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京都府京都市上京区 妙覚寺
(Myokakuji Temple, Kamigyoku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

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Feb,06.2018 中山辰夫

京都市上京区上御霊前通小川東入下清蔵口町135

宗派:日蓮宗 本尊:十界曼荼羅 創建:1378(永和)年 開基:小野妙覚 開山:日像上人 日蓮宗京都十六本山の一つ
妙顕寺、立本寺の開山も日像上人である。狩野一族の菩提寺で、元信、永徳など一族の墓が並ぶ。
   
境内には本堂・祖師堂・華芳塔堂・華芳宝塔・大門の5棟が京都府指定有形文化財。

一時は本能寺とともに織田信長の上洛時の宿所とされ千利休による茶会も催された。
妙覚寺大門は、豊臣秀吉が1590年に建設した聚楽第の裏門を1663年に移建したものといわれ、西本願寺の飛雲閣、大徳寺の方丈・唐門などとともに数少ない聚楽第の遺構。妙覚寺の塔頭は善明院、實成院、玉泉院

大門
           
1788(天明8)年)の天明の大火の類焼を免れた。聚楽第裏門と伝承される。1663(寛文3)年に寺内での移建の記録が残る。
様式上も桃山期の特徴を残す。

祖師堂
         
桁行7間梁間5間の大堂。中央には日蓮大聖人、向って右に日朗上人、左に日像上人を祀る。(写真:引用)江戸期建立

特別展示 「大涅槃図」(引用:ガイドブックより)寺宝である 近々詳細な調査が行われると聞く
 
狩野元信の作 幅約4.6m、高さ約5.9m。 一般への公開は始めて。

社殿内部は撮影禁止 窓の外〜庭園はOKでした

庫裏−拝観入口
       

玄関
       

玄関・庫裏から方丈〜本堂まで廊下が通じている 本堂へ行く間に窓から庭園を写す。本堂が部分的に見える
       

玄関の部屋から見る坪庭−悟りの窓
  

本堂
堂内には、画家・塩津文雄の大作・「四天王と釈尊 顔面像」が拡がる。「引用:静岡新聞 文化生活部ブログより」
 

「法姿園 ほうしえん」全景
    
前庭・中央・奥庭の3つに分かれる。前庭は本堂前の唐門、大塀に囲まれた方形の庭。紅葉を植え多だけの「自然庭園」 紅葉・苔も美しい

堂内は撮影不可 縁側より撮影可の「法姿園」を観る 正面は唐門
      

唐門
      

廊下
      
本堂と祖師堂をつなぐ

塔頭
実成院
    

善妙院
  

他に玉泉院がある

参考
斉藤道三のゆかりの寺として知られる。
道三は若い頃妙覚寺で修行し、日諦上人に帰依していたことから終生深い関りを持っていた。織田信長もその縁で妙覚寺を定宿として八回使用した。1573(天正元)年、1575(天明3)年には妙覚寺で千利休の茶頭で大茶会が行われた。
1582(天正10)年6月1日信長の嫡男・信忠が妙覚寺に宿泊し、本能寺の変を知って応戦したが及ばなかった。伊達正宗も宿とした。

参考資料≪写真の引用はガイドブックより≫




Feb.3,2013 野崎順次 source movie

京都府京都市上京区上御霊前通小川東入下清蔵口町135
具足山 妙覚寺
(Myokakuji Temple, Kamigyoku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

妙覚寺は北竜華具足山と号し、京都日蓮宗名刹三具山および京都十六本山の一つである。南北朝時代の1378年、竜華院日実上人により、信徒で豪商の小野妙覚の四条大宮の邸で創建され、その後、二条衣棚に移ったが、豊臣秀吉による大規模な都市改造の際に、この地に移築された。一時は本能寺とともに、織田信長の上洛時の宿所とされ、千利休による茶会も催された。(現地説明板)

妙覚寺大門

この大門は、寺伝によると、秀吉が天正十八年(1590)に建てた聚楽第の裏門を、寛文三年(1663)に移築したものと云われており、西本願寺飛雲閣、大徳寺方丈・唐門などとともに数少ない聚楽第の遺構である。城門特有の両潜扉がつけられ、また梁の上には伏兵のできるように空間が設けられている。建築史上興味ある建物である。(現地説明板)

                                                         

その他境内、本堂は改修工事中

                         

近くで見た?梅

     





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