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京都府伊根町 伊根
Ine,Ine town,kyoto

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 General
 
海に面した舟屋が形成する独特な街並景観
 Nature
 
 
 Water
 
穏やかで豊穣な海
 Sound
   
漁村の音、カモメ
 Atmosphere
   
 
 Flower
 
 Culture
 
 
 Facility
 
 Food
 
天然ブリなど豊富な魚介

May 18,2017 瀧山幸伸

movie preview(YouTube)
movie

  

遊覧船
                                                                                                                                                                                

平田地区
                                                                     

亀島丸で港内の周遊
                                                                                                                                                                               

陸上から亀島丸宅付近へ 亀島地区 東側
                                                                  

道の駅 「舟屋の里伊根」
                                     

亀島地区 西側
                               




Aug.2016 酒井英樹

東平田付近
                                                  


伊根花火2016
 打ち上げ:約1200発
                                                                              


February 11, 2016 野崎順次 movie

京都府与謝郡伊根町
伊根町伊根浦重要伝統的建造物群保存地区
(Ine Town Ine-Ura Importand Historic Buildings Preservation District, Ine-cho, Yosa-gun, Kyoto Pref.)

保存地区は東西約2,650メートル、南北約1,700メートル、面積約310.2ヘクタールの範囲で、伊根湾東岸は南から亀山、耳鼻(にび)、立石、大浦、西岸は南から高梨、東平田が並び、高梨の西に日出が位置し、これら海岸沿いの集落とその背後の山林及び青島を含む伊根湾からなる。集落背後の山林は、下に黒松や椎の木、上に赤松や欅、栗の木などが茂り、良好な魚付林となる。

(中略)

保存地区には、伊根湾岸に沿って舟屋が連続して建ち、昭和6年から昭和15年にかけて整備された道路を挟んで山側に主屋、蔵などが並ぶ。主屋や蔵は傾斜地に建つものも少なくない。

伊根浦の町並みを特徴づけるのは、海岸沿いに連続して建つ舟屋群である。舟屋は切妻造妻入で、かつては草葺であった。古いものは木太い椎や松材を構造材として用い、基礎石上に若干の内転びをもつ柱を建て、妻側は駒形の立面とする。湾から舟を直接引き入れるために、湾に接した妻面下部の間口全体を開放とし、内部に石敷の斜路を設ける。上部は網を干し、漁具などを格納するために使われた。現在は二階建とし、二階を居室とするものが多い。
主屋は、切妻造平入が多く、通り沿いには縁を設け、エンガキと称する建具を設けるものもある。平面は、広間型三間取を基本とし、やや狭い土間を設ける。広間は高い位置に梁桁を組み、その上を竹簀子天井とする。また、天井を低い根太天井として、つし二階とするものもある。土間上部にはタカと呼ばれる中二階を設け、またナンド上部を中二階とするものもある。

江戸時代末期から昭和初期に建てられた伊根湾沿いに連続して建つ舟屋及び主屋、蔵、寺社などの伝統的建造物を残す漁村であり、青島と伊根湾およびこれらを囲む魚付林などの周辺の環境と一体となって歴史的風致を今日に良く伝える。
(伊根町ウェブサイトより)

保存地区の海岸線は約5kmに及ぶ。今回は西の小坪および日出を除いて、高梨、西平田、東平田、大浦、立石、耳鼻、亀山の約4kmを歩いた。快晴であった。

現地説明板

       

天橋立から平田バス停で降り、少し戻って、高梨付近。

                               

西平田付近

                     

向井酒造

                     

海蔵寺など

                      

東平田

                                                                                                                 

大浦付近

                                  

立石付近

                          

耳鼻(にび)、亀山付近

                                                                                           

伊根バス停まで同じ道を戻る。

                          
以上

耳鼻〜亀山

亀山から伊根バス停までの帰り道

参考資料
伊根町ウェブサイト
現地説明板


June 2011 川村由幸 HD video

名称:伊根の舟屋
所在地:京都府与謝郡伊根町
訪問日:2011.05.26

伊根湾めぐり遊覧船に乗船、舟屋ですから海からの景観が最もその特色を見せてくれるでしょう。
案内のアナウンスがいささか耳障りではありましたが、伊根の舟屋は期待を裏切らない
大変特色のある姿でした。
海岸線に沿って、ビッシリと立ち並ぶ舟屋、美しいというより人間の営みを強く感じさせてくれます。

                                          





May. 2006 瀧山幸伸 
Preview video 500Kbps HD video Video FAQ


               

 


 

                               


海人の舟屋と捕鯨の源流探し 〜京都府伊根

眼に入るのは、海に面した舟屋が形成する独特な街並景観と、穏やかで豊穣な海。耳に入るのは、漁船の音と群れるカモメの鳴き声。口に入るのは、天然ブリな ど豊富な魚介。無邪気な街歩きの案内役は妙齢の女優。というような旅番組に頻繁に登場する伊根を、何ゆえ今更取り上げるのか。通例の旅番組を少し深掘りして、捕鯨文化を有する海人の源流を探る旅に出てみよう。


舟屋の街並

 
(国土地理院)

伊根は京都府の日本海側、若狭湾を形成する丹後半島の東端に位置する。日本三景の天橋立からはそう遠くない。丹後若狭は現在でこそ交通不便な地だが、かつ て日本海の舟運が盛んだった時代には沿海交通の要所であった。長者山椒大夫の舞台が丹後由良であったことを思い出す。現在では京都府最大の漁港として天然 ブリの水揚げ高日本一を誇っており、釣り人にはお馴染み、映画『釣りバカ日誌5』のロケ地でもある。蓋し「釣りバカ」や「寅さん」に登場する街並の多くは 国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に指定されており、ロケ地としての魅力に富んでいる。できあがった映像作品は、その街独特の景観と音、水の 輝き、そこに暮らす人々のライフスタイルと文化が織り合わさり、懐かしい少年少女時代の香りで我々を癒してくれる。

 遊覧船から見る舟屋の街並、その水際は幻想的な空間だった。漁港特有の波音、漁船の音、海鳥の鳴き声がまじり合い、美しくも哀愁漂う独特の風情を醸し出す。無機質なコンクリート護岸が無かった頃の漁村は皆このような情景だったのだろうか。
伊根の港は三方を急峻な山と湾曲した岬に囲まれ、急に海が深くなっている。さらに青島が入り口をふさぎ、地理的に特異な形態の内浦沿いであるため、どのよ うな天候においても波静かで、接岸も容易である。日本海側なので潮の干満差が年間50cm程度と少ない。このように、波高、潮位、港湾深度などの条件に恵 まれた天然の良港である。湾内で行われた捕鯨の情景が描かれた絵がこの海の豊穣さを物語っている。
後背地が無いということが唯一の欠点ではあるが、海がメインストリート、言ってみれば無限に広い公道の機能を果たし、その公道に面して自動車のガレージよろしく舟屋が発達した。
全350世帯の集落のうち、230棟ほどの舟屋が沿岸約5Kmの湾に沿って水際に並び、日本で唯一独特な漁港の街並景観を形成している。
建物の多くは江戸末期から昭和初期にかけての建築で、近代建築は少ない。舟屋の屋根は切妻造りで、かつては藁葺平屋だった。現在ではほとんどが二階建てで、海面階(一階)には船揚場、物置、作業場がある。ニ階は居室、民宿等に活用されている。
現在の街並が形成された要因は、明治13年(1880)から昭和25年(1950)にかけてのブリ景気と、昭和15年に完了した府道伊根港線の工事であ る。工事は、約5kmにわたる幅員4mの道路新設であり、舟屋を海側に移し、主屋と舟屋の間に道路を通すことにより現在の街並が形成された。これにあわせ 一部の舟屋が二階建てとなり、その後もブリ景気のたびに多くの舟屋が瓦葺二階建に変わった。
主屋は、平入り広間型三間取りを基本とする丹後型と呼ばれる形式だ。蔵は切妻造り桟瓦葺で、かつては網などの漁具や網を保護強化する柿渋の壷が保管されていた。

 この地を訪問したら、陸上のみならず、ぜひとも伊根湾巡りの遊覧船に乗り、カモメの戯れを楽しみながら海からの視線でこの街並の連続景観を味わい たい。湾内の青島、湾を囲む常緑樹の魚付林と山並、寺社、石垣などが伊根独特の歴史的建造物群の景観を構成している。この文化財的価値が認められ、平成 17年に集落全体310.2haが重伝建地区に指定された。指定区域の広さが妻籠宿(1245.4ha)に次ぐ理由として、裏山と半島の稜線(スカイライ ン)保護を含め、広範囲の景観保護が挙げられる。過去、港町として重伝建地区に指定されたのは船主町や船頭町であり、漁村としての認定は伊根が初めてであ る。また、区域内に海水面が含まれることも重伝建地区としては初めての例だ。


  


海の民のエスノロジー

シュペングラーは『西洋の没落』の中で、文明の象徴は人工的な世界都市であり、経済目的に群集する人間は故郷をもたない頭脳的流浪民すなわち文明人であ り、高層の賃貸長屋のなかでみじめに眠り、知的緊張をスポーツ、快楽、賭博という別の緊張によって解消する、と言っている。辛辣ではあるが、大都市に住む 人々には耳が痛い。
地理学者フンボルト以降、多くの学者が世界各地の風土に適したウォーターフロントの住まいを研究し、環境と居住形態、街並との関係を論じた。水面に張り出 した高床式住居は、東南アジア、特にインドネシア東方、バリ島からチモールまでのヌサトゥンガラ諸島やボルネオの漁民の家に多く見られる。また、世界一美 しい島と言われている南太平洋タヒチのボラボラ島には高床式住居を模した造りの水上リゾートがあり、世界旅行を知り尽した高級旅行者の究極の目的地として 賑わっている。水上家屋は太平洋の対岸、チリにも見られる。

ヌサトゥンガラの漁民の家

コモド島コモド村 撮影:瀬川正仁 
 

マッコウクジラ漁のレンバダ島ラマレラ村 撮影:瀬川正仁
 

ボルネオの水上家屋 撮影:盛田茂
 

チリの水上家屋 撮影:盛田茂
 


一方、日本の風土はどのように水上の家を培ってきたのだろうか。川の水を活用した生活空間としては、仮設施設だが、京都の川床がお馴染みだ。海に面した同 様な施設は、水際を所有管理する公共の規制が厳しいことと波浪潮位対策という物理的な問題のため難しい。漁港は、地理的に急峻な後背地と深い海に挟まれ、 住居など生活の場を確保することが限られている。伊根や糸魚川の筒石などはその典型で、各住居が狭い土地に密集している。伊根に近い街並は、過去には民俗 学者宮本常一が調査した九州の離島にも散見されたが、現在では愛媛のリアス式海岸でわずかに名残に触れることができる程度で、伊根だけが昔に近い姿で残っ ている。

愛媛県南部の漁村風景
 

宮本は出身が瀬戸内の島ということもあり、「海から見た日本」というテーマで漁民の生活と住まいに関する調査を重点的に行っていた。伊根の海人はどこから 来たのだろうか。海人(アマ)族に由来するであろうと思われる「アマ」という地名は日本各地にあり、隠岐の海士(アマ)や鳥取の海士(アモウ)、能登の海 士(アマ)をはじめ、各地にある。海人と関係の深い海部という地名はさらに多い。海部も(アマ)と読む。天草の(アマ)も天橋立の(アマ)も海人と何らか の関係があるのだろうか。
伊根の舟屋はヌサトゥンガラの舟屋とそっくりである。『ヌサトゥンガラ島々紀行』を執筆した映画監督の瀬川正仁にその点を訪ねてみた。瀬川は、「伊根も捕鯨をやっていたことから、熱帯アジアの捕鯨海洋民ブギスやバジャウなどと何らかの関係があった可能性を感じる」 という。

伊根の浦嶋神社(宇良神社)は浦島伝説の浦島太郎(浦島子)を祭る。天長2年(825年)創祀、各地に伝わる浦島伝説の中では最も古く、丹後風土記、日本 書紀、万葉集などに記載されている。浦島伝説に登場する竜宮城の乙姫様の衣装はベトナムのアオザイとそっくりである。これに関しては、永井俊哉の『浦島伝 説の謎を解く』が興味深い。宇良が桃太郎の鬼退治に登場する温羅(ウラ)にも関係するのかしないのか解らないが、海人の歴史を感じさせる地だ。

浦嶋神社
 


歴史と文化をつなぐ迷路の鍵

伊根のように歴史と文化を縦横につなぐ迷路の鍵を与えてくれる街並は貴重だ。旅行先での胃袋はすぐ満腹になるが、脳は大食いで満足ということを知ら ない。歴史や文化を知れば知るほど知的欲求が深まり、リピーターとなっていく。ところが、観光は国レベルでは国土交通省や経済産業省の管轄で、教育や文化 を管轄する文部科学省や文化庁とは相性が悪い。地方自治体でも、観光は産業部局が管轄し、目先のビジネスに追われて文化資源の習得や発掘は後回しとなる。 逆に、教育と文化を扱う教育委員会は歴史や文化の価値は理解しているがビジネスに利用されることを嫌う傾向があり、相性が悪い。このような壊れた関係が続 く限りは日本の観光産業の発展は望めない。すなわち、知的探求を指向した個人旅行を開発し発展させなければ、旅番組のような一過性の旅行者で現地が荒れる だけである。
宮本が携わった日本観光文化研究所(観文研)は、昭和41年に近畿日本ツーリストの当時の馬場勇副社長に請われて創設した。農山漁村の生活文化や旅の文化 の民間研究所で、近畿日本ツーリストの社内組織であったが、長続きすることなく消滅し残念だ。また、日本の旅行情報誌として最古の歴史を持つJTB系列の 雑誌『旅』が2003年に廃刊となり久しい。旧誌が持っていた雰囲気が失われた事を嘆く意見も少なくない。それ以前、2000年には雑誌『太陽』も廃刊と なっている。中高年のアイデンティティ探しが盛んな今日、『サライ』などの新興勢力が安定的読者を獲得しているのに、残念なことだ。海外を指向していた 人々が日本の良さを再発見する機運が感じられ、アジアからの訪日者は中長期的には間違いなく増え、流れが変わる時はそう遠くないと思われる。来るべき時代 には、従来の新聞、雑誌、放送といった一方通行のメディアではなく、縦横の知的インターコミュニケーションツールが必要だろう。具体的には、迷路の縦軸 (時間軸)として過去から蓄積されたコンテンツがメタデータとして容易に検索でき、横軸(地理軸)として国内外の幅広い地域の人々が高度に知的な情報を交 換できるようなシステムが期待される。世界各地の街並や文化を長期にわたりリッチメディアで記録する、あるいは自分の旅行紀を世界の人々と共有し共に学ぶ など、ブログやSNSの先にあるもの、そのようなネットアーカイブスとデジタルミュージアムが必要だろう。


舟屋は和風のウォーターフロントリゾート

文化指向の地域開発、地域間交流の姿はどのようなものだろうか。今日、国内のウォーターフロント開発は全て西欧の模倣である。伊根をヒントに、あえて違うコンセプトを考えてみたい。
伊根は湾内が穏やかであり、潮位の変動も少ない。であれば、湾内が穏やかであり、潮位の変動も少ない立地であれば、各地のウォーターフロント開発、特にリ ゾート開発において、伊根が和風ウォーターフロント開発のモデルとなりうるのではなかろうか。すなわち、海に面した舟屋の一階は小型船の係留施設とし、ニ 階部分を多目的スペースとして、浴衣に団扇で海風や波の音を楽しんだり、窓辺から釣りをしたり、朝日夕日、花火や漁り火を楽しんだりできれば、日本人も、 海の文化を持つ東南アジアの人々も、その価値を共有できる。このような自然と一体となったライフスタイルは、東南アジアのリゾートを訪問する日本人が遺伝 子として潜在的に求めていたものではなかろうか。これらと真反対の西洋的リゾートライフスタイル、すなわち、空調完備の屋内、ドレスアップして堅苦しいダ イニングルーム、西洋音楽を聴きながらガラス越しに海を臨む、西洋型のウォーターフロントホテルや高層リゾートマンションのライフスタイルとは真反対であ ろう。
木造2階建ての利点は他にもある。欧米では、サンフランシスコのピアなどのように岸壁を利用した低層施設が多い。ポートオーソリティなどが港湾を全権管理 しているからできることだが、日本でも検討に値する。海水浴場の「海の家」がアンシャンレジームだとすれば、対極として、社会的に信頼ある事業主が運営す る新しいスタイルの舟屋の宿を全国各地の安全な湾内に展開することが可能であろう。都会生活で心身ともにすり減った人々の癒し空間になるのではないだろう か。となれば、係留すべき小型船は、高速でうるさいモーターボートではなく、艪漕ぎの和船がふさわしい。艪のきしむ音が波の音や海鳥の声と調和し、えもい われぬゆらぎの風情を醸し出す。日没後は静まった水面に揺らぐ灯火がこれから始まる夜の物語の道案内役となる。そのような体験は、そっと胸にしまってし まっておき、現地を来訪するたびに追憶に浸るもので、開けっ広げの旅番組には似合わないだろうがロマンチックな映画にはふさわしいと思われる。


参考資料

『西洋の没落1,2』 オスヴァルト・シュペングラー 村松正俊訳 さつき書房 2001/2007年
『別冊太陽 日本のこころ 148: 宮本常一 「忘れられた日本人」を訪ねて 』平凡社2007年
『ヌサトゥンガラ島々紀行』瀬川正仁 凱風社2005年
『漂海民バジャウの物語』ハリー・アルロ ニモ 西重人訳 現代書館2001年
『浦島伝説の謎を解く』永井俊哉 http://www.nagaitosiya.com/b/urashima.html
『集落探訪』 藤井明 建築資料研究社 2000年
『住まいの事典』 朝倉書店 2004年


調査: 2006年5月 著述 2007年11月〜2011年9月

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