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京都府京都市右京区 妙心寺と塔頭
Myoshinji ,Ukyoku,Kyoto city,Kyoto

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京都市右京区花園妙心寺町1 妙心寺 仏殿 重文 近世以前/寺院 江戸後期 文政10(1827) 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺 廊下1棟 19120208
京都市右京区花園妙心寺町1 妙心寺 法堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 明暦2(1656) 桁行五間、梁間四間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺 廊下1棟 19120208
京都市右京区花園妙心寺町1 妙心寺 山門 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長4(1599) "五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付 山廊 各桁行二間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺" 19120208
京都市右京区花園妙心寺町1 妙心寺 浴室 重文 近世以前/寺院 江戸前期 明暦2(1656) 桁行五間、梁間正面五間、背面三間、一重、切妻造、妻入、本瓦葺 19120208
京都市右京区花園妙心寺町1 妙心寺 経蔵 重文 近世以前/寺院 江戸中期 寛文13(1673) 桁行一間、梁間一間、一重もこし付、宝形造、本瓦葺、八角輪蔵付 19120208
京都市右京区花園妙心寺町1 妙心寺 勅使門 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長15(1610) 四脚門、切妻造、檜皮葺 19120208
京都市右京区花園妙心寺町1 妙心寺 南門 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長15(1610) 三間薬医門、切妻造、檜皮葺 棟札1枚 19670615
京都市右京区花園妙心寺町1 妙心寺 大方丈 重文 近世以前/寺院 江戸前期 承応3(1654) 桁行29.5m、梁間21.7m、一重、入母屋造、こけら葺 19120208
京都市右京区花園妙心寺町1 妙心寺 玄関 重文 近世以前/寺院 江戸前期 承応3(1654) 桁行五間、梁間一間、一重、唐破風造、檜皮葺 19120208
京都市右京区花園妙心寺町1 妙心寺 寝堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 明暦2(1656) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺 19120208
京都市右京区花園妙心寺町1 妙心寺 小方丈 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長8(1603) 桁行15.9m、梁間10.0m、一重、入母屋造、こけら葺 廊下1棟 19120208
京都市右京区花園妙心寺町1 妙心寺 庫裏 重文 近世以前/寺院 江戸前期 承応2(1653) 桁行25.8m、梁間18.0m、一重、切妻造、妻入、東面、西面、北面庇付、北面及び東面下屋附属、総こけら葺 廊下1棟 19120208
京都市右京区花園妙心寺町1 妙心寺 北門 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長15(1610) 三間薬医門、切妻造、本瓦葺 棟札1枚 19670615
京都市右京区花園妙心寺町1 玉鳳院開山堂 重文 近世以前/寺院 室町中期 室町中期 桁行三間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺 19010327
京都市右京区花園妙心寺町1 玉鳳院四脚門(微笑庵前門) 重文 近世以前/寺院 室町中期 応永(1394-1427)頃 一間平唐門、檜皮葺 19070828
京都市右京区花園妙心寺町39 靈雲院書院 重文 近世以前/住宅 室町後期 室町後期 桁行7.8m、梁間7.0m、一重、入母屋造、西面庇付、東面廊下附属、こけら葺 19060414
京都市右京区花園妙心寺町46 天球院本堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永(1624-1643) 桁行21.2m、梁間14.0m、一重、入母屋造、桟瓦葺 玄関1棟、旧障壁下地桟1組、旧獅子口1個 19220413
京都市右京区花園妙心寺町35 退蔵院本堂 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長7(1602) 桁行16.9m、梁間10.9m、一重、入母屋造、こけら葺 玄関1棟、棟札1枚 19670615
京都市右京区花園妙心寺町66 衡梅院本堂 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長9(1604) 桁行18.9m、梁間11.9m、一重、入母屋造、西面庇付、こけら葺 棟札2枚、棟札1枚、旧壁下地板1枚、旧縁框1本、古材25点 19670615

May 5, 2015 野崎順次 movie

大法院
(Daihoin, Ukyo-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

京都府京都市右京区花園大藪町20
臨済宗妙心寺派大本山

妙心寺塔頭の一つで境内西に位置しています。真田幸村の兄で松代藩主であった真田信之の菩提寺として創建されました。当初は、妙心寺四派(龍泉派・東海派・霊雲派・聖澤派)のうち東海派に属しましたが、後に龍泉派となります。寺名は信之の法名「大法院殿徹岩一明大居士」に因みます。露地庭園が美しいことで有名です。通常非公開ですが、春の新緑と秋の紅葉の時期のみ特別公開されます。
文化財は江戸時代中期の絵師・土方稲領の「叭叭鳥図(ははちょうず)」八面など。
(KYOTOdesign ウェブサイトより)

春新緑の特別公開に行った。ここには兵法学者佐久間象山のお墓もある。

アプローチ

パンフレット、山門から玄関へ

玄関から茶室

坪庭、室内は撮影禁止

佐久間象山お墓

帰途





May 5, 2015 野崎順次 movie


京都府京都市右京区花園妙心寺町35
臨済宗大本山妙心寺
退蔵院
(Taizo-in Temple, Ukyo-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

アプローチ、JR花園駅から花園東陵を経て妙心寺へ

パンフレットと現地説明板

山門から進む。

国重文 玄関と本堂

国史跡名勝 退蔵院庭園(元信の庭)

それから

陰陽の庭

さらに

余香苑の一部からあずまや、つくばいと水琴窟、売店、茶席大休庵

昭和の名庭、中根金作作庭「余香苑」






March 8,2015 大野木康夫 movie

妙心寺衡梅院
Myoshinji Kobaiin

妙心寺塔頭(塔所)衡梅院が「京の冬の旅」で特別公開されていたので行きました。
衡梅院は妙心寺中興の祖、六世(九世)雪江宗深禅師の塔所として、細川政元の開基により文明12(1480)年に創建されました。
現在の本堂は慶長9(1604)年に豊臣家の七手組の一人、真野蔵人一綱の寄進により再興されたもので、重要文化財に指定されています。
本堂及び茶室(長法庵)の室内を除き撮影が許されていました。

表門から玄関へ

聳えるのはアスナロの木、植込みは茶の木です。

本堂(重要文化財)

慶長9(1604)年の建築
桁行18.9m、梁間11.9m、一重、入母屋造、西面庇付、こけら葺

南側正面が全面苔の庭園(四河一源の庭)になっており、全体を撮影することはできません。

玄関側から

玄関の扁額

玄関脇から

東側廊下

南側廊下

北側廊下

細部

梵鐘(重要美術品)

寛文12(1672)年の鋳造

蓮の葉型の美しい梵鐘です。

東側の庭

茶室「長法庵」

南側正面「四河一源の庭」

「四河」は開山雪江宗深禅師の四人の弟子、景川宗隆(龍泉派)、悟溪宗頓(東海派)、特芳禅傑(霊雲派)、東陽英朝(聖澤派)を指し、「一源」は雪江宗深禅師を指します。
庭の石組でひときわ大きな石が雪江宗深禅師を、その周りの四つの石が四人の弟子を表しているとされています。
かつては枯山水でしたが、現在は一面に苔が生じています。
昭和になって、中根金作が整備したということでした。

玉鳳院南側から見た衡梅院

鐘楼北側から見た衡梅院本堂の屋根

本堂廊下から見た本坊伽藍

衡梅院表門から見た玉鳳院開山堂

玉鳳院四脚門(微笑庵前門)

法堂、仏殿、三門、南総門








Jan.31,2015 中山辰夫

■■■ 妙心寺
京都市右京区花園妙心寺町1

撮影:Jan〜Feb.2015

妙心寺境内は、古くから近隣の子どもたちの遊び場、学生や一般の人達の通学・生活路として使われ、親しまれてきた。それは今も変わらない。

妙心寺は花園上皇がこの地にあった離宮を禅寺に改めたもの。開山は関山慧玄、無相大師である。当初は大徳寺の末寺にあった。
応仁の乱で焼失した後、六世住持の雪江宗深が復興すると禅寺として独立し、龍泉・東海・霊雲・聖澤のいわゆる四本庵を構えた逸材の弟子を中心に勤め、五山禅の衰退をよそに妙心寺禅は教域を伸長し、臨済禅の主流の地位を確保した。
現在の妙心寺は、洛西・花園の約10万坪の広大な敷地に、46の塔頭と伝統建築の伽藍群を抱えた日本最大の禅寺であり、臨済宗妙心寺派の総本山で、全国に約3500の末寺をもつ。

山内概説

山内図


南総門から4〜500m続く石畳が一直線に延び、両側には巨松が天を突く−往古から変わらない佇まいである。
石畳に並行して勅使門、三門、仏殿、法堂、寝殿、大方丈、庫裏が南面して建つ。
東側には浴室、鐘楼、東司、経蔵、西側には、洪鐘、黄鐘調の鐘楼。別に玉鳳院、開山堂の諸堂が並び、39もの塔頭が取囲む。

■山内の門めぐり 
 
京都には多くの寺院があるが、重文の伝統建築の門が並んで建っているのは妙心寺だけである。

●南総門

妙心寺の正門、表門で、境内への玄関口である。妙心寺道に面している。隣は勅使門。
小さな宇多川をまたぐ石橋(国重文)を渡った所に建つ。

門は1610(慶長15)年、徳川家康の時代に創建。既に400年以上経過している。幅約8m、高さ約7mの簡素な門である。
門に立って妙心寺の庭を見ると七堂伽藍が一直線に並んでいるのが確認できる。ストレートに延びる石の道が眩しい。

●勅使門
南総門のすぐ西に建つ。南総門と同時期に建てられた。
妙心寺の正式な表玄関で、天皇の使者の参入や妙心寺の住持が晋山するときにだけ開門される。
現在の勅使門は、高さ9m、幅5.6mの切妻、檜皮葺、の四脚門で、石垣の石組と白塀に映える美しい風格のある名門といえる。


細部
門前の石橋(重文)の銅製擬宝珠に慶長年間の刻銘がある。
古色蒼然とした桧皮の屋根が、庶民的な南総門と違って威厳を感じさせる。

蟇股には桃山時代の特徴的な彫刻が刻まれていると資料にはあるが、狭い箇所にあって写し難い。

境内側から見た勅使門 放生池越しに見る姿も美しい

●三門
応仁の乱後に造営された三門は、東西約500m、南北約600mの広大な敷地に幾多の伽藍が建つ中で、妙心寺のシンボルとしての役を果たす。
五間三戸、高さ16m、幅15m。重層、入母屋造、本瓦葺。階下左右に山廊をつけた唐様建築。華麗で重厚感の漂う門である。


三門の造営は、応仁の乱後からであるが、造営には逸話が残っている。後陽成天皇や徳川家康からの支援もあった。
三門は戦前に解体復元修理が行われ、平成の大修復で華麗に蘇った。周囲の履き清められた白砂と石畳に、朱色の柱が映えて、荘厳な雰囲気が漂う。当初は朱でなかったと聞く。何時頃から朱に塗られたかは不明。

朱色の柱と棟木の先端に塗られた金色、黒塗りの鉄錨、手挟の塗色、四隅の造形(魔除けであろうか)などが目を惹く。

三門楼上に登ると、中央、須弥壇には宝冠を載せた観音菩薩と十六羅漢像を安置。右脇には祇園精舎を建てた月蓋長者(げつがい)が侍する。
鏡天井、柱に描かれた極彩色の雲龍や天人の画が鮮やかである。撮影は一切禁止である。

一直線に並ぶ伽藍

三門と仏殿の間の4本の松は妙心四派の松といわれる。往古は天を突く大木だった。今は、何代目であろうか、大事に育てられている。

二つの唐門が並んでいる。


●玄関 唐門

玄関は国重文の庫裏や法堂・仏殿へ行く通路につながる。

●大方丈(国重文)の唐門

大方丈の縁側から見る唐門

●北総門

一条通り(旧仁和寺街道)に面して建つ。どっしりとした趣のある門で、もう一つの正門である。地元の人にとって今も懐かしい通用門である。
禅刹らしい重厚感のある門構えで、古木の柱に本瓦葺の屋根、両側に白壁の塀が連なる。石道の両側に塔頭が並ぶ。

「大本山妙心寺」と刻まれた3m余の石柱が正面脇に立つ。

玉鳳院
玉鳳院は、境内中央の仏殿を東へ100mほど行くと宝蔵池に面して建つ。花園天皇が一院を設け禅宮としたと伝わる。
王鳳院は通常非公開の寺院。

開山堂
開山堂は妙心寺を開いた関山彗玄像を安置しており、1538(天文7)年に東福寺から移築された境内最古の建造物で、豊臣秀吉の長子・鶴松(棄丸)や織田信長・信忠父子、武田信玄、信勝、勝頼らの墓所である。

●玉鳳院向唐門
国重要文化財

方丈の正面にある門。唐破風が正面にある。寛文年間(1661〜73)に、大阪の淀屋辰五郎が寄進したといわれる。
後方の方丈を覗き見る

●開山堂四脚門
国重要文化財


堂前の四脚門は檜皮葺の唐破風造の四脚平唐門で、応仁の乱を免れた妙心寺最古の貴重な建物。
白壁沿いに厳かに建つ門構え、重量感と気品あふれるが四脚門は後小松天皇の内裏であった門を賜ったもので、江戸時代までは南の勅使門として使われていた。


王鳳院は通常非公開の寺院で四脚門も”開かずの門“であるが、数ある塔頭の中でも一際厳かな雰囲気が漂う古門である。
平唐門は二本の円柱を本柱にして、本柱に棟木、控柱に側桁を置いて切妻造の屋根を架けている。
脇の古柱には応仁の乱で撃ち込まれたいくつもの弓矢の傷痕が残り、歴史を500年程遡らせる。
後方が開山堂

 





■■■ 妙心寺塔頭

妙心寺境内は、古くから近隣の子どもたちの通学路、遊び場として親しまれてきた。塔頭をつなぐ石の道は教練の授業にも使われたが、子どもたちの楽しい「かくれんぼ」の隠れ場でもあった。それは今も変わらない。

臨済宗大本山妙心寺の山内には、石畳で結ばれた寺町が形づくられており、その中に46もの塔頭がある。
今から600年以上前の、1404(応永11)年に建立された山内屈指の古刹である退蔵院に代表されるように、寺院各々は、規模も大きく、歴史や国指定の重要文化財を有し、さらには史跡・名勝の指定を受けた見事な庭園を併せ持っている。
各塔頭寺院が、名だたる武将や大名の菩提寺であるためか、他山に比べ裕福さが漂う。この裕福さは華麗な塔頭の構えに出ている。目立った飾りは無いが、各々趣の違う門に入り、庫裏に至るまでの庭の多様さ、石畳の味わい、形の違う本堂の姿、など格調高い雰囲気が全体に感じられる。

白い壁の塀に囲まれた各々の塔頭を結ぶ細長い敷石道をめぐるのは、観光客の少ない冬の日に限る。そこには枯れた華やぎと禅寺の落ち着いた佇まいの空間が広がっており、心穏やかさに浸れる時間がもてる。毎朝、競うように掃き清められた寺院の前庭は訪れる者の心を打つ。雲水や僧侶の法衣姿も清々しい。

各々の塔頭を並べる。
塔頭と石畳
縦横に走る石畳道は、各寺院の門前にまでのび、各寺院の門から前庭の敷石につながる。

山内図

01−慈雲院 非公開
南総門を入ってすぐ左側の突き当りにある。1653(承応2)年大阪の橘屋新兵衛が湛月紹圓を開祖に創建。織田信長の乳母の塔がある。
井伊家の香華所でもある。本堂、庫裏が大きく構える。

02−退蔵院 通年公開 国重要文化財所有
今から600余年前の1404(応永11)年に越前の豪族波多野出雲守重通が無因和尚(妙心寺三世)に帰衣し建立した寺で、妙心寺寺院内で屈指の古刹である。
本堂(附 玄関)が国重要文化財、院内には国宝の瓢鮎図がある狩野元信築庭による庭園は史跡名勝である。

山門と前庭
妙心寺塔頭の中でバランスの整った美しい形状を残した「薬医門」とされ、江戸中期に建設されたもの。前庭は、京都府有形文化財に登録されている。

大玄関
唐破風造りの変態で非常に珍しいとされている玄関。破風の曲線が直線になっており、ちょうど袴の腰のようになっていることから「袴腰(はかまごし)造り」と呼ばれている。1966(昭和41)年に国の重要文化財に指定。
江戸初期の富豪・比喜多宗味居士(ひきたそうみこじ)が寄進したもので、法要儀式その他高貴な方々以外は使用されなかった。

本堂(方丈)
国重要文化財
桃山時代の方丈形式本堂の代表例。前後唐破風造りの玄関を付した方丈建築で、内部には渡辺了慶筆の障壁画二十八面がある。
建築:1602(慶長7)年 桁行:16.9m、梁間:10.9m、一重、入母屋造、こけら葺 江戸時代、宮本武蔵がここで修業した話も残る。

方丈の襖絵と杉戸絵
狩野光信の高弟であった狩野了慶の作で、探幽と共に活躍した狩野派の絵師。
この襖絵は高台寺の屏風絵や西本願寺の襖絵などとともに、桃山後期の優れた遺品とされている。

「瓢鮎の図」
国宝
日本最古の水墨画「如拙筆」 ちいさな瓢箪で大きなナマズをいかに捕えるか―という禅の問題。

悟りの不可思議を描いた図上には、京都五山の高僧31名の賛(回答)が並ぶ。

元信の庭
国史跡名勝庭園
約八十坪の狭い地割に設けられた廻遊式に観賞式を加えた石組本位の枯山水庭園。蓬莱石を中心とする巨石を組み、池庭的に表現されている。
作庭者は狩野元信といわれ、『都林泉名勝図会』にも紹介されて早くから室町期の名園の一に数えられている。
庭の背景には、やぶ椿、松、槇、もっこく、かなめもち 等、常緑樹を主に植え、一年中変わらない美しさ「不変の美」を求めたとされる。

余香苑
紅枝垂れ桜で超有名!JR東海の宣伝ポスターにも採用された。花園天皇のご法愛の深さが今も余香となって漂うという意味から名付けられた昭和の名庭。
設計は造園家の中根金作氏(昭和の小堀遠州とさえいわれる。ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニングで連続日本一に輝く足立美術館庭園も設計された)
1963(昭和38)年に着工し、3年の月日を費やして完成した。結構な広さである。一年を通して、紅しだれ桜や藤、サツキ、蓮、金木犀、楓などが彩る。

庭園の瀟洒な入口門 ナマズを形どった鴨居

春の鮮やかな紅枝垂れ桜は、大野木氏のページで味わって頂きたい。紅葉も見事とか。

陰陽の庭
門を入ってすぐ、右側にある。敷砂の色が異なる2つの庭は、物事や人の心の二面性を伝えている。陰の庭に8つ、陽の庭に7つ、合計15の石が配されている。

苑内

≪参考≫
禅寺で婚姻が正式に認められたのは明治時代の後半で、退蔵院に「奥さん」として入ってこられたのは、現在の住職夫人のお母さんが初めて。
当時の退蔵院は、無住のボロ寺で、廊下の板がはずれ、釘が出ていたりで、屋内でも下駄をはいていたとか。戦時中は先代住職が出征したため、夫人が女一人で留守番をし、空襲警報の度毎に本尊の首だけ持って防空壕に逃げ込んだという。
庭にある石(余香苑)
和歌山県有田川上流にダムが建設される予定があり、その地域にあった「花園村」が水の底に沈むという話を聞いた先代住職が、「ご縁がある!」とひらめき、そこの石を頂いて庭を造ろうと、トラックを乗り付けて、寺に石を運ぶという日々を一年間続けられた。そしてある程度石を運んだところで、近隣にお住いの造園家・中根金作氏に相談され、孟宗竹林の林であった跡に「余香苑」が生まれたようです。今ある石のほとんどはこの時運ばれた紀州石です。≪パンフレットより)

03−天授院 非公開 重要文化財を所有している。
1380(康歴2)年、妙心寺二世授翁宗弼が開祖。現在は専門道場になっている。

04−聖澤院 非公開 重要文化財を所有している
1523(大永3)年創建。妙心寺十三世東陽英朝を勧請開祖とする。妙心寺四派本庵の一である。 細川、土岐氏の外護で建立。
寺宝に絹本著色「摩利支天像」一幅(重文・高麗)を有する。

05−霊雲院 非公開 国重要文化財を所有している。
1526(大永6)年に、薬師寺備後守国長の室、清範尼が薬師寺一族の菩提を弔うために、大休宗休禅師に帰衣して創建した妙心寺四派本庵の一つである。
後奈良天皇は、識徳の高い大休宗休禅師に深く帰衣され、しばしば霊雲院に行幸された。
門前に西田幾太郎の石柱がある。な門内左手に哲学者西田幾太郎博士の墓があり、碑面に博士の号「寸志」の二字を刻む。

書院(御幸の間)
国重要文化財
室町時代、1532年頃の建立。後奈良天皇が行幸した際の御座所として使われ「御幸(ごこう)の間」と呼ばれた。
一重、切妻造、?葺、三畳、五畳半棚附、四畳半床附。狩野元信の障壁画(国重要文化財)が描かれている。

方丈
栂尾の阿伽井房の建築を移建して1543年(天文12)に作った。 現在の方丈は江戸時代、1693年に造替された。
庭園
国の史跡、名勝。書院南にある。室町時代、相国寺の子建西堂の作庭で、枯滝と蓬来山水の構成を兼ねた石組をもつ枯山水式庭園。
障壁画
狩野元信筆とされる。合計49幅。狩野元信が大休和尚に参禅した余暇に描いたと伝わる。


06−通玄院

1579(天正7)年虚?了廓を開祖として寺西信之が創建

07−玉龍院 非公開 国重要美術品所有
1598(慶長3)年生駒一生により創建された。廟堂は、生駒家の菩提寺

08−大法院 特別公開
1625(嘉麓)年、松代藩主真田信之(幸村の兄)の菩提寺として、信之の遺命に従い孫・長姫が創建した。
当初は、妙心寺四派(龍泉派・東海派・霊雲派・聖澤派)のうち東海派に属した。寺名は信之の法名「大法院殿徹岩一明大居士」に因む。
真田家の菩提寺である。光国院の梁南禅棟により中興された以後は龍泉派となった。
方丈の襖絵「山水図」四面は、渡辺了慶の筆といわれ、他に片山尚景筆と思われる「山水図」八面を有する。
幕末の兵法学者で松代藩士であった佐久間象山の墓がある。

09−大龍院 非公開
1606(慶長11)年、中村一氏公を開基として創建。中村一氏は、室町時代-江戸時代の武将。近江国の人。織田氏の家臣・羽柴秀吉に仕えた。
1577年天王寺攻略、本願寺門跡派の一揆鎮圧、1582年山崎の戦い、1583年賤ヶ岳の戦いの功により和泉国岸和田城主。1585年近江国水口岡山城主。その後の武勲で、1598年三中老の一人に任じられた。1600年関ヶ原の戦いで東軍に与するが合戦前に病死。

庭園
方丈の背後にある庭園は、『都林泉名勝図会』にも紹介された名庭であったが、明治維新後、久しく荒廃するがままであったが、1978(昭和53)年に造園家・重森完途氏の手により、同名勝図会の挿絵に沿わせて復興された。

10−徳雲院 非公開
一際奥まった所にある。一直線に伸びた石畳道。
1506年(永正3)に妙心寺に十五世大休宗休(円満本光国師)が開創。大休宗休はのちに霊雲院を創建する。

裏門 天祥院の手前にある

11−春光院 非公開 国重要文化財を所有する
1590(天正18)年創建。豊臣秀吉に仕え後、松江開府の祖となった堀尾吉晴が、長子堀尾金助を小田原の戦いで失ったので、その菩提を弔うために建立した。
方丈は江戸中期以後の客殿建築様式の特色を完備した建造物である。方丈裏の大書院は、淀城の寝所を移築したもので、丸木のままの長押や天井にも桃山時代の建物らしさが見られる。


方丈襖絵は金箔画で、京狩野派永岳の筆、東の間「琴棋書画図」、室中「月と雁」、西の間「花鳥」、同上間「太公望」の題材が描かれている。
春光院は庭園に伊勢神宮の外宮(豊受大御神)を祀っているため、商売繁盛の寺としても有名である。

銅鐘(南蛮寺の銅鐘 HPより)
国重要文化財

方丈東にある銅鐘は「南蛮寺鐘」と称し、織田信長が京都に建立を認めた南蛮寺(キリスト教会堂)で用いられていた。
寺伝によればポルトガル製の鐘で、側面の周囲に太陽の文様の中に十字架とIHSの文字を組み合わせた円文を四方に鋳出し、そのうち一方に1577年(日本の天正5年)の西暦年号を鋳出している。
「IHS」はイエス・キリストを意味し、ギリシャ語の「イエス」の最初の3文字、あるいはラテン語の「人類の救い主イエス」の頭文字とされる。嘉永7年に仁和寺より当院へ伝来したが、その際、幕府の目をおそれて朝鮮伝来の鐘とされた。

12−天祥院 非公開
1645(松平下総守忠弘が創建。86年(明治19)にほとんど焼失、その後再建に着手、1976年(昭和51)に本堂の再建ができた。

13−寿聖院 紹介者ある場合に公開
1599(慶長4)石田三成により創建。石田光成一族の供養塔、枯山水庭園、石田関係の書画・白衣観音がある。山門〜玄関〜本堂 (HPより)

参考資料≪配布パンフレット、その他≫



14−金牛院 非公開
1650(慶安3)年環陵を開祖に創建

15−天球院 非公開 国重要文化財所有
1631年(寛永8)岡山藩主池田光政が大伯母・天久院のために建立した。開山は江山景巴。池田家の菩提寺である。
本堂
国重要文化財
桁行七間、梁間六間、単層、入母屋造の禅宗方丈。江戸時代方丈建築の典型とされる。
障壁画と杉戸
国重要文化財
方丈内部の障壁画56面は狩野山楽・山雪父子の筆とつたえ、禅寺に珍しい金碧画「竹虎図」「梅の遊禽図」などが有名。杉戸にも彩色画が描かれている。

16−隣華院 非公開 重要文化財所有
1599(慶長4)年に南山玄興を開山、脇坂安治が創建。南化玄興(1538-1604)は、「心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と、火炎の中に身を投じた快川紹喜の弟子として知られ、元亀元年(1570)33歳の若さで妙心寺58世になった。脇坂安治は、賤ケ岳七本槍で名高い。式台・客殿・大玄関が並ぶ

方丈には、長谷川等伯の襖絵・山水図(重文)と狩野永岳の金地極彩色の障壁画がある。(HPより)
方丈の襖絵紙本墨画「山水図」二十面(重文・桃山)他に豊臣棄丸坐像(重文・桃山)を蔵する。

17−智勝院 非公開
1597(慶長2)年稲葉貞通が、父一鉄の菩提を弔うために創建した。開祖は妙心寺七十四世単伝士印・大光普照禅師である。
境内には、明智光秀の重臣・斎藤利三夫妻(春日の局の父母)の墓がある。

18−隣祥院 非公開
1634(寛永11)年の創建。徳川家光が乳母春日局追福のため、碧翁和尚を開山として建立した春日局一族の菩提寺である。

19−大通院 非公開
先の大通院は1586(天正14)年一柳直末を檀越に南化玄興を開祖とし、その後山内一豊はその子湘南を南北の弟子とし、香華寺とする。

20−光国院 非公開
1620(元和6)年美濃加納の城主松平忠隆が、父の菩提所として創建。開祖は梁南棟である。

21−雲祥院 非公開
1598(慶長3)年熊本城主細川氏家臣、長岡是庸が創建。開祖は海山元珠

22−長慶院 非公開
1600(慶長5)年三折全友夫人(秀吉正室ねねの実姉)が開基。門は伏見城の東門が移築された。

23−桂春院 通年公開 国重要文化財所有する
1598(慶長8)年の開祖。織田信忠(信長の長男)の2男・織田秀則(津田秀則)が水庵宗掬(すいあんそうきく)を開祖として見性院(けんしょういん)を創建。秀則死後、美濃の豪族・石河貞政(いしこさだまさ)が寛永9年(1632年)に父の50年忌の追善供養のために桂南守仙(けいなんしゅせん)を請じて建物を整備し、父の法名「天仙守桂大禅定門」・母の法名「裳陰妙春大姉」から1文字ずつをとり桂春院と改めた。
アプローチ〜山門〜玄関
山門は京都府指定文化財

方丈(本堂)
京都府指定有形文化財。
1631(寛永8)年に建立された、単層、入母屋造・桟瓦葺の建物。 庫裏も京都府指定文化財

内部は中央に仏間と室中の間を設け、正面に本尊薬師如来像を安置する。楯上にかかげる「桂春院」の額は、天間独立の筆である。
内部は狩野山楽の弟子である狩野山雪による襖絵で飾られている。

このうち「金碧松三日月図」は狩野山雪の筆によるもので襖絵へと改装された。

庭から見た方丈

書院

既白庵茶室(きはくあん) 非公開
書院の背後の東北隅のかくれるようにしてある。石河貞政が寛永8年(1631年)に城主を務めていた長浜城から書院ともに移築した茶室。
深三畳台目、?葺、東側を切妻造として出庇をつける。藤村庸軒流の茶室と伝えられる。
妙心寺では詩歌・茶道などは修行の妨げになるため厳禁だったが、建物の隅に隠れるように茶室を建て,ひそかに茶を楽しんでいた。

庭園
国の史跡・名勝
清浄(しょうじょう)の庭付近
方丈北側の壺庭で、片隅には紀州の巨岩・奇石を直立した枯滝の石組と白砂で流れを表現している。(六根清浄・・・)

侘(わび)の庭付近
書院前庭より飛石つたいに既白庵茶室に通じる露地庭で、梅軒門と猿戸によって内露地と外露地に分けられ,狭い中につられている。苔に覆われた蹲踞が隠れるように置かれている。1799(寛政11)年刊の「林泉名所図会」にも記された。

思惟(しい)の庭付近
方丈の東側に広がる庭で、梅軒門より飛石が延び,露地風の趣きある庭園である。

真如(しんにょ)の庭付近
方丈南側の庭園で、サツキ・霧島ツツジ・馬酔木などがバランスよく植えられている。

真如の庭の奥にも広い庭園が広がっている。

24−大雄院 限定公開
1603(慶長8)年慧南玄譲を開祖とし石河光忠が創建。享保11年に客殿と書院(京都府指定文化財)を再建。
庫裏は江戸末期に改造された。山内塔頭建築の変遷を知る上で貴重とされる。

25−養徳院 非公開
1583(天正11)年石川光重が父・光延の菩提所として建立。開祖は功澤宗勲で光延の子。

26−蟠桃院(はんとういん) 非公開
1601(慶長5)年豊臣秀吉の家臣前田玄以により創建。開祖は一宙東黙。伊達家の香華寺である。

27−海福院 非公開
1616(元和2)年夬室智丈を開祖として福島正則が創建

28−雑華院 非公開
1583(天正11)年一宙東黙を開祖として、千利休の高弟である牧村利貞が創建。

29−如是院 非公開
妙心寺五祖・義天玄承の開祖。1462(寛政3)年中興。

30−福寿院 非公開
1619(元和5)年龍天宗登を開祖とし水野忠清の室により創建。

31−大心院 通年公開
1479(文明11)年の創建。庭は阿吽庭と通称されるが、石で三尊像を象徴した、本堂とは別の庭の形をした第二の本堂である。
現本堂建立記念に植樹したとされる五葉松とキリシマツツジが見事といわれる。

32−東海庵 非公開 国重要文化財所有 庭園が史跡、名勝
1484(文明16)年妙心寺十一世悟渓宗頓を開祖に創建。悟渓は東海地方を中心に考えを広めたとされる。妙心寺四派本庵の一つ。
小方丈と玉鳳院へ向かう交差点の角に建つ。方丈(本堂)、書院、庫裏、鐘楼、などからなる大層な規模の塔頭で、天正年間(1573-1592)、武将・石川一光(東海庵殿)が現在の規模に拡張したとされる。内部は非公開で入れず。

方丈玄関付近
三門とは別に設けられている。一重入母屋造、桟瓦葺、桁行9間半(18.9m)、梁行6間半(12.7m)

山門付近

庭園
書院庭園が南庭園と西庭園とあり、南庭園が国史跡、名勝の指定を受けている。方丈にも前庭が幌がる。

33−長興院 非公開
1581(天正9)年九天宗端を開祖として滝川一益が創建

34−東林院 特別公開
1531(享禄4)年、室町幕府の管領・細川氏綱が、養父・細川高国の菩提を弔うために建立した「三友院」が起源。1556(弘治2)年、細川高久の孫・山名豊国が開基となり再興し、寺名を「東林院」と改名。以来、細川氏菩提寺から山名氏の菩提寺になった。その後、堂宇大破の際には、山名家にて本堂・庫裏が再建された。現在は、通称「沙羅双樹の寺」として有名。

基本的に非公開寺院であるが、毎年1月の「小豆粥で新春を祝う会」、6月の「沙羅の花を愛でる会」および10月の「梵燈のあかりに親しむ会」の時は特別拝観可能である。
現住職の西川玄房は精進料理研究家として著名であり、精進料理を食べることも可能である。

庭園
周囲を竹やぶに囲まれ、沙羅双樹の庭園と枯山水庭園がある。本堂前庭に十数本の沙羅双樹からなる「双羅林」は梅雨の季節に白い椿のような花を咲かせる。
青苔に映える千両・万両の庭、枯山水・蓬莱の庭の水琴窟(一壺天)の音が禅寺の風情を醸し出している。

床の間付畳敷きの東司(便所)
山名豊国が愛用したとされる

小豆粥で初春を祝う会
小豆粥は、餅粥ともいい、七草粥と同じように、新年に食すると、一年中の邪気を払い万病を除く…と言い伝えら、平安の昔から伝わっている新春の優雅な風習。
先ずは書院の間に通される。 通常は非公開の本尊の観世菩薩や、ダルマ図がお目にかかれる。

福茶と祝菓子を戴く。

ついで別室にて食事となる。

さば(生飯)の儀式
箸を付ける前に行われる行事。頂く食べ物の中から少量(米7粒ほど)を庭にやってくる小鳥などの為に分け与え施す(恵む)
施した小豆粥は写真のように庭に置かれる。

35−養源院 非公開
1448(文安5)年妙心寺中興開山日峰宗舜禅師により創建。応永の乱後、廃絶した妙心寺を復興した中興開山日峰宗舜禅師の墓所である。
現在の客殿は、1599年に再建された。鉄山宗鈍(てっさん そうどん)筆の棟札があり、建立年が確定している建物として、山内で一番古い。

玉鳳院・開山堂にも近く、門前には蓮池がある。

36−衝梅院 紹介者のみ公開 国重要文化財所有
1480(文明12)年細川勝元の子、政元の帰衣により創建。
山門〜前庭


本堂
国重要文化財。
建築:1604(慶長9)年 桁行:18.9m 梁間:11.9m 一重 入母屋造 西面庇付 こけら葺
大阪夏の陣に豊臣方十勇士の一人に数えられた真野蔵人一綱の寄進とつたえる。

障壁画
国重要文化財
本堂内の障壁画(襖絵)52面は、法眼春卜の揮毫による作で見事な墨絵とされる。

庭園
方丈前の庭園「四河一源(しかいちげん)の庭」
妙心寺の中興開山の雪江禅師に4人の弟子がおり、これに因んで「四河一源(しかいちげん)の庭」と名づけられた枯山水庭園。
本堂前面 紅葉と苔の美しさには定評がある。

紅葉のシーズン時は非公開。写真で想像されたいとのこと。妙心寺仏殿の景色が最高。

茶室「長法庵 ちょうぼうあん」
天井の一部を楠木の一枚皮で張る。アジロも使われている。


寛文12年(1672)、6代住職妙道和尚が母の桂春大姉(後水尾天皇の中宮東福門院の侍女の菩提を弔うために寄進された鐘。治工:陸奥大掾藤氏家次造



37−龍泉院 非公開
1484(文明13)年妙心寺十世景川宗隆を開祖に創建。四派四庵の一つ。

38−春浦院(しゅんぼういん) 非公開 国重要文化財所有
1627(寛永5)年一柳土佐守より創建。重文「福富草紙」を所有する。
方丈には江戸中期の特異な漢画家山口雪渓の筆になる障壁画43面があり、また寺宝である重文の紙本著色「福富草紙」二巻(室町)は、二人の男の放屁にまつわる珍話を題材とした絵巻物。

39−龍華院 非公開
1650(明暦2)年竺印祖門を開祖通して毛利秀就の室(喜佐姫)が創建

40−慧照院(えんしょういん) 限定公開
1623(元和9)年福井城主松平忠昌公正室黄梅院殿花姫が開基。4月中旬〜下旬まで、紹介者ある人に公開
方丈前庭の樹齢120年を越える五色散椿が、18歳の若さで逝去した花姫の菩提を弔うように4月中頃に艶やかに咲き始める。

41−西源院 限定公開
1489(延徳元)年、細川政元が特芳禅傑を買い磯に創建。龍安寺鏡容池畔にある。

湯豆腐で有名

42−大珠院(だいしゅいん) 非公開
1493(明王2)年の開祖。一時興廃していたのを1600(慶長5)年、真田幸村の女婿石河備前守光吉が再興した。

43−霊光院 非公開
1583(天正11)年細川昭元夫人により創建

44−多福院 非公開
1482(文明14)年特芳禅傑が建立。開祖は鉄船宗煕。

45−仙寿院 非公開
1652(承応元)年後水尾天皇が、禿翁妙宏を開祖に創建された。妙心寺境内外の塔頭である。

46−金台寺(こんだいじ) 非公開
1576(宝徳2)年正親町天皇より再興の綸旨が下される。鳳台院と称したが、明治4年改称した。

47−龍安寺 

48−玉鳳院(たまほういん)―開山堂 非公開 国重要文化財所有
玉鳳院は妙心寺における最初の塔頭であり、発祥の地である。
妙心寺の開山堂で、花園上皇の創建。花園上皇が妙心寺創建の時、傍らに一院を設け、禅宮としたことから花園御殿とも呼ばれる。
鐘楼、庫裏、方状、開山堂(微笑庵、みしょうあん 国重文)、経蔵、庭園が一列に並ぶ。方丈と開山堂とは廊下で結ばれている。

庫裏周辺

方丈
国重要文化財
南前に唐破風屋根が前後(南北)に付く「向唐門」がある。
江戸時代、寛文年間(1661-1673)建立。大坂の淀屋辰五郎の寄進によるという。

「方丈 玉鳳禅宮」は、江戸時代、1656年に再建された。単層、入母屋造、檜皮葺、寝殿風、桁行18.7m、梁行10.8m。
正面の「玉鳳禅宮」の扁額は、第102代・後花園天皇の宸筆による。中央奥の昭堂に、花園法皇の法体姿の木像が安置されているという。

網目から写す。扁額が小さく見える。(撮影禁止の掲示は目にしませんでしたが・・・)

開山堂
国重要文化財
方丈東にあって、微笑庵(みしょうあん)とも称され、山内でも最も神聖な場所とされている。

東福寺より室町時代、1537年に移築され、1538年に造立された。創建はそれ以前の室町時代のものとみられ、山内現存最古の建物である。
江戸時代、1793年に一部が改変されている。桁行3間、梁間4間。入母屋造、本瓦葺、一重禅宗様。
堂内には室町時代以来、常夜灯と常香盤が絶えることがないという。正面、拝所の奥の昭堂に、開山・関山慧玄の尊像が安置されている。

平唐門
国重要文化財
微笑庵の前門である。

一間の四脚門で唐破風(一木彫成)が左右(東西)に付く。桧皮葺。室町初期。開山堂と同じく妙心寺内で最古の建物の一つ。
檜皮葺。破風板、懸魚、桁隠し、梁、冠木、蟇股などは創建当初のものとされる。
室町時代の1409年、後小松天皇により御所の南門が移された。移築後の当初は勅使門として使われた。
応仁・文明の乱(1467-1477)でも焼失を免れた唯一の建物とされ、。門の柱、板に戦乱の際の鏃跡が多数残っている。現存最古の平唐門の例。

経蔵
国重要文化財
桁行・梁間共に一間 一重裳階付 二重屋根本瓦葺。1673年(寛文13)上棟。内部に輪蔵がある。

庭園
国の史跡、名勝
庭園が三つある。蓬来式枯山水庭園。桃山時代初期。枯滝、蓬来石石組などが残る。

49−涅槃堂 非公開
全国の信者から納められたお骨が安置され、永代供養が行われる。

50−蓮池と宝蔵周辺





November 3, 2014 野崎順次 movie

京都府京都市右京区花園妙心寺町64
臨済宗妙心寺派大本山
正法山 妙心寺
(Myoshinji Temple, Ukyo-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

インドの達磨大師さまから中国の臨済禅師さまを経て、妙心寺開山無相大師さまへと受け嗣がれてきた一流の禅を宗旨・教義としています。
1337年、95代の花園法皇さまの勅願によって創建された妙心寺の開山、無相大師さまの法流は四派に分かれ、全国3400ヶ寺に広がっています。
お釈迦さまを大恩教主と尊崇し、その教えを心にいただく禅の安心を求めます。
開山無相大師さまの最期の教え「請う、其の本を務めよ」と開基花園法皇さまの「報恩謝徳」の聖旨による仏法興隆を実践します。
自身仏を信じて坐禅に励み、足下を照顧しながら生かされている自分を感謝して、社会を心の花園と念じ和やかな人生を目指します。
(妙心寺公式サイトより)

パンフレットと現地説明板

国重文 玄関 江戸前期 承応三年(1654)
桁行五間、梁間一間、一重、唐破風造、檜皮葺

国重文 大方丈 江戸前期 承応三年(1654)
桁行29.5m、梁間21.7m、一重、入母屋造、こけら葺




国重文 法堂 江戸前期 明暦二年(1656)
桁行五間、梁間四間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺

国重文 仏殿 江戸後期 文政十年(1827)
桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺

国重文 三門 桃山 慶長四年(1599)
五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付
山廊 各桁行二間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺

国重文 浴室(明智風呂) 江戸前期 明暦二年(1656)
桁行五間、梁間正面五間、背面三間、一重、切妻造、妻入、本瓦葺

その他

参考資料
国指定文化財等データベース





April 6,2013 大野木康夫 HD video

妙心寺退蔵院

2013年春のJR東海キャンペーンのポスターは妙心寺退蔵院余香苑のシダレザクラでした。
この日も雨にもかかわらず、多くの人でにぎわっていました。

山門からの順路は通常とは違い、直接余香苑に向かいます。

余香苑入り口のシダレザクラがポスターに使われた桜です。

2本目のシダレザクラ

池から桜を遠望

三本目のシダレザクラは接待所の近く

接待所から方丈(重要文化財)には直接行けるようになっています。

帰路

ついでに雨の伽藍を撮影





Nov.30 2012 瀧山幸伸 HD video

大法院
Daihoin

A camera


B camera






妙心寺境内






Feb.2012 大野木康夫 HD video

2012.2.12撮影 

京の冬の旅で山門と玉鳳院が公開されている妙心寺を訪ねました。
普段の参拝者は修学旅行生が中心ですが、この日は年配の人を中心に多くの人が訪れていました。

南門(重要文化財)

慶長15(1610)年の建築
三間薬医門、切妻造、檜皮葺

勅使門(重要文化財)

慶長15(1610)年の建築
四脚門、切妻造、檜皮葺

山門(重要文化財)

慶長4(1599)年の建築
五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付
山廊 各桁行二間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺

浴室(重要文化財)

明暦2(1656)年の建築
桁行五間、梁間正面五間、背面三間、一重、切妻造、妻入、本瓦葺

仏殿(重要文化財)

文政10(1827)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺
附指定:廊下1棟

法堂(重要文化財)

明暦2(1656)年の建築
桁行五間、梁間四間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺
附指定:廊下1棟

経蔵(重要文化財)

寛文13(1673)年の建築
桁行一間、梁間一間、一重もこし付、宝形造、本瓦葺、八角輪蔵付

寝堂(重要文化財)

明暦2(1656)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺

玄関(重要文化財)

承応3(1654)年の建築
桁行五間、梁間一間、一重、唐破風造、檜皮葺

大方丈(重要文化財)

承応3(1654)年の建築
桁行29.5m、梁間21.7m、一重、入母屋造、こけら葺

小方丈(重要文化財)

慶長8(1603)年の建築
桁行15.9m、梁間10.0m、一重、入母屋造、こけら葺
附指定:廊下1棟

庫裏(重要文化財)

承応2(1653)年の建築
桁行25.8m、梁間18.0m、一重、切妻造、妻入、東面、西面、北面庇付、北面及び東面下屋附属、総こけら葺
附指定:廊下1棟

北門(重要文化財)

慶長15(1610)年の建築
三間薬医門、切妻造、本瓦葺

塔頭の中にも国指定文化財の建造物があります。

退蔵院本堂(重要文化財)

慶長7(1602)年の建築
桁行16.9m、梁間10.9m、一重、入母屋造、こけら葺
附指定:玄関1棟

退蔵院は常時公開されています。
2011年2月3日に撮影した写真です。

衡梅院本堂(重要文化財)

慶長9(1604)年の建築
桁行18.9m、梁間11.9m、一重、入母屋造、西面庇付、こけら葺

玉鳳院の前や経蔵の南から屋根が見えます。

玉鳳院四脚門(微笑庵前門)(重要文化財)

応永年間(1394-1427)の建築
一間平唐門、檜皮葺

玉鳳院開山堂(重要文化財)

室町中期の建築
桁行三間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺

衡梅院の前から見ると扁額が覗いています。
塀の内部は撮影禁止になっています。

霊雲院書院(重要文化財)

室町後期の建築
桁行7.8m、梁間7.0m、一重、入母屋造、西面庇付、東面廊下附属、こけら葺

霊雲院は非公開で、書院は方丈の西側、つまり奥に建っているので、全く見えません。
写真は玄関及び方丈です。

天球院本堂(重要文化財)

寛永年間(1624-1643)の建築
桁行21.2m、梁間14.0m、一重、入母屋造、桟瓦葺
附指定:玄関1棟

参道や裏の駐車場から屋根が覗いています。




May 2009 瀧山幸伸 HD video



桂春院
keishun in












雑華院





東海庵



玉鳳院
Gyokuhouin


法堂



方丈、庫裏



仏殿



経蔵



浴室


三門




退蔵院
Taizouin

















北総門





Mar.2007 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps HD video Video FAQ



玉鳳院
Gyokuhouin



東林院
Tourinin


大心院
Daishinin



東海庵
Toukaian


衡梅院
Koubaiin





July. 2006 瀧山幸伸

No.1 Preview video 500Kbps HD video Video FAQ

No.2 Preview video 500Kbps HD video Video FAQ


南総門
Minami soumon


勅旨門
Chokushimon


龍泉庵
Ryusenan


三門
Sanmon


浴室(明智風呂)
Yokushitsu (bath)


仏殿
Butsuden


法堂
Hattou


経蔵
Kyouzou


大方丈
Dai houjou
 


小方丈
Shou houjou



大方丈玄関、寝堂 
Dai houjou genkan, Shindou




庫裏
Kuri


北総門方面


天球院
Tenkyuin


北総門
Kita soumon


麟祥院
Rinshouin


大通院
Daitsuuin




靈雲院
reiunin



退蔵院
Taizouin

July. 2006 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps HD video Video FAQ


















衡梅院
Koubaiin



東海庵
Toukaian


玉鳳院
Gyokuhouin


玉鳳院開山堂
Kaizandou









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