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京都府京都市 時代祭

Jidai matsuri, Kamigyoku, Kyoto city

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October 22, 2016 野崎順次 source movie

京都府京都市左京区岡崎円勝寺町

京都時代祭

("Jidai-matsuri"or "Festival of the Ages", Sakyo-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

時代祭は、葵祭、祇園祭と並ぶ「京都三大祭」のひとつで、京都平安神宮の大祭です。

平安神宮の創建と平安遷都1100年を奉祝する行事として、1895年(明治28)に始まりました。第1回目は10月25日に行われ、翌年からは、桓武天皇が794年(延暦13)に長岡京から平安京に都を移された日を"京都の誕生日"として10月22日に行われています。

ご鳳輦に乗った桓武天皇と孝明天皇のご神霊に、京都市街の安泰と繁栄、進化をご覧になっていただき、各時代の行列がご鳳輦のお供をします。行列は明治維新から始まり、次いで江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、延暦と8つの時代を20の列、牛や馬を含む総勢約2000名で構成され、約2kmもの長さで約3時間にもなります。綿密な時代考証を重ねられた衣装、祭具、調度品は1万2000点にも及び、京の伝統の技をもってそれぞれの時代を細部まで再現されており、その豪華絢爛な行列はまさに"生きた時代絵巻"です。

(KYOTO design ウェブサイトより)

美術館のはしごをしようと京都に出てくると、交通規制のため、四条河原町から平安神宮に行くバスの停留所もルートも変わっている。何事かと思ったら、時代祭だった。京都市美術館で「若冲」を見て出てくると、目の前の神宮道を平安神宮に進む行列に出会った。大鳥居の下で見物する。御所から4㎞ほど歩いてきているので、お疲れの人も多いようだ。明治維新に始まり、平安時代まで見てから、道路を横切って、向かいの京都国立近代美術館で「メアリー・カサット」を楽しんだ。

                                                                                                                                                          


Oct.2012 中山辰夫

平安神宮の祭礼は4月15日であるが、この春の大祭に対し、市民の祭として行われるのが時代祭である。毎年10月22日、平安遷都

の日を記念し、全市の崇敬者を持って組織する平安講社の主催によって行われる神幸祭である。

  

時代祭の始まりは、明治28年(1895)10月22日に執り行われた遷都1100年記念祭に当たり、祭典をより一層盛大ならしめようと

平安京1500年間にわたる文運風俗の変遷を現す時代行列を計画されたのがそもそもの発端で、初回は10月25日に執り行われ

創建された平安神宮に行列が社参する姿として催された。

明治28年初回の時代祭行列と町の風景

 

以後、この行列は、京都市民の行事として永続すべきとされ、遷都記念日に当たる10月22日に時代祭として行うようになった。

 

この時代祭は、当初から京都が日本の首都として千有余年にわたって培ってきた伝統工芸技術の粋を動く歴史風俗絵巻として内外に

披露することを主眼としている。このため各時代行列に使用する意匠や祭具の一つ一つが、厳密な時代考証をもとに作成された本物で

あることに特徴があり、本年の祭に使われる衣装・祭具の時価は60億円余とされる。

伝統の都・京都ならではの祭として有名で、京都三大祭の一つとして、京都を代表する祭である。

 

山国隊の奏でる笛、太鼓の音色を先頭に約2,000人・約2㎞にわたる行列が順次延暦時代にさかのぼり、過ぎし京都の歴史を偲ばせる

と共に日本歴史の縮図を再現するかのようである。

御所に向けて出発していた平安神宮や他の数か所から出発していた行列が御所に到着し、合流する。

      

御所−建礼門前式場

    

式典を待つ御所内風景 各行列に参加する人たちや会場整理・警備の人たち、そして見物客が境内で約2時間あまり時間を過ごす。

アチコチでこれらに人々との交歓風景も見られた。

                   

PM11時前に神事が行われる

     

見物客は一杯である。

    

この人たちの見物の様子を時々挿入する。

 

行列のコース 建礼門前行在所(12:00)〜平安神宮(14:30) これは先頭の時間で、最後尾が平安神宮に到着するのはPM16:30過ぎである。

 

いよいよ行列の開始である。時間はジャスト12:00 平安から明治維新までの衣装をまとった約2000人の行列である。

先頭:オープニング

  

名誉奉行

 

時代祭は、京都市全域を地区ごとに分けた11の社で構成する平安講社が執行母体となり、10の団体有志が参加して行列を構成している。

この祭りが京都の誕生を祝う市民の祭であるため、知事はじめ市長、その他諸氏が名誉奉行を務めている。

行列の順序は新しい時代の明治維新から順次古い時代に遡って延暦時代に至り、最後に御鳳輩の神幸冽、および弓箭組冽の順に編成される。

維新勤王隊列(明治維新時代)

明治維新になってからも、幕臣が東北地方で反乱したとき、丹波北桑田郡山国村(現在・右京区京北)の有志が山国隊を組織して官軍に加勢した。

これはその時の行列にならった。

     

錦の御旗 官軍の旗印。赤地の錦に金色の日像、銀色の月像を刺繍した旗。朝敵討伐の証として、天皇から官軍の大将に下賜されるものであった。

    

幕末志士列(明治維新時代)

桂小五郎、西郷吉之助、坂本龍馬、中岡新太郎、高杉晋作、吉村寅太郎、吉田松陰、など幕末の知識階級の武士で、明治維新はこれらの人達の

働きで起訴が築かれた。ほかに、幕末に対抗した7人の公卿のいわゆる七卿落の列などもこの行列に入る。

     

徳川城使上洛列(江戸時代)

徳川幕府は大礼、年始等の際には必ず城使を上洛させ、皇室に対して礼を厚くした。城使には新藩あるいは譜代の諸侯が選ばれた。

     

大礼の時には1700人におよび、一般の大名行列より盛大で格式高かったとされる。

    

      

行列の先頭を行く槍持、傘持、挟箱持ちの掛声、動作は当時の行列のありさまを髣髴させる。豪華な駕籠や器具も注目である。

         

熱心に見守っています

 

江戸時代夫人列

和宮(孝明天皇の皇妹)をはじめ蓮月(江戸時代の女流歌人、後尼となり蓮月と称した)、中村内蔵助妻(京都銀座に巨万の富を有した内蔵助の妻

当時妻女の衣装比べの会で抜群の誉を得た人)、吉野太夫(寛永の頃、京都六条三筋の遊女)、出雲阿国(出雲大社の巫女を名乗って京都で

「やや子踊り」や「かぶき踊」を演じた歌舞伎の創始者とされる人)、などが続く。

         

豊公参朝列(安土・桃山時代)

豊公の参朝のうち慶長元年(1596)五月秀頼初参内、同2年9月元服の時などは最も盛んであったと伝えられる。この列はそれをあらわしもの。

     

乗物は檳榔毛唐庇車(びんろうげからひさしくるま)と呼ばれる牛車で、ビロウの葉で屋根を葺き、御簾などの色文装具などは最高の様式である。

前後に従う大名は実際にはもっと多人数であったとされる。

大名

    

参朝の際、その日だけに特に許された既定外の(一日晴れ)と言われる衣冠装束で、官位・家柄にかかわらない華麗な装束に武家風の太刀を付けている。

織田公上洛列(安土・桃山時代)

応仁の乱後、京都は衰頽その極みに達したが、永禄11(1568)年織田信長はお召しに応じて兵を率いて上洛し、その復興に尽くした。

その上洛をあらわしたもの。

         

この時代は鉄砲の伝来で戦闘も変化し、甲冑の多くは胴丸で、各部に鉄板を多用した具足と、派手な兜飾りや馬印が特徴である。

        

室町幕府執政列(室町時代)

武家風俗を中心とするもので、足利将軍を中心とした当時の武士の軽武装姿を表現している。足利将軍に幕府の執政に当たる三官領・四職に

任じられる主要氏族が御供衆として従い、久下・法中・御博士・医師など特色ある風俗が表現されている。

     

足利将軍

    

室町洛中風俗列(室町時代)

16世紀、室町時代後半に経済力を蓄積した京の町衆によって盛んに催された風流踊りを再現したもの。風流傘を中心に、囃子方、踊り手

で構成される。この風流踊りは全国各地に伝わりさまざまな芸能を生み出すとともに、江戸時代以降の盆踊りの原型になっている。

         

少し疲れたかな?

 

楠公上洛列(吉野時代)

元弘3年(1333)6月、後醍醐天皇が配流先の隠岐からの還幸に当たって、楠正成が一族郎党を連れて兵庫に出迎え先駆して上洛した。

それは楠公一代の盛事と言われ、この列はその様子を表したものである。この列の特長は、多様にわたる華麗な甲冑や武具が一目見られることである。

     

楠正成の甲冑

楠公は赤地菊水文錦の鎧直垂の紫据濃絨大鎧に三鍬形二方白五枚 兜(みつくわがたにほうしろごまいしころかぶと)を着用している。

時価1億円相当とも聞く。修復できる人がいないとも言われている。重さ約4kg 平安神宮に保管されている実物である。

              

中世夫人列(鎌倉時代)

大原女(洛北大原の夫人は古来薪・炭等を頭にのせて京の町へ売りに出る風習がある。これは室町末期の大原女姿である)

桂女(洛西桂は古来桂包といって女性が髪を白い布で包み、着物を短く着た装束で、主として桂川のアユと飴を京の町々に売り歩いていた)

     

淀君、藤原為家の室(阿仏尼)、静御前、これらの行列が、それぞれ特長のあるこの時代の風俗を示す。

    

城南流鏑馬列(鎌倉時代)

承久3年(1221)、後鳥羽天皇は朝威回復をはかり、城南離宮での流鏑馬に託して近畿十余国の武士を目下。この列は狩装束の射手の

武士を中心とした5組を表している。

     

藤原公家参朝列(藤原時代)

平安中期以後、藤原氏の盛時における文武両様の姿をあらわしたもの。これは夏の様式で文様、形式などいずれも当代のものによっている。

    

胡床(こしょう)に座る際に使用される。公家は豹の皮、殿上人はトラの皮

  

平安時代夫人列

この時代の400年は女性の服装が大きく変化する時期で、寛平6年(894)の遣唐使廃止頃から日本の文化は国風化の道をたどる。

この列は、奈良時代の様式の百済王明信から常盤午前・横笛・巴御前といった歴史に名を残す女性に託し、時代風俗の変化を示す。

巴御前〜横笛〜常盤御前〜百済王明信

        

清少納言 唐衣に着けた女房装束(十二単姿)の女官の清掃である。時価4000万円?

       

延暦武官行進列(延暦時代)

本列大将に当たる者は征夷大将軍坂上田村麻呂を擬したものである。桓武天皇の治世「桓」という元号は、万民が安心して暮らせる

「平安楽土」実現への強い思いが込められている。

天皇は、延暦13年(794)に平安京へ遷都して千載不易の都を造営、政治の刷新を心に尽くされる一方東北を鎮定して国家の

再生を図られた。東征を終えた征夷大将軍の行軍の様子を、正倉院御物などで考証して表している。

      

延暦文官参朝列(延暦時代)

この時代の公卿諸臣の参朝の情景を表す。

      

神饌講社列

この列は時代祭当日の神饌物を奏献する役を勤仕する者の行列である。神饌唐櫃を先頭に、浄衣姿の膳手6人、騎馬した白の礼装姿の

正副御饌長それに供奉する20人の水干姿の講員で構成される。京都料理組合がその役に当たる。

  

前列

神幸冽に前行する故に前列といわれる。雅楽の伶人、迦陵頻伽(がりょうびんが)胡蝶等優美な行列で、また多数の狩衣装の供奉もある。

     

胡蝶、迦陵頻伽、中座、中座、荷太鼓、荷鉦鼓

     

神幸列

神幸列は、一年に一度陵御祭神が市内を巡幸され市民の安らかなることを親しくご覧になる行列である。天皇の乗輿で江戸時代後期の

様式に倣った御鳳輩には、前に孝明天皇、後ろに桓武天皇の御神霊が鎮まる。

    

鳳輩

2体共戦後初めて今年修理された。黄金の輝きを取り戻した。いずれも金メッキを施した銅製「高さ67.5cm、幅106cm」1898年と1940年に

新調・修理されたが、風雨でメッキがはがれたり、羽の破損があった。

    

総長や列奉行が続く

      

白川女喧花列

比叡山に源を発する白川の流域にすみ、季節の花を売り歩くのを仕事とする女性が白川女で、その歴史はふるく、平安時代中頃から御所に

花を届けていたともいわれる。本列は伝統的な白川女姿で参加している。

     

弓箭組列

時代行列の後陣をつとめるのが弓箭組で、丹波国南桑田(現・亀岡市)、船井(現・南丹市)の両郡には弓術に秀でた人が多く、明治維新の

山陰道鎮撫の折りに弓箭組が組織された。時代祭創設当初から子孫有志が御鳳輩の警備を担い、行列に参加している。

   

行列の最終が、Pm14:00ジャストに目の前を通過していった。全部の行列が問題なくスタートできたようだ。

最後まで頑張って観て頂きました。そして長〜い拍手で送ってくれました。有難う!

 

PM15:00 平安神宮大鳥居前で多くの人達が行列を待ち構えていました。

 

参考資料≪時代祭及び平安神社と時代祭(平安講社本部配布資料、ほか)


Oct.2011 大野木康夫 source movie

2011.10.23撮影 

時代祭は、明治28(1895)年、平安神宮の創建と平安建都1100年を記念して始まりました。

葵祭、祇園祭とともに京都三大祭の一つに数えられています。

通常は、平安京遷都の日である10月22日に行われますが、今年は雨天のため翌23日に行われました。

平安神宮の祭神である桓武、孝明両天皇の神幸列の前に、京都が都であった8つの時代(明治維新、江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、延暦)を20の行列に分けた総勢約2,000名が練り歩く時代祭行列が行われます。

この行列は、京都市の全域を10社に分けた「平安講社」という市民組織により運営されています。

  

行列は、京都御所建礼門前を12時に出発し、堺町御門から丸太町通、烏丸通、河原町通、三条通、神宮道を通って平安神宮に向かいます。

神幸列は、9時に平安神宮を出発し、建礼門院前の行在所に向かいます。

各講社の参加者も、市内各地の集合地点から建礼門前に向かいます。

朝9時30分に撮影場所としてあらかじめ決めていた京都御苑の旧九条家近辺に着きましたが、建礼門の正面はすでに三脚や脚立でいっぱいで、少し東にずれた場所に座って待つことにしました。

                                 

11時15分頃に、先導の京都府警平安騎馬隊の婦人警官が2騎、南下してきました。

葵祭の先導と同じ方でした。

このころには、観客が多くなってきましたが、葵祭や祇園祭よりは少ないと思います。

     

12時に建礼門前を出発した行列は、門前の広い通りをゆっくり南下し、約10分かけて旧九条家近辺にやってきました。

先頭の横断幕

      

名誉奉行(京都市長、京都府副知事、京都市議会正副議長、京都府議会副議長)

直垂姿で馬車に乗っています。

    

時代祭行列先頭

  

明治維新時代

維新勤王隊

戊辰戦争で活躍した、丹波国北桑田郡山国村(右京区京北)の農兵隊「山国隊」をモデルとした行列です。

当初は山国村から有志が参加していましたが、大正10(1921)年から第八社(中京区朱雀学区)が奉仕しています。

横笛と太鼓の軍楽隊、シャグマを被った騎乗者、錦の御旗と、時代祭行列の代表的な行列となっています。

                               

維新志士列

維新の志士、七卿落、維新当時の公家などの行列です。

京都青年会議所が奉仕しています。

                   

 

江戸時代

徳川城使上洛列

朝廷の儀式や年始の際に遣わされた城使(親藩又は譜代の大名)の行列を模したものです。

第六社(下京区、南区)が奉仕しています。

人足や槍持などの掛け声や動きがあり、静かな行列の中では珍しいです。

                                        

江戸時代婦人列

和宮は乗り物に乗っていますが、他は歩いています。

各婦人列のメインの女の人には、京都の花街の芸妓さんが扮しています。

                            

安土桃山時代

豊公参朝列

秀頼の元服の際の豊臣家の参内行列を模したものです。

第10社(伏見区)が奉仕しています。

牛車が特徴的です。

                      

織田公上洛列

永禄11(1568)年の織田信長の上洛の行列を模したものです。

第五社(東山区、山科区、中京区、下京区)が奉仕しています。

瀧川一益の馬が落ち着かず、難儀していました。

                         

室町時代

当初から、皇国史観の影響により室町時代は時代祭から除外されていましたが、平成19(2007)年から新たに加わりました。

室町幕府執政列

足利将軍を中心とした幕府の要人の軽武装姿を再現しています。

第九社(右京区、西京区)が奉仕します。

道具が新しく、光っています。

               

 

室町洛中風俗列

室町時代に盛んであった風流踊を再現したものです。

当時に倣い、全員が男性で、女の人の着物を着るなど仮装しています。

深草室町風俗列保存会が奉仕しています。

           

吉野時代

楠公上洛列

元弘3(1333)年、後醍醐天皇が隠岐から京に戻られた際に楠木正成が先導した行列を模したものです。

甲冑が大鎧になります。

片鎌槍や熊手等の道具も時代を表しています。

第九社が奉仕しています。

                   

中世婦人列

すべて徒歩での行列になっています。

           

鎌倉時代

城南流鏑馬列

承久3(1221)年に後鳥羽院の城南離宮で行われた流鏑馬を模したものです。

子どもたちが多く参加しています。

第四社(中京区、下京区)が奉仕しています。

          

藤原時代

藤原公卿参朝列

平安時代末期の摂関政治の全盛期の参内の行列を模したものです。

第三社(上京区、中京区)が奉仕しています。

          

平安時代婦人列

巴御前は女性で唯一馬に乗っています。

清少納言と紫式部は十二単姿で歩くことができないので乗り物に乗っています。

百済王明信も乗り物に乗っています。

                            

延暦時代

延暦武官行進列

坂上田村麻呂の凱旋列を模したものです。

第二社(左京区、北区、上京区、中京区)が奉仕しています。

            

延暦文官参朝列

延暦時代の公卿が参内する様を模したものです。

第一社(北区、上京区)が奉仕しています。

     

 

ここまでで時代祭行列が終わり、神幸列に変わります。

                                  

最後に白川女と丹波弓箭組が通って行列は終わりました。

          

行列は約2時間弱で通過していきます。

終点の平安神宮付近ではもっと長くなると思います。

帰路、丸太町通はまだ通行止めでした。

   

小学生の頃に初めて時代祭を見て、ずっと思っているのですが、市民の奉仕により行列が行われているせいか、ただ衣装を着て歩いているだけというような印象を持ってしまいます。

葵祭は王朝絵巻の再現、祇園祭は今に息づく町衆の意地のようなものが感じられるのに比べ、何か物足りないのです。

ボランティアで運営される市民の方は大変御苦労をされていると思いますが、この祭は人そのものが主役なので、もう少し何とかならないものかと思います。

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