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京都市北区 光悦寺
Koetsuji, Kitaku, Kyoto city, Kyoto

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Aug. 2012 中山辰夫

京都市北区鷹ケ峯
宗派:日蓮宗
本尊:十界大曼荼羅

紅葉のシーズンは大変な賑わいである。だが、盛夏の訪問者はほんの僅かで、見るべきものもない。
洛北鷹ケ峰の光悦寺は、紙屋川谷に臨んだ急傾斜地の上を占める小さな寺である。
江戸時代の初め、本阿弥光悦が徳川家康からこの土地を拝領して、一族や知友と移り住み、いわゆる
鷹ケ峰芸術村を開いた。
寺はそのときに本阿弥家の位牌所として建てられたのもとされる。

本阿弥光悦は、江戸時代初期の書家、陶芸家、画家で寛永の三筆のひとりともいわれる。
本阿弥光悦は京都出身で、刀剣の鑑定を家業とする本阿弥家に生まれた。


見事な延段が参道である。両側はトンネルをつくる紅葉が並ぶ。秋のシーズンは圧巻である。

茅葺の鐘楼、受付を経て進む

本堂 瓦が凝っている。

このお寺には7の茶室があるときく。その最初が三巴亭である。

三巴亭(さんば) 
三巴には「過去・現在・未来」の意がこめられているとか。

大虚庵 
光悦が鷹ヶ峰に営んだ居室の名称から取られたとされる。現在の大虚庵は大正時代(1915)に建てられたもので
当初の内容とは異なっているとされる。 

光悦垣
竹を粗く組んだ光悦垣(臥牛垣)、大虚庵露地の仕切りに用いられている。全長18メートル、最上部の玉縁は細割竹を束ねて太く作られ
さらに、弧を描いて地面に届く。組子は、2枚合せの割竹で、菱目に組まれている。地表少し上に、半割竹の押縁が渡されている。

了寂軒

鷹ケ峰
絶景が広がる。目の前には鷹ケ峯三山(鷹ケ峯・鷲ケ峯・天ケ峯)が見える。

本阿弥庵

苑路と垣根 紅葉のシーズンでは味わえない、苑路まわりの景観を楽しんだ。

文化財
光悦町古地図、光悦作の茶碗、木像、色紙、短冊などが収蔵庫で見学できる。

本阿弥家が去った後は次第に荒廃して、明治維新後は茂るに任せてあり雑木林になっていた。光悦を慕う人々の尽力で復興されたのは
大正に入ってからのことである。
苑路は常に手を入れているが、庭は自然のままで、臥牛垣のカエデやハギ・ススキもいつかそこに生え、いつか育ったものという。
しぐれの季節が特にいいとされる。名物の北山しぐれはまずこの寺の木々を濡らしてから、京の町を走るとか・・・。

本阿弥光悦と鷹ケ峯との関係は、家康からの拝領地にとって始まったのでない。光悦はすでに慶長初年の頃、鷹ケ峯に
別墅(べつしょ)を構え、ここで趣味の作陶などを手掛けていた。拝領後4年を経った元和5年に移住した。
約十万坪の「御制外の地」であった。移住した一族、友人、職人は約50人、家族を含めて100人を越える人数だった。
友人には、茶屋四郎次郎道清、尾形宗柏、俵屋宗達がいた。光悦はこの地で18年間、もっとも得意とした作陶をはじめ
絵画、書蹟、蒔絵、漆器など、おびただしいばかりの作品を制作しながら81歳で死去した。

≪資料≫光悦寺縁起
   

 


Nov.2010 瀧山幸伸 HD video

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