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京都府京都市左京区 南禅寺
Nanzenji,Sakyoku,Kyoto city,Kyoto

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京都市左京区南禅寺福地町86 南禅寺 三門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永5(1628) "五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付 山廊 各桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺" 棟札1枚、古瓦7枚 18990405
京都市左京区南禅寺福地町86 南禅寺 勅使門 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長(1596-1614) 四脚門、切妻造、檜皮葺 棟札1枚 19560628
京都市左京区南禅寺福地町86 南禅寺 方丈 国宝 近世以前/寺院 桃山 天正(1573-1591) "大方丈及び小方丈よりなる 大方丈、内陣、御昼の間、鳴滝の間、麝香の間、鶴の間、西の間、柳の間、六畳、狭屋の間、広縁より成る、一重、入母屋造、こけら葺 小方丈 虎の間 三室、九畳、六畳、二十畳、広縁よりなる、一重、背面切妻造、前面大方丈に接続、こけら葺" 19020731 19531114

January 15,2017 大野木康夫 movie

1月14日から15日にかけて京都は雪が積もりました。
早朝から南禅寺に行きました。

蹴上の登り口

    

ねじりまんぽからインクライン

       

南禅寺へ

     

勅使門

   

総門

  

三門

           

舗装道、天授庵

       

法堂

   

水路閣

               

帰路

       

野村碧雲荘方面へ

       

白川通へ

      



July 27,2016 大野木康夫

                                             


April 2,2016 大野木康夫 movie

参道

  

勅使門前

    

三門付近

                 

法堂付近 

                                      

朝日が射す

              

三門前

  

Mar.30,Apr.6,2016 中山辰夫

南禅寺はやはり紅葉である。桜の木は少ない。

Mar.30 ほぼ満開に近かった
                         

Apr.6 葉桜に移っていた
           


November 22,2015 大野木康夫

                                                       


Sep.2015 中山辰夫

南禅寺塔頭

南禅寺は臨済宗南禅寺派の本山である。江戸時代には末寺数700カ寺を越えたが、明治維新の合廃寺で減少し、現在は430カ寺である。
主として、関東以西の22都道府県に散在している。
境内は、江戸時代には10万坪を越えたが維新後縮小し現在は約4万5千坪で、その中に勅使門・三門・仏殿(兼法堂)・方丈・書院・庫裏・僧堂、鐘楼、別院南禅院の主要伽藍と11カ寺の塔頭が並んでいる。塔頭・光雲院が境内外にある。
現在の塔頭は13ケ所。塔所が多く含まれ非公開の処も多い。境内域が広く、庭園も見ごたえがある。

配置図
 

金地院−常時公開
開山:応永年間(1394〜1427) 創建:南禅寺第68代住持・大業徳基禅師 創建地:洛北・鷹ケ峯
慶長10年(1605)南禅寺第270代住持となった以心崇伝禅師により、三門の南西に位置する現在の地に移築された。
          
方丈は1611(慶長16)年に伏見桃山城の一部を徳川家光から賜り、移築したものと伝わる。入母屋造、杮葺の書院建築。襖絵は狩野探幽と尚信の筆。
方丈庭園の南側高台には東照宮、方丈の西南の角には以心崇伝を祀る開山堂が建てられている。
方丈の前に広がる方丈庭園は小堀遠州の作で鶴亀の庭と呼ばれている。
都泉名所図会あり

南陽院(高源室豊田毒湛の塔所)−普段は非公開−イベントに合わせて公開あり
1908(明治41)年当時の南禅寺の名僧を慕った京都の富豪から寄贈されたお寺。 結婚式などの利用が可能。
南陽院の表門をくぐり抜け、石畳を歩き続けると中門がある。
中門の先には方丈があり、それを囲むように苔の庭園がある。またさらに進むと池があり、池の周囲には灯籠や植え込みも多く、きれいに整備されている。
本堂の西に池泉式の庭園がある。庭園は小川治平衛の作庭による石庭。
      

真乗院(香林宗簡の塔頭)−非公開
南禅寺境内三門の南西にある。
室町時代、1450年、南禅寺第139世・香林宗簡(こうりん そうかん)により創建された。真乗院は香林の塔所。
応仁・文明の乱(1467〜1477)後、現在地に再建された。1473(文明5)年に亡くなった応仁の乱・西軍の総大将・山名宗全の墓地がある。(支援者であった。)
      
露地庭は縁側近くまで水が流され、植栽、蹲踞、燈籠が見られる。
谷崎潤一郎は終戦後京都に居を構えた。南禅寺門前の家は奥の八畳間の下を白川が流れていて気に入っていたが、狭いので真乗院の一室を書斎として借り、のちに糺の森近くの広い屋敷に移ったといわれる。

天授庵(開山大明国師無関普門の塔所)−常時公開
天授庵は、南禅寺中門から本坊庫裏へ真直ぐに続く参道の右手に建つ塔頭である。
開山:1340(暦応3)年、南禅寺十五世住持・虎関師が、第1世・大明国師無関普門禅師を祀る南禅寺の塔所として天授庵が開創された。
塔は「霊光」、庵は「天授」と名付けられた。庭園も同時に作庭された。
応仁の乱の兵火を受け荒廃したが、1602(慶長7)年に細川幽斉が援助して方丈・正門・旧書院・塔などが再興された。
         
本堂は入母屋、杮葺屋根。中央に開山大明国師木造、一隅に幽斎夫妻を始めとする細川家歴代の位牌が安置されている。
本堂の襖絵32面は長谷川等伯晩年の作。

庭は1340(暦応3)年の創建当時の儘とされる枯山水の本堂前庭(東庭)と鎌倉末期から南北朝時代の特徴を備えた池泉回遊式の書院南庭2つがある。
方丈前の枯山水「淵黙庭」には二条の敷石が目に付く。敷石は方形の板石の角と角を合わせて敷いた幾何学的模様で、正門より方丈へ至る部分は創建当初のものとされる。
書院の前には築山と園池が展開している。出島を配して東西大小の二つの園池が区切られている。

正因庵−非公開
南禅寺の山門南東にある。
南北朝時代、至徳年中(1384〜1386)、徳叟周佐(とくそう しゅうさ)は正因庵に退隠する。その没後、徳叟の塔所になる。
正因庵は五山文学者を輩出した。江戸時代、1796(寛政8)年、正因庵の客殿を南禅寺に移し、臨時の衆寮とした。
     

南禅院−常時公開
南禅院は、南禅寺境内、琵琶湖疏水が流れる水路閣近くに建つ。この地は南禅寺発祥の地である。
創建の詳細は不明。鎌倉中期に亀山法皇の離宮禅林寺殿の持仏堂を大明国師に下賜され寺院となった。
室町初期の1393年(明徳4)に南禅寺ともども火災焼失。1402年(応永9)に南禅院の一部が再建され、1420年(応永27)に北山御所宸殿を移築して再興されたが、応仁の乱により数十院の塔頭共々ことごとく焼失し衰退する。江戸初期になって祟伝(1569-1633)により再建された。
江戸中期の1703(元禄16)年第5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院らにより、現在の書院などが再建されている。
          
庭園は、京都の三名勝史蹟庭園(ほかに天竜寺庭園、苔寺庭園)の一つに数えられる。
「都林泉名勝図会」図会あり

高徳庵(最勝院)−(駒道智大僧正を祀る)−常時公開
創建や変遷の詳細は不明とされる。鎌倉時代天台宗の駒道智大僧正が、神仙佳境といわれたこの地に隠棲されたことに始まるとされる。
第90代亀山天皇がこの地に離宮(南禅寺の基)を開いた際に、僧正を土地の鎮守・護法神として祀ったとされる。
高徳庵は明治の末年まで、南禅寺の寺務所の地で最勝院般若殿と呼ばれていたが、1917(大正6)年夢窓国師の塔所・上生院の地である現在の場所に移転した。
本堂は駒大僧正を祀り、駒ヶ滝はその奥の院となる。
        

帰雲院(二世創建・南院国師規庵祖円の塔所)−南禅寺最初の塔頭寺院 非公開
           
規庵祖円禅師(南院国師)は弘安9年(1286)第1世・無学禅師が遷化すると、31歳で南禅寺第2世の住持となる。その後十有余年の歳月を費やし、一宇もなかった南禅寺の仏殿、法堂、三門、僧堂など建立整備に後半生を捧げられ、亀山法皇始め多くの修行僧の育成に努められた。南院国師を特に「創建開山」と称し開山大明国師と同格に崇めるのが南禅寺の古規慣例となっている。国師は正和2年(1313)53歳で遷化され遺骨を帰雲院の宝篋印塔に納められた。
それ以来700百余年祀っている。寺院は応仁・文明の乱(1467-1477)後、衰微する。元禄年間(1688-1704)に再建されたが、1945(昭和20)年焼失した。
現在の堂宇はその後に再建されたもの。
都林泉名勝図会あり

正的院−非公開
鎌倉時代の1332(元広2)年に南禅寺11世・元翁本元(げんのうほんげん)が亡くなりその塔所として、弟子により建立された。
        

正的院を過ぎ大寂門をくぐると真直ぐな道となる。左側は南禅寺の境内である。右側には聴松院、慈心院が並ぶ。
 

聴松院−(大鑑禅師清拙正澄の塔所)−非公開
南禅寺の北、牧護庵の北東にある。現在本堂は閉鎖されており、西門から入る摩利支天堂のみ一般開放されている。本尊:摩利支尊天
              
1483(文明15)希世霊彦(きせいれいげん)が、焼失した清拙正澄の塔所・善住庵(ぜんじゅうあん)を再興し、その名を聴松院と改めたのが始まりとされる。
細川氏の菩提寺。清拙正澄(せいせつしょうちょう)は禅宗大鑑派の祖であり、聴松院は南禅寺の塔頭でありながら他宗派の本山でもある珍しい寺である。
本尊の摩利支尊天は、清拙正澄が中国・元から持ち帰ったものとされ秘仏になっており、その特徴が伝えられているだけ。
摩利支尊天は猪の背中に乗って移動するといわれており、狛猪がお堂を護っている。
「都林泉名勝図会」図会あり
 
江戸期の元禄時代より、名物の湯豆腐を寺で供したという。
現在の無鄰菴の地にはかつて、豆腐茶屋「丹後屋」と「瓢亭」が並んで営業していた。ほかに「中丹」「奥丹」があった。
現在、聴松院の一角で営業を続けている「奥丹」は、近代になり再興されたものという。
なお、「奥丹」では、江戸時代、1635年に創業、当初の屋号は「奥の丹後屋」としている。 
     
「都林泉名勝図会」図会あり

慈氏院−(義堂周信(44世)の塔所−非公開
通称「だるま寺」と呼ばれる。開山:1385年 開祖:義堂周信周信は京都五山を代表する学僧 再興:1694(元禄7)年大名・蜂須賀綱矩
現在は、山門・本堂・書院・庫裏がある。境内の達磨堂には、珍しい立像の達磨大師像が祀られている。
        

牧護庵−(五世仏燈国師約翁徳倹の塔所)−非公開
鎌倉時代の1318(文保2)年に、後宇多天皇の勅により約翁徳検((やくおうとくけん)が南禅寺5世となり、その没後の1320年に塔所として牧護庵が建てられ、南禅寺塔頭となった。
平成4年(1992)に彫刻家・杉村孝作のわらべ地蔵100体ほどが庭のあちこちに納められ、「わらべ地蔵の庭」と呼称され親しまれている。
このでは、門前の石柱の上にあるお地蔵さんや数例のみを並べる。なお、杉村孝氏のわらべ地蔵は三千院の有清園にもある。
「都林泉名勝図会」図会あり

光雲寺(開山無関普門ゆかりの門外塔頭)
境外塔頭で南禅寺北ノ坊町にある。
無関普門禅師が東福寺住持に選任される前、暫く滞留した寺である。
寛文年間(1616〜73)年、後水尾院中宮の東福門院が英中禅師に命じて現在地に建立したのに始まるとされる。
当寺は東福門院が大壇那として建立した寺であった関係から、幕府及び幕府関係者からの援助はもとより、朝廷の崇拝も篤かった。
二百十世住持英中玄賢は板倉氏の出身であったので京都所司代の後援もあって現在地に再建された。
                  
しかしその後衰微し、現在は仏殿、方丈、鐘楼を数える。
「都林泉名勝図会」図会あり
「花洛名勝図会」図会あり



Apr.2, 2015 中山辰夫

南禅寺 方丈と庭園

南禅寺の方丈は大方丈(おおほうじょう)とその背後に接続した小方丈からなっている。 いずれも国宝である。
大方丈は前庭に面したこけら葺きの建物で、天正年間(1573〜91)秀吉が建造寄進した御所の殿舎であり、後陽成帝より1611(慶長16)年に拝領移建したものである。
寝殿造の最も美しい、豊かさを持った構築とされ、小方丈と共に国宝に指定されている。襖絵は狩野永徳・探幽等の稀に見る傑作(国重文)といわれる。
位置図
 

境内各所から見る方丈の屋根
          

拝観出入口と抹茶室
      

庫裏は1918再建。切妻妻入 「瑞龍」は書院の山号 

配置図
 

ほの明かりの広廊下を行くと龍子の間、書院があり、左手に方丈「清涼殿」の広縁にでる。
     

大方丈
大方丈は内陣、御昼の間、鳴滝の間、麝香の間、鶴の間、西の間、柳の間、六畳、狭屋の間、広縁より成る入母屋造、?(こけら)葺である。
この大方丈は天正年間(1573−92年)の内裏清涼殿を、1611(慶長16)年に移築再建されたもの移築したものとされているが、清涼殿ではなく女院御所の対面御殿を移築したものとの説もある。
         
引違の舞良戸(まらいど)が並ぶ。宮殿建築の名残をとどめる半蔀(はじとみ)も見られる。

各室は、桃山前期の狩野派絵師筆による障壁画(重要文化財)で全て彩られている。描画により400年が経過しており、彩色の剥落などの傷みがみられるため、平成23年12月に124 面中の84面を収蔵庫に保管された。
  

大方丈庭園
国名勝指定
          
禅院式枯山水の庭園。清涼殿、庭園、借景の羊角嶺等の山並みと三者がよく調和して、優雅枯淡で品格のある借景式庭園とされる。
俗に『虎の子渡し』と呼ばれ、江戸初期以降に見られる樹木と石組を一ケ所にまとめた、広い余白が楽しめる名園で、慶長年間の小堀遠州の作庭とされる。

書院より庭園を通して法堂を望む
   

大方丈欄間 両面透彫 左甚五郎作、
          

大方丈欄干金具 南禅寺瑞龍の紋が彫刻されている。
        

小方丈は本坊の左手にあり、普段は使われない庫裏の大玄関(勅使門)がある。特別ンお行事の時のみ使われる。
          

小方丈
小方丈は大方丈に接続された後方の建物である。伏見城の小書院を移築したもので、襖絵は狩野探幽の傑作と言われ、『水呑むの虎』は特に名高い。
小方丈は虎の間、三室(九畳、六畳、二十畳)広縁よりなり、背面切妻造。?葺となっており昭和28年国宝に指定された。
   

如心庭(小方丈前)
白洲なの中に置かれた石がどの方向から眺めても心の字をあらわしている。宗教的、哲学的な庭園とされる。
         

小方丈と廻廊で結ばれる庭園は、昭和41・42年につくられたも。
涅槃の境地をあらわした如心庭と、煩悩が渦巻く六道庭。順路の最後には、疏水の水が小滝を描く龍吟庭が広がっている。
春の新緑、秋の紅葉の美しさでも有名。
六道庭
    
南禅寺垣のある中庭
    
龍吟庭
   
還源庭
   

参考資料≪パンフレット、他≫





January 4, 2015 野崎順次 movie

雪の南禅寺

国重文 勅使門

  

国重文 三門

        

法堂(はっとう)から本坊

     

水路閣

                      

再び、法堂、本坊から方丈など

           

帰途

    






Nov.24,2014 瀧山幸伸 movie

          
     
                                                                                                                                                                   

白川
   


November 15,2014 大野木康夫 movie

                                          




May 6,2014 大野木康夫 movie

天授庵が本堂修理中だったので、三門付近で青もみじを撮影

               






April 6,2014 大野木康夫 movie

                






November 29, 2013 大野木康夫 video

2013年の紅葉は平年よりもずいぶん早く、11月29日ではもう終盤に差し掛かっていました。
天授庵は落葉、南禅寺三門前はだいぶ散っていましたが、三門と法堂の間の紅葉はまだ鮮やかでした。
水路閣の周辺も日陰になることが多いので紅葉がかろうじて残っていました。

                                                                                





July 21,2013 大野木康夫 HD video

真夏の南禅寺は人も少なく、ゆっくり撮影できます。

蹴上駅からのアプローチ

      

駐車場の池にハスが咲いていました。

         

勅使門(重要文化財)

慶長年間(1596-1614)の建築
四脚門、切妻造、檜皮葺

観光バス駐車場の東に位置しているため、多くのバスが駐車する観光シーズンは撮影しづらいのですが、真夏の朝はそんなこともなく、ゆっくり撮影できました。

                       

総門から中へ

   

三門(重要文化財)

寛永5(1628)年の建築
五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付
山廊 各桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺

南禅寺のメインスポットなので、人は少ないですが途切れることはありません。

                                   

三門から法堂を通って方丈へ

           

方丈(国宝)

天正年間(1573-1591)の建築
大方丈及び小方丈よりなる
大方丈、内陣、御昼の間、鳴滝の間、麝香の間、鶴の間、西の間、柳の間、六畳、狭屋の間、広縁より成る、一重、入母屋造、こけら葺
小方丈 虎の間 三室、九畳、六畳、二十畳、広縁よりなる、一重、背面切妻造、前面大方丈に接続、こけら葺

元は御所の建物(清涼殿とも、女院御所の対面御殿ともいわれています。)だったそうです。

大方丈

                                        

小方丈から北側へ回る

        

右手の突出部が小方丈、左手は大方丈の東北面です。

                          

南禅寺方丈庭園(国指定名勝)

方丈は慶長十六年に女院御所の旧殿を移築せるものであって、庭園はこの頃作られたものであらう。
庭園は方丈と築地塀とによって長方形に整然と区劃せられ白砂を敷ける平庭であってその東南隅に近く主石を置きそれより数個の石を築地塀に沿って西に流し一箇の平石を前面白砂の中に飛ばしている。
そしてモミヂ、松、椿、モチ、サツキの丸物などを庭石に配している。 白砂、庭石、庭樹、築地塀などと、それらの背景をなす松林と山とがひとつに融合して造園美と建築美とがよく調和し優秀な方丈の庭園をなしている。
(国指定文化財等データベースより)

           

外側から見た方丈

                  

帰路

    




April 22, 2013 野崎順次 HD video

臨済宗南禅寺派の本山。1291年(正応4)亀山法皇の離宮を賜り、無関普門(大明国師)が開山。室町時代は隆盛を極め、「五山之上」に列せられた。応仁の乱で焼失した伽藍を‘黒衣の宰相’といわれた以心崇伝によって復興。境内には勅使門、三門、法堂、方丈の伽藍が一直線に、その周辺に12の塔頭が並ぶ。三門(重文)は、藤堂高虎の寄進。方丈(国宝)は、大方丈と小方丈に分かれ、大方丈は御所の殿舎を、小方丈は、伏見城殿舎を移築したと伝えられる。小方丈の襖絵、狩野探幽筆「水呑の虎」は名高い。大方丈の前庭(名勝)は伝小堀遠州作で「虎の子渡し」と呼ばれ、江戸初期の代表的な枯山水庭園として知られる。
(京都観光NAVIより)

アプローチ

                        

国重文 南禅寺勅使門 桃山 慶長(1596 - 1614)
四脚門、切妻造、檜皮葺

            

国重文 南禅寺三門 江戸前期 寛永五年(1628)
五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付
山廊 各桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺

                           

南禅寺法堂(はっとう) 明治42年(1909)再建

       

それから

       

史跡琵琶湖疏水のうち「水路閣」
疏水事業は,京都府知事北垣国道の発意により.田辺朔郎工学博士を工事担当者として.明治18年に起工され,同23年に竣工した。水路閣は,この疏水事業の一環として施工された水路橋で,延長93.17メートル,幅4.06メートル,水路幅2.42メートル,煉瓦造,アーチ構造の優れたデザインを持ち,京都を代表する景観の一つとなっている。また,ここから西500メートルにあるインクラインは,高低差のある蹴上の舟だまりと南禅寺の舟だまりを結ぶ傾斜地に上下2本のレールを敷き.艇架台により舟を運ぶ施設で,当時の舟運による交通事情がよくうかがえる。いずれも,西欧技術が導入されて間もない当時,日本人のみの手で設計,施工されたもので,土木技術史上.極めて貴重なものであり,昭和58年7月1日に「疏水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定史跡に指定された。また,平成8年6月には,この水路閣,インクラインに加え,第1疏水の第1・第2・第3隧道の各出入口,第1竪坑,第2竪坑,明治36年に架設された日本初の鉄筋コンクリート橋(日ノ岡第11号橋),同37年架設の山ノ谷橋などが日本を代表する近代化遺産として国の史跡に指定された。(現地説明板より)

                                           

その他参考文献
国指定文化財等データベース






Nov.2012 大野木康夫 HD video

2012.11.20撮影

地下鉄蹴上駅から南禅寺への道

              

三門付近

             

法堂付近

          

三門への帰路

        





Nov.2011 大野木康夫 HD video

2011.11.27撮影 

2011年、京都の紅葉は遅れ気味です。
毎年人出のピークとなる11月末の週末に、南禅寺を訪れました。

夜明け間際、地下鉄蹴上駅からねじりまんぽをくぐって南禅寺に向かうと、何有荘(今シーズンは非公開)のモミジが真っ赤に色づいていました。

     

南禅寺に着きました。
すでに観光バスが何台か止まっていましたが、駐車場にある勅使門(重要文化財)はいつも見向きもされません。

  

三門(重要文化財)前はすでにかなりの人だかりです。
観光バスで車中泊して、社寺が開く時間まで無料の紅葉スポットで過ごすのでしょうか。

       

ここから法然院、大徳寺等に行き、また昼過ぎに南禅寺に戻ると、多くの人で賑わっていました。

                                   

水路閣から疏水分線沿いに帰ろうとしましたが、南禅院の奥の赤い紅葉が眼に入って、思わず入ってしまいました。
有料(300円)なので、少し人は減ったような気はしますが、やっぱり多いです。

 





Jan.2011 撮影:大野木康夫

所在地 京都府京都市左京区南禅寺福地町86

雪の元日、インクラインから南禅寺に向かいました。

  

勅使門(重要文化財)
慶長年間(1596-1614年)の建築
四脚門、切妻造、檜皮葺
観光シーズンには前の駐車場に多くの車が止まっていますが、さすがにこの日は止まっていませんでした。

    

三門(重要文化財)
寛永5(1628)年の建築
五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付
山廊 各桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺
三門前の杉木立も雪に覆われていました。

        

法堂
明治42(1909)年の再建

   

方丈(国宝)
天正年間(1573-1591年)の建築
大方丈及び小方丈よりなる
大方丈 内陣、御昼の間、鳴滝の間、麝香の間、鶴の間、西の間、柳の間、六畳、狭屋の間、広縁よりなる
 一重、入母屋造、こけら葺
小方丈 虎の間 三室、九畳、六畳、二十畳、広縁よりなる
 一重、背面切妻造、前面大方丈に接続、こけら葺
まだ拝観時間前なので、大方丈のこけらぶきの屋根を眺めました。

 

水路閣(国指定史跡)
明治23(1890)年竣工
延長93.17m、幅4.06m、水路幅2.42m、煉瓦造、アーチ構造
琵琶湖疏水の疏水分線を通すために、作られました。
古代ローマの水道橋をイメージしているそうです。
現在、改修工事に向け、工法の検討がなされています。

        



Nov.2010 瀧山幸伸 HD video

A camera

                                                                 

B camera

                                       






Nov.2008 瀧山幸伸 HD video Video FAQ

   

勅使門
Chokushimon
     

三門
Sanmon
                                                  

楼上
                              

法堂
Hattou
                      
           

疎水
Sosui

                           

  

方丈
                

 



July 2007 by 柚原君子

大きなハスの花でした。絶景かな!の大門も圧倒されました。絶景かな〜を体験するのにに500円?。うーーーん やめ!(笑)

    




Mar. 2006 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps HD video Video FAQ

方丈

                             

三門
              

勅使門
       

湯豆腐の店
 



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