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京都府京都市 上京区/中京区 平安宮跡

Heiankyuato, Kamigyo-ku and Nakagyo-ku, Kyoto city

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September 10,2017 大野木康夫  source movie

国指定史跡を中心に訪問しました。

堀川下立売から下立売通を西へ

     

内酒殿(下立売智恵光院上る)

出水老人デイサービスセンター建設の際に井戸跡が発掘され、出土した木簡から内酒殿があったことがわかりました。

    

下立売通に戻りさらに西へ

  

一本御書所跡

山中油店付近です。

内裏の東側に当たるようです。

        

山中油店

      

さらに西へ

    

国指定史跡 平安宮内裏内郭回廊跡

(現指定名称:平安宮跡 内裏跡)

所在地 京都市上京区千本通下立売東入田中町

平安宮は、延暦13年(794)からはじまり、わが国の古代宮殿のなかで、もっとも長く維持・経営されたところであって、その遺跡はすべて、京都の市街地に埋もれている。

平安宮跡の発掘調査は昭和30年代から本格的にはじめられ、38年、44年、48年の調査により回廊跡が検出された。

遺構は凝灰岩の壇上積基壇が東西幅約12メートルで南北27メートルも連続することが確認され、年中行事絵巻等によって、天皇の日常の居住空間と政治の場である内裏に特有な[[築地]ついじ]回廊の西側の基壇であることも判明した。

築地回廊は、築地に大屋根を載せ、回廊を内と外とに区分し、晴雨にかかわらず衛士が巡回できるようにした厳重な囲壁である。

他の遺跡では、今までに、平城宮跡・長岡宮跡で発掘され、この築地回廊跡の発見により、内裏であると断定する証拠となった重要な遺構である。

平安宮跡は、京都の市街と重なり、町家の建て替え等に際して多数の発掘調査が実施されてきたが、近世初頭の豊臣秀吉による聚楽第建設およびその破却による攪乱が激しいなかで、当該部分の遺構残存状況がもっとも良好である。

(国指定文化財等データベースより)

              

千本通へ

  

大極殿跡(内野公園)

所在地 京都市中京区聚楽廻東町

千本丸太町の北詰北行バス停から西に入れば内野公園で、公園内に大極殿遺阯の石碑があります。

また、内野公園南側、丸太町通に面したりそな銀行千本支店の東南角に「平安京朝堂院跡」の石碑があります。

                     

平安宮造酒司跡(京都市指定史跡)

所在地 京都市中京区聚楽廻松下町9-2 京都市中央図書館(京都アスニー)内

造酒司は,平安時代,主に宮内で支給される酒・醴(あまざけ)・酢などの醸造をつかさどる役所であった。

この造酒司推定地内では1978年の発掘調査で,総柱の東西3間(6.0m),南北3間(7.2m)の掘立柱建物が発見され,醸造用の米等を保管する高床式倉庫の遺構と考えられている。

平安宮跡は全域が市街地であることから,建物跡等がまとまって検出できた調査例はきわめて少ない。

造酒司跡でも,正庁等の主要建物は検出されていないものの,本倉庫跡のように平安京創建期の建物1棟分の遺構が良好な状態で検出できたことは,特筆すべきことであり,都城制の到達点ともいえる平安宮の復元にとって貴重な遺跡である。

(京都市ホームページより)

           

古典の日記念京都市平安京創生館(京都市中央図書館内)

平安建都1200年を記念して製作された平安京復元模型(周辺部を除く)、豊楽殿、法勝寺の模型等を展示しています。

                                     

国指定史跡 平安旧跡 朝堂院跡 豊楽院跡

所在地 京都市中京区聚楽廻中町

平安宮は平安京の北部、朱雀大路の正面にあり、東西八町南北10町の地を占めている。

平安宮の正門である朱雀門の中に入ると、正面に国家の正式な儀式を行う朝堂院がある。

朝堂院の西側には、朝堂院とよく似た構成の院がもうひとつ並んでいる。

ここを豊楽院といい、豊楽院は天皇が公的に宴会する所であり、大嘗会や、正月七日、一六日節会などの饗宴や射礼などが行われた場所であった。

豊楽院内には、周囲築地で囲まれた細長い内郭の北に正殿である豊楽殿が南面して建つ。

昭和62年10月から昭和63年1月にかけての発掘調査(約450平方メートル)で豊楽院の正殿である豊楽殿の遺構が発見された。

遺構は、豊楽殿の北辺中央から西側にかけての部分で、その検出遺構は壇正積基壇跡・階段跡・礎石抜き取り跡・北廊跡・地鎮跡等である。

豊楽殿は凝灰岩壇正積基壇の上に建つ礎石建物で、桁行九間(131尺)、梁行四間(54尺)、四面廂付の東西棟である。

柱間寸法は身舎の桁行15尺、梁行14尺等間、廂は桁行・梁行とも13尺であり、軒の出は15尺と推定される。

基壇の残存状態は良好で、礎石は残っていないがその据付位置を確認できた。

礎石据付跡は一辺2.2メートルから2.4メートルの方形である。

階段は基壇北辺部の中央間と中央間から西へ三間目で検出された。

中央間階段は、九世紀のある段階で壊され、豊楽殿後方の清暑堂に連なる北廊の基壇が造られている。

この北廊西側からは、地鎮に用いたと考えられる土壙を検出した。土壙の中から三足盤を含む土器が三点出土している。

以上のように、平安宮豊楽殿跡は平安宮の中心部を構成する建物跡であり、さらに平安宮跡内の朝堂院・豊楽院の中心部分の諸建物の中で遺構を現在確認しているのは豊楽殿のみである。

豊楽殿跡の遺構は、豊楽院や大極殿の研究にも重要な資料を提供するものであり、その学術的価値は極めて高い。

よって、史跡に指定し、その保存を図ろうとするものである。

延暦13年(794)に桓武天皇により長岡京から遷都された平安京の北辺中央に位置する我が国最後の都城跡。

既指定の平安宮豊楽殿跡の北側で、清暑堂跡、及び豊楽殿との間を繋ぐ廊跡が発見されたため、既指定の平安宮内裏内郭回廊跡と一体で保護を図る。

(国指定文化財等データベースより)

千本丸太町の交差点から西、2筋目を南に下がって2筋目の角の西側、通りの北側が清暑堂跡、豊楽院廻廊跡、南側が豊楽院跡です。

                               

二条駅への帰路、千本通の本家八ッ橋の看板は富岡鉄斎の揮毫

   

二条駅前の平安京跡案内板

    

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