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京都府京都市上京区小川町
Ogawacho,Kamigyoku,Kyoto city

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Apr.3, 2015 中山辰夫

小川通

裏千家今日庵と表千家不審庵
京都市上京区小川町寺ノ内上

小川通は京都市内の南北の通りの一つで、北は紫明通から南は錦小路通までである。平安京には存在せず、豊臣秀吉による天正の地割で新設された。
通り名は一条以北に昭和後期まで流れていた小川(こかわ)に因む。

概略地図

堀川寺ノ上の小川通に裏千家今日庵と表千家不審庵が並んである。

この辺りの小川通りは、自動車と自転車のすれ違いにも気を使うほどの幅員しかなく、世界に誇る茶道のメッカがこのような通りにあるとは思いもよらない。

小川「こがわ」と百々橋の遺構

「小川」は通りと平行につくられておりこの空地が埋め立てられた小川であった。以前は本法寺の門前を流れていた。その石橋が残る。
近代以降、琵琶湖疏水の完成により、1820年、疏水の水が小川にも通され、一条戻橋で堀川に注ぐようになったともいう。
往古はシジミや魚つかみが出来たと聞く。

ここに百々橋が架けられていた。長さは7.3m、幅3.7m。百々橋が石橋になったのは近代、1907年の改築の際という。
小川は、かつては堀川の一部だったという。小川は、北山、東山を源とする賀茂二股川であり、南流して一条で西に折れて更科川となり、堀川に合流していた。
室町時代の応仁・文明の乱(1467-1477)では、勝元と山名宗全両軍がこの橋をはさんで数度にわたって戦を繰り広げた。
1945年、軍命令により高野川以西の疏水は埋め立てられる。1963年、下水道整備工事の際に小川も暗渠化され、川は消滅した。

裏千家の名称は、千利休からの家督を継いだ本家の表千家(不審菴)に対し、今日庵が通りからみて裏にある意。宗家は表千家宗家と隣接している。
その茶室・今日庵(こんにちあん)は裏千家の代名詞でもある。
今日庵の由来は、宗旦が亭主をつとめた茶席に遅れた清巌和尚に、所用があるとして留守にした宗旦が明日の来席を請うた際に残した清巌和尚の「懈怠比丘不期明日」の書き付けから。「千家」といえば本来、本家の表千家のことであったが、裏千家の活躍もあり、近年になって分家である武者小路千家と併せて「三千家」というようになった。

裏千家今日庵 (非公開)
国重要文化財・名勝
表門 兜門ともいう。

表千家不審庵 (非公開)
名勝
表門

今日庵の南にある表千家家元の茶室(不審庵)の表門。
もとは紀州家の門だったといわれている。1822年竣工。9代了々斎が仕えた紀州・徳川治宝により贈られた。
少庵がこの地に、もとは大徳寺門前にあった利休遺跡の茶室「不審庵」と「残月亭」を復興した。不審庵は、表千家、邸も意味する。
江戸時代、1788年、近代に入り1905年と焼失し、現在の不審庵は1913(大正2)年に、残月亭は1909(明治45)年に再建されている。

近くには茶道に関連のお店

さらに、大寺院が並ぶ
妙顕寺・宝鏡寺・本法寺、などがある。 本法寺と裏千家今日庵は向い合っている。


堀川通に出ると本法寺に隣接して裏千家茶道センタ−、茶道資料館が並ぶ。





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