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京都府京都市伏見区 醍醐寺

Daigoji,Fushimiku,Kyoto city,Kyoto


February 23 and 24, 2019 野崎順次

source movie sanboin

source movie daigoji

毎年2月23日、「五大力さん」として親しまれている「五大力尊仁王会」が営まれます。不動明王など五大明王の力を授かり、その化身・五大力菩薩によって国の平和や国民の幸福を願う行事です。その歴史は醍醐天皇の時代、西暦907年まで遡ることができます。この日に限って授与される災難・盗難除けのお札「御影(みえい)」は、京都の町屋や老舗はもちろん、各家庭の出入り口に貼られています。このお札を求めて、早朝から夕刻まで人の列が途切れることがありません。全国から十数万人の参拝者が訪れるこの仁王会は、醍醐寺最大の年中行事として知られています。

(中略)

近年では、力自慢の男女が巨大な鏡餅を持ち上げ、その時間を競う「餅上げ力奉納」も有名です。男性は150kg、女性は90kgの鏡餅を抱え、その力を奉納し、無病息災、身体堅固を祈ります。

(醍醐寺公式サイトより)

パンフレットとアプローチ

             

総門から仁王門

        

仁王門からの参道の両側は工事中、台風の被害か。

    

金堂あたり、災難・盗難除けのお札「御影」を求める多くの参拝者

                   

不動堂では柴燈(さいとう)護摩法要が行われ、山伏が参拝者から渡された御影を火にかざす。

            

五大力さんの名物となっているのが、大鏡餅を持ち上げて時間を競う「餅上げ力奉納」です。奉納は男女に分かれて行われ、まずは女子の部から。多くの見物客が見守る中、挑戦者は重さ90㎏の餅を力いっぱい持ち上げます。続く男子の部では、餅の重さは150㎏に。優勝者には名誉ある「横綱」の称号が贈られ、名前と記録が歴代優勝者の看板に記されます。

2019年の五大力尊任王会は2月23日(土)の9時から始まり、「餅上げ力奉納」は正午より金堂前で見ることができます。

(京都ツウ読本より)

午前中は小学生のための餅上げ力奉納。

        

五重塔の前は寺から薬膳粥の接待があったり、物産の出店があったり。

    

南側の回り道から仁王門前に戻り、国宝唐門から総門の方へ

              

霊宝館の梅

     

2月24日、今日は三宝院を拝観する。昨日は年に一度の五大力尊仁王会のため、御殿にあがれなかった。あの庭園も横から中途半端にみるだけだった。

       

大玄関から対面所

          

特別名勝・特別史跡 三宝院庭園 桃山時代

今この庭を一覧すると、全庭面積は、約一千六百坪ほどあって、泉殿、金剛輪院表書院、純浄観、本堂等の南庭にあたり、池泉鑑賞式となっている。東南角に三段の滝を落し、土橋で中島に渡り、純浄観の前に出る。その正面南の築山の下部には、天下の名石藤戸石が主人公として用いられている。この名石は、東山殿に、備前藤戸から運ばれていた。やがて細川氏綱の邸に入り、信長がこれを二条城に入れ、秀吉はさらにこれを聚楽に入れたが、最後に三宝院の庭に来た。当時人夫三百人と記しているが、信長も、秀吉もその前にこの石を運ぶ時は、自から花笠を着て多人数の人々にも花笠を冠せて音頭をとって引いている。この藤戸石は三尊手法に用いられていて、近くに太鼓形の土橋がある。この土橋を手前に渡ると、東に亀島、西に鶴島を設け、石橋と板橋で西の蓬莱出島に渡れる。

この蓬莱島の石組を初め、本庭には多数の石を組んでいるが、まことに豪華を極め、よく秀吉の気持を反映している。そして上部に行くと、本堂の南には、もとの庭園の石組が一部残っていて、ここは室町期の石組であり、その下の滝付近までは、もとのものが保存されている。

ここの築山の南には枕流亭という桃山期の茶亭がある。三畳と二畳台目の席で、修理は多いが立派な古い席であり、その前にも石組本位の庭がある。盃と瓢の芝生は昭和になって出現したもので、花見に因む設計である。いずれにしても、本庭こそ桃山期を代表する名園としてその価値は高い。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」三宝院庭園より)

表書院の西端、泉殿あたりから見る。

              

右に鶴島、左に亀島

                

表書院の東の端から見る。

            

藤戸石

       

三段の滝

     

表書院や対面所の北側の中庭

             

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