JAPAN GEOGRAPHIC

京都府京都市東山区 南座

Minamiza, Higashiyamaku,Kyoto city

Category
Rating
Comment
General
 
Nature
 
Water
 
Flower
 
Culture
 
Facility
 
Food
 


Apr. 2013 中山辰夫

京都市東山区四条大橋東詰大和大路西入中之町198

南座のシンボルマーク。毎年顔見世興行の時に新調。職人の手による手書きで、手漉きの越前和紙を使用。昭和45〜6年頃から使われ出した。

国登録文化財

1929(昭和4)・1991(平成3)改修復元 設計:白波瀬直次郎 施工:白波瀬工務店:鉄筋コンクリート造五階建(地階あり)

四条河原付近は、出雲阿国が「かぶき踊り」を始めた歌舞伎発祥の地。その地に建つ南座は、元和年間(1615〜23)に幕府に公認された七つの

芝居小屋のうち、現在も残る唯一の劇場である。

外観

1929(昭和4)年に木造から鉄筋コンクリートに改築され、1991(平成3)年現在に即したデザインに改修。歌舞伎の劇場としての華やかさをこまやかな

デイテール表現が行われている。

四条大橋近辺からの遠景

先斗町の料亭の川床から見る

南座外観細部

桃山風破風造りとそれに続く屋根のある劇場は、日本出もここだけ。BELCA賞「ベストリフォームビルデイング部門」受賞

平成の大改修の際に屋根の葺き替えに要した瓦は約3万枚。改修時漆喰で固定されていると予想して瓦をはずすとあらわれたのはモルタル製の

瓦桟。当時の左官職人の技術に触れた。この桟を活かし、勾配に合わせた特注の瓦や、松と竹を組み合わせた松竹マークに南座の文字を刻んだ

瓦も使われている。

正面大屋根に白い幕に囲まれた9尺4寸の四角に囲まれたスペースを「櫓」といい、幕には松竹(株)のマークを染め抜く。江戸時代お上から

興行の許可を受けた劇場のみ掲げる事ができ、櫓の左右には白い御幣が立っている。これを「梵天」といい、神様が降臨するための依代(よりしろ)

この梵天は八百万の神をかたどって800枚の和紙(美濃紙)で、毎年顔見世のまねき上げの時に約2週間かけて新調する。一年間風雨に曝される。

館内散策

正面ロビー

大理石造りの正面玄関を入ると、アールデコ風のデザイン照明が迎えてくれる。空間の違いに応じて、デザインの違う照明器具。それらの照明器具は

斗きょうや提灯・ぼんぼり・花等の日本的意匠をモチーフとして安土桃山風をいとしてつくられたという。

1階から3階の客室へのドア。カーテンは大塔宮護良親王ゆかりの「牡丹唐草段模様」のデザインが施されている。

衆色に塗られた欄干とその端部には擬宝珠。扉には美しい飾り金具。松と竹をあしらっている。平成3年の新装時、磯村才次郎商店の手によるもの。

階段には凝った意匠が加えられ、華やかな演出である。手すりはそれがある空間の全体の雰囲気に合うよう違ったデザインが施されている。

一階ロビー

上村松篁の「花の中」やアンドレ・コボタの「赤いバラのブーケ」の絵画が雰囲気を盛り上げている。

ロビーの絨毯、模様は蘭の花を描いている。

舞台

緞帳と定式幕(じょうしきまく)

緞帳(どんちょう)は、「赤地草花連紋」。杜若の花、格調高い菊、可憐な小花、、鴨川の飛沫など、自然豊かな京都のイメージを取り入れたデザイン。

定式幕(じょうしきまく) 歌舞伎の舞台で使われる三色の引幕。左から「黒」「柿色」「萌葱 もえぎ」

舞台は総ヒノキ張り。

ここに観衆をうならせるスケ−ルの大きくて見事な舞台装置が造られる(道具帳)

 

花道

舞台と直角に客席を貫くように造られている。花道の長さを10とし、揚幕から7分、舞台から3分のところを七三。七三にある迫りを(スッポン」といい

幽霊、妖怪など超自然的な役柄の登場に使われる。

揚幕

花道の突き当り、及び舞台上手の出入口にかけてある幕をいう。舞台の様子が覗けるようになっている。

俳優の出や引っ込みの時に「チャリン」という音を響かせて独特の雰囲気と間をつくりその幕を引く速さや強さ、音の大小などは、演目や登場人物の役柄

又俳優個々の注文によって違い、芝居の演出に深くかかわる。

破風

江戸時代初期の劇場は、能舞台の形をまねてつくられ、客席には屋根が無く、舞台の上と桟敷席の上にのみ、屋根がつくられていた。その形を残して

いるのが、舞台上部の唐破風。劇場正面の唐破風と対をなしている。寛政年間には取り外され、歌舞伎を上演する劇場で残っているのは南座のみ。

客席とその周辺

客席表

館内一周

舞台上より写した館内

一般座席

桟敷席

一階客席の左右、一段高くなっている席。掘りコタツ式で、ゆったりと芝居見物が出来るようになっている。舞妓さんや芸妓さんの“総見”の行事がある。

天井面

中央部が一段上がっている「折り上げ格天井」で、寺院や劇場の大空間に使われる。

シャンデリアは、アール・デコ様式で宇宙を表現した装飾模様。金の飾り金具には松竹マークが刻印されている、

提灯

客席には132個の提灯が飾ってある。

舞台に上がる。 切り込みが回転と11個のセリの位置を示している。

舞台は360度回転する

セリ舞台のダウン

セリ舞台のアップ 二階の高さと目線があう。

緞帳の降ろしは瞬間の速さ。 裏面には「火の用心」

舞台にいると照明からでる熱気に参る。ここで一時間半近くも演技する俳優さんたちのただならぬ体力に頭が下がる思いであった。

南座では毎年四月に,「歌舞伎鑑賞教室」が開催され今年で21回目を数えます。中高校生や一般客が多数参加します。最終日もほぼ満員。

芝居見物には、やはり和服姿がよく似合うようです。また「歌舞伎ム−ジアム−南座2013」と銘して特別舞台体験も催されました。

≪参考≫

■顔見世

師走が近づくと、京都の風物詩とされる南座の「顔見世」が行われる。正面に俳優の名前を書いたまねき看板が掲げられると年の瀬を感じさせる。

毎年11月中旬に「まねき書き」の行事が行われ、その年に出演する俳優名が書き上げられる。慣例では、11月25日には「まねき上げ」が行われ

数日後、南座は顔見世初日を迎える。昔、役者は毎年10月末で契約を更新するならわしであったため、11月から新しく抱えられた役者を紹介

すべく、披露興行をしたのが顔見世の起こりで、これが新暦で12月になったものである。

まねき看板は、長さが1.8m、幅が32cm、厚さが3.3cmのヒノキの木を使い、勘亭流の筆太の文字が躍る。内側に曲がるように書くのは、大入りの

縁起をかつぐためとされる。

まねき

ずらりと並んだ看板数は、40〜50名分とされ、向って右側は関西、左側は東京の俳優の名前が並ぶ。看板の上部は入り屋根形の庵を付けて

織り、俳優の紋で飾っている。

現在は、役者のほとんどが松竹に専属しているので、顔見世とは名ばかりで、現在は正月興行というべきか。

毎年10月に御園座、11月に東京の歌舞伎座、そして12月に京都南座で顔見世興行が行われる。

■南座建屋の変遷

明治期の南座、大正期の南座、昭和4年の南座

■阿国歌舞伎碑

阿国歌舞伎発祥の地の碑 南座の川端通沿い入り口近くに建つ

南座の西側にある。昭和28年(1953)1月、歌舞伎発生350年を記念して建てられた。碑の裏に「阿国歌舞伎発祥地」としるす。

阿国は出雲大社の巫女といわれ、永禄年中、近江国(滋賀県)の浪人名護屋三座衛門と共に男女立合の狂言を組み、祇園八坂神社

の南門に於いて興行したのが歌舞伎の起源とされる。その後、北野の森、五条河原の南で興行したが、秀吉が伏見から入京の際、見物

群衆がその通行を妨げたので、1603(慶長8)年4月に四条河原に移り「やや子踊り」を群集の前で見せた。

やや子踊りとは、猿楽から発生したもので、女房狂言と言われたものの流れを組む踊りで、大衆受けするエロチックな場面、奇抜な演出

スト−リ−が面白く評判を呼んだ。これが「かぶき踊り」とされ、女歌舞伎発展の礎となった。

「かぶき」は「傾く」の義で、女が男装して茶屋女と戯れるしぐさをしたことから発展して、遊女かぶきとなり、次いで若衆かぶきとなったが、いず

れも風紀を乱すこととして幕府から禁じられた。

そこで女形が生まれ、今日のような男だけの演劇となった。

四条河原で阿国歌舞伎ばかりでなく、軽業曲芸の類や人形を操る傀儡子(くぐつし)、諸々の見世物が出て賑わっていた。

■北座

阿国歌舞伎以来鴨川は大衆芸能の上演地となって大いに栄える場所となった。当時は河原で芝居をしたことから歌舞伎役者を卑しんで

河原者とか河原乞食と呼んでいたという。

江戸時代に四条河原で行われていた歌舞伎芝居が発展し、常設芝居小屋を設けたのが起こりで、元和年間(1615〜24)、幕府が公認

した7つの櫓(芝居小屋)が生まれ、祇園新地の発生とともに大いに賑わった。

その一つ、南側芝居小屋が南座の前身である。南座の前には北座があった。

四条通りを挟んで、南座とは近い距離にあった。

南北に座がしのぎを削って興隆した。

それが幕末頃には南・北二軒となり、1894(明治27)年の四条通りの第一次拡張工事により北座が廃止され、南座のみが残った。

現在の建物は、1929(昭和4)年の改築による鉄筋コンクリート造りで、地下一階、地上五階、正面屋上の軒先には、昔の振れ太鼓をのせた

櫓を組み、みそぎの梵天二本が建っており、往時の遺風をあらわしたものである。

入母屋屋根の下に唐破風。豪壮で、華やかな装飾金具などが特徴の桃山風の破風造りである。

平成3年に内部は大幅に改修されたが、外観は保存された

5階はギャラリーになっており、四条河原での芸能興行、北座の資料のほか、舞子さんや歌舞伎役者の企画展示もある。撮影は禁止である。

5階からの遠景

■歌舞伎座 新開場

2013年4月 

参考資料≪新撰京都名所図会、史跡を歩く、都名所図会、路、京都高瀬川、南座支給パンフレット、他≫


Dec.2012 大野木康夫

南座

Minamiza

2012.12.1撮影 

師走の風物詩、南座の顔見世興行で掲げられる「まねき」を撮影しました。


   All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中