建立 鎌倉時代
本堂に附属している。

その他の建造物
鐘楼堂・文正元年(1466)建立昭和に修復、庫裏・天保13年(1842)再建、書院・昭和9年(1934)建立、神変堂・昭和15年(1940)建立、収蔵庫
その他の重要文化財

十一面千手観音像、不動明王像、不動明王二童子像、毘沙門天像、釈迦如来像、水晶舎利塔、磬、牛革華鬘、金剛力士像、札盤、梵鐘
十一面千手観音像は像高:31.5cmの小像とのこと。
(掲げてあった写真を引用しました)

大悲山は国有林並びに境内地四千坪及び山内二万坪は優れた自然林が残されており、4月から5月にかけて咲く石楠花は有名で、その静かな仙狭のたたずまいから京都府歴史的自然環境保全地域に指定されている。
また、境内の高野槙、参道の大杉は京都の名木200選にも指定されている。

参拝時間:午前9時〜午後3時30分
年中行事:9月17日本尊開帳採燈大護摩供 
5月3日及び11月3日前後の連休三日間、収蔵庫特別拝観(有料」
雨天時:冬季(12月〜3月)閉門
入山有料
仁王門以後は写真撮影不可








Nov. 2007 撮影:瀧山幸伸 DVD quality video AVCHD video Video FAQ


峰定寺
Bujoji








 


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