JAPAN-GEOGRAPHIC.TV

京都府京都市東山区 知恩院
(Chion-in Temple, Higashiyamaku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

Category
Rating
Comment
 General
 
 
 Nature
 
 
 Water
 
 
 Flower
 
 
 Culture
 
 
 Facility
 
 Food
 

京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400 知恩院 大方丈 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永18(1641) 桁行34.5m、梁間25.1m、一重、入母屋造、檜皮葺 玄関及び歩廊1棟 19100829
京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400 知恩院 小方丈 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永18(1641) 桁行22.7m、梁間18.7m、一重、入母屋造、檜皮葺 歩廊1棟 19100829
京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400 知恩院 集會堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永12(1635) 桁行42.9m、梁間23.7m、一重、入母屋造、本瓦葺 玄関1棟 19970529
京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400 知恩院 大庫裏 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永18(1641) 桁行31.5m、梁間25.6m、一重、入母屋造、北面張出附属、本瓦葺 歩廊及び玄関 19970529
京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400 知恩院 小庫裏 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永18(1641) 桁行29.6m、梁間13.8m、一重、入母屋造、本瓦葺 歩廊1棟 19970529
京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400 知恩院経蔵 重文 近世以前/寺院 江戸前期 元和7(1621) 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、宝形造、本瓦葺 19000407
京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400 知恩院三門 国宝 近世以前/寺院 江戸前期 元和7(1621) 五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付山廊 各桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺 19020731 20020523
京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400 知恩院勢至堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 享禄3(1530) 桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、本瓦葺 18990405
京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400 知恩院大鐘楼 重文 近世以前/寺院 江戸中期 延宝6(1678) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺 19970529
京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400 知恩院唐門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永18(1641) 四脚門、前後唐破風造、側面入母屋、檜皮葺 19100829
京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400 知恩院本堂(御影堂) 国宝 近世以前/寺院 江戸前期 寛永16(1639) 桁行十一間、梁間九間、一重、入母屋造、正面向拝五間、背面向拝三間、本瓦葺 歩廊1棟 19100829 20020523

January 15,2017 大野木康夫 movie

黒門



三門

               


April 7,2016 大野木康夫 movie

早朝、三門付近の桜




Dec.27.2015 中山辰夫

除夜の鐘の試し突き

知恩院では毎年12月27日に、除夜の鐘の試し撞きが行われる。この行事は京都の冬の風物詩とされ、一足早く厳かな鐘の音が冬空に響く。
宗祖の御忌法要と除夜の鐘以外には撞かないとされる鐘は、日本三大梵鐘の一つで、江戸時代前期鋳造された。
高さ約3.3m、口径約2.8m、重さ約70kg、撞木の長さは約4m 鐘を釣る大鐘楼は国重要文化財である。


事前に、鐘はストーブで温めておかれ、親綱・子綱がおろされる。12時ごろには、例年足を運ぶカメラマン多数ががっちりベストポイントを押さえる。


2時ごろ、大勢の人が見守る中、僧侶17人が登場し、鐘の周りに円陣を組み念仏を唱えた後に始まる。僧侶は知恩院研修生を含めた若い僧侶が中心である。


僧侶16人が撞木につながれた縄を握り、親綱を握る僧侶が中央にスタンバイする。やや緊張感が漂う。早いテンポで一瞬の僧の動きを追う。


「え―い、ひと―つ」「そ―れ」のけ掛け声にあわせて、16人の僧侶が子綱を引いて撞木を揺らし、その反動を利用して親綱を持つ僧侶がのけ反るようにして、鐘に撞木を打ち付ける。


17人の僧侶が交代に行う。


高僧や進行役が見守る中、約1分間の鐘撞きが進行する。一回撞くたびに清めの箒がはいる。撞き終わった僧には安どの表情が・・。 


多くの見物人の殆どが撮影に熱中


帰路に着く僧侶

いとも簡単に見える瞬間の動きである。とても初めてとは思えない。
大晦日にはもっと良い音を出したいとか、煩悩を消して良い年を迎えもらうよう願って撞きたい、など各僧侶の思いが感じられた。

参考
特定の日にしか撞かれない鐘であるが、1962(昭和37)年の夏休みに東山区民の手でつき鳴らされた。
東山区には歓楽街が多い上、(特に円山公園から知恩院にかけての一帯は露骨なアベック風景の名所だった)悪い遊びも夜十時以後に多いと東山青少年対策協議会が、夜十時に”愛の鐘“をついて地区内の少年少女に「早く家にかえりましょう」と呼びかけた。

資料によると、東大寺・方広寺・知恩院・誕生寺(玉名市)などの超大型梵鐘の基音の周波数は40ヘルツから60ヘルツで、第二部分音が100数ヘルツあるため、荘厳さや重厚さを強く感じさせるとある。基音の周波数は梵鐘の口径にほぼ比例する。



Dec.27,2015 (11月撮影の画像を含む) 中山辰夫

宗派:浄土宗総本山

知恩院は法然ゆかりの念仏の寺としての顔と徳川将軍家の権威と天皇家の格式の両方を兼ね備えた寺の顔を持つといわれる。
東山華頂山の三十六峰の一つである華頂山の麓にあって、7万3千坪の広域な寺域を有し、そこには100以上の堂宇が軒を並べる。
境内図
 

新門周辺〜女坂
       
整備が完了している。女坂は緩やかな石段道

三門 国宝 正面約50m 高さ24m 徳川秀忠が寄進
 
浄土宗大本山の東京の増上寺にも大きな三門があり、東西の浄土宗大寺院の共通点である。大きさ、圧倒的な量感、威容に吸い込まれる。
現存する木造の三門としては東福寺の三門と並んで日本最大である。京都の町を見下ろしている。
 
唐様、屋根瓦の曲線の優美さ、軒下組物の何層もの重なり、意匠が多く見られる。内部は極彩色に彩られている。

「男坂」
 
古くは、映画「ラストサムライ」にも使われた。急角度な石段 人を誘い込む魅力がある

多宝塔
 
宝佛殿

阿弥陀堂
 
1910(明治43)年に再建 本尊は身丈2.7mの阿弥陀如来坐像。組物・意匠も凝らしてある。
 

鶯張り廊下
    
阿弥陀堂から御影堂・法然上人御堂(集会場)につながる

御影堂(本堂) 国宝 正面約45m、奥行き35m、入母屋造、本瓦葺。平面積では日本で5番目の寺院建築。徳川家光の寄進による。
現在は改修中で平成31年竣工予定
 
大きさは知恩院の中で最大、1200人が一度に参拝できる。幅約3mの広い外縁をめぐらせている。
破風の牡丹唐草、大扉の釘隠し、など江戸初期の建築の粋が凝らされている。内部は勢至堂を拡大したもの。

泰平亭(休憩所)
 

宝佛殿
 

納骨堂周辺
   

経蔵 国重要文化財 御影堂の東側にあって、経典を納める。徳川秀忠の寄進 非公開
            
「宗版大慶蔵」約6000巻を納める。裳階が付いた二重屋根の中国風で建築美を誇る。裳階の屋根を支える柱が建物の周りに建ち並ぶ。

大鐘楼 国重要文化財 1636(寛永13)年鋳造 高さ3.3m 口径2.8m 重さ約70トン 巨大な鐘である

御影堂の南東、石段を上がったところにある。毎年12月27日に「ためし撞」の行事は京都の冬の風物詩である。
この鐘が撞かれるのは、4月18〜25日の法然の忌日法要である御忌大会と大晦日のみ。京の人々は「知恩さん」の除夜の鐘を耳にして、新年を迎える。
試し撞き
毎年12月27日に行われる行事で、京都の冬の風物詩とされる。17人の僧侶によって、1分刻みで撞かれる。本番の大晦日午後10時40分頃からに備える。
  

法垂窟(ほうたるのいわや)(ほうすいくつ) 青蓮院飛び地境内に建つ
          
知恩院の鐘楼から山道を約100m上ったところにある。入口は狭いが、内部は意外と広い。法然−親鸞―蓮如に関わりの深い場所である。
法然が、夢の中で中国浄土教の大成者・善導大師から念仏の教えを受け、また、初めて専修念仏の教えを説いた場所とされ上部の岩に、法然が善導と対面するレリーフがはめ込まれている。親鸞が法然の念仏の教えを聞きに通い、その門に入る決心をしたと伝わる吉水の草庵跡である。湧き水は今も絶えない。

法然上人御堂(集会場) 1635(寛永12)年再建 
     
僧侶が集合し講学する場として名づけられた。御影堂完成まで本尊に法然上人の御尊像をお祀りし、法然上人御堂と名を改めて、本堂としての役割を果たす。

方丈と庭園
集会上の奥から入る 唐門〜大方丈〜小方丈と続く 
大方丈(おおほうじょう)・小方丈共に国重要文化財 1641(寛永16)年の建築 洛中随一の名書院として知られている
家康・秀忠・家光と三代にわたり知恩院の建造を支え、徳川家の菩提寺とした。その徳川家の、大方丈は将軍の公式の場、小方丈は居室である。

唐門 国重要文化財 1641(寛永18)年造営
      
牡丹唐草、鯉魚に乗る老人、巻物を持ち鶴に乗る老人および松を配した細かな彫刻がなされている。

大方丈
         

小方丈
       

庭園
          
庭園は大方丈の南側と東側、小方丈の南側に面してある。瓢箪形をした池を中心にした書院建築に相応しい庭園で池泉回遊式庭園
慈鎮石は、和尚石・坐禅石ともいわれ、往古は三門近くにあり、慈鎮和尚がこの上で座禅したと言われる巨石。慈鎮和尚は「愚管抄」の著者
        
1642(寛永19)年徳川家光の命により玉淵(玉苑)と量阿弥が作庭を行った。

権現堂
   
小方丈庭園と門が繋がっている。

大庫裏・小庫裏
 
北門〜黒門周辺
 
「二条城の出城」ともいわれる知恩院、城郭を感じさせられる一帯である。徳川将軍家による寺域拡大と共に組まれた石垣、桃山城から移設した黒門とが一帯の雰囲気を盛り上げている。

瓜生石
   
黒門への登り口にある大きな石。知恩院が建立される前から有るとされ、周囲を石柵で囲む。種々のいわれが残る。先に見える門は古門

塔頭・良成院 
    
表門と本堂が国重要文化財。道路を挟んで黒門の斜めに建つ。

これから訪れる勢至堂と御廟周辺は、街の喧騒から隔離された、厳粛な気配に満ちた、知恩院の根幹をなす聖地である。石段道から始まる。
石段道
          

勢至堂(せいしどう) 国重要文化財 1530(享禄3)年建立 正面21m 奥行20m 知恩院最古の仏堂
      
知恩院の旧御影堂である。法然の幼名「勢至丸」に因み、知恵の力で衆生の迷いを除くという勢至菩薩を祀る。
法然は1207(建永2)年75歳で讃岐へ流され、4年後許され戻って房を構えたのが大谷禅坊で、現在の勢至堂の地であった。法然は翌年80歳で亡くなった。

境内から見る崖上の御廟


千姫のお墓と遺髪大明神
        
勢至堂墓地内にある。

御廟

御廟への石段 知恩院で一番奥まった静寂な場所へと続く
 

御廟拝殿 京都府指定文化財 1710(宝永7)年建立 檜皮葺
御廟の手前に建つ。
     
檜皮葺の堂内には木魚が置かれ、自由に念仏が唱えられる。
 

遠望
 

御廟 京都府指定重要文化財 1613(慶長18)年改築 三間四方 宝形造 本瓦葺 唐破風門 松平伊豆守信一が寄進
 
大谷禅房で入滅後に建てられた廟堂は、比叡山の僧兵に破却されたため、1234(文歴元)年に復興された。賜蓮堂とも呼ばれる。
死後、弟子たちは毎月25日に「知恩講」とよばれる報恩のための追善供養を行った。知恩院の寺名はこれに由来する。
欄間に精巧な彫刻が施され、小建築ながら禅宗風と和様が加わった建築である。

友禅苑
 
友禅染の祖、宮崎友禅斎ゆかりの庭園。池泉式庭園と枯山水で構成され、高村光雲作の聖観音菩薩立像が補陀落池に立つ。




November 28,2015 大野木康夫

三門
 

友禅苑の紅葉
                                                        

方丈庭園へ
  

唐門
       

大方丈とその付近
             


小方丈とその付近
                     


帰路
            


集會堂(現在は法然上人御堂)廊下から見た小庫裏と大方丈
    

修理中の御影堂
    


集會堂
  

大庫裏とその付近
            

帰路
      



October 4,2014 大野木康夫 movie

黒門から境内へ

    

大庫裏

  

集會堂

   

阿弥陀堂、修理中の御影堂付近

     

経蔵

      

勢至堂とその付近

            

鐘楼

            

点検中の三門

    





Nov.19,2013 中山辰夫

知恩院三門

知恩院は浄土宗の総本山。
     
浄土宗は徳川家の宗旨であったことから江戸時代以降、大伽藍が造営され、三門は二代目将軍秀忠が寄進した。三門は木造の門として世界最大級。
1621(元和7)年建立以来、京を見おろし続けてきたこの三門は、高さ約24m、全幅約27mの巨大な構造物である。
この迫力は、京都の朝廷に対して幕府の威光を示す効果があったとされる。

重層、入母屋蔵、本瓦葺の重厚な屋根、左右に切り妻造の山廊が付属している、
本堂へ向かう急勾配の石段の途中に西面して建つ。構造は五間三戸の二重門である。
        
「五間三戸」は正面柱間が5つで、うち中央3間が通路になっているもの。
柱で五つに間仕切りされたなかに、三つの扉口があり、2階建てで屋根が二つある門のことである。
「二重門」は2階建てで、1階・2階の両方に軒の張りだしがあるものをいう。
     

組物(軒の出を支える構造材)が軒下にびっしり並び、屋根の隅がピンと反りあがる典型的な禅宗様式である。
     

三門は、空、無相門、無作門という三つの解脱の境地に達する門とされる。
中央、左右と三つに開いている扉口のどれが空門、無相門、無作門かはわからない。
      

知恩院は、法然が草庵を結んだのが始まりであるが、1603(慶長8)年に徳川家康が永代菩提所とし、家康、秀忠がここに大規模な伽藍を配したのは、二条城に次ぐ、第ニの城を想定して造らせたともいわれる。本堂に向かう石段にも大石で出来た石垣がある。
三門からの京都一望は、景色を楽しむ以外に見張りの目的もあったとされ、いざという時、徳川を守るためのお寺であった。

両脇の山廊の内から突き出た急な階段が上層に届いている。上層は非公開であるが、春秋の特別拝観時などには上がれる。

白木の棺
三門楼上に二つの白木の棺が安置され、中には将軍家より三門造営の命をうけた大工の棟梁、五味金右衛門夫婦の自作の木像が納められている。
金右衛門は立派なものを造ることを心に決め、自分たちの像をきざみ命がけで三門を造った。
やがて、三門は完成したが、工事の予算が超過し、夫妻はその責任をとって自刃したと伝えられる。
この夫婦の菩提を弔うため白木の棺に納めて現在の場所に置かれる。白木の棺は三門の床下から発見された。
 

以下は、「知恩院山門修理工事報告書」よりの引用である。
三門鬼瓦
 

二階鬼瓦
 

二階鬼瓦
 

一階鬼瓦
 

南山廊・北山廊鬼瓦
 

一階内部の斗きょう、二階内部の斗きょう内部紅梁上の板蟇股
 
二階内部
 
二階独立柱廻り彩色
 
二階側柱廻り彩色
 
二階内部東北隅斗きょう廻り彩色
 

 

参考資料≪パンフレット、知恩院HP,京の門、他≫







November 27, 2013 野崎順次 video

知恩院 秋の紅葉ライトアップ2013
(Illuminated Chion-in, Autumn, 2013, Higashiyama-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

パンフレット

    

北側の青蓮院からのアプローチ

          

国宝三門

       

友禅苑

                              

女坂から鎮守

      

経蔵前の池

            

宝佛殿から大鐘楼

                 

再び、国宝三門

   

三門楼上から地上

               

三門を振り返りつつ西に下る。

           





May3, 2013 野崎順次

Video 1
Video 2


知恩院は,京都東山の山麓にある浄土宗総本山で,伽藍は勢至堂や御廟の建つ上段,本堂など中心建築の建つ中段,三門や塔頭が建ち並ぶ下段からなる。

円山公園から三門前に出る。知恩院の最高部の御廟から拝観・三脚撮影をスタート背負うと思う。女坂を上る。途中に友禅の庭や鎮守八幡社(江戸時代、京都府指定文化財)がある。

             

知恩院の案内図

   

大修理工事中の御影堂を通りすぎて、北側に回り込む。塀越しに大方丈が見える。石段を上る。

                   

御廟堂と拝殿を見上げる。二つの石段を上る。途中にあるのは蓮華堂。

                

府文 拝殿 江戸時代 宝永七年(1710) 檜皮葺

           

府文 御廟堂 
桃山時代 慶長十八年(1613)
三間三間、宝形造、本瓦屋根。周囲に唐門と玉垣が巡らされている。常陸国土浦城主松平伊豆守の寄進による。桃山様式の彫刻が施されている。

               

拝殿からの眺めと外人観光客

          

国重文 勢至堂 
室町後期 享禄三年(1530)
桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、本瓦葺

               

名水紫雲水と賀茂大明神が降臨したという影向石(ようごうせき)

   

千姫の位牌、地蔵菩薩像など

     

五輪塔、六面石幢など石造物

        

浄土宗捨世派本山一心院

        

国重文 経蔵 
江戸前期 1621年頃、
桁行三間、梁間三間、一重裳階付、宝形造、本瓦葺
2代将軍・徳川秀忠により三門とともに建てられた。

                        

納骨堂

                

石造九重の塔

         

国重文 大鐘楼 
江戸中期 延宝六年(1678)
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺
梵鐘の高さ3.3m、口径2.8m、重さ70t。1636年鋳造

                 

宝佛殿 
近代 1992年建立
阿弥陀如来立像、四天王像を安置

           

阿弥陀堂
江戸時代(1710年)に勢至堂前から移築、1878年に解体、1910年に再建
一重裳階付仏堂、正面五間、側面四間、入母屋造、本瓦葺、本尊は阿弥陀如来坐像

                       

七百五十万霊塔

   

四脚門を通り、法然上人御堂(集会堂)に入ったが、内部は撮影禁止。

      

国宝 知恩院三門 
江戸前期 元和七年(1621)
五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付山廊, 各桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺
徳川秀忠が元和5年(1619)に建立を発意し,元和7年(1621)に完成し,造営に中井家支配の棟梁があたったことが知られる。構造細部は禅宗様を基調とし,二階内部は極彩色を施す。江戸時代初期における建築技術が最大に発揮され,高い完成度をもつ遺構のひとつとして位置づけられ,建築史上極めて高い価値が認められる。現存するうち最大の二階二重門で,かつ装飾も荘厳を極める。

                          

三門前、師弟愛の像など

          

参考資料
知恩院HP
京都風光HP
国指定文化財等データベース






Apr.21/22 2013 野崎順次

浄土宗総本山 知恩院 御忌大会
(Most Important Memorial Serivice for Honen at Chion-in Temple, Higashiyamaku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

Apr.21
Video 1
Video 2

Apr.22
Video 1
Video 3


京都府京都市東山区林下町400

法然上人の忌日法要を「御忌(ぎょき)」と呼ぶようになったのは、大永四年(1524)の後柏原(ごかしわばら)天皇の詔勅「毎年正月、京畿の門葉を集め、17昼夜にわたって法然上人御忌をつとめ、はるかに教えの源をたずねよ」による。これにより1月18日よりご命日の25日まで法要が営まれることになり、また、天皇など貴人の忌日法要をさす「御忌」が法然上人にも用いられることになった。また、明治十年から太陽暦の4月に行われるようになった。大勢の僧侶が金襴の袈裟を被着して堂内を練り歩くさまは絢爛豪華である。

国宝・御影堂の大修理の間、御影堂の法然上人は国重文・集会堂(しゅうえどう)の御本尊にご遷座し、これまで御影堂で行われていた各種法要などは集会堂で執り行われる。御影堂修理工事の期間に限り集会堂を「法然上人御堂」と称することになった。

パンフレット、雑誌抜粋など

               

4月21日(土)午後

黒門、北門を経て、新玄関から大庫裡に入り、廊下を通って小庫裡の月光殿(親族控えの間)に案内される。案内役のお坊さんがしずしずと歩く。その間に小さな庭をいくつか見たが、全体の俯瞰図がよく分からない。大小の庫裡にいたことは間違いない。

                               

法要が既に始まっているとのことで、親族として参加することになった。
国重文 法然上人御堂 尊像配置(向かって左から右へ)

            

国重文 法然上人御堂 逮夜法要
後柏原天皇から詔勅をたまわったとき、笏も共に下賜された。これにちなみ、笏を縦に割って打ち合わせて拍子をとり、念仏を称えながら堂内を練り歩く。

               

国重文 法然上人御堂 総本山待遇者叙任式
知恩院に貢献した僧侶に肩書を授与する式典。功績された度合で「長老」、「宿老」、「耆宿(ぎしゅく)」と高くなる。

                  

月光殿あたり

         

近くのホテルに帰る。

              

4月22日(日)午前

国宝 三門の前で当日の唱導師が檀信徒と記念撮影、飛び入りの外人娘も

        

 

国重文 法然上人御堂 日中法要
法然上人を讃える節付きの諷誦文の唱導が行われ、その役が唱導師である。これを拝命することは大変名誉なことで、半年前から、諷誦文の唱え方、身体の動かし方や作法を古老より指南を受ける。

                              

祝膳、上品な精進料理

      

参考資料
平成25年度御忌パンフレット(誤植が多い)
知恩2013年4月号御忌大会特集号
総本山知恩院 御忌大会次第 通達山法性寺
知恩院HP




Oct.2011 大野木康夫 HD video

元祖法然上人八百年大遠忌法要

2011.10.22撮影 

浄土宗総本山知恩院の法然上人八百年大遠忌法要は2011年10月2日から25日まで行われています。
当初は3月27日から4月17日まででしたが、東日本大震災の影響で延期されました。
10月2日から9日までが古式法要、13日から16日までが念仏会法要、17日から22日まで浄宗会法要、他の日は諸団体法要となっています。
古式法要は五百年大遠忌から受け継がれた声明を中心としたもの、念仏会法要は僧侶と参列者がともにお念仏を唱える共同参加型のもの、浄宗会法要は7、浄土宗の8総大本山及び法然上人門下4宗派(西山浄土宗、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派、時宗)の総本山がそれぞれの流儀で奉修するものです。
22日は浄宗会法要で、大本山清浄華院(京都市上京区、元は禁裏内道場)により奉修されます。

 

法要期間中、市バスの臨時路線が走ります。
系統は急行800系統で、青蓮院前から三門前に入ってきます。

 

三門はきれいに飾られています。
特別公開も行われています。

               

三門から続く男坂は、急なので閉鎖されています。
徒歩で参詣する方は女坂を登ります。
徒歩で参詣するのがしんどい方は、バス駐車場等から境内シャトルバス(無料)で境内に行けます。

   

法要会場の御影堂前には特設舞台が設けられています。
御影堂には幔幕が張られ、スロープは左側通行になっています。
日本各地からお寺単位の団体参拝者が集まっています。

               

法要は午前10時30分からの予定ですが、1,000人弱参列される団体参拝の方が入るのがどうしても遅れてしまうので、少し遅れて10時45分から始まりました。
御導師や僧侶の方の入退場の際には雅楽が演奏されます。
法要は、ほぼ、浄土宗の勤行式にそって行われましたが、もちろん毎月のお寺の月詣りとはちがい、散華や阿弥陀経の際の太鼓など、荘厳な雰囲気で行われます。
堂内はかなり詰め合わせて座るため、身動きが取りづらかったです。
私は一般参加なので、早いうちから戸口近くの一番後方にいましたが、途中退席される方が出ることができなくなったので、やむなく途中から縁側に出ました。

     

法要が終わったのは12時前でした。
団体参拝の方はお寺単位で行動されるので、僧侶がプラカードで先導します。

    

境内各所

経蔵も特別公開されていました。

   

お寺からの団体参拝は古式法要の日でしたが、仕事の関係で参加できず、この日にやっと参拝できました。
次の大遠忌は年齢から考えると参列不可能と思われるので、参列できてよかったです。




Sep.2011 大野木康夫 HD video

2011.8.7撮影 

震災で延期された大遠忌を9月に控え、準備が整ってきました。

良正院表門(重要文化財)

    

瓜生石

 

黒門

修理が終わりました。

  

北門

   

大庫裏(重要文化財)

  

集會堂は大遠忌後に行われる御影堂の大修理に備え、大法要が行えるよう、周辺に仮設の増築工事が行われています。

 

御影堂修理の準備が進んでいます。

 

阿弥陀堂

 

御影堂(国宝)

遠忌に備え、正面に大きなスロープが取り付けられ、扉もすべて開放されています。
全体的にオープンな雰囲気になりました。

              

集會堂(重要文化財)

内部を覗くことができるようになりました。

     

鐘楼(重要文化財)

ここはやはりひっそりとしています。

      






Feb.2011瀧山幸伸 HD video

  

A camera
                                  

B camera
                                                            


Dec.2010 撮影:大野木康夫 HD video

除夜の鐘試し撞き

知恩院の除夜の鐘は、17人の僧侶により撞かれます。
特殊な撞き方をするため、毎年12月27日に試し撞きが行われます。

新門前から三門に向かいます。
四脚門(京都府指定文化財)
寛永年間(1624-1643年)の建築
四脚門、切妻造、本瓦葺
通称は「新門」で、「総門」とも呼ばれています。
参拝の観光バスもくぐれる大きな門です。
三門前の参道では、2011年3月から4月にかけて営まれる「法然上人八百年大遠忌法要」に向け、整備工事が行われていました。

       

三門(国宝)
元和7(1621)年の建築
五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付山廊 各桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺
三門には、三つ葉葵の紋が染め抜かれた紫の幔幕が張られていました。
         

本堂(御影堂)(国宝)
寛永16(1639)年の建築
桁行十一間、梁間九間、一重、入母屋造、正面向拝五間、背面向拝三間、本瓦葺
大遠忌法要終了後、大修理がおこなわれる予定で、北側には足場の基礎が組まれています。

阿弥陀堂
明治時代に再建された建物です。勅額(御奈良天皇の御宸筆)には「大谷寺」とありますが、これは、知恩院の正式名称が「華頂山知恩教院大谷寺」であるためです。

経蔵(重要文化財)
元和7(1621)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重もこし付、宝形造、本瓦葺

                       

試し撞きは午後2時からですが、午後1時過ぎに大鐘楼に向かいました。
大鐘楼は人の背丈ほどの鉄柵に囲まれていますが、撞くところを見通せる場所は、すでに人が貼りついていました。
柵内では、試し撞きの準備が行われていました。

     

午後1時45分頃にテレビ局、新聞社、知恩院のカメラマンが柵内に入り、撮影の準備をした後、2時前に試し撞きをする僧侶が入場しました。

    

僧侶は、大鐘楼の中に入り、梵鐘を囲んで円陣を作り、御念仏(十念)を唱えて礼拝します。
その後、法衣をからげて撞く準備をします。

   

試し撞きが始まりますが、しばらくは柵内のカメラマンが撮影をされるので、その隙間から、撞くところを見ました。
知恩院の除夜の鐘は、17人の僧侶で撞きます。
16人が小綱を持って撞木を揺らし、1人が親綱を握ってタイミングを計ります。
親綱を持った僧侶が「えーい ひとーつ」と掛け声を掛け、16人が復唱し、「そーれ」の掛け声を掛けるとともに、親綱に体を預け、仰向けにぶらさがって全身で鐘を撞きます。
その間約1分、梵鐘の北東隅にしゃがんでいる進行役の指示のもと、入れ替わり立ち替わり鐘を撞いていきます。

                   

僧侶の中に、一人だけ尼僧がおられました。

       

しばらくすると、カメラマンの数が減り、見通しが良くなってきました。

       

私が陣取っていた、大鐘楼の北側だと、梵鐘へのインパクトの瞬間、撞いている僧侶が進行役の僧侶の陰に隠れてしまうので、東側の石垣の上から見ることにしました。

                  

また場所を変えて、大鐘楼の西側から梵鐘越しに、撞くところを見ました。

                  

そのうち、大鐘楼南側に座っていた高僧が退出されたので、南側から見ました。ただし、この場所は一番人気があるらしく、撮影する人の頭越しに手を伸ばして写真を撮ることになりました。

  

ゆっくり見ることだけを考えれば、開始20分後ぐらいに柵内のカメラマンの数が減り、督励される高僧が退出されてから行けばいいと思いました。

試し撞きを見た後、大遠忌法要に向け修理中の集會堂の覆いが外されていたので、覆いに隠れていた大庫裏も併せて見に行きました。
集會堂(重要文化財)
寛永12(1635)年の建築
桁行42.9m、梁間23.7m、一重、入母屋造、本瓦葺
附指定:玄関
大庫裏(重要文化財)
寛永18(1641)年の建築
桁行31.5m、梁間25.6m、一重、入母屋造、北面張出附属、本瓦葺
附指定:歩廊及び玄関

              

黒門から、古門前に下りて東山通に出ました。

総門(京都府指定文化財)
寛永年間(1624-1643年)の建築
一間薬医門、切妻造、本瓦葺、脇門付属
通称は「古門」、すぐ前を白川が流れています。

  

東山通を南に下がり、新門前に戻りました。

  





Mar.2010 瀧山幸伸 HD video

A camera
                           

         
  
                                          
                           

B camera
                                                                                                                                                  


Apr.2009 瀧山幸伸 HD video

            


Nov.2008 瀧山幸伸 HD video Video FAQ

                  

          

                 

                                         


No.1 Mar. 2006 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps HD video Video FAQ

  

三門

                    


御影堂

 

         
    

   

経蔵
          


阿弥陀堂
      

大鐘楼

        

唐門

 

勢至堂
 
     

          



御廟

       



事務局用


All rights reserved 無断転用禁止 通信員募集中