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京都府京都市上京区 妙顕寺

(Myokenji Temple, Kamigyoku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

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日像上人と光琳ゆかりの寺
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December 1,2019 大野木康夫 source movie

秋の特別公開に行きました。

堀川通のイチョウ

   

宝鏡寺の紅葉

    

門前から参道の紅葉

        

境内

    

本堂西側の紅葉

      

庫裏から特別拝観区域

  

四海唱導の庭

                         

坪庭

  

光琳曲水の庭

        

水琴窟

  

再び四海唱導の庭

   

展示

 

勅使門付近

          

本堂廊下から

                   

帰路

        


March 31,2018 大野木康夫 source movie

出町の本満寺のシダレザクラが散りはてていたので、急遽、妙顕寺に行きました。

道中、相国寺境内を横切った時の桜

     

新町寺之内の新さくら広場

          

妙顕寺門前

         

境内

             

本堂裏手へ

        

書院付近

                           


Apr.3,2015 中山辰夫

上京区寺之内通新町西入る妙顕寺前町514

宗派:日蓮宗大本山

1321(元亨元)年日蓮の法孫、日像上人が今小路に創建し、1582(天正10)年現在地に移った。

社殿や大客殿の前庭や書院の前庭は野崎さんのページをご覧ください。

■■■境内の桜

途中に見えるお会式桜(おえしきさくら)

寺の内幼稚園の漆喰塀の上に咲いている。

   

山門周辺

   

本堂周辺

      

三菩薩堂と尊神堂、御真骨堂周辺

     

勅使門と寿福院塔周辺

    

大玄関

   

庫裏

   


March 15, 2015 野崎順次 source movie

京都府京都市上京区寺之内通新町西入妙顕寺前町514

具足山 妙顕寺

琳派を代表する 尾形光琳ゆかりの寺

鎌倉時代、日像上人が京都初の日蓮宗道場として創建した大本山。伽藍の中心には、天井に信徒の家紋をあしらった総欅造の荘厳な本堂が建つ。琳派を代表する尾形光琳の屏風絵を元に作られたという「光琳曲水の庭」、客殿前の「龍華飛翔(りゅうげひしょう)(四海唱導(しかいしょうどう))の庭」、孟宗竹の坪庭と、風情ある三つの庭が残る。今回は、光琳筆「寿老松竹梅三幅対(じゅろうしょうちくばいさんぷくつい)」、江戸琳派の祖・酒井抱一筆「観世音菩薩像」など琳派の絵画のほか、狩野山楽筆「楼閣山水図」屏風など寺宝も特別展示される。

(京都市観光協会「第49回今日の冬の旅 非公開文化財特別公開」ウェブサイトより)

パンフレットと現地説明板

      

山門あたり

      

鐘楼(梵鐘は京都市指定文化財)

     

「四海唱導之霊蹟」の石碑

 

本堂

            

三菩薩堂と尊神堂

    

御真骨堂

              

納骨堂

 

慶中楼

  

龍神廟

  

寿福院塔と勅使門

         

大玄関

        

庫裡

      

第49回京の冬の旅 非公開文化財特別公開

大客殿と龍華飛翔四海唱導の庭

                 

孟宗竹の坪庭

      

光琳曲水の庭

           

妙顕寺近くに置かれている「百々橋の礎石」

     

市バス「堀川下立売」前のラーメン店「笑麺」、背脂醤油ラーメン系、テレビに外部路面の映像が映っており、駐車状態を確認しながら安心してラーメンが食べられる。通常ラーメンに煮卵と海苔を付けたデラックス版が「笑麺」で店の名前と同じ。

       


Feb.2013 野崎順次 source movie

妙顕寺の墓地

Graveyard of Myokenji

四海唱導妙顕寺は山号を具足山、又の名を龍華といって、日蓮大聖人の孫弟子になる、日像聖人が六百六十余年の昔、創建(1321)された関西法華宗団の根本をなす由緒ある寺で、大本堂の両柱に掲げられた聯に「宗祖直授の大導師として、妙法の教を弘め、法華宗号の発祥をなし、勅願寺として四海唱導の公許を誇る、日本国中の宗門の棟梁の零場である」(文意)とある通り、創立以来法華下第一の誉れを伝え、都の法華門下派廿一本山(現在は十六)の正に草分けであり、中心的存在として今日に至っているが度々の法難をうけ、殊に天文の法乱では破壊的な打撃を受け、信長秀吉等の弾圧もあり、寺地も変ること四度と伝えられる。

明治に入って法華各宗派が大合同し、身延山を祖山と仰いで日蓮宗が結成されてからは、その大本山として全国に三百余の末寺を統率していたが、昭和十六年の制度改革によって、全ての末寺を教団に解放し、今は名称のみを伝えているのが現状である。

(妙顕寺HPより)

妙顕寺の北西に広い墓地があり、真ん中に小さなお堂がある。うろこ雲が出ていた。

                   

中には大きな仏像がある。とても良いお顔をされた丈六の阿弥陀如来坐像で、印相は施無畏与願印である。お堂にお参りに来た若い男の人は由来を知らなかった。

                   

墓地をうろうろ。織田信長の頃からある古い墓地だそうだ。

                


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