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京都府京都市左京区 蹴上、疎水
Keage, Sosui,Sakyoku,Kyoto city,Kyoto

岡崎疏水 (大津付近山科疎水にも収録されています)

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November 6,2016 大野木康夫

岡崎疏水周辺

疏水の秋景色

       

旧武徳殿(重要文化財)

                 

京都市美術館

                   

帰路

      


April 2,2016 大野木康夫 movie

インクラインは早朝から賑わっていました。

                                                 




Mar.30,Apr.6,2016 中山辰夫

蹴上 疏水

3月30日の桜 4分咲き程度
                   
 
4月6日の桜 満開です
                  

疏水 

十石舟花めぐり

Apr.06.2016

南禅寺舟溜近くから乗船する。3〜4時間待ちとの掲示が出る。大盛会である。
所要時間は往復で25分間 トンネルをくぐる時は屋根を下げる。下から見上げる桜の景色を楽しむことになる。
                        


Dec.14,2015 瀧山幸伸 movie

         


Apr.2015 中山辰夫

蹴上周辺

●【コース】日ノ岡山の第3トンネル出口から蹴上舟溜を経由してインクラインを下だり、南禅寺舟溜に至る1km弱のコース。
その近辺には蹴上浄水場・蹴上発電所・蹴上疏水公園・琵琶湖疏水記念館などがある。
ここ蹴上は南禅寺に近接しており、付近には疏水の水を利用して明治に作庭された近代日本庭園が多くある。ここからから疏水分線が分かれて行く。
この付近の散策は地下鉄東西線の「蹴上駅@番出口」からが便利で、地下道を出ると三条通りに出る。
概略図
   

日ノ岡山から第3トンネルに入った第1疏水は、蹴上で第2疏水とも合流する。
地下鉄蹴上駅の@番出口から地上に出る(三条通り)に出ると、道路の向い側に蹴上浄水場(非公開)の施設が展開している。

蹴上浄水場
国史跡 近代化産業遺産
日本最初の急速ろ過式の浄水場として1912(明治12)年に竣工した。1211(平成24)年に浄水施設をリニューアルした。
12万uという広大な場内には山ツツジ約3000本、五月ツツジが約4000本植えられており、毎年5月の連休には公開される。
      

三条通りを越えた向い側に「日向大神宮」に向かうゆるやかな石段があり、上るとすぐに蹴上船溜に架かる大神宮橋の前に出る。
日向大神宮
       
神宮橋を進むと日向大神宮に至る。この地は、粟田口と呼ばれ交通の要衝地として、平安時代以降、東海道、大津、伊勢方面の出入り口になっていた。
伊勢神宮とゆかりが深く、神話で有名な天岩戸もあるので、近代以前は「京の伊勢」として伊勢への代参や東海道の旅人の安全祈願で賑わった。
神宮境内裏手の登り階段を10分ほど行くと伊勢神宮遥拝所があるが、木々に遮られ見通しが利かない。閑静な神域である。
途中にある坂を登ってゆくと大日山墓地があり、田辺朔朗氏が眠る。

地下鉄@番出口を出て三条通りを右に進むと、「ねじりまんぽ」と称される歩行者用トンネルがある。直進すると南禅寺に至る。

「ねじりまんぽ」
地下鉄1番出口を出ると三条通りに面して、「ねじりまんぽ」と称される歩行者用トンネルがある。直進すると南禅寺に至る。
     
インクラインの下を通る「まんぽ」は上からの大きな負荷に耐えられるよう、レンガがねじったように斜めに積んである。
一部欠けるが「雄観奇想」「陽気発所」と刻まれた扁額が出入口にある。粟田焼きで、揮毫は第三代京都府知事・北垣国道である。
トンネルをくぐり「蹴上舟溜」に向かう。この周辺は「蹴上疏水公園」として整備されている。

蹴上疏水公園の周辺には多くの関連施設がある。
  
2:蹴上インクライン 4:ねじりまんぽ 5:殉職者の碑 6:田邊朔郎銅像 7:蹴上インクラインの台車と水中滑車 8:疏水工事殉職者弔魂碑
9:第1・第2疏水の合流点 10:旧九条山浄水場(御所水道)、発電所に送られ導水管など

蹴上舟溜周辺
第一疏水・第二疏水の合流点である。
        
大神宮橋の上から、全景が見渡せる。

京都市下水道局旧九条山浄水場ポンプ
蹴上舟溜り西側にある。御所水道施設の一つ。京都御所へ水を送るために1912(明治45)年に竣工した。
九条山中腹の貯水槽に送水するポンプ室は、豪華な赤煉瓦造りの建物で、正面から見ることは出来ない。
      

第1疎水の第3トンネル西口(出口)
国史跡 近代化産業遺産 1889(明治22年)完成
長さ850mの第1疏水の第3トンネル西口洞門には、初代内大臣・公家出身の三条実美の揮毫した「美哉山河」の石額がある。
  
全線トンネルを通過してきた第二疏水の水は、ここで第一疏水と合流する。通船運航の準備もあってか水がない状態の景色も含む。

第2疎水出口
   
トンネル内ばかりを流れてきた疏水はここで第1疎水と合流する。

インクライン跡地展示
       

田辺朔郎像・顕彰碑・琵琶湖疏水殉難碑・義経地蔵
蹴上疏水公園内に建つ。
琵琶湖疏水殉難碑は、1902(明治35)年、工事犠牲者慰霊のため、田辺朔郎がこの地に自費で弔魂碑を建立。「一身殉事萬戸霑恩」(いっしんことにじゅんずるはばんこおんにうるおう)の銘と、裏面に犠牲者17名の氏名が刻まれている。1919(大正8)年疏水開通30周年式典に際し、京都市に寄贈された。
    

蹴上義経地蔵
「義経大日如来」 この地蔵には次のような義経伝説がある。
遮那王が奥州に向かう途中、平家の武者9人の乗った馬が水たまりの水を跳ね上げ、牛若丸に掛けてしまった。晴れの門出を汚された牛若丸は馬上の威圧的な武将に怒りが治まらず9人の武者達を斬りすてた。冷静になった牛若丸は、武者達が哀れになり、街道沿いに9体の地蔵を建てて供養をした。
この地蔵はそのうちの一体だと伝えられ、この付近の地名を蹴上と言うのは、この伝説からといわれている。
 

山の内浄水場導水管
    
直径1.65m 長さ4m 重さ5t 

蹴上インクライン(傾斜鉄道)跡 
1890(明治23)年完成 水平距離:582m 標高差35m 当時世界最長 1948(昭和23)年まで稼働
蹴上インクラインは、蹴上舟溜から南禅寺舟溜までの斜面に舟を往復させるために敷設された傾斜鉄道のことで、1890(明治23)年1月に完成し、翌年12月から運転を開始した。全長約582メートル、幅約22メートル、高低差約36メートル、勾配15分の1の斜面に、枕木と鉄製のレール4本が敷設され、その上にワイヤーロープでつながれた台車を載せ、巻上機と滑車を回転させることで、台車が昇降する構造になっていた。
当時の舟運による交通事情がよくうかがえる産業技術遺産である。現在は両脇に桜が植えられ桜の名所となっている。1948(昭和23)年に運転が休止されたが、当時をしのびインクラインを往来した台車と三十石船が復元・展示されている。
       

桜の名所として有名。桜のシーズンは人・人・人である。今年は平日も外国人がわんさと押しかけた。
                     

蹴上舟溜から約600m、インクラインもそろそろ終わりとなる。線路の上は歩きづらい。
線路の右脇に疏水の流れが顔を出す。結構な水量である。南禅寺舟溜へ流れ込む。水音が快く聞こえる。
インクラインの終点が南禅寺舟溜のはじまりで、その周辺に建つ疏水記念館につながる。
     

第4トンネル
国史跡 近代化遺産
  
扁額は田邊朔朗筆 「籍水利資人工 すいりをかりてじんこうをたすく」

洗堰
合流した疏水水路を先に進むと洗堰に出合う。洗堰から流れ落ちる水は蹴上発電所の2本の水圧鉄管に送られる。
       

蹴上発電所取水はここから始まる
関西電力発電所送水管
      
取水口水門と送水鉄管 関西電力蹴上発電所へ向かって急斜面を一気に流下する。
インクラインから仁王門通、冷泉通、鴨川横断、御池通を通り約8km先の右京区にある山ノ内浄水場まで導水している。

関西電力蹴上発電所
京都市左京区粟田口
国史跡 近代化遺産
「ねじりまんぽ」の向かい側、仁王通りと三条通りが交差する角地に、日本で最初の商用発電所で、琵琶湖疏水の水を利用した蹴上水力発電所。
現存しているのは第2疎水を利用した第二期工事の発電所。明治45年から稼働し、現在も現役である。
第一期発電所は1890(明治23)年に着工し、翌年から送電を開始し、その電力でインクラインの台車を運航させ、京都の町に電灯が灯った。
産業振興に大きく寄与した水力発電所が京都市内に現存しているのは驚きである。
      

琵琶湖疏水記念館
疎水関連の所有する機器は近代化遺産である。
この建物は琵琶湖疏水百周年の記念として1989(平成元)年に建てられたもので、疏水の歴史解説や記念品を公開している。
              

記念館の前方には「南禅寺舟溜」からその先の「鴨東運河」が広がっている。
「南禅寺舟溜」には、右手の「夢之年百楽」の石額のある洞門からの流れと、白川の流れが注いでいる。洞門からの流れは、東山一帯で庭園や防火用に使われた疏水の水が集められたもの、白川は如意ガ岳からの水を集めたもの。他に蹴上発電所で使用した水も流れ込む。
    
噴水は高低差による水圧だけで吹き上げている。

この先の疏水の流れは、南禅寺舟溜から幹線・鴨東運河への流れと、疏水分線である南禅寺境内の水路閣に至る流れとに分かれる。
散策は、鴨東運河を調べた後に、発電所取水口の鉄製架橋を通り裏側に出て、山裾にある疏水脇の小道をたどり南禅寺に向かう。
  



●●鴨東(おうとう)運河(岡崎付近)と鴨川運河の一部
琵琶湖疏水は当初「水車動力」を目的としてスタートしたが、終わり近くになって、「水力発電」に切り替わり、鴨東・鴨川運河が幹線となった。
南禅寺船溜に放水された疏水は、白川としばらく流路を共用して、夷川ダム、夷川発電所を経て鴨川東岸に至り、以後鴨川東岸(左岸)を塩小路までは川端通り下を暗渠で、以後は開渠となり鴨川とも離れて墨染ダムに至る。
墨染ダムからは伏見インクライン(国道24号の拡幅用地に転用され現存せず)を経て伏見区堀詰で旧伏見外堀の濠川につながり、ここで幹線は終点となる。

このうち、南禅寺船溜から冷泉の田辺橋の鴨川出合までを幹線・鴨東運河(おうとううんが)と称して開通時のものである。
鴨川出合より下流の部分は鴨川運河と称して後の事業として設けられた。

●【コース】
南禅寺舟溜から仁王門通りの岡崎文化ゾーンを通り、夷川舟溜の夷川発電所を経て冷泉放水路に至る約1800mの幹線流路コース。
後は鴨川と平行して流れ塩小路放水路に至る。運河は京都を代表する文化ゾーンの外側をゆったりと流れ、途中に夷川舟溜・夷川発電所がある。

概略地図
  
第2疏水が完成した時水路の川幅は2倍に広げられたとされ、石積も堅固に造られている。

南禅寺舟溜から鴨東運河を滔滔と流れ出る疎水は、「広瀬橋」付近から仁王門通と平行に約600m西へすすむ。
運河の両側には、動物園や美術館、平安神宮、無隣庵、などが並び建ち、疏水を引き込んでいる。
         

平安神宮の庭園も疏水の水である。
     

広瀬橋のたもとに“六勝寺のこみち”と刻まれた石碑がある。疏水寄りに続く幅1m程の散歩道がその小道である。
    
六勝寺とは,院政期,天皇や中宮の発願で鴨川東岸の白河(現左京区岡崎)の地に建立された6つの寺院。いずれも「勝」の字がつく皇室御願寺の総称で、現在も町名が残る。

六勝寺は広大な寺地を有し他にも寺院や邸宅が並んだこの地域には一つの寺院街が形成されていた。保元・平治の乱、他でそのほとんどが奪われ荒廃し、畑の広がる田園地帯であった。疏水が出来た1895(明治28)年に、平安遷都千百年を記念してこの辺りが整備され、平安神宮を筆頭に有名な近代建築が続々建てられ、京都を代表する文化・交流ゾーンに生まれ変わった。
      

直進してきた疏水は、「みやこめっせ」の地点で直角に曲がり約400m北進する。
   

「ヴァラス噴泉」
みやこめっせ正面広場西側に設置されており、総重量610kg、全体の高さ約3mである。
パリ街角のシンボルとして今も愛される「ヴァラス噴泉」。1870年の普仏戦争、水の配給もままならないパリ市民の困窮を知った英国の慈善家リチャード・ウォーレス卿(Richard Wallace)により、“飲料に適した水を”とパリ市に噴泉が寄贈され、1872年に据付けられた最初の噴泉は、古代ルネサンスの彫像をイメージした噴泉であった。
1988年、京都市・パリ市友情盟約締結30周年記念に合わせ、この複製がパリ市から贈られた。噴泉を囲む4体の彫像は、それぞれ純朴、善意、節酒、慈善を表している。
  

運河には十石舟も就航している。沿線は桜の名所でもある。新緑の頃も見栄えする。
    

京都会館改修中)を右に見ながら進み、冷泉橋を越えた先で直角に曲がり直進する
    

運河の両岸は石積みで固められている。石積をよく見ると推移がわかる。
 

数本の橋をくぐって「夷川舟溜」に到着する。
    

夷川舟溜付近
     
北垣国造-二代目京都知事像が建つ。
  

夷川水力発電所周辺と京都市疏水事務所
国史跡 近代化遺産
          
1912年完成 1914年より発電開始 日本最古の発電所

疏水こみち
         
桜や紅葉の時期が美しい。疏水沿いの夷川通りのこの辺りは疏水の歴史を学ぶ絶好の地として整備された。

田邊橋
         
疎水が鴨川と合流する手前、川端通りに架かる最後の橋。田辺朔朗の疏水建設の偉業を永く後世に伝えるために「田邊橋」と命名された。
田邊橋は、鴨川運河と疎水放水路に架かり、鴨東運河の水は左折して鴨川運河になる流れと鴨川への放流の道に分かれる。

田辺小橋
    
洪水時の白川放水路に架かる橋で通常は通水されていない。

冷泉・白川放水路周辺
     

疎水は冷泉放水口に至って、鴨東運河1.8qは終点となる。古き平安の都を偲び、琵琶湖疏水の歴史を辿るにベストの地であった。
冷泉放水路口からは鴨川運河となる。

●●鴨川運河の一部
鴨東運河より数年遅れて完成した運河である。
冷泉放水路から鴨川に沿って伏見の濠川に至るコースで鴨川運河と称される。
三条までが地上ルートで残っているが、京阪電車の地下化工事でその後は暗渠となり、姿を消して、塩小路で顔を出す。。
          
塩小路橋を渡った所で暗渠から疏水の水が勢いよく流れ出る。
  

経路地図
  

鴨川運河は濠川・宇治川派流・宇治川・淀川を経由して大阪につながり、琵琶湖の西大津からの舟運が完成した。


●●疏水分線

疏水分線は第1疎水建設当初、幹線水路として計画されたが、計画変更で規模縮小となり、蹴上から水流を分岐させた枝線水路になった。
京都の夏の風物詩で知られる大文字(如意岳)の山麓に沿い、南禅寺、若王子、吉田山の東北を経て、高野、下賀茂、堀川と、南から北へながれ、沿線各地への水力利用、灌漑用水、防火用水の供給を主目的に設けられた。
次の四つに分けて散策する
若王子まで 哲学の道 白川通・白川 北白川疏水道

●若王子まで

【コース】
蹴上から分流して山麓に沿って南禅寺境内に入り、水路閣を経由して第4〜第6トンネルをくぐって若王子に至るコース。
大部分は東山山腹を縫うトンネルである。

概略図
   

南禅寺水路閣までの疏水の流れを追う。
蹴上発電所取水口水門と送水鉄管を見遣りながら柵に沿った道を行くと、南禅寺・疏水分線に向かう水路にでる。
水路は山裾の斜面につくられ、幅約2mで、その左側を歩く。
         

水路閣は、長さ:約92m 地上高:約10m 幅:約4m(水路巾2.5m) 1887(明治20)完成である。見上げるとその大きさに圧倒される。
        
閣体はレンガと花崗岩、水路と主要部分には高価なモルタル、その他は安価な石灰・火山灰の混合モルタルを使用。
居間でこそレンガも苔むして寺域の雰囲気にマッチし違和感が無くなったが、建設当時は議論百出であったろう。

南禅院
水路閣の上に建つ「南禅院」、南禅寺の発祥の聖地である。亀山天皇が離宮を寄進して、禅寺として大明国師が開山された。夢想国師の作とされる庭園は、鎌倉時代の代表的な池泉回遊式庭園で、京都三名勝史跡庭園の一つに指定されている。その池には疏水の水が利用されている。
    

疎水は、水路閣からは東に向かって進み、高徳院(最勝院)の前で北に向きをかえ、第5トンネルに入る。 (1890(明治23)年完成 102m
最勝院は駒道智大僧正を祀る塔頭で、約200m奥にある駒ケ滝から「駒ケ滝本堂」の名がある。
       
疏水はここから暗渠に入る。 水路閣→第5隧道→扇ダム→第6隧道→松ヶ崎上水場取水池と流れて若王子で顔をだす。

●疏水が顔を出す若王子橋迄の流域を散策する。

水路閣へは、蹴上インクライン下の”ねじりまんぽ”をくぐる小道が南禅寺境内にまで続いている。
小道の両側には庭園に囲まれた「大寧軒」・「何有荘」・「金地院」などの大寺院や大邸宅・別荘が続き、南禅寺塔頭の白壁も続く。
白川通り沿いを含めた「南禅寺界隈別荘群」の始まりで、いずれも疏水の水を利用した立派な庭園をもつ。南禅寺界隈別荘群については別に掲載する。
      

金地院
1631(寛永7)年に小堀遠州が作庭したもので、鶴亀庭園の名で知られる。庭の裏手には1628(寛永5)年に造営された東照宮がある。
     
南禅寺境内にある著名な庭園をもつ金地院・南禅院・天授院は疏水の水を利用している。

間もなく南禅寺の広大な寺域に入る。

南禅寺伽藍
中門を過ぎると大伽藍が目に飛び込む。塔頭の構えも大きい。
             

南禅寺の三門の前から塔頭「慈氏院」「聴松院」の前を進み北門を出ると、「野村美術館」「東山学院」が続く。
     

●疎水分水
水量の多い水路があり上流を辿る。疏水事務所管理の看板があり、疏水の分水であることが分かる。
     

分水は、学院の南・北校舎の間を流下し、野村美術館を過ぎて、白川通に向かって流れる。
この界隈には、野村碧雲荘・恰園・旧細川家別宅・流響院・真々庵桜鶴苑・對流山荘・菊水・八千代・順正・等大きな庭園を抱えた、別荘の類が多くある。
別邸の間を白川に向かって勢いよく流れている。この一帯には大邸宅が並ぶ。分水の流れは白川と合流
     

野村の案内にある赤線がそのまま疎水分水の流れを示している。
     

再度もとの道に戻る。東山学院に隣接する形で「永観堂禅林寺」の寺塀が現れる。桜も素晴しいがやはり紅葉である。

永観堂禅林寺
大門をくぐり寺域に入ると”紅葉の永観堂」といわれるだけに、もみじの群列が迎えてくれる。
永観堂は、平安初期に弘法大師の弟子「真紹僧都」が創建したもので、千百有余年の歴史をもった京都でも有数の古刹である。
応仁の乱でこの寺も灰燼に帰したが、多くの名僧が続出して復興に努力し、今日の基礎がつくられた。
千百有余年の間に育てられた歴代の紅葉が描き出す春・夏の光景は見事であるが、本尊「みかえり阿弥陀仏如来」は比較にならない美しさと優美に溢れている。
            
境内は紅葉の木々で一杯。訪れた4月16日は紅葉が新芽を吹きだした所で、その若葉の新緑が美しかった。
     

境内の奥に進むと、幼稚園生の元気一杯の掛声に混じって、水が流れる音が聞こえる。アチコチ探して見つけたのが「扇ダム跡」である。墓所の裏にあった。

●「扇ダム」跡
扇ダムは扇の形から命名された遊水地で、水路に必要量以上の水が流れてきた時にその分をオーバーフローさせ、扇ダム(遊水池)に流出→扇ダム放水路という経路でパスさせ調整する。
また、疏水が、扇ダムから周囲の寺社・庭園に防火用水という目的で提供され、それで取られる以外の水は扇ダム放水路を通って疏水記念館の横まで流れていく。旧ダムは南禅寺の墓地の片隅から見える。

       
永観堂を出ると交差点があり、東に折れ、若王子橋をめざす。
松ケ崎浄水場「若松取水池」は橋の手前にあるが中には入れない。
     

「若王子橋」
ここが「哲学の道」のスタートポイントで、暗渠から疏水の水が暗渠から顔お出す。
    


●●疎水分離−哲学の道

●「コース」
若王子橋から浄土寺橋に至る約2kmのコース。
若王子橋から疏水べりを通って銀閣寺前に行き、裏道を通って再び疏水道に戻るコースで、約2km(山沿いに疏水に並行して走る裏道も含む)
整備されて京都有数の散歩道として知られ、周辺には有名な寺院・神社が多くある。

概略図
  
哲学の道という名称は、当初銀閣寺の山門手前を右に入り、法然寺山門から安楽寺・霊鑑寺を経て大豊神社横に出る山裾の裏道に付けられたが、日本画家の橋本関雪夫人が疏水分線沿いに桜を植えた1922(大正11)年以降、疏水沿いの道が「哲学の道」と呼ばれるようになった。
西田幾太郎や川上肇、田辺元らの哲学者が好んで散策したことによる。京都市も昭和44年、47年に散策道路として整備した。

散策は、哲学の道を中心とし、近辺の寺社・他も訪れる。

「熊野若王子神社」周辺
この神社は「新熊野神社」「熊野神社」と共に京都三熊野の一つで、学問や縁結びの神として参詣者が多い。
1160(永暦元)年に後白河法王が、熊野権現を永観堂禅林寺の守護神として祀るために建立した若王子の鎮守社である。
    

いよいよ哲学の道のスタートである。

若王子橋から銀閣寺道、左折して白川通りとの交差点に至るまで29カ所に橋が架かっている。
この中で名前のついた橋は、若王子橋・大豊橋・寺ノ前橋・桜橋・法然橋・先心橋・銀閣寺橋・銀閣寺西橋・西田橋・浄土寺橋の十カ所ぐらいで、他は無名。
無名の橋は個人で設けられた橋で、多くある。顕子内親王御墓もある。
    

「大豊橋」周辺
     
疎水に沿って北に進む。橋の正面に大豊神社がる。椿や南天で有名。創建は887(仁和3)年と古い。大黒社に狛ネズミ、日吉社には狛猿、愛宕社に狛鳶の像が飾られている。表参道は鹿ケ谷通につながっている。

近辺の桜も美しい
         

「寺ノ前橋」周辺
    
この辺りは”ゲンジボタルの生息地”として知られ、その説明掲示板がある。さらに進むと30cm巾の石畳を並べた小道があらわれる。

「桜橋」周辺
     
桜橋を渡ったところにある「冷泉天皇桜本陵」。冷泉天皇は平安時代中期の第63代天皇。村上天皇の第二皇子で、諱母は藤原師輔の娘中宮安子。円融天皇の同母兄。

周辺には粋なお店もある。
     

周辺の桜も見事である。
                

「先心橋」周辺
この橋は法然院の山門につながる。法然院の参道に寺域を囲む石垣が出てくる。次に山門を入ると「白砂壇」が設けてあり、時節柄か桜の花紋がみられた
     
法然院から裏道を南に進むと「法然院」と関係の深い「安楽寺」が、更に進むと「霊鑑寺」がある。いずれからも風格を感じる。
    
先心橋の手前に西田幾太郎歌碑がある。
    
「人は人 吾はわれ也とにかくに 吾行く道を吾はゆくなり」

「銀閣寺橋」周辺
交差点は銀閣寺参道につながるため、一気に人があふれる。サクラのシーズン、銀閣寺は人で一杯である。
     
銀閣寺
     

疎水の流れは方向を変えて西北に進み、散策道は今出川通と白川通の交差点まで続く。
満開前の哲学の道
    

満開時の道
    

関雪桜と白沙村荘
     
散歩道の西田橋の向かい側に画家橋本関雪が作った「白沙村荘」と「橋本関雪」記念館がある。
関雪さくら約300本は、夫人が夫の大成を感謝して植えられたもの。1922(大正11)年、苗木を京都市に寄贈されたことから始まった。かなりの老木になっているが、今も「哲学の道」の景観の中心である。

疏水分線の流れに沿って哲学の通りを歩いてきたがいよいよ「浄土橋」に到着。 このコースは終わりである。
  

浄土橋近辺で、満開の桜に見惚れる。
         
哲学の道は赤い下線部までである。
 

次は白川周辺を取り上げる。疏水分線は「「北白川疏水道」へと流れる。

●●北白川疏水道
浄土寺橋から疏水の流れに沿って一乗寺西橋に至る約1.5qの散歩道で、第一疏水完成時は更に高野川及び賀茂川を越えて紫明通を通って堀川までつながっていた。現在は断続している。

 





Nov.24,2014 瀧山幸伸 movie

             
                                 


April 6,2014 大野木康夫 movie

蹴上インクライン
                                               

 






Apr.2013 大野木康夫 HD video

撮影 Mar 30,2013 

岡崎疏水のライトアップ

                              





April,2011 撮影:大野木康夫 HD video

琵琶湖疏水の左京区岡崎、南禅寺近辺は、岡崎疏水と呼ばれ、桜の名所となっています。
4月10日の早朝と昼頃、桜の撮影に行きました。

始発の地下鉄に乗って蹴上駅からねじりまんぽを通り、インクラインに上がりました。
インクラインの両側は桜並木になっています。
早朝ということもあり、人もほとんどいませんでした。

            

インクラインを下り、白川の船溜に行きました。

          

船溜から桜を見ながら、疏水沿いに動物園〜美術館〜神宮道まで行きました。

                         

早朝は神宮道から平安神宮方面に向かいました。
改めて昼頃、子どもを連れてインクラインから動物園に行きました。
早朝とはうって変わって、多くの人が花見を楽しんでいました。

            

船溜のところから琵琶湖疏水記念館に行きました。
琵琶湖疏水の竣工100周年を記念して平成元(1989)年に開設された施設です。
日本初の事業用水力発電所で使われていたベルトン式水車、スタンレー式発電機や、御所水道用の鉄管などの記念物、田村宗立、河田小龍が描いた疏水建設時の記録画、琵琶湖疏水に係る設計図等(田邉家の寄託品)が展示されています。
平成21(2009)年には、蹴上付近のジオラマ展示が設置されました。

                 





蹴上界隈

Jan.2011 撮影:大野木康夫

雪の元日の蹴上交差点

 

日向大神宮参道

  

旧九条山浄水場ポンプ室
明治45(1912)年の建築
煉瓦造
九条山浄水場は京都御所に防火用水を送った旧御所水道の浄水場です。
ポンプ室の設計は片山東熊と山本直三郎で、実用の入口のほかに、疏水に面して玄関が設けられています。
これは、皇族が琵琶湖疏水を通って京都に入られた時に、関係者がここに並んで出迎えるためだと言われています。
積み上げられている袋は粉末活性炭です。

        

琵琶湖疏水蹴上合流点
第1疏水第3トンネルの西口で、地下を通ってきた第2疏水が合流します。
合流点は浄水場の取水口となっていますが、かつては蹴上船溜として、インクラインの接続点でした。
第3トンネルの扁額は「美哉山河」は、三条実美の揮毫です。

            

インクラインを下って「ねじりまんぽ」に向かいました。
朝日に照らされた市街がまぶしかったです。

     

ねじりまんぽ
インクラインの下、三条通から南禅寺に向かって設けられた隧道は「ねじりまんぽ」と呼ばれる煉瓦積みが施されています。
「まんぽ」は隧道のことですが、インクラインに対して斜めに築かれているため、煉瓦をわざとねじったように積んで強度を保ってあります。
扁額「雄観奇想」、「揚気發處」は設置時の京都府知事北垣国道の揮毫です。

      

ねじりまんぽから何有荘、金地院を通って南禅寺に向かいました。

     





Nov.2010 瀧山幸伸 HD video

A camera

                                  

B camera

                          


疎水
Nov.2008
    

Mar. 2006 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps HD video Video FAQ


                               



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