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京都市東山区 智積院
Chishakuin,Higashiyamaku,Kyoto city,Kyoto

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April 18,2016 田中康平

京都市東山区東大路七条下る東瓦町964

          

大書院および庭園

大書院には長谷川等伯・久蔵による障壁画(国宝)が伝わっているが、現在は宝物館で保管され、大書院には往時を再現するレプリカが展示してある。

                                                                              



June15,2013 中山辰夫

智積院と 青葉まつり
京都市東山区東大路七条下ル東瓦町964

宗派:真言宗智山派
国宝:障壁画
名勝:庭園

智積院は真言宗智山派の総本山として全国約三千余寺を擁し、その中には成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の大本山を始め、高幡山金剛寺、大須観音宝生院の別格本山がある。
1615(元和元)年、徳川家康は豊臣秀吉が愛児鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲禅寺を智積院の能化(住職)に寄進し、以来、明治初頭までは全国の各宗僧侶の学問所として栄えた。
現在は、宗内僧侶の修行実践道場として、また全国檀信徒の総菩提所、総祈祷所、教化の根本道場おつぃて法燈を継承している。
(智積院説明から引用)

七条通りと東大路の交差点、東山七条に面して建つ。斜め向かいは京都国立博物館であり、三十三間堂とも近い。
   

訪問した日は「青葉まつり」の当日で、境内の社殿は飾り付けられ、僧侶、山伏、参拝者の姿が至る所で見受けられた。

■境内図
 
社殿は焼失が続き、大半が近年建築されたものである。

■総門
    

■境内
秋の紅葉の美しさを思わせる木々が立ち並んでいる。
       

■金堂
元々あった金堂は江戸時代中期、京都の織物商の出身だった桂昌院「綱吉の母」の寄進をもとに建てられたが、1882(明治15)年焼失。
現在の建物は、空海生誕1200年記念事業として1975(昭和50)年に建てなおされたもの。
この建物には地下にも部屋があり、地上は金剛界、地下は胎蔵界と曼荼羅の二つの世界を表現している。
          

■明王院
金堂の隣に建つのが明王殿。
1947(昭和22)年にそれまであった本堂(方丈)が焼失し、困っていたところを別のお寺(四条寺町の大雲院)から建物を譲り受け、そっくりそのまま移築したもの。
もとは現在講堂が建っている場所にあった。明王殿には智積院のルーツ、根来から持ってきたという不動明王像が祀られている。
      

■大師堂
真言宗開祖・弘法大師空海を安置する堂。
江戸浅草の宝持院真融法印の寄付金三百両をもとに費用が集められ、落慶したのは1789(寛政元)年である。
         

■蜜厳堂
真言宗「中興の祖」興教大師を安置する堂。
興教大師は興廃していた高野山を再興し、弘法大師の教えを復興され、今日の真言宗の基礎を築いた。1667(寛文7)年の建立である。
蜜厳堂の額は、第七世運敞僧正(1614〜1693)の自筆である。
     

■蜜厳堂周辺の社殿
       

■求聞持堂
    

■運蔽蔵
   

■蜜厳堂から坂を下りる左側に佇む社殿
    

■鐘楼
    

いよいよお目当てのコーナーである。
 

■収蔵庫
長谷川等伯の障壁画が展示してある。勿論撮影禁止である。
障壁画は、1593(文禄)2年に建立完成された祥雲禅寺を装飾していたものである。
桃山時代に全盛期であった狩野派に対抗して。独自の画風を確立した長谷川等伯とその一派の手によるものである。
その中で、等伯父子の作品、楓、桜図は有名である。
等伯の構図は、画面中央に描かれた楓の幹や枝の激しい動き、紅葉や秋草の写実性、空や池の抽象的表現それらすべてが和合し絢爛豪華に描かれている。桜図は等伯の長男久蔵25歳の筆で、日本の桜を中心に、八重の花を蒔き散らし、春爛漫の景色を描き出している。(智積院説明を引用)
   

以後の写真は絵葉書(智積院発行もの)より引用。
桜花 国宝
 

楓図 国宝
 

松に秋草図
 

松に立葵図
 

講堂
講堂はかつて方丈と呼ばれ、現在の地に智積院を再興した時、徳川家康から寄贈された祥雲寺の法堂がベースになっている。
この建物は1682(元和2)に焼失した。その後、幕府から与えられた東福門院の旧殿・対屋をもとに、1684(貞亨元)年に再建されたが1947(昭和22)年に焼失した。
現在の講堂は、興教大師生誕850年御遠忌記念事業として、平成4年に計画され、1995(平成7)年完成した。

講堂には、2008(平成20)年の60点の襖絵が納められた。日本画壇の第一人者、田淵俊夫画伯の制作による「日本の春夏秋冬」を題材にした墨絵である。この水墨画は従来の技法とは異なり、和紙8化学処理や漂白をしない)に墨と水だけで描かれた、環境にも配慮した、まさに新しい時代の墨絵である。「智積院の説明を引用」

山門
     

前庭
     

周囲に気品ある「香」を放っていた≪珍しい6弁のクチナシ≫
   

講堂内部と襖絵・他 「絵はすべてレプリカである」
           

講堂胎蔵の間
お茶席の場になっていた。後方の襖絵は、田淵俊夫氏の「桜・やなぎ」・他
       

大書院
講堂と並んで建てられており廊下でつながっている。
     

寝殿
大書院や講堂と並行に建てられている。池が迫る庭園の眺めがすこぶる良いとされる。
    

■日本庭園
名勝
利休好みの庭と伝えられ、中国の廬山を模して造られている。祥雲禅寺時代に造られた石橋より奥の方は、自然石のみを用いて刈込みを主体とし深山の中に入るような奥行のある野生的な雄大さ、勇荘さを感じさせる。滝の落ちている正面は、石組みと植え込みとが交互に並び、洗練された美しさが築堤の極限を表現している。智積院第7代運敞僧正(江戸三大名筆家)によって修築されたものである。(智積院説明を引用)

江戸時代の絵図に見られるのと情景が少しも変わっていないとされる。
清流と刈込みがつくる築山、石屋植え込みの配置で遠近感を出している。四季のお花が彩りを添える。

三味線の「バチ」ともいわれる大刈込み。
     

池を常に濁らせてあるのは、庭の緑が綺麗に写るようにとの配慮とか。
     

大書院の縁の下まで池が入り込んでいる。
     

上記の各社殿はおのおの廊下でつながっている。

■本坊
正面玄関口
正面が総門である。今日はお祭りで、その準備が進められている。智積院の住職さん(化主)が行事の際に用いる座椅子が写っている。
   

使者の間
「布袋唐子嬉戯の図」。明治大正期の画家・月樵(げっしょう)上人(田村宗立)の南画作品。
     
「子供の にこやかな笑みを持った姿は、平和のしるしである。…」と説明板ある。

前庭
    

≪参考≫
真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)は、日本における仏教の宗派の一つ。
弘法大師空海を始祖とし、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁(1095年-1144年)を開祖とする新義真言宗と呼ばれる宗派の中の一つ。
天正5年(1577年)に根来山の学頭職となった玄宥(1529年-1605年)が、天正13年(1585年)、秀吉による紀州征伐で焼き滅ぼされた根来山 智積院を、慶長6年(1601年)、徳川家康の許可を受け寺領(豊国神社付属寺院の土地建物)を拝受し復興させたことを端緒に創建されることとなった宗派である。「引用:ウイキペデイア」

参考資料≪配布資料、HP,絵葉書、他≫



智積院 青葉まつり (両大師御誕生会)

弘法大師と興教大師の誕生を祝うお祭りである。
新緑に囲まれた境内では、慶祝法要や柴燈(さいとう)大護摩法要、雅楽の奉納などが行われる。
また、長谷川等伯一門による国宝の障壁画や名勝庭園が無料公開される。
因みに空海は、774(宝龜4)年6月16日、興教大師は、1005(嘉保2)年6月17日が誕生日である。

まつりの準備が進む境内
金堂・本坊玄関・護摩道場
    

午前9:40
本坊玄関から金堂に向けてお練り行列が始まる。参拝者・見物人も増えてくる。
     

行列開始
先頭は、法螺貝を吹きながらの山伏の方々である。一昨日は大峯山にて修行されたと聞く。
     

様々な動き・表情がみられる。
     

僧侶が身に着ける法衣の色にも意味があるのだろうか。
     

第70代寺田化主(住職)の登場である。
    

金堂手前の参道や金堂前には大勢の人々。その中を住職の「輿」が進む。
    

山伏が両側に分かれ道をあける。住職が輿から降り金堂へ進まれ、本尊『大日如来』が安置されている金堂にて法要が行われる。
      

この日は智積院の5つのお堂で無朱印のスタンプラリーが行われる。各お堂の御本尊を拝みながら廻る。
5つのお堂を廻り、御本尊とご縁を結んだスタンプが貯まると「身代わり札」が頂ける。
 

この日だけは、桃山時代を代表する絵師『長谷川等伯』一派が描いた障壁画などの国宝を収めた『収蔵庫』も無料開放される。
 

金堂での法要が終わる11時からは金堂の前にある柴燈護摩(さいとうごま)道場にて護摩供養が行われる。
護摩焚きは人々の後利益を願う法要で、願い事が書かれた護摩木をもやし、燃やされた煙を浴びることでご利益が得られるとされる。

道場は金堂の右前の広場に設けられ。住職の着席で護摩供養が始まる。
注連縄で結界が張られた道場で護摩供の開始を待つ護摩壇
    

護摩供養は、山伏の方々が中心となって仕切られ、作法に従って行われる。
30人余の山伏が入場し、場内を2周ほど回り、所定の位置に着席する。
     

護摩壇の前で法螺貝を吹き、護摩壇に向かって正面から斧が振り下ろされ護摩の薪が清められる。
      

弓矢を放ち護摩がたかれる道場の結界を切り邪気を祓う。東西南北、護摩にも矢が打込まれ、最後に鬼門の方向に矢が放たれる。
     

護摩壇に向かって縦横に刀が斬られ、微かに残る邪悪の一切が除祓される
    

作法が替わる毎に山伏さんの「承り候」の大きな声と法螺貝の鳴り物が入る。
    

住職による祈願儀式
    

大祇師が獅子座に着床し、柴燈護摩修法を始める。願分奏上
    

本尊・不動明王の智慧の浄火を灯した松明から採火し、護摩壇に点火される
         

一切の邪悪が除祓された柴燈護摩壇に火が入り、柴を焚く。芳香を放ちながら白煙が天に昇る、
白煙の中で勧請した本尊・不動明王に諸願の成就を祈る大祇師。山伏は大きな団扇で煙を上にあげる。
     

もくもく燃える護摩壇に、護摩木が次々と投げ込まれる。
     

多くの参拝者に届くよう、煽るに煽って白煙を拡げる。
     

護摩法要の最後は、山伏が、参拝者の鞄や数珠などの持ち物を受け取り、白煙にかざして魔除けを行い、約1時間の護摩法要を終わる。
   

≪参考≫
柴燈護摩供養(さいとう ごまくよう)とは、野外で行う大規模な護摩法要のことである。
伝統的な柴燈護摩は真言宗を開いた空海の孫弟子に当たる聖宝理源大師が初めて行ったといわれており、醍醐寺をはじめとする真言宗の当山派修験道の法流を継承する寺院で行われる事が多い。すなわち、日本特有の仏教行事である。
伝統真言宗系当山派の寺院が行う「柴燈護摩」は、本来山中修行にて行者だけで修するものであるため規模や護摩木の数の多寡を問うことはないが新宗教の一つである阿含宗の大柴燈護摩供の場合は護摩木も数千万本と国内外でもほとんど類をみないほど大規模でイベント色が強い。
「引用 ウイキペデイア」



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